
新潟―ウラジオ―平壌到着編(Niigata―Vradivostok―Pyongyang) 阿鼻叫喚!板門店編(Panmunjom, the military Demarcation Line)
2002年5月2日〜6日、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国を旅行してきました。
訪れる日本人も少なく、神秘のベールに包まれた近くて遠い国の旅行記と写真をご覧下さい。
平壌観光午後編(Pyongyang city sightseeing 2)
偉大な男達&美しき女神との出会い編(Kumususan palace)
さらば共和国よ!編(Epilogue)工事中
ついにこの日が来てしまった。2002年5月2日、共和国ツアー。旅に出ると言う実感のないままに、上越新幹線に乗るべく東京駅へ。GWまっただ中にもかかわらず、一応平日のせいか東京駅のホームはやや混雑という状況。11時20分発の「あさひ」315号は200系リニューアル編成で、座面がスライドする新形リクライニングシートで新潟までの旅の助走はあっという間である。空港までのバスはトランクを抱えた乗客でほぼ埋まり、隣に座った人を見て「コイツも共和国組か・・・?」とそわそわ。東京に住んでいて新潟空港に行くことはまずないといって良いので、今ひとつどんな路線が就航しているのかもわからない。見たところ全員が同行者ではないと思うが・・・途中先日倒産した新潟鉄工の大山工場脇を通るので、車窓を注視していたのだが、結局良く分からないまま「航空自衛隊新潟救難隊」の看板が見えた。気が付くともう「空港入口」と名の付いた交差点で、左折すると県警のヘリなどが駐機している区域を通りターミナルへ。
実は出発前、産経新聞の報道で旧ソビエト製の旅客機はシカゴ条約に準拠したICAOの騒音規制で日本への乗り入れが4月22日より禁止されることになったらしい、との噂が広がり、出発直前になってなぜ・・・とあわてたのだが、旅行会社に確認したところでは利用するウラジオストク航空の保有するツポレフTu-154Mは規制に引っかからないモデルなので大丈夫ですとの言葉を信用してここまでやってきたのだ。しかし、海外旅行などには往々にして「大丈夫だって言ったじゃない・・・」というケースがあり、今回もどうも気分がすっきりしない。実機を見るまでは不安で、ひょっとして空港職員と航空会社の大喧嘩を見る羽目になるのでは、と思うと親から借りてきた初めてのスーツケースもずっしりと手に重い。指定の集合時刻は15時だが、14時過ぎに着いたためしばしロビーで休息。最近の地方空港はみな立派だ。まあ新潟はワールドカップもあるし・・・時間が早いせいかまだそれらしき人々は見あたらない。
直前の乗り入れ禁止騒ぎで我々を慌てさせた人騒がせなウラジオストク航空のツポレフTu-154M。新潟空港展望デッキからの撮影。これは我々の前の定期便で、レジスターはRA-85710。 しばらくすると、空港内にやたらとロシア人が多いのに気がついた。ウラジオストク航空のカウンターはJALが代行しているのだが、我々の乗るチャーター機の一つ前に同じくウラジオストク行きの808便があり、チェックインに長い行列ができている。国際線の時刻表示にはホノルルやグアム、ソウルもあるが、成田でもこれほど多くのスラブ系の人間を一度には見ることはない。なるほどこうしてみると新潟はロシア、北アジアの玄関口なのだということがよくわかる。そして万景峰号が入港する、共和国へのゲートウェイでもある。事前に買い求めた朝鮮新報社発行の「朝鮮―魅力の旅」(昭文社の「地球旅行」あたりをパクったデザインのトンデモガイドブックだがこれでも貴重な情報源)の巻末には新潟市内の焼肉屋の相乗り広告が結構載っている。そういえばさっき太白って店見たな・・・人よりは旅のこと、世の中のことちょっと余計に知っているつもりだったが、まだまだ知らんことたくさんあるんだな、と謙虚な気持ちになる。
旅行会社から送られてきた案内書は集合場所等結構アバウトで、今ひとつどこに行けばいいのか自信がない。隣に座っている20代半ば位の男は地球の歩き方を読みながら財布の中の米ドルを数えている。コイツも同じツアーか?しかし後になって気がついた。地球の歩き方に共和国版はないことを。彼はどうも中国に向かって旅立ったようだ。
集合時間15分前。出発カウンターの仕切柵の前に、徐々にそれらしき人が集まりはじめた。スーツを着た添乗員らしき女性が1人、私服の男と話している。この男は客?どうもそういう感じはしないが・・・人数は段々多くなっていき、10人を超えたようだ。さあ、我々も行くとするか!
今回共和国に旅立つことになったのは、当サイトでリンクさせていただいているTaguchan様の旅行記が直接のきっかけである。国際謀略戦とか黒い霧系が幼い頃から好きな私は前々から行きたいとは思っていたのだが、専門に扱っている旅行会社はあるなどつゆ知らず、特殊なコネがある人が行く上級編の国だとずっと思っていたのだ。ところが、ネット界をチェックするとその手のサイトが結構あることに気がついた。なかでもTaguchan様のサイトは街中のなにげない風景なども多数収められており、自分が体験した後ではもう笑い話に過ぎないが「こんな写真撮って無事に帰ってこれるの・・・!?」と大興奮。これで心が「ちょっと」動いた所にもってきて、同居人がちょうど「ニュースステーション」で今回のマスゲームを日本の旅行社にPRに来た共和国のミッションを見てその気になってしまった。そしてある晩、「最近金もないしどこも行ってないな〜」 新聞を見て・・・「ソウル、サンキュッパだって。そうだ!ソウル行くか」「それならピョンヤンがいいんじゃない?」 この辺から話は脱線しはじめるのである。 Taguchan様のリンク集には彼が利用した朝鮮専門の旅行会社HPが載せられている。そこをクリックすると、私の人生に新たなる地平が開けたのである。「マスゲームツアーやってる!」速攻で資料を請求した我々は、今度は北京―平壌間を走る寝台列車に乗れるツアーがあることも知るが、これは時間を食うために夏休みにでも実行するしかない。しかしマスゲームは6月末までしかやっていない。マスゲームを取るか、寝台列車を取るか・・・私の要望としてはマスゲームは見られれば見たい、といった程度で寝台列車狙いだったのだが、同居人の「マスゲームは今しか見られない」という意見にGWのマスゲームツアーを選択したのであった。
高麗航空に乗れなかったのは残念だが、搭乗券は高麗のものだった(帰り)。もちろん自動改札対応などにはなっていないので、建物を出るときグラウンドホステスが手でちぎります。雑にちぎるとミシン目の所できれいに切れないので、先に自分で9割方切っておくといいらしい(勢い余って全部切ってしまうと無効!!) 裏面は順安空港に集う高麗航空フリートと、平壌市郊外にある檀君(Tangun)陵の写真。 我々が今回お世話になるK社は朝鮮旅行では大手というかほぼ1社で市場を独占していたC社から5年ほど前に独立した新進の旅行会社だが、少数精鋭というか正社員はたった2人とのことである。両名とも男性であることは知っていたので、添乗員らしき女性は誰なのだろう?と思うが、何度か電話でやりとりしているうちにツアーの募集や参加者構成などにどうも解せない点が多く、まあ人員とかいろいろ融通し合ったりしてるんだろうな、と勝手に納得する。すると、さっきは見かけなかったスーツ姿の男性が1人加わっているのに気がついた。この人は見覚えが・・・彼は以前前金を払いに会社に伺った際ちらっと見かけたことのあるP氏であった。電話でも何度か話をしている。
1500、全員が集合し挨拶のあと、今回は航空券がバラでその都度チェックインをしなければならないので、1枚ずつ切って残りは絶対に無くさないように、との注意を聞く。ここでのチェックインも会社では代行しませんので、各自でカウンターに向かって下さい、とも。とりあえずカウンターに向かう。JALのグラウンドクルーは共和国に向かう我々をどんな目で見ているのであろうか。チェックインが終わるとしばし自由行動。お待ちかねの屋上展望デッキへ急ぐ。外に出るには料金100円が必要だが、まず券売機の前にあるナムコのフライトシミュレータで腕試し。新千歳から羽田までのフライトで1度目は着陸失敗、2度目は何とか着陸したがほぼ芝の上を走っていた。こんなの難しすぎるよ! ちょっとヘコんで外へ出る。すぐにウラジオストク航空のTu-154Mが目に入った。これは1つ前の定期便の機体だが、良かった!来てる! これで我々と共和国を遮るものは何もない!
いよいよ出国へ(出国までにこんなに文字数を消費してしまった。皆様飽きずに最後までお付き合い下さいまし)。9.11以来飛行機に乗るのは初めてだが、例のごとくX線検査は時間を食っている。前のオヤジは靴まで脱がされたようだ。ひもがきついし、靴はここで脱ぎたくないなあ・・・と、服装の検査はあっさりと終了した。しかし、カメラにすでにフィルムを入れているのでX線は通したくないと言ったら、出口で待たされてじっくりと舐め回すように検査された。そんなに見たって何も出て来やしないよ! そこまでこだわるなら背面を開けてフィルムを出せばいいのに・・・(言うまでもなくそれをやったらカメラをX線に通したくないという前提が崩れます)。税関は申告せよと言う割に係員が1人もおらず、一応時計がスピードマスターなのにどうすればいいのだろう。まあ、共和国に舶来品を買いに行く奴もいないだろう、突破! 出国審査も係官が何を考えているのか気になる。ここに集った全員、これで公安データベースに無事記載完了!なのかな?
旅客機マニアではないので、よく考えるとTu-154に乗るのはもちろん、見るのも恐らく初めてである。ボーイング727のコピー機として有名な同機だが、727が日本ではほぼ見ることがなくなったのと同じく、すでに初飛行以来34年、エンジンを換装した発展型である当機自体も恐らく20年はゆうに超えていると思われる。
残念!行きの機はスカイブルーのモロ東側内装だったんですが・・・これだと結構綺麗に見えますね。レジスターはRA-85849(帰りのウラジオ―新潟間で撮影)。 機内の壁面は旧共産圏の定番カラーともいえるマターリとしたスカイブルー。シートはところどころ背ずりが前に倒れている。「折り畳むこともできるんだ〜」と感心したが、どうやらこれは「機能」ではなく「結果」のようだ。とりあえず座ってみると、なんと背ずりがペラペラに薄く、座った人の背中の形に椅子が膨らむ。背に骨というか板が入っていないのだ。テーブルは灰色の鉄板で、単なる四角断面の鉄棒でできている両側のアームとあいまって何か学校の備品を思わせる。しかもアームがよれていて、収納状態でも右側が飛び出るように歪んでおり(常に右側に重い物を載せるから?)、引き出してみると水平にならずちょっと重い物を載せると確実に折れてしまいそうだ。横を見てみると、片側3席のシートはすべて背ずりの角度が違っている。我々はこれを「自動リクライニング機能」と呼ぶことにした。
1700テイクオフ。タキシングの際見送ってくれたふとっちょのおじさんはチェックインの時カウンターにいたと同居人が教えてくれた。「ぽっぽや」みたいな話だな〜。1人で何でもやらなきゃならないのか。あの巨体で大変なこった・・・下に初の佐渡島を眺めつつ上昇していくが、これがどうも具合がいいのだ。はっきりいって今まで乗ったどの機体・フライトよりもスムーズ。エンジン音が小さいような気がするし、フルパワー時のGも弱く上昇角度も浅いように感じる。うまく言えないが、飛んでいる「リアル感」が西側の機体とは違うのだ。「シュルルッ」と、しかし確かにエンジンが推力を生み出している感じ。これが結構気持ちよい。新しい=快適とは限らないのかな?シートも適度なルーズ感で、実はこれでヨーロッパまで行くと疲れないような気もする。幸か不幸か我々がこの機体に乗れる機会は限られているが・・・
シートもこれだときれいに見えますが、ところどころで背ずりが前に倒れています。背中のテーブルが歪んでいるのがわかるでしょうか。右は頭上のスポットライト、スポット空調、CA呼び出しボタン。
佐渡が見えなくなってしばらくすると、ドリンクのサービスが始まった。私は迷わずビールをオーダー。キリル文字のラベルをしげしげと眺めると久々に海外旅行に出た実感が湧いてくるが、これをテーブルの上に置いて手を離すわけにはいかない。350ccのビール程度ではアームが折れることはないが、いずれにしても前に滑り落ちてきてしまう。しばらく後にはパンとチーズ、サラミ、オリーブの実、板チョコという内容の軽食が出された。パンはぼそぼそでうまくない。ウラジオまでは1時間20分なので、食べ終わる頃には窓の下には陸地が見えてきた。どういう方向で入ったのか、陸の上をほぼ1周してウラジオストク空港に着陸。
西側の機体に比べ事故率が1桁違うという旧ソビエトの旅客機であるが、どうやら最初のレグは無事に乗り切ったようだ。林の間の誘導路を抜けてゆくと、ターミナルの建物が見えてきた。ウラジオストク航空のTu-154が何機も見える。ターミナルに目をやると、建物の前にはたくさんの人々が柵の向こう側に並んでいる。う〜、いかにも東側って感じだ。搭乗に向けて行列を作るのは日本でもアメリカでも当然の現象だが、屋外に並ばされているとは・・・機体の行き足が止まってエンジンがすぐに切られた。日本の空港では望むべくもない静寂が飛行機を包む。が、タラップ車はとりついたもののなかなか扉が開かない。窓の向こうには機体を取り囲む何人もの職員。さっさとやれよ!いかにもロシア的な仕事にぐったりしかけた頃、やっとドアが開いて屋外に出ることができた。
平壌までこの飛行機で行くので、貴重品以外は置いて出て大丈夫です、というので、カメラ一式のみ持ってバスに乗る。歩いても200m位しかないのだが、とにかく乗りなさいということらしい。別に外務省にばれなきゃいいんだろうから、みんなで黙っててやるから一度ロシアで降りたことにしてそのままタッチアンドゴーで行きましょうよ!と言いたいところだが、しっかり入国審査がある。名目上「入国」しないとうまくないんだろうが、結局トランジットの待合室で待つこと1時間以上。どうも予定の時刻をとっくに過ぎているのにまだ搭乗の兆しさえ見えない。
ウラジオストク空港(帰国時に撮影) ウラジオストク空港にはTu-154がうようよしていました。
結局、予定を大幅にオーバーし22時過ぎ、やっと搭乗ということになり反対側の出口より外に向かう。エプロン内には住み着いてしまっているのか犬が2匹うろついていて、グラウンドクルーは近づいても見向きもしない。成田にもいるのだろうか。着いたときはまだ薄暗い位の明るさだったが、今は完全に真っ暗となってしまった。日本とウラジオの時差は2時間、現在は日本では20時過ぎのはずだ。共和国と日本の間に時差はないので、到着時には21時を過ぎているだろう。今日の夕食はレストランで平壌ダックとのことだが、このペースでレストランが開いている時間に市内に着けるのかなあ・・・それよりも、食事に執着するあまりホテル着・就寝が恐ろしく遅い時間になって明日からの強行軍に支障が出るのでは、とも考える。
離陸。ロシアの滑走路は異常に舗装の状態が悪く、飛行機はまず脚からガタが来るのではないのかとさえ思える位揺れると再び滑るように空に飛び出した。まだ眠いわけではないがすでに窓の外は真っ暗ですることもない。今度のレグは約1時間、一度希望者にドリンクを注ぎに回ってきただけでサービスは終わってしまった。さっきは全くといっていいほど揺れなかったのに今度は若干激しく揺れる時がある。共和国は荒れているのか? 飛行機が若干づつ高度を下げだした。下界は真っ暗で灯りひとつ見えない。曇っているのか?
やがて街灯のようなものが―わずかな灯りがちらちらと見えだしたが、我々はどうもその灯りより下に沈んでいくようだ。山の上なのだろうか。まだ、まだ―どこまで降りるのだろうと心配になり始めたとき、すっ―とランウェイが見えて、無事に着陸した。いよいよ来てしまった。行き足を止めた機の前に、ヘッドライトをつけた乗用車が見えた。どうやらこの車で誘導するらしい。これが本当の"Follw Me"だな。誘導路に入る時、滑走路の全体が見えた。青色の滑走灯はすべて点灯している。防諜上の問題もあるし、灯りをつけるにも電気が要る。我々が着陸したときに合わせて点灯したのではないだろうか。
すぐに停止するのだろうと思っていたが、ここからが長かった。今にも離陸しそうな速度で走ること5分以上。いや10分はあったろうか。滑走路とターミナルを分離することに何かメリットが見いだせるだろうか―順安には軍の飛行隊はいないと思ったが。長いこと真っ暗闇が続いたが、やがて窓の外に建物が見えてきた。ここがターミナル? いや、隣だ! 目を凝らすと、中央に金日成氏の肖像画が掲げられている。ネット上の共和国旅行記には必ず出てくる見慣れた建物だが、出版物以外で金氏の肖像を拝むのは初の体験だ。これから数日間行く先々で我々を見守ってくれるはずの御真影を感慨深く眺めた。
機体が停まると早速タラップ車が取りついたが、これもいい味だしてる代物。同居人は「今まで見た空港のタラップ車はタラップに車がついているという感じだけど、ここの国のは車にタラップがついている感じ」と表現した。扉が開いて外に出るとまず驚いたのは人の多さ。何をしている人たちなのかわからないほどあちこちに制服、背広を着た人が点在している。これが共和国流のやり方なのだろうか。次に驚いたのはあまりの真っ暗さ。どこからかボウッと照らし出されたターミナル以外は何も見えない。しかも、驚くべき事に見ているうちに建物内の灯りがつきだした。今まで消してたのか! 頭クラクラしてきた・・・
来ました〜! 共和国の空の玄関、高麗国際空港(Koryo international Airport)。以前は順安(Sunan)国際空港と呼ばれていました。順安の街の中心街にほど近いところにあります。ターミナルはたったこれだけ。夜に着いたときはあまりの暗さに唖然としてしまいました(帰国時に撮影)。 初めて見る共和国の人々の間をすり抜け、また150m位しかないのにバスに乗る。バスは左ハンドルの観光バススタイルだが、半分から後部が独立した腰掛のロングシートとなっている。ヘンな構成だ。建物の中央に玄関のような入口があって、空港というかまるで○○庁舎のようだ。どうやら入国は1階で事が足りるらしい。建物に入ったところで点呼のうえ、旅行会社の呼んだ順番で入国審査に向かってくれと言われる。なぜか私が1番だった。
入国審査の係官がいるブースというのは、空港の建物に作りつけではめ込まれている物と、なぜかプレハブの小屋のようにちょこんと置かれている物に大別される。日本の空港は多くが後者のスタイルだが、ここのブースは後者の極致ともいうべきスタイルだ。ベニヤの質感を生かした造りで2つあり、今にして思えば後で街中で見る屋台に似ていた。また、窓口が異常に高く、身長177cmの私の顎あたりに机があり係官の顔は背の小さい人だと見るのも難しいだろう。何かパソコンで照合でもしているのか、それとも「台帳」につけるのを見られたくないのか―しかし見たところではディスプレイがあったようである。パック旅行で何もないだろうが、果たして係官は無表情にパスポートを返してよこした。「カムサニダ」今回の旅行で初めて朝鮮語を使った。
一番で入国審査を終えておきながら、私の旅行はいつでもそうなのだが荷物が出てきたのは最後の最後だった。後から来た人がどんどん先に行ってしまい、心細く待っていると、天井の蛍光灯がちらちらしている。点灯しているのは半分位で、大して広くもない建物だが全体的に暗い。しかし、本を読むのには支障がない位の照度である。予想よりは明るいと言うべきだろうか。0の形をした小ぶりのベルトコンベアの中には170cm程の植木が数個置かれている。そのコンベアの―入国審査側から見て左上の部分、壁に穴が開いてそこから荷物が出てくるのだが、直角に交わった配置なので人間が手助けしないとうまく乗らないようだ。ここに中年の男が2人、若くて可愛いらしい女性が3〜4人、女の係官は何をするでもなく出てくる荷物を見つめているだけ。やっと荷物が出てきた。ほとんど最後である。
結局、大きな荷物はこちらでやるからということでロビーに置いて、指定されたバスに向かった。100m×50m位の駐車場にはバスが数台いるだけで客とおぼしき乗用車はまったくない。どこからみても首都の国際空港には見えないのだ。敷地内はかろうじて照明で照らされているが外は完全に真っ暗。誰もしゃべる人はいないし、エンジンをつけている車もないので、一帯は静寂に包まれている。燃料節約が徹底しているとみえ、日本だったらどの車も死んでもエンジンを切らないだろう。こういうところは見習うべきだな・・・予定をはるかに遅れて2230、やっとバスは走り出した。よく目を凝らすと、ターミナルの横に屋台のような常設でない(?)売店があって、ほぼ真っ暗闇ながらチマチョゴリ姿の店員がこちらを見つめていた。あまりに意外かつ鬼気迫る光景なので、ちょっと背筋が寒くなった。もう我々の後に空港を利用する客はいないし、どのみちあの場所で自由に振る舞って売店に足を伸ばせる客などいないのである。
バスは発車すると唯一点灯していた電球光の室内灯を消灯し、車内は本当に真っ暗になった。恐らく車内を明るくしていると「指導」が入るのだろう。どうも雨が降り出したようで、後ろに席を取ったのでよく見えないのだがフロントガラスに光ムラができている。気分としては北海道の道東、道北を走っている気分だ。道の両側には背の高い木がずっと植わっている。速度は80km/h位、こちらの車線はツアーのバスが隊列を組んでいるので、後ろにヘッドライトが見えるが、対向車線は車がすれ違うのは5分に一度位、平壌市内に入るまで10台はなかったように思う。
車内では添乗員のほかに、恐らく観光総局の人であろうガイドが3人このツアーにつくということで、添乗員からの紹介がある。男は1人、まだ初々しい感じの残る生真面目そうな若者で、私は彼を「若造」と呼ぶことにした。他の2名は女性で、1人は20代後半位、容姿・物腰・声質ともに田中真紀子氏に似ている感じの人で、皆さんお察しの通り「真紀子」と呼ぶことにした。残りの1人はまだはたちそこそこに見えるピンクのチマチョゴリを着た女性で、新人らしく日本語もたどたどしい。これでガイドできるのか? しかし、いつかは独り立ちしなきゃいけないんだし、可愛いからまあいいか。
次に通常のツアーでは空港使用料を出国時に徴収するのだが、今回はいろいろ事情があって今集めたいということと、事前に知っていたことであるが旅行中はパスポートを添乗員側で保管するので出して欲しいとのアナウンスが。使用料は1人1500円であった。約25ウォン、平壌での平均的月収の4分の1ということは日本では8万円位にはなろうか。パスポートは朝鮮以外の海外旅行でも添乗が預かる場合があるらしいが、なにせこの国だけにツアー客には特別な意味を持つ。観光総局に生殺与奪の権を奪われたことになるのだ。
空港から平壌市内までは約30km、ひたすら暗闇のためすることもない。もう夕食には遅い時間となってしまったが、前述の通り本来はレストランで平壌ダックを食すことになっている。内心期待してはいなかったのだが、果たして添乗員から皆様もお疲れでしょうからレストランはキャンセルしてホテルでお食事とさせて頂きます、とのアナウンスが。北海道の激安ツアーみたいだな〜でもレストランとしても用意はしてるのだろうし、逆にホテルは用意をしてないだろうし、その辺どうするんだろう? 結果心配はご無用で、ホテルではしっかり夕食の用意をととのえていたのである。空港ですぐに電話しても・・・最初からこの予定だったんでしょ!? なんとなく、建物が多くなってきた。日本以外の国では普通のことだが、都市の外縁からいきなり高層の建物が出現する。窓越しに部屋の様子も見えるが、照明は蛍光灯と白熱灯が半々のようだ。しかしどれもが暗い感じで、白熱灯の部屋などは日本の感覚では完全にクリスマス状態である。
これが4日間お世話になった大同江の中州、汝矣島じゃなかった羊角島に建つ大韓生命63ビルじゃなかった羊角島国際ホテル。フランス資本との合弁で(途中で放棄したので引き継いで完成させたのは香港資本)1995(チュチェ84)年に完成しました。部屋数1000室、47階のレストランは回転展望室となっている(電力がアレのため回してもらいたいときは事前に伝えておかなければならない)。右後方に見えるのは羊角島競技場。橋は平壌駅前と東平壌地区を結ぶ道路と京義線のものです。 ん?うわっ!ずっと上を見上げていたので気づかなかったが、車窓のすぐ近くを見ると人がたくさん歩いている。今まで気づかなかった位周囲は真っ暗なのだ。なぜこんなに?イベントでもあったのか? その後、ツアー中街の中心部ではこのような人込みを見ることはなかったので、今もって真相はわからない。ただ我々のうろついたのはいわゆる住宅地域とは違うエリアなので、あれが普通なのかも知れない。ちょっと時間が遅いけど。
人々は吹雪のように車窓を流れ去ってゆく。ときどきトラックなどが路肩に停まってボンネットを開けている。あれは故障しているのか?それにしても何台もいるぞ。地下鉄の駅らしい建物も見えた。信号は全くない。いくつもロータリーを回って、地理の予習はしてきたがもうどこを走っているのかぜんぜんわからない。と、どこかで見覚えのある建物が右側に見えた。平壌駅だ! やっとわかったぞ。ここまで来ればホテルはすぐそこ。角を1つ曲がると、予期したとおり大きな橋を渡りはじめた。これが大同江(テドンガンTaedong River)。ホテルは中州なので1個渡ったら横道にそれるはずだが・・・その通り、バスは右に曲がり今の道をぐるっと回ってアンダーパスし、街灯が建つ明るい道を走りはじめた。すぐに目の前にそびえる大きなホテルの前に到着。ここがツアー中の我々の宿、羊角島ホテル(ヤンガグドYangagdo Hotel)である。
とりあえず食事をということで、ホテル1階の日本レストランへ。47階の巨大ホテルだけに23時近くでもロビーは活気がある。空港以来どこもここも暗かったが、このホテル内は明るく日本にいるのとほとんど変わらない感覚である。薬局のような感じの売店らしきものもあるがここはどうやら日本製品を売る店のようだ。レストランはカウンター席もある、どこにでもあるようなホテルのレストランだが、出された食事は日本と朝鮮と中華の折衷という感じ。全体的に量が少ない気がする。やっぱりそうだったか・・・しかし、1皿の品目はちょっとなのだが、全体の総量でみると結構多い。ビールはいきなり現地銘柄、リョンソンビール(Ryongsong Beer)。ちょっと甘い感じがする。飲み物はこれが1人1本、あと500mlのミネラルウォーターが同じく1人1本。この他は各自自腹で追加してくださいとのこと。そしてこの機会に両替についての説明があった。
人民元兌換券「パックントン」。アリラン祭典中に流通する物は特別に「アリラントン」と呼ばれていました。従来流通していたものと同じデザインとのことですが、額によっては色が変わっていたり、左側の丸内に中心の柄と同じ千里馬のすかしが入るという変更が加えられていますので、新規に印刷し直したと思われます。これは1ウォンで、2005年5月現在約60円です。この写真がほぼ現寸、まるでこども銀行のようにかわいい! 共和国では外国人旅行者は人民ウォンに両替することはできず、いわゆる「パックントン」と呼ばれる人民元兌換券なるものを使用することになる。出発前に朝鮮関係のサイトで今回のマスゲームに関連した対応か日本人観光客が人民ウォンに両替することができるらしいとの噂が流れ、また市中では米ドル、日本円も使えるので両替は必要ないやと思っていたが、添乗員の説明では必ずパックントンに両替してくださいとの強い要請が。そりゃ日本円も使えますとは言わないだろうが、予想よりも強い調子なのでちょっと驚く。夜も遅いので、一通り食べたら部屋に引き上げることにした。途中フロントでとりあえず5000円分両替することにしたが、帰ってきたのはほとんどこども銀行のような札だった。
部屋は43階とのことで、ICチップの入ったカードキーを渡される。このホテルは47階建てで、最上階には回転する展望ラウンジもあるという。しかし、景色はいいだろうが火災時の避難などは大丈夫なのだろうか。エレベータは全部で8基あり、うち2基はホテル前面に面している展望エレベータとなっている。日本だとこんな高さの建物は低層階用と高層階用で分けるのだが、全部が地下から45階までのボタンをずらりと並べている。朝などは結構待つだろうが、運のいいことに展望のがやってきた。真っ暗で何も見えないが、昼間ならばなかなかの壮観だろう。カードキーを差し込んで部屋にはいると、落ち着いた感じのツインルームだった。1995年にフランスとの合弁で建設されたというこのホテル、築7年にしては洗面台のツヤのなさとか洗面所扉の塗りの剥げとかが気になるが、室内自体は狭苦しい感じもなく、日本では1泊1万7000円位のグレードに当たると思われる。とにかく、これでもこの国では最高グレードの外国人専用ホテルなのだ。
テレビは1つのチャンネルしか映らず、ずっとホームドラマ(嫁と舅の確執―といっても我が国の「鬼」のような殺伐としたものではなく、ほのぼのタッチだった)をやっている。これが0時半位まで続き、その後はカラオケ番組が始まった。下の歌詞がメロに合わせて色を変えてゆくおなじみのスタイルで、こんな時間に見る人がいるのかどうか知らぬが5曲位やっていた。映像は歌詞と関係があるのかどうかわからぬが、さっき降り立った順安空港で外国への旅立ちを前に友達との思い出を回想するおしゃれな女性、という設定の映像には仰天した。空港使用料だけで月収の4分の1というこの国で、しかも隣町への移動もままらならないのに何と現実離れした映像だろうか。その後も平壌市内で撮影されたと思われる、身なりのいい男女が楽しそうに登場する曲が続く。おしゃれな食事、動物園やスケート場での楽しそうなデート・・・平壌市民はどんな思いでこの映像を眺めているのだろう。ちょっと部屋が暑い。空調のスイッチはあるが今は冷暖房ともに切ってあるようだ。窓が・・・開くわけないか。43階だし・・・開いた! 冬は寒い街なので二重窓になっているが、外側の窓も何と開くのである。ちょっと位置が高めなので間違っても転落することはないが、下を歩くときは気をつけよう。外を覗くと本当に真っ暗である。これが一国の首都の夜景か! ショックを受けつつ1時過ぎ就寝。
物知りコラム 貨幣価値の実勢レートについて 空港使用料が1500円、約25ウォンで平均的月収の約4分の1と書きましたが、実は人民元とパックントンとの間には実勢レートで100倍もの差があるのです。ということは・・・人民ウォンだと何と2500ウォン! 平均的月収が100ウォンだとすると2年分の給料をつぎ込まないと空港を利用することすらできないのです(涙)。
「自由に語ろう北朝鮮」主宰のSafety様よりご教示頂きました。