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凱旋門に全員集合!― |
本日も市内観光のため寝坊ができるかと思いきや、出発は0800とのことで、0700過ぎには早々の朝食。ん〜早いぞ! もう少しゆっくりしてくれても・・・とブーたれるが、今日目指す錦繍山記念宮殿は0830に指定場所に集合しなければ見学できないのだという。それ早く言ってよ! 朝食は今日もパン2切れ、時間差攻撃のお粥を中心に水キムチやナムルなど。今頃妙香山組はどうしているだろう。今朝も日式レストランは我々4人だけだった。我々のためだけにこちらの朝食を用意してくれているのだろうか。気ィ使わないで宴会場でバイキング食わせてくれればいいんですけどね・・・
| 朝っぱらからトロバスの架線メンテナンスをしていました。トロリーポールのひもを引いたまま引きずられて行く作業員。 | |||
それでもネクタイは月に2〜3回締めるけど、礼服は数年に1度位だからなあ・・・もう誰も結婚しなくなったし(ごめんなさい!ごめんなさい!)。大体黒ネクタイだよ・・・なんかゴワゴワする感じ。しかし、画竜点睛を欠く部位が一つある。それは靴。靴までは2足持ってくるわけに行かなかったのだ。これを考慮して運動靴系ではなくて一応革靴なのだが、ビルケンシュトックの茶色プレーントゥはやはり明らかにちぐはぐだ。まあ努力できるだけはしたということで・・・
いつものことだが、我々の専用車、ワンボックスが正面玄関につけたのは0815を回った頃だった。錦繍山は陵羅島のはるか向こう、市街のほぼ北東端に位置する。間に合うのかなあ・・・J氏は家に帰っているようだ。案内人は担当のツアーがこの国にいる間家にも帰れずにホテルにずっと泊まっているといろいろな媒体に書かれているが、ずいぶん余裕だなあ。これで我々がどこかに逃げ出したりしたらどう責任を取るつもりなんだろうか。向こうも見抜いているのだろう、我々はそこまで命知らずではない。しかし、多くはないが決して少なくもない訪朝客のすべてが、我々のようなお行儀の良い人間だとは限らないだろう。見た目で100%保証できるものでもない。年に何度かは不測の事態が起こるのではないか。つまり、地方都市は難しいだろうが平壌で自由に振る舞うことは不可能ではない。ただ、帰れなくなるだけのことだ。
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車は羊角島を出ると平壌駅には行かずに大同江沿いの鳥難河畔通りを走り、2日前に屋台を探して辿り着いた平壌ホテルの前を通り、勝利通りへ。金日成広場を横切り、牡丹峰の坂を越えて、昨日訪れた凱旋門をくぐると、ゆるい坂を登って右折、高い平壌テレビ塔のたもとにある駐車場に入った。えっ!ここに連れて行ってくれるのか? さぞや見晴らしが良かろうと昨日恨めしく眺めたテレビ塔に上れるとは・・・と、車はグワーンとUターンして再び通りへ出、来た道を引き返して凱旋門横の広場で停車した。なんだ、前述した大回り転回だったんだ・・・
奥に金日成競技場と大観覧車などがある遊園地、凱旋青年公園を望む広場にはなぜかダッジバンのような大きなワンボックスをはじめ古いベンツEクラスなど何台もが停まって、人々がその周りにたむろしている。んん?これは・・・J氏によると、錦繍山参詣の団体は一度ここに集合して、隊列を組んで現地に向かうのだそうだ。0830を回ったがどうも出発する気配は見られない。集っているのは見たところ東洋人が多く、日本語もあちこちで聞かれるが、白人も3・4人見かけた。何を好きこのんで・・・えっ人のことは言えねえだろう!?
| 広大な金星通り。奥の方向が市内―来た方向。 | |||
いよいよ出発らしく、皆が車に乗り込んだ。ここから先はまた未知の領域である。車は特に隊列を組む様子もなく、思い思いに先程走っては引き返した方向に進む。今度は友誼塔の入口を右折せず直進。この交差点の凱旋門方向から来て左向こう側には何やら公共施設のような建物があった。ちょっと他とは違う印象だったので覚えているのだが、後でガイドブックで確かめてみたところ「戦勝閣」という施設のようである。但しこれがどのようなものかは不明。ここから道は少し下りになり、1km走ったかどうか、交差点(龍興交差点。地下鉄千里馬線戦友駅と革新線戦勝駅の路線交差地点の真上)を右折した。この交差点にも左斜め前に大きな建物(4.25文化会館)があり、左折した道は入りっぱなに大きなアーチのある広い道だった。このアーチは「金日成永生記念塔」と呼ばれるもので、その先に伸びる金星通りは幅50mはあろうかという大通り、見渡す先まで一直線である。
| 金星通りの路側に錦繍山参詣用の路面電車が! | |||
右側は1946(チュチェ35)年に創立された名門、金日成総合大学。14学部80余講座50余研究室、8つの研究所とドクターコースで全学1万2,000人が学んでいるという。確かにいかにも大学という趣の建物が林立しているようだ。そういえば今回のツアーの添乗員であるJ女史は在日ながらここを出た才媛とのこと。日本でいえば余裕で東大卒に相当するが、研究レベルは本当のところはどうなのだろうか。自然科学、人文科学はともかく、社会科学系はねえ・・・
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| 駐車場を回り込むようにして来たとき、車庫からの入出庫線が隣に。写真の後方が車庫。 | |||
これが噂に聞いた錦繍山参詣用の路面電車か。街中で見るいかにも東側というデザインのタトラカーとは全く違うデザインの、きれいな緑色の電車が結構な頻度で走っているようだ。車内は若干立っている人もいるまあまあの乗車率だが、女性はみな色とりどりのチマチョゴリを着ていてよそ行きの雰囲気である。この路線は1995年、錦繍山記念宮殿の完成に合わせて参詣客輸送用として建設された市内の路線群とは全く独立しているもので、車両はチューリヒのトラム(路面電車)を2両ユニット18両購入して使用している。この辺が東側らしさ、共和国らしさ感じない原因になっているのだが、地図で確認したところ錦繍山記念宮殿の前には地下鉄革新線の光明駅があるのだ。わざわざ路面電車を建設することもないと思うが・・・恐らく路面電車市内側の起点は2.5km程手前の先程の戦友・戦勝駅だと思うが、この短い路線長でしかも完全に並行路線・・・何のために造ったの?
2〜3分走ったろうか、車は錦繍山記念宮殿の荘厳な正門の前の広い道を左折し、正門を背中に見ながら一度遠ざかる。曲がった直後に路面電車の踏切を渡った。300m位走ると今度は右折。また同じ位走ると右手に路面電車の車庫が見えた。これがまたとてもヨーロッパのとても近代的な建物と施設で、建設年代の新しさを感じさせる。敷地を回り込むようにしてまた右折。車庫から出ている入出庫線が見え、もとの広い道に突き当たる手前で右折すると平屋の建物がある駐車場に到着した。ここが路面電車の駅のようである。
車を降りるとき、ここは一切撮影禁止なのでカメラ類はすべて置いていくようにと言われる。それどころか財布まで持っていってはいけないのだ。ヘアピン、ネクタイピン、鍵・・・私物はもとより金属類は一切身につけている物を外さなければいけないという。う〜ん、まさかとられる事などないはずだが、財布はバッグの中に入れておく。海外旅行に来てパスポートは持ってない、財布は肌身離さず持ってない・・・事実上の丸裸でなんだか非常に心細い。非常に暑がりの私だが、今日の気温は恐らく20度位、日差しは強くても空気が若干冷たいので黒の礼服を着ていても気持ちがいい。ネクタイをもう一回締め直して、さあ、いよいよ偉大なる男との対面だ!
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忍び寄る「白い恐怖」― |
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| 駐車場に隣接した路面電車駅のホーム。 | |||
4人一列になるようにとの指示で、長い廊下の最下流に立つ。まずは50m位か、屋根があるだけで左右は抜けている通路をゾロゾロと進む。屋根があるだけといっても、装飾入り石造りの立派なものだ。右に見えている大宮殿から例によってどんどん離れていくが、終点で通路は直角に曲がり階段を下りて地下へ。ここでトイレは最後とのことで、行きたい人は行って下さいと指示がある。私は待っていたのだが同居人の話では他の場所のトイレと違い非常にきれいで紙も常備されていたという。行く前は何となく共和国のトイレはきれいなのだろうと思っていたのだが、他のアジア諸国ほどではないにせよ予想していたほどきれいではないという感じであった。特徴的なのは洗面台の代わりに大きな、風呂桶のような(人も入れる位の大きさの)タイルの水槽があって、ここに常時水が注がれて廊下中水が流れているという構造で、いつも床は水でびしょびしょ、これでピッカピカなら良いのだけれど、掃除が行き届いていないのかいかにも「便所」といった臭いがたちこめ、これにいわゆる「水の臭い」が加わって、オエーとなってしまうのだ。しかし確かにここのトイレは見るからに清潔そうな感じで、トイレひとつとってもここが特別な場所なのだということがわかる。
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| 宮殿の前で記念撮影をする人民。もっとも人民がカメラを持っていることなど恐らくあり得ないことですので、訪朝した在日の方々かそうでなければ相当の高級党員でしょう。後方を横切っているのが金星通り。右が来た方向―市内へ、左が大城山―高麗時代の城跡や革命烈士の胸像を並べた革命烈士陵、中央動物園・植物園のある方向です。そして写真記録はブラックアウト・・・! | |||
こちらはさっきと違い、左右をアルミサッシで閉じた構造となっており、左右に動く歩道が設置されている。参詣客は歩いてもいいのかも知れないが、全員動く歩道に乗った。時間をかけて日成氏に思いを馳せるようこの長さに設計されているのだろう、恐らく歩くことはできないと思われる。歩道の一番手前側にはまた大きな箱、空港のものをもっと大きくしてほとんどトンネルと化している金属探知器があり、これを歩道上で歩かずにくぐる。なにせ大がかりな物だけに、入口から出口まで10秒位かかり、上下左右の4方向からスキャンされているようだ。これって磁気センサーとかじゃなく、X線なんかじゃないだろうな、しかも1回で年間被爆許容量以上とかの・・・若干心配。撮影禁止は当然としても、なぜ金属類などが一切持ち込み禁止なのだろうか。
| 動く歩道完備の長〜い渡り廊下。向こう側で地下に潜ります。白いゴミのように見えるのはアカシアの棉。中国などではこれが積もりすぎて公害になっている都市もあるそうですが、平壌でも雪のように堆く積もっている所が結構ありました。 | |||
どこからか大音量の音楽が流れてきた。荘厳だが、無遠慮で、人の心にずけずけと入り込んでくる音楽。どこか甲子園のテーマに似ているメロのこの曲はもちろん錦繍山記念宮殿にもっともふさわしい曲、あの「金日成将軍の歌」である。順路は前の大きな部屋に続いており、音楽はそこからものすごいボリュームで聞こえている。ドアのないその入口を抜け、右を見ると・・・ついに来たか! およそ奥行き50m、幅30m、高さ10m程の、3面を石材の柱で囲まれた大広間の奥に、下の赤から青へと移ろうグラデーションのバックライトに照らされた、高さ8m程の真っ白な金日成像が我々を待ちかまえていた。
| 中庭で参詣の順番を待つオモニ軍団。年に一度くらい、職場単位、ご近所単位で訪れるとのこと。昔と違い今はチマチョゴリの柄も派手になる一方だそうです。後方に見える柳京ホテルとテレビ塔の位置関係で大体ここの場所がおわかりでしょう。 | |||
自分の番が来た。真っ白な石像は尊大に参詣者を見下ろして、まるで「お前のようなちっぽけな人間が、朕に会いに来て何か得るところがあるのかえ?では教えてやろう、これが力だ!国家だ!お前は今、具現化した国家を目の当たりにしているのだ!」と哄笑の声が聞こえてくるようだ。一応は自由主義国家の体裁を取っている国から来た、自由をはき違える程までに極限に解釈・運用している人間がここに来るのは、多分生まれて初めての大きな踏み絵だ。私などはまだ根がいい加減だからどこか人ごとのように思っていられるが、誰にでも勧められるところではない。社長は俺より偉いとか小泉さんは俺より偉いとか、そういったレベルの話ではないのだ。そんなものはたとえ総理大臣でも、もしかしたら天皇でも相対的な価値でしかないかもしれない。この世に絶対というものがあるとしたら、多分この国にしか存在しないのではないか。ただ、絶対というのが時空間を超越したものであるとするなら、定義に適っているかどうかは若干疑わしいが・・・
| ご本尊がある中心部のアップ。石像の大広間はこの写真の左側の部分と思われます。 | ||||
と、階段から大勢のチマチョゴリを着た中年女性の一段が降りてきたが、次の瞬間恐ろしい光景に凍り付いた。何人かが嗚咽を漏らしながら泣いているのだ! 一人では歩けないようで、両脇を抱えられながら引きずられるようにして降りてくる。金日成氏が死去したのは1994(チュチェ83)年7月8日、もう8年も経っているのだ。ああ首領様、あなたはまだ人民からこれほどの涙を搾り取らずにはおられないのですか・・・! 案内人のJ氏は我々の後ろから促すようにしてついてきているが、さほど広くないホールのあちこちに背広を着た男達が立っていて、我々を誘導してくれる。ここで一体何人が働いているのだろうか・・・静かなエレベーターはほぼ満員の外国人参詣客を乗せて上がる。ドアが開くと、そこはひんやりとした空気が漂い、若干照明が薄暗い木製の壁で囲まれた部屋だった。
部屋、というには若干狭いこのスペースは、前方に4つのゲートが開いている。幅1m、高さ2mちょっと位の四角い穴は、日本でもヘルスセンターの大浴場などで見るエアーカーテンだった。旅客機のスポット空調に似たお椀形の自在ノズルが天地左右に取り付けられていて、強い風で服についているほこりなどを取る仕組み。しかし、ここまででかなり恐怖が募っているので、1人でこんな大がかりな機械に入れられるのはちょっと怖い。まだまだ音楽は鳴り響いている。ここを抜けると、いよいよ前方に真っ赤な灯りがぎらつく暗い部屋が見えた。入口は幅2m位、だが高さは15mはあろうか、ドアはないので細長いスリットという感じだ。その横には軍服を着た衛兵が左右に1人ずつ立っている。私は最後に、肩を回して上着をもう一度直し、ネクタイが曲がってないかを確認した。いよいよ来たのだ、偉大なる男が眠る部屋へ―
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失禁寸前!そして弛緩へ― |
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これが「偉大なる首領様」のお姿だ! 赤い照明が光る薄暗い広間の中にスポットライトに照らされ浮かび上がる老人の死体。背広を着ており、赤い布が胸の下までかけられている。台座の足元には「1912-1994」と日成氏の生年と没年、また共和国の紋章がつけられている。参詣客はこの台座の周りを時計回りに歩いて、頭上を除く三方向で御辞儀をしなければならない・・・えっ?見えない? そんなはずは・・・真っ黒? う〜ん、そちらのパソコンが調子悪いんじゃないですか!? |
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安置室はおよそ25m×15m・高さ15m程のスペースで、中は本を読むには若干辛い位の明るさ、暗室のセーフライトのような赤い光で部屋中が照らされていた。中央にロープで囲われた祭壇のような台座があり、その上に花で覆われ老人の死体が横たわっていた。これが・・・金日成! 私が見た歴史に残るような人物といえば今までに昭和天皇、ダイアナ妃位しかない。これが世界の巨人3人目だ。まさか、実物に会えるとはついこの間まで夢にも思わなかった。部屋を長方形として上から見ると、参詣者の隊列は右下の隅に近い横の辺から入り、台座を囲むようにして反時計回りに1列で進む。まず下の長辺の位置に来ると、ここで一礼。そして頭の方に向かって歩いて行く。そのご尊顔を見ると、う〜ん・・・自分が知っている金日成氏とはやはり違う。何というか・・・葬式で見る年寄りの顔だ。人間死ぬと顎がなくなる。下唇から首までがなだらかな曲線を描いて落ちて行き、口が半開きになるが、目の前にある老人の死体はまさにこの顔であった。半身を乗り出して、この一瞬一瞬を心に焼き付けようと眼をこらす。列は少しずつ進んで、次は頭上にあたる左辺にきた。なぜかこの辺だけでは一礼をしなくても良いとのこと。参詣者の列は入口から出口まで途切れることなく続いている。ふとこの暗い空間をふと客観的に見たとき、一体俺は何をやっているんだろうと不思議な気持ちになった。この空間、状況がとても現実のものとは思われない。何人もが泣き崩れて周囲の人間に支えられて歩いている。大音量の音楽、泣き声と嗚咽、暗くて真っ赤な空間・・・もうトリップする寸前だ!
左辺の頭を除く3辺で一礼をして、安置室を後にする。部屋に入ってから出るまではおよそ2分程。入って来た時とは別の口から外に出ると、そこは金氏が生前に世界中の国から贈られた勲章などを展示する部屋だった。もう照明も明るい蛍光灯で、普通の展示室だが、まだかすかに音楽も聞こえてきている。あ〜あ恐ろしや恐ろしや。何十個とある勲章を一つ一つ見ていくが、最初は共和国英雄など自分で自分にあげた勲章。それは反則なのではないかい?と心の中で突っ込みを入れながら進んでいくと、旧ソ連やルーマニア、スハルト時代のインドネシアなど当たり前だが仲良しクラブのものばかり。西側では確かオランダ、イタリアからのものがごく少数だが展示してあったように記憶している。またなぜかペルーからの勲章が異常に多く、多分全体の4分の1以上を占めていたようだった。
| 白鳥も優雅に泳ぐ風光明媚な宮殿全景。外だけ見れば非常に優雅でいい所なんですが・・・ しかし、社会主義国に「宮殿」があるとは驚きですね。 | |||
一通り回るとレコーダーを回収、次は出発前に楽しみにしていた金氏専用客車の展示。飛行機嫌いで各地を鉄道で巡回していた金氏が愛用していた特別車両で、見たところ日本製のようなのだが日本の鉄道車両メーカーには製造の記録はない。記念宮殿の整備に当たって車両を搬入したようでもう二度と線路に戻ることはできないが、内外とも(当たり前だが)ピッカピッカでちょっともったいないような気がする。もっとも先日の正日氏のモスクワ訪問もご存じの通り列車を使ったのだが立派な正日氏用特別編成が用意されており、親父の物を使うのも気にくわないだろうし代わりはいくらでもあるのだから周りが心配したものでもなかろう。しかしこの客車、立派な調度品と、なぜか壁面に埋め込まれたビデオデッキが強烈な印象として今でも心に焼き付いている。
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| 錦繍山記念宮殿の展示品、ベンツS600と専用客車をデザインした切手。左上に咲いているのは金日成花ですね。しかし宮殿はパースなのに肖像画は思いっきり正面で見た目にかなり違和感が・・・ | |||
一連の展示室を後にすると、これまた広いホテルのロビーのような部屋に案内される。壁に沿って立派な机と椅子が用意されていて、ここで何をするのかと思ったら見学の感想を書く記帳所であった。別に書かなくてもいいですから、とJ氏はいうのだが、せっかくだからということで同行のO氏も私も書くことに。B4横サイズ位の大きさのサイン帳を広げられ、さあ何を書こうか。しかしこの状況でどう考えても賛美の文句しか書けるわけがない。字が下手で恥ずかしいのだが、素晴らしい体験でした、偉大なる首領様マンセー!と書いておいた。某2chでも書いたことないのに、こんな所で初めて、しかもカタカナで「マンセー」と書くとは思わなんだ。書き終わるとJ氏が文面を覗き込んだ。えっ?見るんですか?しまった!
今日本で「マンセー」と言えば完全にネタである。もしJ氏がちょくちょく2chを覗いていたりしたらこれはかなりふざけたフレーズだ。書いてしまった後で緊張が走る。一体何をするつもり・・・J氏は別に白紙を用意して、何かを書き始めた。どうやら私の書いた文章を朝鮮語に書き直しているようである。そうか・・・これでここを訪問した人民もイルボンサラムがこんなに感激したことを知ることができるのだ。訳し終えたJ氏はにっこり笑って「これでいいでしょう」と紙を私に見せ、サイン帳に挟み込んで閉じた。共和国の人が2chを知っているわけないか。ほっとすると同時にちょっとJ氏に悪いことをしたようでばつが悪くなった。
| 錦繍山駅を出発する参詣用電車。一応「撮っていいですね」と念を押したにもかかわらず、列車が出てしまうので小走りで寄ったらどこからともなく出てきたオッサンに制止され、案内人のJ氏が何か言われている。この後若干J氏にお説教されました。駆け出したら危ないだろうと注意されたとのことですが、結局「私は良くても、人民全員の眼が光っているから勝手な行動は慎みなさい」ということなのです。しかし、ケツ側からしか撮れないとは、残念! | ||||
再び地下に潜ると来るときに通った地下通路に出て、後は行きの道をずっと引き返して駐車場に戻ってきた。動く歩道に乗っていると、人民が続々とやってくる。チョゴリのおばさん達、若い女性達、背広を着た中年の男達、中学生位の少年少女・・・ありとあらゆる性別・年齢の人々。この人たちもあの場所に行ったら泣き崩れるのだろうか。クロークを過ぎて屋根だけ通路に戻ってきたとき、やっと体も精神も弛緩してきた。
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| 参詣を終えてほっと一息。なんだ、同居人はカジュアルじゃん! | |||
敷地に入ると先程の動く歩道の廊下と池の間を歩いて中庭に。今日も天気はいいし、最高の観光日和だ。こちらにも人民がたくさんいて、見学の終わった者、隊列を組んでこれから見学に向かうとおぼしき者でごった返している。もう誰も泣き崩れている人はいない。おばさん達は時折笑い声すらたてて、休日の行楽気分だ。人民はここを見学するのに拝観料は必要なのだろうか? J氏に聞いたところ、人民は無料とのことである。我々はこのオプションのために旅行会社に1万9000円を払っている。こんな酔狂のために1万9000円・・・バッカじゃなかろかと思われる人もおられよう。確かに。しかし、歴史を作った巨人をこの眼で見られる機会は世界にはそう多くない。せっかく共和国まで来たのであれば、毒を食わらば皿までを実践してみるのも一興であると思う。ただ、神経が繊細な人は途中で体調が悪くなるかも知れない。
| 帰りがけ、また回り込んで金星通りに戻る時、偶然路面電車が道路を横断! 急なことだったのでちょっと惜しいタイミング。列車はかなりの頻度でやってきます。 | ||||||
| 帰りは車線が軌道の側なので思う存分撮影できましたが、こちらもかなりのスピードで走っているのでなかなか真ん中に収まってくれません。それでも、J氏は彼なりに精一杯私が撮れるように配慮してくれたのだと思います。市内の電車はどことなくくたびれた外観ですが、ここの路線は整備が行き届いておりどれもピッカピカ。スタイルも西側風で、中の乗客もよそ行きの格好なのでとても平壌の風景とは思えませんね。トレーラーの最後部、みんなが手を振ってくれていますが、大丈夫なのでしょうか?線路は金日成永生記念塔のすぐ手前位まで併走していますが、気がついたら見えなくなっていました。その手前辺りで地下鉄の駅、恐らく三興駅が見えましたので、やはり戦勝・戦友駅付近が市内側のターミナルなのでしょう。
実はこの写真の右後方辺りに、金正日氏の本宅であるいわゆる「55号邸」があると言われています。距離にして約2km、我々はこの時点で「皇居」に再接近していたことになりますが、周辺は特に警備が厳重という印象はありませんでした。ただし錦繍山記念宮殿は所在地を積極的には報せない方針のようで、ガイドブックを読んでも今ひとつどこなのかは分からないようになっています。 |
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偉大なる男との対面はこうして終わった。観光というにはあまりに刺激の強いひとときであったが、我々はワンボックスのリアシートで心地よい風を受けながら「彼」との邂逅を思い出していた。マンナソ、キップムニダ。また会える日があったら、その時までお元気で。車は猛スピードで市内へと急ぐ。最終日の行程はまだ午前中を終えただけである。午後、J氏はどこへ連れて行ってくれるのだろうか―。