時々更新日記


 29/11/2003

 どうも私の周囲の人間は優秀なのが多い。真面目なんだけど、バカだったら真面目でも使えないので、頭もいいのだろう。てゆーか頭いいと思う。多分こんな文章書いてる自分が一番しょーもない人間のはず。

 自分の学年がもろにバブル入社のピークだったので、大学時代の知り合いなどは優秀でなくても平気で銀行とか生保に行った。で、バイトの先輩、この人はまあ平均!のレベルだったが(多分これを読んでも怒らないと思う)、栃木の人だったので足利銀行に行った。大学は別だったので、社会に出てから会うこともなくなったが、私の結婚式の2次会に来ていただいて、その後年賀状で近況報告が来る。子供も2人いて、順調にパパをやっておられるようである。

 が!今日足利銀行破綻とのニュースが飛び込んできた。さてお父さん大丈夫なのでしょうか?思えば皆優秀は優秀だけれど、会社がポンポン飛んでしまうのは個人の頑張りではいかんともしがたく、リーマン人生の悲哀を味わった人も結構いるようで・・・。

 高校の友人で有名写真家を輩出する名門学科に行って、さてフォトグラファーかと思いきやなぜかスーパーに行ったのがいるが、ここも程なくしてやめてワンマン経営で名高い銀行の広報に入り、やっと落ち着いたかと思ったところまたまた銀行が破綻。外資を入れて生まれ変わったが、ストレスで体に変調を来してしまったらしい。そのワンマン経営時代は結構楽しくやっていたようだが・・・外資になった途端、金入れてくれ〜と頼まれて、こちらも貯金をいくらか入れてやるつもりだったが、その金は共和国への渡航資金に化けてしまった。その後ずっと気にはなっていて、先日会ったときに「5万位だけど、どう?」と恐る恐る聞いたら、もう円は要らないんだそうだ。ハア、そうですか・・・ここも子供2人いるので辞めようにも辞められず、体だましだましやっているとのこと。

 この男に前から、自分の上司の友人でマイクロソフトの副社長なんだが、相当の鉄(専門用語になりますが、鉄道ファンという意味です)でぜひ私に会いたいのでセッティングしてくれと頼まれてる、なんとか機会作って飲みにでも行ってくれんか、と言われているのだが、こちらも鉄っつたって、あちらの年代からいえば布原信号場とか上目名のC62重連とかの話になるのは目に見えているし、恐らく話まったくかみ合わないだろうから、のらりくらりと返答していたら立ち消えになってしまったようで、最近は言ってこなくなった。

元町で買ったフードつきセーター。なぜかこれを見ると「ディア・ハンター」を思い出す。
 さて、本日の朝日新聞朝刊、土曜版の1面に掲載されている人物特集を読んでいたら、米国マイクロソフト社の副社長なる方が取り上げられていた。居間で寝転がって読むともなし読んでいたら、32才で日本法人を設立し、ビル・ゲイツの右腕と呼ばれるほどの人物で、あだ名で呼び合う仲だという。趣味はコロラド州で蒸気機関車を走らせる非営利組織などに3億円以上の金をつぎ込む・・・???あわてて本文を読み返した。「小学校の頃から鉄道やカメラに興味を持ち・・・」寝て読んでいたところを、ガバッと跳ね起きた。こっ、この人か・・・!?

 人を肩書きで判断しているわけでは決してないが、どうせ日本法人の雇われリーマン副社長だろうと思っていたのだ。オイオイ、それを先に言え!あ〜、MS株が!売り抜けて億万長者が〜!(発狂しました)

 あるチワワのサイトで、飼い主が不注意からのどにおやつを詰まらせて死なせてしまったという話を読み、号泣。同居人が寝ていたから良かったものの、醜態をさらしてしまうところであった。といっても、こういったエピソードで泣くのは精神的に健康な証拠だとは思うが・・・翻って、ふうこを亡くした時のことを考えてしまって、ついカーペットの上で丸くなって寝ているふうこを無理矢理抱き上げてすりすりしてしまう(向こうは親の心子知らずで大変迷惑そうな表情)。天命なら仕方ないが(それでも1月位は泣くだろうが)、事故で亡くしたら生きていけないだろうな。もっとも、犬でこれだけ悲しいのだから、人間の子供を亡くした時の親の気持ちなど想像を絶するが・・・

 そんな親の思いも知ってか知らずか、相変わらずふうこは絶好調!今週末は土日とも雨で外に散歩に出られず、有り余るエネルギーを持て余している。これをお読みでチワワでなくても小型犬を飼ってらっしゃる方、特に運動不足でお悩みの方は、ぜひふうこと一緒に遊んでいただきたい。人間も1日に軽〜く4・5kmは歩かされるので、ご自身の健康にもいいです。

 13/11/2003

 トムキャットが去って1月半、後継のF/A-18Fスーパーホーネットが本日やってきた。

 前にも書いたようにトムキャット命の私はあまりホーネットは好きではないが、しょうがないから行ってきましたよ、平日。ふうこ連れて。午後着だというので0900発で、246経由でR/W19エンドに着いたのは1100過ぎ。北風なので今日はおそらく01方向だろうが、とりあえず丘に登って状況を見ないと・・・あと、撮影までにふうこの走り込みをしなければならないので、とりあえず機材一式を置いてダッシュ!した瞬間に地面がガクッと低くなっている所があって、人が見ている前で思いっきり一回転してしまった。恥ずかしーい!ふうこが「何してるの?」って顔で見ている。こちらのエンドは15人ほどの集まりだったが、相変わらず皆に愛想をふりまいて、さて01エンドに移動。こちらはすでに50人ほどが集まっている。平日だぞ平日!お前ら仕事はどうなったの?・・・ハッ!俺は!?

 それからが長く、正午に位置に着いてから待つこと実に4時間半!1400頃からかなと勝手に予想をしていたのだが、これなら昼過ぎまで家で寝ていられたじゃないか。大体もうすごく寒いし、早く終わらせたいんですけど・・・空はもう一面の低い雲でとてもスピード稼げないし、19エンドでふうこを何枚か撮ってしまったのでフィルムを交換して2段プラスにセット。大体こんな事だろうと思っていたが、そんなら最初からRHP買っておけば良かった・・・日が暮れちゃうよ〜早く来てくれ〜!

本日のPhotoが間に合うわけないので、まず1986年11月14日、初めて日本に姿を現したF/A-18Aホーネットをご覧下さい。機体はこれまた初日本配備のVFA-195CAG(空母航空団司令)機。しかし、日付をよく見ると、今日と1日しか違わない・・・なんたる因縁だろうか。
 日本にホーネットが初めて姿を現したのは1986年11月14日、その日も私は今日と同じ場所でカメラを構えていた。通常厚木の滑走路方向は19(南向きでの離着陸)が多いので、あまり01には来ないのだが、初来日と同じ方向、そして悔しいが同じ空模様・・・私が厚木に来るといつもこうなのだ。今にも泣き出しそうな、ベッタベタの厚い雲。あの日はテレビも我々マニアと同じ場所で撮影していたっけ。当時浪人中で、また家庭の事情もあり厚木に行ったことは絶対にバレてはならなかったので、まあ写りはしないだろうがカメラがパンするたびにまるで顔出しNGの風俗嬢みたいにしゃがんで顔を隠したものである。ん?本日も顔はあまり出せないんだけど(理由はみんなで考えてネ・)、今日はテレビは基地内からのようである(最近はニュース素材として扱うのもすっかり定着したので、ほとんどが基地内での取材だが、アフガン攻撃初日は外から撮っていた)。あれから17年も経ったのか・・・

 1630過ぎ、かなり薄暗くなった南の空から空中給油機、KC-10が姿を見せる。スーパーホーネットをエスコートしてきたのだろう、こちらは横田に降りるので西の空を通り過ぎてゆく。さあ、来るぞ!ふうこをバッグに入れてカメラを構えた。しかし条件は既に最悪で、2段プラでもスピードは1/60、場合によっては1/30。これはいくら最新デバイスつきの機材とはいえ写んないだろうなあ・・・と、4機のエシュロンが轟音とともにオーバーヘッド、短い間隔で着陸していった。姿を見せてから5分足らず、長距離フェリーの後なのでタッチアンドゴーも当然行わず、あっという間に静寂が戻った。もう終わりかよ、13機全機が来るのかと思ったら・・・

 4時間半待った割には余韻がないというか、こうしてあと何十年付き合うかわからないスーパーホーネット初来日は終わった。これからいやというほど、いやまさに本当にイヤ!という位こいつと付き合わされるのに、わざわざ迎えに行ってやることもないとは思うが、一応記録ということで出張った次第です。

 12/11/2003

 金曜(7日)の夜から同居人の妹の結婚式で札幌に行って来た。

 私の仕事は月末から月頭にかけてが忙しく、7日というのはいわゆるひとつのピークなのだが、こればっかりは仕方がないので金曜早退して一度帰宅、ふうこを散歩に連れて行ってからペットホテル経由で羽田に向かう。行きは1755発JAL533便、機材は元JASの777だ。お〜っ、初めてテレビがついてるヒコーキに乗った。子供みたいに夢中になって機外カメラを見たりテトリスなどをやっておったら、あっという間に千歳に着いた。これ、いいなあ!ヨーロッパ行くときもこんなのがあったら・・・ヴァージンはやってるんだっけ。しかし、JAL側は今もってこんな設備ついてないし、どうせこれから両社の仕様を統一することを考えたら、とてもアリエネ〜けど全部外しちゃうんだろうな・・・それは勘弁してよ〜!

 着陸が1923で、アナウンスで次の札幌行きは1936発ですなんて言ってるけど、そんなの間に合うわけねえだろうボケ!と思っていたら、機を降りて5分弱で券売機の前に立っていた。いや〜早い!国際線もこうだったらいいのだが・・・20時過ぎには札幌着、今夜の宿であるホテルモントレ・エーデルホフ近くのつぼ八に。先に親戚連中が集まって飲んでいるという。

 我々の年代は結構そうだと思うが、いい年をして子供がいないため親戚付き合いの求心力が弱く、また下の世代が育たないため中年に足を踏み入れつつあるのに、いつまで経っても子供扱いで、自分の方の親戚だとなかなか振る舞い方も難しい(ナンダカナ〜と思うこと、結構あるでしょ?)のだが、嫁の方だとそうボーッとしてもいられない。自分が十代だった頃によく今の私の立場の人を見ていた時の目で、年下の同居人のいとこから見られているのかと思うと、ハァー今俺はあんな感じなのだな・・・と客観的に観察してしまって、なんか面白い。なぜか明日結婚する当人が真ん中で飲んでおり驚く。こんな所にいる場合じゃないんじゃないのか!?

 翌日は姉貴のムコさんとしていろいろ裏方仕事をいいつかって、礼服で汗をかきかき右往左往してきたが、勝手の違う北海道の結婚式に「????」となることも度々。北海道出身の方には笑われそうだが、まず会費制だということは知っていても、言付かって新婦方親族一同の会費を発起人に渡す時に、立派なホテルの造りにすっかり勘違いしてしまい「あれ?これは披露宴なのに俺らはご祝儀をどこで渡せばいいの??」と混乱。自分が持っている親族の会費がなんなのかわからなくなるも、ここで渡すのは会費で、ご祝儀は渡したい人がいればここで渡すものだと言われ、やっと納得。そもそもこちらでは会場への払いは結婚する当事者または親がフロントへ払いに行くので、そこで既に勘違いが・・・また、複数いる発起人のなかでこの人に渡すべしというのがあって、当然知らない人なのに受付の誰が金渡すべき人なのかわからん!

 また、我々は結局受付でご祝儀を渡さず(姉貴夫婦らしくここは初の「5」で!)、2次会で渡せばいいというのだが、親戚が2次会行くもんじゃないでしょうと言うと、親族の2次会だという。親族の方に来たら友人関係のはどーするのよ!とまた軽い目眩を覚えながら聞き返したら、こちらでは新郎新婦が複数開催されている2次会を巡回するのだという。それは知らなかった!道理で話がかみ合わないはずだよ・・・そもそも、今にして思えば、会費制の結婚式というのは、こちらで言うところの2次会のような、友人が企画するパーティーなのだと誤解していたのだ。結婚式場でやる披露宴と会費制が頭の中で結びつかなかった。やっと納得!大人の階段をまた一つ登ったのである。

 親族2次会は母方の親戚がホテル上のレストラン個室でやっているのに顔を出し、「飲んでけ!」と杯を重ねられるも、丁重にお断りして父方の親戚が集まる飲み屋へ。こちらも個室でカラオケ大会と相成ったが、私も同居人の父親の兄弟5人衆と最近レパートリーに加わった「私鉄沿線」と「夢芝居」で応戦。早くから始めただけあって、3時間以上飲んでいたにもかかわらず2200には部屋に帰ってきた。

 翌日は丸山公園近くのブライダルサロンへ。その手のセレモニーはとっくに終わっているはずなのに、なぜにそのような所に用があるかといえば、結婚したときに和装で写真を撮っておらず、同居人は常日頃から着物を着てみたいと言っていたため、この機会に撮ることにしたのである。当方はオマケのため、言われるままに結婚式以来の紋付き袴に着替える。階段の上り下りもままならないが、館内ですれちがう度に皆に「おめでとうございます」などと声をかけられて、いや、違うんですけどとも言えず・・・

 小1時間程度だろうと思っていたのだが、1000に入ってから終わったのが1430近く。ここで親族一同とは解散して、時間もないし今回は観光に来たわけでもないので、札幌駅に早めに戻って回転寿司を食う。JRタワー、ステラプレイスができてから初めて来たのだが、飲食店などなかなかおしゃれな店がたくさんあって驚く。後は新幹線が来るのを待つだけダネ!タワーにも登ろうかと思って入口まで行ったのだが、900円と聞いて即座に諦める。名古屋の1,200円といううわ手がいるも、それは高いのではないでしょうか。

 さて千歳までだが、せっかくなので1人300円を払って「uシート」に乗ってみた。「スーパーホワイトアロー」くずれの785系を期待したのだが、来たのは当然のごとく721系。でも、思ったよりいい感じで、これなら300円払ってもいいかなと思わせるサービスである。千歳では定番、マルセイバターサンドを買って、1855発、747のJAL530便で帰ってきた。

 2/11/2003

 HP制作なんて、1円にもならんのにどれだけコストをかけることができるのか。いつもこの命題を自問自答しながらサイトを作っている。

 弊サイトの写真はポジを写真屋にスキャニングに出してデータ化したものが多いが、これはJPEG、72dpi・150万画素相当という条件で1枚あたり80円、200枚を収容できるCD1枚につき700円がかかる。開設当初は併せて導入したエプソンのGT-9700Fでシコシコと取り込んでいたのだが、これだと12枚まで連続取り込みが可能とはいえ1枚あたり2分位の時間がかかり、おまけに取り込み後も色調調整やシャープネス処理などの工程も必要。他のことをやりながらできるとは言っても、結局2分ごとに机に戻ってあれこれいじらなくてはいけないので、膨大な時間がかかってしまう。

 サイトを作り始めた当初は会社に一応一通りのセットがあって、なまじかじっていたこともありマニュアルも読まずどんどん取り込み始めてしまったので、シャープネス処理というものを一切行っておらず、開設当初のコンテンツと最近の物ではクオリティに格段の差があるのはご覧の通りである。どうも当時から気になってはいたのだが、解決法もわからず所詮ホームスキャナなんてこんなものかと諦めてしまった。

同居人用のFine Pix4500で撮影したDDG174きりしま。広角寄りの単焦点カメラでここまでアップが撮れるのですから、どれだけ近いかわかります!?
 詳しい人に聞いても、あれはちょっとしたコツがあるんだよ・・・とか言われて、それ以上はケムに巻かれたような状態で、一向にその「コツ」なるものを会得できないし、なによりもテキスト打ち・レイアウトだけでもものすごい時間がかかるのに取り込みなんぞやってられん!ということもあって、共和国旅行記の写真より外注のCD化を始めたのである。これならなんの苦労もなくポジのクオリティを生かした画像が手に入るが、その代償は約2万4,000円!サイズ調節をしながら「なんでこんな自己満に2万もかけてな〜」という思いが頭をもたげてくる。

 旅行や今回の観艦式など、なにかイベントがある度に、今回こそデジタル移行のチャンス!と思ってカメラ屋に走るのだが、ついこの間まではキャノンのD60が30万という価格で、私的には清水の舞台というよりノルウェーのプレーケストーレンから飛び降りるようなもの。メディアもハイエンドデジカメに見合う容量・読み込み速度のものとなると4万5万、8万位はしてしまう。確かにイニシアルはかかってもその後のランニングコストはほとんどかからないので、どこかでバランスしてあとは安くなっていくことは確かだが、1回の取材で千本も撮るプロじゃあるまいし、どうもそれはかなり遠い未来のような気がしてならない。そしてその時には、現在のスペックのデジカメはゴミになってしまっているだろう。

 実は今年5月、空母カールビンソンの取材で撮影した写真はちょくちょく掲示板に登場するプロCマンから借りたD60で撮ったもの。ここでデジカメのメリットを延々述べても今さらなのだが、確かにこれは一回使ってしまうと手放せない。630万画素もあれば確かにプロユースにも耐えるし(私はあの砂っぽい質感が正直好きではないのだが)、サイトが主な用途であることを考えると、撮影してその晩にはアップできるのは大変魅力的ではあるが、RAW画像だとあっという間にCD1枚位になってしまうし、いくらスペースを取らないと言ってもこのペースでCDが増えていくのもちょっと考えてしまう。多くなってくれば収納・整理や必要になったときのブラウジングも大変だ。そんな逡巡を続けているうち、トムキャット騒動と観艦式と続くイベントにぶつけるように、EOS-kissデジタルが新発売されたのである。

なんの変哲もない入港作業ですが・・・
艦橋にタモさん!? しかも「やまぎり」は第2護衛隊司令が座乗のはずなのに、司令席に座ってるんですけど・・・!?(司令はウイングで入港作業を陣頭指揮)
 30万円が相場であった一眼デジカメに、一気に12万円という価格。これならガムバれば手に届くという絶妙の設定であるが、発売が9月20日という下記のトムキャット離日騒動の直前なので、とりあえずヨドバシに駆けつけいろいろいじくって見るも、一晩で基本操作を覚えられるのかという不安(一通り撮るだけならそんなに覚える項目もないのだろうが)と、前述したように安くてもカメラだけではただの箱(2GB・40倍速のレキサーCFが8万8,000円!)ということで諦めてしまった。といってもカウンターの前で1時間もウロウロしてしまったが・・・

 今回の観艦式が気分的には乗り換えの最大のチャンスであったが、(死ぬほど迷いはしたが)これを見送った今、近来無かったすがすがしい気分というか、しばらくは銀塩でと割り切って大分楽になった。昔から金には糸目をつけないでやってきたので、フィルムを写真屋でスキャンしてフィルム代・現像代・スキャン代と合わせて1イベントあたり3万円位の負担も当面はやむなしと割り切って(ここ、同居人には見せられません!)、皆様に喜んで頂けるよう自己満Blueforceワールドを展開させて行くつもりである。

 さて、そういうわけで銀塩の最大のデメリットがもろに響いて、観艦式のレポートはまったく取りかかれずにいるのだが、先行してちょっとイイ話をひとつ。今回10月24日の予行、26日の本番と2回参加したのだが、本番の朝、ブリッジで階段が狭くて急なので無線で昇降の整理をしている兄ちゃんが、階段の下と「今日(メザシで隣に係留されている)やまぎりにエガちゃん乗ってるらしいぞ」「やまぎりはVIPがいっぱい乗ってていいな〜」と話しているのが聞こえた。

 近日公開のめくるめく海上絵巻を堪能した後、横浜まで帰ってくると、なぜか今朝までは岸壁側につけていた「やまぎり」の姿が見えず、我々の乗った「あさゆき」が先に接岸してしまった。あれれ、やまぎりどこ行った?と思っていると、後からベイブリッジをくぐって帰ってきた。

 入港作業を見ようと右舷のウイングに出たところ、同じくウイングで僚艦の入港を見守っている艦長が「またウイングにタモリいるかな〜」。エガちゃんだけじゃなくタモさんも乗ってるのか!う〜ん、でもそれって、そっくりさんなんじゃないの?確かにブリッジにはそれらしき人がいるが、いやーあれはどう見てもそっくりさん・・・といいつつ、タモさんを、というのではなくあくまで「やまぎり」をということで1枚は撮っておいた。

 さて、ギリギリまで艦内で粘って余韻をかみしめながら降りてきたところ、交通整理の係の自衛官の方に「タモリ見ました?」。えっ!!あれやっぱりタモさんだったんだ〜! 聞く所によると、「やまぎり」は佐世保を母港とする第2護衛隊群の艦なので、福岡出身のタモさんの知り合いか何かの関係の人が乗り組んでいるらしく、その招待なのだろうという。しかし、さすがタモさんと感心したのは、入港時までブリッジで粘っていたことだ。普通の人ならとっくに飽きて食堂か何かで寝ているし、タモさん位の人なら士官室あたりで「こちらでごゆっくり」とか言われてふんぞり返っている所だ。私と同じように、入港の最後の瞬間までブリッジで一心不乱に・・・昔から鉄疑惑の方は事ある毎に囁かれているが(最近は隠してもいないようだが)、フネもお好きなのですか・・・後でファンサイトを覗いたら、船舶一級免許もお持ちだそうで、恐れ入りました!森田艦長の操艦で相模湾沖クルージング・・・「やまぎり」の方々がうらやましい!

 5/10/2003

 このたび、弊サイト一番の人気コンテンツ「共和国への道」使用の写真が英知出版「裏デラべっぴん」2003年11月号に掲載された。

 本年5月のニュースステーション出演以来の媒体露出だが、お話しを頂いたのは8月末。メールで企画ページにおいて共和国を特集したいので写真を使用させて欲しいとのこと。かつてお世話になったこともあるし(?)、エロ媒体に偏見はないので提供自体はよろしいかと判断、許諾のメールを送った。本社は神楽坂にあり、通勤途上なので帰りがけに寄ってデータ化してある写真をコピーして渡す。寄ったのは22時近くだったが当然のごとく会議室のような小部屋ではミーディングがたけなわであった。さすがエロ本業界の雄、本社ビルもオシャレで立派!

 その辺に修正前のポジが転がってるのでは・・・などと気になりちょっとソワソワするも、あまり舞い上がってるのも恥ずかしいので一応堂々としたフリで打ち合わせ。といっても、データを向こうのパソコンにコピーしたらはいどうぞお帰り下さいみたいな感じで、特に話を聞くでもない。こんなんで雑誌できるのか?9月頭に素材を提供して、発売は26日だという。月刊誌なのになんという早業!どういう進行になっとんねん?

なぜこんな画像が私の日記に・・・
 かつてお世話になってなどと書きながら、実は私「デラべっぴん」は買ったことはない。だってね〜、これ使いづらいんですよ(女性の方、大変申し訳ございません!)。もっぱら本誌で・・・んん、その辺の詳しい話はいいか。ただ、我々の世代は男だったら「デラ」といえば知らぬ者はいない超メジャー誌、今もブイブイ言わせているのかと思ったら、最近はネットに流れて昔日の隆盛はないのだそうな。これは出版業界ではどこでも同じ傾向だが、エロ方面は特にきつそうである。英知さんも一般ファッション誌とかいろいろ出して、すでに総合出版社に近くなっている。

 で、「デラ」もテコ入れを図るべく、「裏」の名を冠してゴシップなど読み物主体の雑誌に生まれ変わるのだそうだ。前から猟奇殺人鬼列伝とか裏社会潜入ルポとか読み物ページは充実(?)してはいたが、こちらも話をしながら昔の誌面を思い出してそんなものかな〜と想定していた。

 さて26日、会社の前にある書店に行ってみたところ、最近はめったに足を運ばないエロ本棚にえげつない表紙が並んでいた。早速手に取ってみたが、P99、お〜載ってる載ってる。だがしかし、読み物という構成ではないな〜、これでは取材もインタビューも必要ないわなと納得。おうおう、自分で言うのもなんだが、首領様の銅像とか結構見栄えするでないの・・・錦繍山の路面電車とか、総連の人間が見たら目を剥くだろうな・・・まさかこんな雑誌に載ってるとは夢にも思わない・・・そして、次の瞬間我が目を疑った。同居人が写っているではないか!

 何も考えずに一括でデータを渡してしまったので、NGカットと言うほどではないが(前にも書いたようにエロ媒体をバカにするわけではないが、正直)デラ「ごとき」には惜しい貴重なカットや同居人の記念撮影もそのまま掲載されてしまったのだ! あ〜あ、これは怒られる・・・しかも、ゴシップ読み物誌と聞いていたのに、実態はハメ撮りマガジンである。あなた自分のかみさんがハメ撮り雑誌に出ているのを見た瞬間を想像できます?なんにも考えてないな俺は・・・

 その他、素材提供のサイトアドレスは間違ってるわ(旧アドレスの上に誤植)、キャプションは違っているわ(平壌のレストランと書いてあるがそこは板門店にいく途中の水穀休憩所)結構突っ込みどころはあるのだが、あまり高い志の企画ではないというのを双方納得ずくということで、不問。データ渡しなのであとで素材が一人歩きしてしまうリスクも心配である。一応誓約書を出させたが、これはあくまで気休めに過ぎない。これから英知の刊行物で妙に共和国のクリアかつマニアックな場所の写真が掲載されているのをいるのを見たら、管理人までご一報下さい。薄謝進呈します。

 24/9/2003

 今日、トムキャットが旅立って行った。

 23日は遊びだけになんの苦もなくもなく早起きすることができ、天気もいいしこりゃええわいと246を西に向かった。道もほどほどに空いており、予想よりもかなり早く現地到着。とりあえずR/W19エンドの小山に陣取ってみるが、まだいたいた。とりあえず4機見える。祝日だけに同好の士も50人ほどいる。

 さて受信機のスイッチを入れて、あとは耐久戦なのでボーッと突っ立って時々レンズでエプロンを覗いてみるが、1時間・・・2時間・・・と予想通り全く動きなし。トムキャは最初キャノピーを開けていたのだが、しばらくして閉めてしまった。HS-14のSH-60Fは割とバタバタやっているのだが、固定翼機はさっぱりで秋の一日が過ぎていく。昼頃にはVRC-50とVS-21のS-3が飛び立っていったが、ホーネットがグアムに行っているし、今日もやられたかなあ・・・大体トムキャはいつ帰るのだろう。

 1500過ぎ、天気も悪くなりベタ曇り、もはやこれまでと一度り支度をはじめ、せっかくだから01エンドに寄る。しかしここから桜ヶ丘へ抜ける道はいつも混んでいるので、最終的に帰るのは来た道を引き返して19エンドを通ることになる。そうすると、半ばわかっていたことだが、未練たらたらでもう一度小山に。マニアの人数も15人ほどに減ったが、なんとトムキャはキャノピーを開けてゴソゴソやっている!これは期待が持てそうだが、既に時刻は1630、今から始動しても離陸は恐らく1700過ぎで帰投(するならば)は1800以降になってしまう。もうたいがい着陸は諦めたが、これでは離陸だって怪しい。

1991年9月11日、遂に厚木に配備されたトムキャットを迎え撃つも、折からの悪天候でアプローチはメロメロ・・・来るときも、去るときも悪天候の中だった。お〜い、その角度じゃ回り込めないよ!
 結局、1700過ぎまで粘ったが、明らかに飛びそうにない雰囲気に諦めて帰ったとき、小山の上は私を含めて5人だけになってしまっていた。夕闇が刻一刻と迫るこの光景、何度も経験はあるが今回ほどせっぱ詰まった状況もない。これが・・・永遠の別れ! 2・3年のうちにアメリカにでも行くならまだしも、さすがにその予定もない。もうこれ以上待ってても仕方がない、帰ろう。最後にもう一度、ファインダーに小さく見える4機を見つめて荷物をまとめた。今度こそ本当にさようならだ。

 今日夕方、いろいろなファンサイトを覗いたところ、11機全機が本土に向けて帰っていったそうだ。ファンの都合に合わせて動いてくれるわけはないが、なにも祝日の翌日に帰らなくてもなあ・・・通常の週ならば仮病でも何でも使ってやるが、連続で祝日が立て込むとさすがにきつい。今日も悪天候で昼からは雨も降り始めたが、なんとか離陸までは持ったようだ。

 思えば1991年9月11日、空母インディペンデンスとともに来日した新生第5空母航空団がはじめて厚木に姿を見せたとき、今日と同じような悪天候で第一陣が姿を現した頃には雨粒がぽつぽつと落ち始めていた。それはやがて大雨になり、厚木が初めてのエビエータも多い各部隊はもうメロメロ、ダイレクトのアプローチに切り替えても滑走路を視認できず、挙げ句の果てに誰かが滑走路で脚を折ってクローズさせてしまい、半分は横田へダイバートになるという即応部隊にあるまじき惨状を呈した。何度やっても軸線に乗れず狂ったように周回するバイキングと、まるで戦争でも始まったかのようにその上を飛び回るトムキャやホーネットを呆気にとられて眺めていたのを思い出す。あれからちょうど12年、長かったような短かったような・・・

 まあともあれ、お疲れさまでした。

 19/9/2003

 私もたいがいいろいろな乗り物を嗜むが、いわゆる特定の「マニア」というのではなく、その時その時で対象が移ろってゆく、かなりいい加減なつきあい方である。

 どれが一番好きか・・・と時々自問自答してみるが、その時に盛り上がっている種類のものが一番に思えて、はっきりは決められない。つきあいの長さでいうと、物心ついたときからの鉄道が一番であるが、近年はつまらん電車ばっかりで順位は低い。だって701系みたいなクソ電車が日がな一日2両で行ったり来たりしてる路線、撮っても乗ってもしょうがないでしょ。で、後に海外鉄となったが、こちらも日本国内と同じ状況で没個性の車両が、しかも電車が多くなってきた。正直趣味としての前途は暗いと思う。

 で、キャリアで言うと鉄に次ぐ長さを持つのがヒコーキ。これは正直に白状してしまうと、忘れもしない1980年夏、映画「ファイナル・カウントダウン」を見て以来のお付き合いである(ちょっと恥ずかしい)。それ以前、小学生の時にはスーパーウェポンブームなどがありクラス中でビーワンビーワンと大さわぎしたものだが、我ながらそういうのには全く流されないという自信があり、その時は何が面白いのかさっぱり判らず端から見ていた記憶がある。なのに、なぜか友達と見に行ったこの映画にはもう大興奮。体中が感動に震えたのを昨日のことのように思い出す。

初めてトムキャットを見たのは1985年10月12日、横田のオープンハウス。あれほど待ちこがれたトムキャが反対側のエプロンから姿を現したのを見て、人目もはばからず友人と奇声を発して喜び合ったのを覚えている。当時USSキティホーク Kitty Hawk CV-63搭載、VF-211の機体(Bu.No159602)。
 1941年12月、真珠湾攻撃前夜のハワイ沖にタイムスリップしてしまう原子力空母USSニミッツ Nimitz CVN-68の活躍を描いたこの作品、作品の評価はもう思いっきりB級で映画史に残るものではなかったが、空母はじめ艦載機もすべて実物を使用した海軍フリーク涙ものの内容で、当時まだ未体験の童○であった私は初めて見る空母のメカニズム、派手なドクロを描いた戦闘機が大スクリーンを縦横無尽に飛び回るカッコ良さにイチコロ。買って帰ってきたパンフレットを、「これがトムキャットっていう奴か〜」と穴が開くほど見つめていたのであった(このパンフは鈴木幸雄大先生によるトムキャットの透視図、イントルーダー、コルセアの三面図や空母史、スコードロンパッチなどの解説などが掲載された名作。古本屋等でみかけたら是非入手をお勧めする)。

 スーパーウェポンブームなんて、それが元で軍オタになった奴なんて一人もいないから、空母艦載機は空軍のものだとみんな思っていた(今もそうだけど)。そんな程度だったが、空モノの主役はなんといってもB-1で、戦闘機だと当時いかにも子供受けするF-16が、正式名称がまだなかったので「ゼネラルダイナミクス」とか「コンドル」とか呼ばれもてはやされていた。海軍機というのはプロデュースする大人の目には留まらなかったのか(多分良くわかっていなかったのだろう)、トムキャットが脚光を浴びることはなかったし、傍観者としてクラスの連中を見ていたときも「F-14って羽根が動くんだぜ〜」とか言うのを聞いた記憶はない。

 しかし、この映画がどれほど日本中のメカ好き(軍オタ)少年の心を動かしたかはわからないが、私はトムキャットと、それを母のように包み込む空母という巨大かつ精緻なメカにすっかりイカレてしまい、人生を踏み外したというかヒコーキファンへの道をまっしぐらに歩み始めてしまった。ちょうど趣味のキャリアを始めた頃、米海軍機はいわゆるロービジと呼ばれる低視認性塗装が採用され始めた時期で、海軍機の最大の魅力であるかつてのような派手な塗装は見られなくなりつつあったが、私はその残り火を目にすることができた最後の世代である。

 ただ、肝心のトムキャットは、当時横須賀を(事実上の)母港としていた空母USSミッドウェイ Midway CV-41がサイズ上の問題で運用できず、長らくF-4ファントムを使用し続けたために日本では見ることはできなかった(それはそれで今となってはファントムを長く見続けられて幸運でもあったのだろうが・・・)。この頃からブームに火がついたというか、ロボットに変形してみたりトム・クルーズが乗ってみたりミッキー・サイモンが乗ってみたりと、いろいろなところに主役メカとして登場し始めたが、依然として日本のファンの多くは雑誌の中でしか見たことのない「主力戦闘機」であり続けたのであった。

紹介するのは1987年5月16日、厚木のオープンハウスに展示すべく日本近海を遊弋中のUSSコンステレーション Constellation CV-64から飛来したVF-21(Bu.No.161601)とVF-154(Bu.No.161618)のトムキャ。これが2回目の出会いで、ハデハデなマーキングに興奮したせいか上の写真は結構ピンアマなのが残念。この時はまさか後に両飛行隊がインディ搭載で日本に配備されるとは誰もが夢にも思っていなかったでしょう。
 1986年11月、老朽化したファントムに代わってミッドウェイの戦闘飛行隊に配備されたのは当時最新鋭のF/A-18ホーネットで、目新しくはあったが私はあまり好きではなかったので、ミッドウェイいつまでいる気だよ!と何の罪もない彼女を恨んだ。今にして思えば1980年代がトムキャットの黄金期、我々はドラ猫と過ごせたはずの貴重な10年を失ってしまったことになる。21世紀まで居座るのではないかと噂されたミッドウェイが1991年に横須賀を去り、代わりにUSSインディペンデンス Independence CV-62が配備されたとき、初の日本常駐飛行隊となるVF-21 FreelancersとVF-154 Black knightsがやってきたが、すでに冷戦は終わり、対艦ミサイルを抱えたソビエトの長距離爆撃機を撃墜するのが主任務のトムキャットの頭上には秋風が吹き始めていた。

 その後私としても興味の重心がフネに移ったこともあり、厚木やオープンハウスに行くことも少なくなった。すっかり日本の風土に定着したといえばそれまでだが、雑誌でも割と淡々と紹介されているようで、私個人としては正直思い入れのある飛行隊ではなかったこともあり、動向にも注目がいかなくなりあっという間に12年が過ぎた。

 そんなニュースを小耳には挟んでいたのだが、2003年中にVF-154は第5空母航空団を離れ、トムキャットは厚木から去るという流れになったようで、趣味誌やネットでも早くて8月、遅くても秋までとの情報が飛び交うようになった。あれほどの人気を誇った機種にもかかわらず、また戦闘飛行隊の機種改編という重大事項ながら海軍からのインフォメーションもいまひとつ伝わってこないのが不思議で、このまま行くとさよならイベントもなしでひっそり帰りそうだ。最終のトムキャット飛行隊は爆弾抱えたフェリックスのマークで人気の高いVF-31 Tomcattersで、同部隊がF/A-18E/Fスーパーホーネットに機種転換を完了するのは2007年の予定。こうして、アメリカ海軍の伝統、「VF」の歴史は今閉じようとしている。

 下の観艦式へ「熱い思い入れ」を書いておいてずいぶん安売りのようだが、23年前に初めてその姿を目の当たりにして以来、いつもトムキャットは私にとって特別な存在であった。いや、皆がそうであったろう、その重厚なスタイル、ともすれば醜悪なほどに力強い曲線、数々の映画や小説に主役として登場する、華のある戦闘機であった。

 夕暮れ迫る晩秋のランウェイエンド、空の彼方に見える小さい点が見る見る大きくなってゆき、まるで矢じりのような鋭いデルタ翼と化した最大後退角でオーバーヘッドをかけたと思うと見事なブレーク、夕陽にシルエットになった丹沢の山並みをバックにみるみるうちに「七面鳥」とあだ名されるほど鈍重な姿に変身してゆき、深いバンクで回り込み目の前を過ぎ去ってゆく・・・大空を自由に駈ける彼らの、ほんの一面を地上で見たことがあるだけだが、心と鼓膜を震わせたあの甘美な瞬間を今かみしめる。あっという間の12年。もう恐らく彼らと逢うことはないだろう。もう今日帰ってしまったのかも知れない。が、最後にもう一度だけドラ猫たちに逢いに、私は23日厚木に行くつもりだ。

 さようなら、トムキャット。さようなら、私の青春。

 5/9/2003

 今年は3年に一度開催される海上自衛隊観艦式の年である。最初に参加したのが1987年、大学のサークルで乗艦券を手配してもらい横浜の瑞穂埠頭から今はなき「あまつかぜ」に乗った。当時まだベイブリッジは建設中で、一緒に出た艦は「たかつき」。懐かしいなあ、事前訓練だったが帰路第三戦速を出して息もできない風の強さにフネってこんなに速いのか!と驚き、また速度を出すと下の方から変な振動が伝わってくるのにも驚いた(最古参だけに調子悪かったのか。その後7年も現役だったけど、これって防衛秘?まあもう時効だろうけど・・・)

1987年の観艦式、私の乗ったDDG163「あまつかぜ」が出航!メザシのとなりはDD164「たかつき」、後方に見えるのはDD165「きくづき」。
ベイブリッジはまだ建設中でした。
 以来その魅力に取りつかれ、年々応募倍率は高くなり入手が難しくなっているがなんとかここまで皆勤で参加させていただいている。さて2000年以来の今回、前回倍率が50倍!にもなり、新聞などにも取り上げられるほどの騒ぎになったが、近年は自衛官でもコネ入手は難しいようで我々一般庶民はひたすら数を出すしかない。

 ファンサイトなどではこの多数応募を批判される向きもあるようだが、100枚出したって5,000円だし、情熱があれば出せないということはないはず。過熱をあおるといっても相手は官庁の最右翼、これしきのことでイベントが取りやめになったり一般参加枠がなくなったりするわけではない。他に方法がないのだから仕方がないのではなかろうか。

 しかし、確かに過熱ともいえる状況にちと考えたのか、前回まで往復はがきでの応募だったのが今回から普通のはがきになった。これで何が変わるかと言えば、まあ単純に応募側の費用が半額になっただけだが、もしかして名前をすべて登録して複数応募をはねるつもりなのでは・・・但し、往復はがき時代の応募でも住所氏名くらいはどこかで登録したはずだから、その時に複数応募をはねることはできたはず・・・今回の変更は歓迎ながら、今ひとつ謎。

 3年間この日のために生きてきた、というのは大げさだけど、あの瑞穂の「祝 平成○○年度海上自衛隊観艦式」のアーチをくぐるとき、そして岸壁につながれたフネが見えてきて、高らかに鳴る生オケの軍艦マーチ、サイドパイプの響き、小さいと思っていたはつゆきクラスの、なんと大きかったこと!そしてその高いマストに翻る一つ桜・・・あの瞬間のときめきを胸に抱いて(時としてすっかり忘れていることもあるが)、日々を過ごしている。

 こんな思い入れたっぷりでキモいと思われるでしょうが、日々会社と家の往復でただ飯食って寝るだけの毎日、というわけでもなく、それなりに楽しいことも少なくない日々を過ごしているお気楽オヤジが、さらに楽しいというのだから間違いない。今年はすでに9月8日月曜日が締切なのでこれを読んでからの応募は無理かも知れないが、2006年の夏になったらこの日記を思い出してぜひ応募してみて頂きたい。

 
閑話休題

「冬のソナタ」の一番有名なロケ地、春川郊外の加平にある北漢江の中州、南恰島(ナミソム)。
 NHK-BSでやっていた韓国ドラマ「冬のソナタ」が昨日最終回を迎えた。BSが見られない方は何がなんだかさっぱりわからないと思うが、鳴り物入りで番宣にも力を入れただけあって、1年遅れのOAながら人気大爆発、本屋はどこに行ってもノベライズ版は平積みだし「ステラ」の特集号もDVDもバカ売れだし、ロケ地めぐりツアーにも参加の申し込みが殺到しているという(8月27日に第一陣催行、第二陣が10月〜11月に予定されているがすでに約千件の問い合わせがきているらしい)大化けドラマだ。

 私は惰性で第1回をたまたま見たのだが、同居人はその時はまだハマッておらず、初めて見たのは第2回。しかしそれ以来は欠かさず見てその度に涙を流している。この夏の韓国旅行も、まあ半分はロケ地めぐりが動機である。正直大映ドラマみたいなもんで、男にはそれほど面白いわけではない。今職安通りのコリアプラザとかでこんなこと言ったら殺されるかも知れないが・・・ただ、これは今自分が朝鮮半島(南北問わず)にハマッているからなのだろうが、作品というか作品世界にはドップリ浸かって楽しませてもらった。

 もともと芸能人とか興味ないし、日本のドラマで奈々子がどうしたキムタクがどうしたなんて知ったことではないが、「冬ソナ」では俳優の人となりや動向までが気になったりして、涙でぐしょぐしょになったティッシュを握りしめて食い入るように観ている同居人の横で「ヲヲ〜!やっぱりチェリンはエロいの〜」とか「ユジンのお母さん、火曜のロマンスと2タテで大変ですね〜」とかすっかりいっぱしの韓国芸能界通になったつもり。ドラマの役柄を超えて皆が愛おしいのである。今までに味わったことのない不思議な感覚だな、コレは。

 ユジン役のチェ・ジウ女史、メイクのせいもあるのだろうがかなり半島の人離れした顔立ちで、日本人が見てもすんなり感情移入ができる。ドラマのバイヤーもそこに目を付けたのか? 私的には特に大ファンになったというわけではないし、何度も言うがストーリーそのものに夢中になったわけでもないのだが、彼女のオフィシャルサイトをブックマークもしているし、なんというか・・・うまく言えないが気になる存在なのである。それをファンて言うのでは!?

 そして明日、なぜか職安通りで開催される冬ソナオフ会に参加してきます。いや、これは同居人が行きたいと言い張るので、私はついていくだけなんですけどね・・・

 28/8/2003

 いや〜まいった。現在平日にもかかわらず午前3時。2日前つい出来心でOSのアップデートをしようと思い立ち、ダウンロードをかけたらトラブってしまったのだ。前からこのパソちょっとおかしくて、もう長いことディスク修復不可能なトラブルがあると警告が出ているのだ。それで強行した結果、この下の24日の日記を書き終えたところでアップロードしてみたら本文もPhotoもキャプションもめちゃくちゃになっており、挙げ句に凍って再起動したらOSが立ち上がらなくなってしまった。大事な写真をバックアップもとらず入れっぱなしにしていたのでさっさと入れなおすわけにもいかない。27日は一日「美人姉妹は〜?」とか書いてある変なタグがこの上に出ていて大変お見苦しいところを見せてしまった。修復もかなわず一日地団駄を踏んでいたわけである。

 今日は仕事もさっさと切り上げヨドバシで外付けハードディスクを購入、OSリストアをかけてとりあえず大事なデータ類は吸い上げた。最初っからこれをやっていれば慌てなくて済んだものを・・・皆さんもバックアップは本当にこまめに取って下さいね!(オレに説教されるまでもない!?)

 ちなみに、もう長い間このパソに巣食っているトラブルというのは、検索をかけると「エクステントBtreeを検査中→エクステントファイルを検査中→カタログBtreeを検査中→問題:規定外キー,4,298」と出るものだが、どなたかMacに詳しい方、この解決法について御教示いただけないだろうか。本当に困ってます。なるべくなら再インストールはしたくないので・・・

 24/8/2003

 以前より同居人から要望の出ていたTackTackサイトとBluefoceの分離だが、なまじめたりっくのサーバ容量がデカかっただけにレンタルサーバを借りる必要もなく、プロバイダのWebスペースを使い続けたためにホームページを2つ設けることができず懸案のままほったらかしになっていた。今回サーバに移行することによって本来のプロバイダのWebスペースと1パソ1回線で共存が可能となったため、半日かけて分離手術を実施(リンクの直しとかが大変!)、なんとか実現することができた。

 TackTackの意向として、なるべく人の目には触れたくないとか訳の分からないことを言って告知もほとんどしていないので、今回も分離後の当サイトからはリンクは貼らない(こんな変則的な運営しているサイト世界中にあるか!?)のであしからず。現状では掲示板に告知がありますのでそちらを参照ください。

スウェーデンの出店では郷土料理のミートボールジャム和えを販売中。これ、実はうまいんですけど日本じゃ誰も買わないだろうな〜
祭りだ祭りだ〜!ふうこも夏の装い。
 毎年恒例の麻布十番納涼祭りに行ってきた。去年はふうこが家に来た直後だったので人混みに連れ出るのは無理で行かなかったのだが、それ以外はほぼ毎年行っている。例年すごい人出で、特に大江戸線が開通してからはさらに混雑に拍車がかかったようである。今年はさらに六本木ヒルズのオープンでどうなることかと心配していたら、もうすごいことになっていた。

 夏祭りは暑くなければ気分が出ないなどと皆無責任に言うが、なんのかんの言っても快適に過ごせればそれにこしたことはない。今年の東京は完全に夏不発で、例年人混みに揉まれて汗まみれだが今回はそんな不快さとも無縁かと期待していたら、なぜか開催当日は遅れてきた夏本番の33度。8月3日の横須賀以来の酷暑になってしまった。麻布十番駅は改札から出場制限してるし、どこに行っても人人人・・・

 まずいつも時間がなくてゆっくり見られない、界隈の大使館や外国施設の人々による各国のお国自慢料理屋台に行き食えるだけ食う。スウェーデンのミートボールジャム和え、北京ダック、トルコのローストビーフサンド(のようなもの)、ビールも進み本当はナン付きのおいしそうなカレーが食べたかったのっだが、この人混み&犬連れで手が塞がっている身では若干危険であきらめる。これ、結構人の浴衣とかにこぼしちゃったりする人いるんじゃないの?

 毎回楽しみにしているのがFM東京で土曜夕方1700からやっている不思議な番組「サタデーウエイティングバー AVANTI」の出店。これ、仙台坂上に実在すると言われているイタリア料理のレストランを舞台にしたトーク&コメディの番組なのだが、いつもペンネやパスタ、軽いアルコールを用意したおしゃれな出店を出している。前の週にOAで合い言葉を教えてくれるが、これを店で言うと「ちょっとした」プレゼントをくれる。

「おや、ひょっとしてアヴァンティをお探しですか?良かったら御一緒しましょう。いえね、私も・・・」のフレーズで始まる土曜午後のひととき、イタリアンレストラン"AVANTI"。
 無粋を承知で言わせてもらえば恐らくこの店は実在しない(ホンマに無粋やな〜)。しかしこれが馬鹿にしたものでもなくて、なかなか詳細な設定で(シャレを通り越している)独自の世界観を作り上げておりこれにハマるリスナー多し。今回は最近登場した新キャラ、パティシエの美人双子姉妹も顔を出したという噂で騒然としていた。

 しかしとにかく人出が多い。暑さもゲンナリしてきたこともあり、六本木ヒルズへ抜けて帰ろうと歩き始めたが、十番通りはどうにもこうにも身動き取れないのでなぜか当の仙台坂を上がって大回りし、全く人通りない真っ暗な道を通ってヒルズにたどり着いた。もう2100を回っているのにこちらもすっかり不夜城の様相を呈している。角のスタバで一服しようと思ったが屋外のテーブルなど1席も空いておらず、そのまま六本木まで歩いて帰ってきた。

 今トップページに入っている残暑お見舞いの写真はこの時に六本木ヒルズで撮影したものです。

 18/8/2003

 ふうこは今日抜糸なので、月曜休みの同居人が病院に朝一で連れて行くとのことだったが、昼過ぎに電話したらまだ行っていないという。

どうもまた何か飲み込んだらしく、私が家を出てから何回も吐いているのだそうだ。う〜ん、しょうがないなあ・・・抜糸自体はどうしても今日でなくてもというものではなく、今週末でも良いらしいのだが、いつまでも着けているのもなんか痛々しいし早くすっきりさせたいのでなんとか今日中に行くように頼むものの、同居人は免許がないので病院までは電車を乗り継いで行かねばならず、途中で吐かれても困ると渋る。まあそれはその通りで。

 その後どうやら落ち着いたようで午後に行ってきたらしいが、抜糸は無事終了で吐き気については注射と飲み薬の処方が出たそうな。抜糸は全く痛くないので今日は怖い思いをしなくて済んだはずなのだが、自業自得で結局痛い思いをすることに。吐いたものの中には朝食のフードに混じって、居間の床に置いてあった先日買ったボイスレコーダーのチラシらしき紙片が見つかったとのこと。そうすると家中散らかしてある我々が悪くて、ふうこは被害者ということになるのだけれど・・・もういい加減食うなや〜!紙なんてうまくないでしょ!

竹本クンが表紙の第5巻は8月19日発売。同居人が早速買ってきました。
 周囲からはどう見られているかは知らんが、実は私はアニメとかマンガはあんまり強くない。で、特に「これ」という思い入れのある作品があるわけではないこともあって、最近は同居人が読んでいるものを横からつまんで暇つぶしにしている。ラインナップは当然「代紋TAKE2」とか小林ユタカ(なぜ知ってる!?)の作品ではなく、少女系オンリーで、ヤングユーの作家が多い。榛野なな恵「Papa told m e」、岩館真理子「うちのママが言うことには」、逢坂みえこ「ベル・エポック」・・・非常にわかりやすいですね、もうすっかりその辺。あと、これは「ぶーけ」だけど、読み切りということもあり特に気に入っているのが吉野朔実「いたいけな瞳」。これなんかトイレで何十回読み返しただろうか。 同居人も今は雑誌を定期購読しているわけではないので、どんどん増えていくわけではないが、先週表紙の絵が可愛いからと買ってきたのが羽海野チカの「ハチミツとクローバー」。うんうん、どっから見ても同居人好みの絵だ。私的には特にそそられるものはなかったので手を出さなかったのだが、金曜の夜、田舎から帰ってきて居間に寝ころんだらちょうど手の届くところにあったのでペラペラとめくってみた。ん〜、なんか女性コミックっぽくない絵&設定だな・・・ふんふん・・・それで・・・ムム、これ面白いかも知れない・・・・いや面白い!!

 羽海野さん、あんた天才だよ! コメディとして出色のギャグのキレ、全員が主役を張れるほどのキャラ立ちまくり、これが全員魅力的かつパワフルに動いて、とても女性向けコミックに止めておくには惜しいほど楽しい&切ない作品で一気に4巻を読み切ってしまった。あ〜5巻!早く!ところがまるでマイブームを待っていたかのように、5巻は8月19日発売、おまけにこのたび講談社漫画賞受賞で現在首都圏JR路線で吊り広告の展開と9月8日には「ダ・ヴィンチ」で作品特集と嬉しい展開になってきた。

 この手のコメディって、少人数がいつも同じ所をグルグルグルグル・・・と回って、無理矢理一緒に旅行に行ったりするので、お前ら他に友達いないんかい!と突っ込みたくなってそれで萎える所があるんだけれど、この作品にはあまりそのインナーサークル感が感じられない。実際インナーサークルなんだけど、作者の力量か主要キャラが6人と若干多めなのがいいのか、無理ない設定に思えて物語に没頭できるのだ。男としてはちょっと「ツルモク独身寮」を思い出すテイストで、懐かしさも入っているかなあ。絵も今風だしスピリッツとかに載っていても違和感がないので、漫画賞受賞でもっと男の読者も増えたらいいなあと思ってます。でも、この作品、最初宝島社のなんとかいうレディース系コミックで連載していたのだが、名前を知らないだけあって休刊の憂き目にあいヤングユーで引き取られたという経緯らしく、なにげにストーリー外でも波瀾万丈なのである。そこで埋もれなくて本当に良かった。目利きの編集者に感謝! 末永く連載を希望!

 ちなみに、聞きたくもないでしょうが私的に一番好きなキャラは当然山田あゆです。

 17/8/2003

 ふうこは当初極小とのふれこみだったが、現在体重は2.2kg、現代のチワワとしては標準的な大きさになった。何より健康が一番だし、今の体格には全く不満はないが、これでも生き物としては不自然な大きさなのか結局乳歯が抜けなかった。また、仔をとる予定がなく、生理が不順だったり歳を取ってからの乳腺腫瘍などの婦人病が心配なため、以前から不妊手術を検討していたのだが、ボーナスでやっと資金が確保できたので卵巣摘出&抜歯を同時にやることになった。

 ふうこを買ったペットショップがワクチン注射などでいきつけにしている病院は自宅からはかなり遠いのだが、車で行けば20分位だししっかりしている所のようなので結局そのままかかりつけになっている(一回でかい木片を吐いた時だけ急患なので近所の病院に連れて行った)。ここは偶然にもプリンセステンンコーこと引田天功女史もかかりつけにしている病院で、ふうこは光栄なことに将軍様から贈られた共和国の天然記念物に指定されている豊山犬(プンサンゲ)の「ラルナピエナ」(スペイン語で満月の意味)と同じ医者に診察してもらっている。なお彼女の自宅には虎もいるようだが、これら猛獣をどこで診察するのかは知らない。

 話が脱線したが、不妊手術は1泊2日、オペは午後イチで始めますとのことで先週土曜日(8月9日)、朝9時過ぎに病院入り。まず血液検査をして肝臓、腎臓などの機能をチェック。全身麻酔に耐えられる状態であることを確認してから我々の手を離れ奥に連れて行かれてしまった。そのまま鎮静剤を3時間くらいに渡って点滴するとのこと。その間病院にいても仕方がないので、一度外出し買い物などをし、13時前に再び病院に戻る。

 2回のオペ室に案内されて、麻酔がかけられるのを見守るが、もう鎮静剤が全身に回って目つきはトロンとしている。すでに意識はないとのこと。我々を見ても誰だかはわからないという。その後気管にチューブを入れて人工呼吸器につなぐのだが、普段絶対に歯の掃除などでも口を開けさせてくれないだけあって、麻酔の効いてくる中で頑強に口を閉ざして抵抗していた。我々も医者も苦笑い。恐ろしい女だ・・・ここで我々は退出、1階のロビーからオペ室カメラによる映像で見守ることになる。

田舎の家で私のおかんに、「へいらっしゃい! 何に握りやしょう!」とでも言わんばかりのふうこ。
 当初は預けたら翌日取りに来ればいいのかと思っていたが、結局2時間ほどのオペをロビーで待って半日がつぶれてしまった。ふうこがいると普段はできないような買い物などをしようと思っていたのだが・・・終わったら下の病室(オリ)に入れるのだが、その時も立ち会わせてくれて、まだほとんど意識はないながら頭をなでてやって帰ってきた。

 翌日は昼前に検査をして、異常がなかったら帰って良いとのことで、昼過ぎに迎えに行ったら腹の縫い目が痛々しいながら元気そうな様子で奥から出てきた。最近は人間も必要以上の安静は良くないとのことですぐに歩かされたりするようだが、犬はさらに丈夫で翌日から普通に散歩に行ってもいいのだそうだ。抜糸は10日後。傷口を気にして舐めるようだと首にエリザベスカラーという大きなシャンプーハットのような円板をつけなければいけないのだが、全く気にしていないようでケロッとしている。痛くもないのだろうか・・・さすがに翌日は散歩には連れて行かなかったが、週半ばからは通常のペースで夕方の散歩にも行くようになった。

 翌週末は親に付き合って田舎の各親戚を訪問してきたが、せっかくの休日に家で留守番もかわいそうなので連れて行った(そのほうが家でゆっくりしたい当人にとっては迷惑!?)。初の訪問だけあってどの家でも大人気であったが、まだ腹を見るとブラックジャックの顔みたいになってるのに我が物顔で大暴れ。こんなに小さくても犬の生命力は変わらないらしい。さてこれだけやって、費用はいかほど?

 血液検査が3,000円、避妊手術が50,000円、抜歯が1本2,000円・5本で10,000円、しめて63,000円でありました。

 4/8/2003

 いや〜暑いですね。でもまあ例年に比べたらまだましな方、というかなんだかんだで20日位は得をした勘定だ。遂に7月中はクーラーをつけなかった。電気代も助かったし、何より首都圏の電力危機が回避されて一安心である。

 先週末に認可待ちでストップがかかっていた24メガADSLだが、NTTからモデムが送られてきてやっと開通の運びとなった。2つ下に書いたように今回もダメだろうなあ・・・ととりあえず期待はせずに接続してみたが、これがいい案配にスピードが出ているようである。一安心しつつ、メールの設定に取りかかる。だが、パスワードを何度入力しても認証ではねられてしまう。また始まったよ〜。

栄光のロイヤルエンジンとのツーショットが実現!なんと誇らしげな表情でしょうか(親バカ)
 土曜の昼下がりにサポートに電話をかけてみたが、この辺は中堅プロバイダのメリットか一発で電話がつながった。それで聞くところによると、なんと! 私の契約ではメールアカウントが付いてこないのだそうな。そんな契約だったか〜!? 確認してみると確かに「メールアドレスは付属していませんが、ご希望によりオプションサービスとしてご利用いただけます」だって。オプションで月200円とのことだが、これ絶対「話が違う!」って怒り出す奴がいると思うぞ。老婆心ながら赤字でもうちょっとわかりやすくした方がトラブルが減ると思うが・・・私はとりあえずWebメールがあるので必要はないが、これが通信崩壊って奴か!? よっぽど勉強しなければ電話会社一つ選ぶのもむずかしくなってきた。

 今年はペリーさんが浦賀に来航して150年とのことで、8月2・3日に横須賀市で「よこすか開国祭」なるイベントが開催された。パレードや各種催しに混じって本年の横須賀米海軍基地オープンハウスと、なぜか鉄関係もEF58 61にDD51 842+旧型客車展示公開という訳の分からないラインナップになっている。3日の夜には花火大会もあるとのことで、うちの一家+同居人の友人であるA女史で新宿から215系の湘南新宿ラインで横須賀に向かった。

 さて横須賀に降り立ってみると、内心パスしてもいいかなと思っていたゴハチだがそこは鉄心がムラムラと湧いてきて、呆れる一行を引き連れてとりあえず撮影。こんな調子じゃ基地にたどり着くのはいつになることやら・・・来年の年賀状用に常々いいネタを探しているので、ふうこを旧客の窓から出してみたりいろいろとやってみる。ゴハチは先日(といってもかれこれ1年ほど前)ちょっとした用事で旧品川運転所にて間近に見ているが、今回も各部恐ろしいほどに磨き出されていて感心。東ももう廃車にするのはあきらめたみたいなので、いつまでもこのコンディションを保って欲しいものである。さて、後ろ髪を引かれる思いで駅前に戻り今度は海に目を転じてみると、ヴェルニー公園前にはそこそこの顔ぶれに加えて米沿岸警備隊のハミルトン級カッター、HEC725ジャービスJ A R V I Sが停泊していた。

ふうこの一人旅♪ 客車はJR東日本高崎運転所所属、貴重な戦前製旧型客車のスハフ32 2357。
 その後横須賀に来たことがないというA女史のためにドブ板通りを通ってメインゲートに行ってみるが、今日の入場は三笠公園側のゲートからとのことでさらに先へ進む。今年一番かという位のこの炎天下で、何km歩かされるんだか・・・三笠の脇を通って入口に行ってみたら、全員空港にあるゲート形の金属探知器をくぐらされている。持ち物検査はまあいいとして、ご大層なこと・・・で、順番が来てふうこの入った鞄をテーブルに置いたら「ペットは入れません」。

 お前らねえ・・・ふざけんな! ああいいですよ、そんなにまでして軍艦なぞ見たくありません! もうとっと引き返して、しょうがないから三笠の前にたくさん出てる出店でとりあえず腹が減っているので焼きそばを食った。中に入ってアメリカンな食事を楽しみにして何も食わなかったのだ。

 世の中どんどん悪くなってく、なんて通り一遍のことは言いたくない。共和国では犬爆弾というのもあるらしいし(子供に爆弾を埋め込んで特攻させるのもあるらしい)、余計な物を持ち込ませたくないのもわかる。こんなご時世だ。でも、さすがにそこまでギスギスした所に遊びで行く気持ちにはなれない。途端に醒めたというか、戦争が向こうからぐんぐん近づいてくるのにこっちから迎えに行くこともあるまい、と思ってしまう。昔はこんなことなかった、なんて言うまでもない、つい2年前まではそんなことは夢にも思わなかったのだ。向こうもそうだろうけど。好きでやっているのではない。でも、軍隊って単なる人殺しの集団じゃないんです、基地の中にも人々の営みがあって、喜怒哀楽があって、我々と変わらない種類の人間が暮らしているんです、と皆に知って欲しくて、オープンハウスに友人を連れて行ったのに、金属探知器くぐらされて最低限の持ち物にまで制限されて、なにが相互理解だ温かい目だと言いたい。

 A女史には大変悪いことをしたが、入れないものは仕方がないので祭り期間中は入場料無料という三笠を見学。その後横須賀中央駅前通に移動してパレードを見た後、本来メーンの後に控える第2イベントのはずであった花火大会をベストポジションで見物、終了後は激込みが予想されるため早めに会場をあとにして帰りは京急で帰ってきた。

 犬連れ禁止についてその後考えてみたが、横須賀だけの特例ではなく横田や厚木などにも拡大されるのではないか。そうするともう我々はオープンハウスというものには縁が無くなってしまった。何度も言うが今さらそこまでして見たくもないが、自衛隊と来航艦船はこんな措置はとらないで! まあ「愛される」自衛隊はやらないだろうけど・・・来航艦船は厳密に言うと検疫とかの問題はあるんですよね。そう思うと、確かにうちのふうこは鞄に入れて蓋をしてしまえばわからないが、昨年の韓国海軍は良い対応をしてくれたと思う。

 18/6/2003

 6月11日。午前中外で仕事をしていた私が会社に帰ると、後輩が「なんか朝日に北朝鮮の掲示板に海上保安庁の人間が書き込んでどうとかで騒ぎになってるみたいですけど、Blueforceさんの所じゃないんですか?」。なんじゃそりゃ? とりあえず立ち上げて私がサポーターズサイトとしてリンクさせていただいている「自由に語ろう北朝鮮」の「Salon De 北朝鮮」へ。ところがどうも様子が変で、な〜んとなくわかってきたような・・・ん!? その騒ぎになってる掲示板って、ここじゃ?

 自分の掲示板に飛んでみて、同居人の書き込みを確認。やっぱりただごとではない。もう一回後輩に確認。朝日っていっても朝そんな記事見なかったぞ? ナニ、ネット版?先にそれを言え! それならすぐに見られるではないか。ん〜ん、なになに・・・掲示板に海上保安庁の職員が職場から書き込みをして厳重注意? どうやら書き込みを見た管理人がIPアドレスから海保からの書き込みと判断、それを新聞社に伝えて記事にしてしまったらしい。最初に出たのは朝日ではなくて毎日の朝刊で、社会面にかなりデカデカと載っているらしいこともわかってきた。

 これを受け、2ch方面で管理人が秘匿すべき書き込みの個人情報をマスコミに提供したということで、いわゆる「祭り」が勃発、総攻撃の様相を呈しているらしいこともわかってきた。同時に当サイトもアクセス数が急増、平常時の3〜5倍くらいのカウンタ数を記録しはじめた。そういえば、なんとなくその書き込み記憶がある・・・荒らしとも言えない、ましてや削除対象になどなるはずもないどうでもいいような書き込みだったような気がするが・・・

さて、ちょっと状況が飲み込めてから、考えてみるとあまりに不可解なことが多すぎる。あまりに書き込みの内容がハイブロウ過ぎ私も書き込むことはめったにないのだが、一応管理人諸氏は存じ上げているので、なぜ進んでリークなどしたのかまったく思い当たるふし無し。彼らの人脈からすればブンヤにつてがあっても不思議ではないが、なんであの程度の書き込みをあげつらう必要があるのかがわからない。職場のリモホをさらした奴なんて今までに山ほどいるだろうし、またそれを大新聞がわざわざ大きな記事にしなければならないのかも全く不思議。

 その後当の掲示板は書き込みが規制され、2chでは祭りでスレが乱立する中、12日夜には管理人により今回の騒動の顛末と今後の方針が明らかにされた。これが素っ気ない&(かいつまんでいうと)うちの掲示板(の方針)が気に入らなければ来てくれなくて結構、というような文面だったため、さらに火に油を注ぐことになった模様。翌13日は大阪に出張で、帰りの新幹線でビールを飲みながらさ〜て寝るか・・・と同居人にメールを打ったら、「閉鎖が決まった」とのさすがに予期していなかった報せが来た。

 その後土曜朝にかけて、徹夜で管理人が質問の一つ一つに答えるというチャットのような問答が延々と続くが、どうも私が知っている(ネット上での)彼とはかけ離れた弱気ぶりに、ひょっとして手が回ったんでは・・・と勘ぐってもみたくなる。しかし、手が回ったってどっちから!? どちらサイドからでもあの掲示板を閉鎖する必然も、メリットもない。2chでは管理人氏の名前や住所までさらされてしまったようだ。今のご時世、ちょっとでも「北朝鮮」の文字が出ていようものなら、よっぽど面白いらしく(私には何が面白いのかさっぱりわからないが)「○○は在日」とか「チョンは日本から出て行け」とそんなのばっかりである。

 連絡を取って真相を聞き出したいとも思うが、私生活まで時間をとられた上に危険にさらされているだろうに、私がお手を煩わせるわけにいかない。閉鎖の意志は固いらしく、悪意ある書き込みに混じって常連のメンバーが翻意を促すが、明朝6時に閉鎖します!という前提で話が進んでおり、もはやこれまでと電源を落とした。朝はふうこが鳴くので5時半頃に一回目を覚ましたが、さすがに眠くてそのまま布団に連れ帰って二度寝、サポーターズサイトの力およばす掲示板「Salon De 北朝鮮」はその歴史を閉じたのであった。

 以上が今回の騒動のアウトラインで、私もすべての動きを把握しているわけではまったくない。多くの謎もそのままであるが、その後私なりに情報を入手したところによると、やはり公式の発表通り、複数いる(私の知らない)管理人がこの件を問題視し、毎日に連絡を取ったこと、他の管理人は連絡を受けて特に反対意見が出なかったこと、当初強気ではいたものの、「色がついて」しまったことにより今後良質の活発な書き込みが期待できないことを認識し、掲示板としての寿命は終わったと判断、話し合いの末閉鎖を決めたことなど、謀略もなにもない至極まっとうな経緯であった。こんなもの10日もたてばみんな忘れちまうだろうにしばらく待ってれば・・・とも思うが、後味も悪いしその後にズバッと切り込むような議論はできないという結論に達したのだろう。また、あまりにも大人げない、なぜこのような些末な事柄が大新聞に載ったのかという疑問については、「海保」と聞けば事の性質はともかく新聞としては黙っているわけにはいかない、ということらしい。

 問題はもう一つ。管理人氏の本名や住所までが2chで流出してしまっったことである。名前はリンク先に掲載されていたようなので粘着でなくても簡単に知ることはできただろうが、住所を知る人間はさすがに狭い範囲に限られてくる。調子に乗ってはしゃいだ奴が私の知る範囲にいるのか・・・まったくネットで人もたやすく殺せるものだ。結局、管理人氏が一番こたえたのはこの流出なのだろう。突然、憑き物が落ちたように、何もかもアホらしくなったんだろうと思う。

 今回の件は軽い気持ちでサイトを運営している輩としても他人事ではない、プライバシーの秘匿という問題に重大な落ち度があったことは否めないが、何度も経緯の説明の中で述べたように「今となってはどうしてそう思ったのかわからないが、魔がさしたというかその時はさして深くは考えなかった」と言われてしまえば、人間いかなる時も細心の注意と明晰な判断力で事に当たっているわけではないのだし、誰にでもあることではないかと同情してしまう。そこを責める人もいるわけで、仮にもこれほどデリケートな題材を扱うサイトでうっかりでは済まないではないか、海保の人間の人生狂わせたんだぞ! という指摘もある。売国奴というのは言い過ぎにしても、うっかりでごめんなさいでは警察は要らんわな。ただ管理人氏としては、勤務時間中に書き込んだことに対しては同情の余地はない、それについての責任はないとの主張で、これがまた荒らしを刺激して堂々めぐり。

 昨年の訪朝以来共和国とかかわりあうようになって、オフ会に参加し、共同管理人(後にサポーターズサイト)としてお声をかけていただいたのが「自由に語ろう〜」。当初リンクのお誘いがあったとき、私は今回のことを予言するような質問を彼にぶつけていた。ハワイだバリ島だといったお気楽な旅行サイトの掲示板と違って、こちらも受けるからには責任がある。もし紛糾するような事態が起こる、または裁判沙汰などにでもなったら私はどこまで責任を負うのですか?と。彼はそれほど心配したものでもありませんよ、それになんだかんだ言っても所詮趣味、最後は閉鎖するだけです、と答えた。お互い今日の日がくるなど夢にも思わなかったが、Nifty時代からこの分野に足を突っ込んでいろいろありました、多少のトラブル位ではめげませんから・・・という彼でも乗り越えられなかった大波だったのだ。件の海保職員は結局厳重注意で済んで処分等はなしとのこと、祭りが終わってみたらさて一体誰が得をしたのやら・・・2chに消費されて、食い尽くされて終わりという虚しさのみが残った。もうちょっと上のレベルか、やたらグッズや旅行情報にマニアックなサイトが多い中で、敷居も低く、思想的なバランスも中立でかつ実の詰まった議論ができる掲示板としては恐らく日本で1,2を争う共和国サイトだったのではないだろうか。今これを失うということの意味を、尻馬に乗って騒ぎに来ただけの連中はわかっているのだろうか。

 当分は管理人諸氏とサイトに集った叡智ある人々に敬意を表し、トップページのバナーは残しておくつもりである。皆さん、またどこかで。

 土曜日。珍しく車で出かけもせず、早稲田の古本屋街をふうこと散歩して店をひやかして歩いていたら、妙に共和国関連の書籍が充実している棚を発見。ちょうど探していた李韓永著「平壌十五号官邸の抜け穴」、呉吉男著「恨・金日成」、金恵英著「北朝鮮女優日記」(3冊ともザ・マサダ刊)を各100円で購入した。その他あと4〜5冊あったと思うが、レジに持っていくとオヤジが「たくさんあるでしょう」。うん、今流行りだから持ってくる人も多いんでしょ?と何気なく答えたら、「実はね〜、大量に引き取って欲しいっていう人がいてね、家まで引き取りに行ったんですよ。何百冊もあったんだけど、これから姿を隠さなきゃいけないんで急いで処分したいっていうんだよね〜。なんか追われてるようなこと言ってたよ。大変だね〜ハッハッ」。これとて真相はわからない。冗談のつもりを真に受けたと言ってしまえばそれまでであるが、何か背筋の寒くなる話ではないか・・・路傍の見物人のつもりが、気がついたら交差点のど真ん中という事態にならないよう気をつけたいが、どうも他業界と違ってそうなるまでにあまり苦労はいらないようなので恐ろしい。因縁の3冊だが、「女優日記」は床に置いておいたらふうこが表紙の角をかじってしまった。前持ち主の方、まだ生きていたら(あの世にいらしても)ごめんなさい。

 12/6/2003

 どうも私はネット運が悪い。まだ実家にいた頃、どうしてもネットがやりたくなったが家の電話に細工ができず、まだ32KのPHSとノートで始めてはみたものの、電波の入りが非常に悪く部屋の中で柔軟体操(部屋中無理な体勢でノートをかざし続け、それでもブチブチ切れた。隠しカメラかなんかで見てたら相当面白かったと思う)をする羽目になり、それでも一晩に何度も切れるので電話代が1万4,000円位になったこともあった。どうもNTT(当時はまだパーソナル)の陰謀じゃないかと疑った。さらにそのうえ、安くていいかなと思ったプロバイダが半年位で撤退とか言って、経営が変わってセッティングを変えたり要らぬ苦労。このプロバイダも、どれもあえて名前は挙げぬがもう一回変わって最終的に最初とは全く関係のない業者になった。後半になってだいぶ安定してきたが、それでも時々わけのわからないトラブルでつながらなくなって一晩中イライラし続けたりと、苦労も多かった。

本文とは全く関係ないが、いよいよフィナーレを迎えるJR東の165系が尾久客車区に大集結!この後各方面にさよなら列車が続々運転予定だけど、どうですかね〜
 で、家を移って固定で回線を引けるようになった時、2カ月位の間を置きDSL時代の到来。CFでやっていた「ISDNの20倍の速さ!」という文句に惹かれて、当時まだどんなものかよくわかっていなかったが東京めたりっくに申し込んだ。さてほどなくしてモデムが送られてきたが、これがまたどうも調子が悪く、配線をつないでいざ!となってもうんともすんとも言わない。その都度サービスに電話してもそうそうつながるはずもない。ある日の深夜、やっとつながったら、その時の応対が面白かった。

 名前と個人のIDを伝えたら、「ちょっと待ってくださいね・・・」電話の向こうで何かをいじっている様子。しばらくするとそれまでは全く点滅しなかったパイロットランプがチカチカと点きだした! 一体何をやってるんだろう。まるで魔法を見ているみたい。多分、というか確実に机上のパソコンで設定をいじっているのだろうが、深夜に電話の向こう側で話している人間としては、天井の高い、薄暗い交換機室のようなところでツナギを着た人間が脚立に乗ってトグルスイッチをグリグリ・・・という様子を想像してしまう。「どうもISDN干渉みたいですね」とのことで、若干速度を落として干渉を避ける対策を取り、なんとかADSLの恩恵に与ることができた。まだADSL黎明期の話である。プロバイダ選びも何もあったものではなく、日本初のADSLユーザの一人として人にもしたり顔で説明したりして、やっと自分もネット勝ち組になれたかと感慨深いものがあった。

まあおいしそう! でも人間が食べてもうまくないそうです
 爾来2年余り、タイムアウトでフリーズするというトラブルを抱えながら、電話局が若干遠いながら速度にも満足していたしISDN干渉も全く感じなかった。しかし東京めたりっくは事業開始直後から、その経営が悪化しつつあったのである・・・後続の業者は体力にものをいわせてあっという間に8メガ、12メガという高規格を導入し、1.5メガの当方は見る間に陳腐化。初期費用も(なぜか)1桁も違い一体誰が新規加入するのか疑問のサービス体制になってしまった。

 新聞に「日本初のADSL事業者東京めたりっく通信、資金繰りに行き詰まり」との文字が踊り、当初会社から大丈夫ですとメールが来たが、それからあれよあれよという間に事態は進行し、ご存じの通りあえなくヤフーの軍門に下ったのであった。当初はサーバも別立てでアドレスその他設定は今までと変わりません、とのことだったが、各種掲示板でもいつ統合されて消滅するのか、乗り換えのタイミングはなどという議論で盛り上がっており、もう本当に引っ越しは嫌なので1.5メガのままでいいからそっとして置いて欲しいとの願いが通じたか、しばらくはヤフーからは何も言ってこなかったのだが・・・

 本年2月頃だったか、突如乗り換えキャンペーン!というメールが来て、今なら無料でヤフーに乗り換えられますという。上記の通りとにかく動かしたくないので無視していたら、その2カ月後に結局(まるで残ったゴミを掃除でもするかのように)全面閉鎖、ヤフーへの強制乗り換えという事態になった。アカウントの撤去は本年8月末、こうして日本最初のADSL事業者、東京めたりっく通信はその使命を終えたのであった(合掌。まだ終わってないけど)。

 他の業者を捜すよりある程度勝手にやってくれるし、なんだか言いくるめられたような気もするが特にデメリットもないのでヤフーに継続とし、さてまたモデムが送られてきた。早速つないでみると・・・またですわ。更新に1分位かかって、これではダイヤルアップより遅いではないか!サポートの電話もまずつながらないし・・・やっとつながって症状を説明、直しますので4営業日しても遅かったらまた連絡してくださいと言われたが、5日を過ぎても症状は全っ然変わりましぇ〜ん!

右側の顔、おっかないけどなんか赤ん坊の頃の面影が残っててちょっとしんみりしてしまいました。
 この感覚、スロットで夕方辺りどんどんメダルが飲み込まれていく時の状況に似ている。どうやっても出るはずがない、出たときのことがイメージできない・・・というあの感じに。電話もつながらないし、もうやる気が失せたというか・・・

 そうそう、めたりっくにはもう一つ素晴らしい点があったのだ。ウェブ容量がなんと100メガあったのである。とにかく大サイズの写真の多い当サイト、今までは追加投資無しに収まっていたが、ヤフーではそんな豪気な話がかなうはずもなく、有料サーバを借りることになった。だから、近日中にこのサイトが引っ越したら、その後プロバイダが変わってもまたアドレス変更などという事態は回避できるのだが、それはまあいいのだが・・・なんでこんなにネット運悪いんだろう。

 日曜日、A女史に買ってもらったふうこの誕生日ケーキをプレゼントした。なにせちびっ子なもんなんで、一番小さいケーキなのに頭と同じくらいの大きさで食べられるのかと心配したのだが、10分位でペロリと完食した。しかし今、彼女の体はまるで森駅名物イカめしのようにパンパンの樽形になっている。

 8/6/2003

 土曜(7日)は前夜0時半まで会社にいたこともあって激疲れにより9時頃起床。大体4〜6時頃に居間で寝ているふうこが鳴いて起こすので、その後我々の寝床に移動して一緒に寝るのだが(本当はあまりやってはいけません)、7時頃を過ぎると起きて遊んで欲しいのか顔をペロペロ舐められたり首に巻き付いて亀の子になってみたり、なかなかうっとうしい。はいはいわかりました、わかりましたよ・・・ 同居人は最近土曜朝はBSの「十二国記」とベルバラを見るのでどんなに疲れていても8時前には起きている。今日も先に餌はやってくれたらしいが、最近いよいよ食いつきが悪くなってきた。ヨーグルトをかけてもほとんど手を付けていない。

"Skip Dog"のお犬様用プレイルームにて。今日はお客がぜんぜんいなくてふれあいがなく残念。
昼過ぎに家を出て、吉祥寺へ。先日ジブリ美術館の近傍にオープンした、チワワ飼いなら知らない者はないカリスマブランド、SKipDogで買い物。ふうこのベッドのスペアが無くなってきたので、テント形の新しいのを購入した。2,900円也。ふうこは家持ちだなあ・・・もうこれで4軒目。

 その後、井の頭公園で散歩をして駅の方に抜ける。RUSHでプレゼント用の入浴剤球を購入、安売りの食料品店野菜を大量に仕入れ公園に戻る。小腹が空いたので鳥良の並びにあるカレー屋でチキンカレー弁当とナンを買い、公園で食べる。なんか子供連れで休日を楽しむ家族3人連れみたいだ。いやそうなんだけど・・・もう15時になろうとするのに、1830より飲み会のため、若干中途半端な昼食になってしまった。大急ぎで帰宅、ふうこは留守番で再び家を出る。

先日のNステ出演後、熱心な制作会社の担当者氏が幹事となって出演者・写真提供者で飲み会を催すことになった。んで先日新宿にて餃子を食しながら共和国談義に花を咲かせたのだが、その中に私が昨年共和国に行くに当たって大いに参考にさせていただいたサイトの主宰者の方がいてびっくり。お顔も前からサイト上で存じ上げていたので、まるで初めてお会いするような気がせず、楽しいひとときを過ごしたのであった。

 で、彼のサイトにちょっとしたことを書き込んだことが縁で、今度はまた別の人脈、1月の「自由に語ろう北朝鮮」オフ会で知り合った方を交えて会うことになり、土曜の夜東京駅に集まる。とにかくこの人達、どちらもそのまま本が書けるんではないかと言うくらいの博識。なんにも知らんで物見遊山の当方はハアハアと拝聴するしかない。やっぱり日頃からの勉強ですよ!


英国海軍タイプ42級駆逐艦、HMSリバプール。すでに中堅通り越してロートルですが・・・それでも一般公開はして欲しい!
ホストシップはなんと第1護衛隊群旗艦、DDH143しらね。大将直々のお出ましですか!
英国海軍の補給艦、HMS Grey Rover(!)と記念写真。うちのレンジとのツーショットも撮りたかったのだが・・・
あんたはたべちゃダメ!
 さて、今日は親が不審船を見に行くというのでお台場まで送っていったのだが、昼前にはすでに行列が船の科学館を一周する勢いであっさり断念したらしい。ホントに日本人って何でも並んで見たいんですね。9月一杯までやっているので、我々は落ち着いてから行くことにしている。親を海浜公園で降ろしてから、来航しているイギリス駆逐艦「リバプール」と補給艦「グレイローバー」を見るために晴海埠頭へ。今回はSARSのせいか廬韓国大統領来日中で警備の人手がさけないせいか、残念ながら一般公開はなし。しかし聞くところによると、土曜日にはなにげに公開をしていたらしい。ん〜ん、そういうのはナシでお願いしますよ。 そもそも、イギリスなんて前は難しい国ではなかったので、乗れなくても岸壁はフリーで、掲示板等で紹介しているように空母の横に車やバイクをつけられたのだ。ところが一緒になってイラクなんてやるから、岸壁は完全ロックアウトで近寄ることかなわず。まあ、正直タイプ42級なんて珍しいもんじゃないしなあ・・・と負け惜しみをつぶやきながら新宿へ。

 同居人の同級生であるA女史がこのたびめでたく再就職とのことで、そのささやかな祝賀会を代官山で催すことに。ふうこの誕生会という名目もあるので、ペット可のカフェでランチをいただいたのだが、1400前に入って店を出たのは1800を過ぎていた。まあランチで4時間も粘ったのかと驚く。その後A女史にふうこの誕生日プレゼントということで、「Three Dog Bakary」でケーキとクッキーを買ってもらう。どうもありがとうございます&就職おめでとう!

 29/5/2003

 ふうこが今日で満1才になった。

 この日記ではほんの下に見えるふうことの出会いだが、家に来てからかれこれ9カ月、それなりにいろいろあったし、何よりすっかり大人になった。
本日のふうこ。最近気が向くと勝手に寝室の方に行って、真っ暗な中畳んだ布団の上で寝ている。これはリビングでくつろいでいる表情。
初日はどうも延々泣いたらしく、同居人もストレスで大泣き。こりゃえらいことになったと後悔もしたが、今さら返すわけにもいかない。泣き声は4日ほどで落ち着いたが、平日は2人とも仕事なので留守中どうしているか気が気でない(これは今でも同じ。留守中一体何をしているのだろうか)。

 人の言うことは割と素直に聞くのでアルファというわけではないが、もともとリーダーの素質があるのかその物怖じしない行動に感心したりはらはらしたり。マテは4日目で覚え、お座りは1週間でほぼ完成。フセも始めるのが遅かった割には2カ月位でマスターした。散歩をしても他の犬に吠えつくこともなく、しっぽを振って挨拶。人は大好きで公園などで座っている人の膝の上に勝手に飛び乗ったりしたものである(最近やらない)。しかしトイレの覚えは悪く、間違いなくシートの上でするようになったのは家に来て7カ月を迎えようとするあたりだった。また、階段を下りることが長い間できず、スパルタで教えようとしたら逆走して逃走したこともあった。

 そして忘れもしない家に来て6日目、テレビを見ていたら「わっ!チワワ出てる!」。それからは皆さんご存じ、あれよあれよという間にブーム到来で価格は高騰、街を歩いていても誰もが放っておかない。今でもそうだけど、まだ注射が終わって外に出始めた頃、人々の反応といえばそりゃすごかった。当時500g、今は成長して2.3kgにもなった。顔も子供の頃とは全然違う、精悍な成犬の表情である。たかだか9カ月でこんなに変わるとは思わなかった。それで、実は本当に小さい頃の写真をあまり撮っていなくて今後悔しているのである。

 2月には初めて生理が来て、家中血だらけになってしまったが、それに合わせてそれまでバクバクとフードを食っていたのにぴたりと食わないようになった。その後現在までなんとか食べさせようと四苦八苦。そのくせ散歩に出ると落ちているものを拾い食い、今月始めには朝から嘔吐を繰り返し、急いで病院に連れて行ったら大きな木のチップやらスポンジやらどうやって収まっていたのかという位のものがどんどん出てきたそうである(木はこの小型犬がこれほどの物を!ということで標本にするのか返してもらえなかった)。

 メスなのに男勝りのスケ番らしく、外でおしっこは片足上げてするし、見よう見まねで覚えたのかした後は後ろ足で「ザッザッ」と砂をかけるのである。でもおかげで健康で病気ひとつせず、絶対手を上げないという教育法に共感してくれたのか鳴き声一つあげず覚えも素早い。本当に頭がいいのだ。親バカと笑いたい向きは笑えばよい、ただ今は初めて店で会ったとき、一生懸命ケージの隙間から手を伸ばしてこちらにアピールしてきた彼女との不思議な縁を思うのである。最初っからうちに来ることが運命だったのかなあ・・・それで良かったのかね、君。

ともあれ、犬の一生は短い。ふうこが旅立つときに、この家の家族で良かった、と思ってくれるだろうかと日々迷いつつ、フードの上にカスピ海ヨーグルトをかけてやるのである。

 15/5/2003

 実はこの3月から5月にかけて、車が2度にわたってダウン。詳細は省くが修理費が結構行ってしまった。

 んなわけで、今年のゴールデンウィークは金欠。気がつけば昨年の共和国初訪問から1周年記念であるが、今年は海外など思いもよらず、近場のレジャーを企画した。まあ大体毎週末はお台場か横浜に行ってるんだけど、今回も前半はこの2カ所で、後半1発目は同居人が行きたいというので天王洲アイルで開催されているJ-WAVEのフリーマーケットへ。

哀れ、トランポに載せられ東名を行く我がレンジ
フカキョン似でむちゃくちゃ可愛かった坂本美雨女史
 私自身は現在特にラジオを聴くというわけではないが、同居人は職場でずっとかけているのだそうだ。休日は車の中はこれまたずっとJ-WAVEなので、つられてすっかり詳しくなってしまった。フリマには各番組が出店していて、ナビゲーター(J-WAVEではパーソナリティーをこう呼ぶそうです)も来ているのだそうな。同居人のお目当ては平日午前中の「BOOM TOWN」・土曜夕方「AJINOMOTO 6PM」のクリス智子女史と、平日夕方「GROOVE LINE」の秀島史香女史。行ってみたら2人とも店番をしており、一緒に写真を撮ったりサインをもらったり、予想以上の収穫であった。

 そのなかで、どうも一般店(番組関係だけでなく一般の出店者もいる)と思わしき店にいた女性、何〜んとなく一般人離れしたオーラを放っているんだけど、誰なのか思い出せない。でもこの女性、しっぽを振って寄っていった特攻隊長ことふうこを発見、抱き上げて大喜び。今は大概の女性がふうこを見れば大喜びなんだが、この方特に気に入ったようでずっと抱いて可愛がっていた。

 あとで同居人に聞いたら、坂本美雨だという。えっ教授の娘!? こりゃえらいこっちゃ!

 そして今日、何気なく会社で仕事もせずにJ-WAVEのサイトを開いたところ、坂本女史の担当する番組「Life@safari」のコーナーにふうこの姿が!!!ニューヨークで猫を4匹飼っているという彼女、ふうこのことも気に入っていただけたようである。小さくてわかりにくが、皆さんもちょっと覗いてみてください。秀島女史も番組コーナー中の週間日記でフリマについて触れており、「かわいいワンちゃんとのふれあいもあって大満足。」と書いておられるが、これってふうこのことでしょ? とにかく出会った誰もを虜にしてしまうふうこ、快進撃すぎてちょっと怖い・・・

 8/5/2003

 お久しぶりでございます。

 いやまったく、一つ下の日付を見ると中断して9カ月になろうとしているではないか。悪い癖が出たというか、一度関心が失せると何でも全てやる気をなくしてほっぽってしまうのである。いくら酔狂でやってるにしても責任があるというか、今回も掲示板にいろいろと書き込んで頂いているのに、全くレスも返さずに、しばらくするとそれがバツが悪くてさらに遠ざかってしまうという悪循環・・・今回のテレビ出演については、ここで何とかせにゃ!といういいきっかけにはなってくれたので、そう言う意味でも感謝である(ギャラも多謝!)。

 ことの起こりは昨年末、当サイトを見たという番組制作会社の人からの電話に始まる。柳京ホテルについて取り上げる企画があるので、サイトの「平壌空中散歩」にある全景写真を貸して欲しいというのだ。して媒体は?Nステだという。おいいきなりメジャーどころが来たな〜!

 しかしこの話、妙に急ぎで、担当の人は週末には写真を持ってソウルに行き、亡命した柳京ホテルの設計者に見せて話を聞くというのだ。そうは言ってもこれポジだし、四切位に伸ばすとコンビニに出して翌日というわけにもいかない。もっと早く言ってくれれば・・・担当と落ち合って挨拶もそこそこに、会社最寄りのクリエイトに持っていったが、すでに閉店直後で万事窮す! と、バイトの兄ちゃんが店内から出てきたので事情を話してなんとか潜り込んだ。かけあったところうちの店ではもう無理だが、新橋なら明日持ち込みで中1日、何とか金曜の閉店までには間に合わせますと携帯で話をつけた。本当のギリギリセーフである。あと数分遅れたらこの話すべてパー。

 その週末、偶然にも私は彼と数時間違いで成田に行き、2泊3日の台湾旧客乗り鉄旅行を堪能してきたのだが、1月中旬にはOAの予定ですと言っていたにもかかわらずまったく音沙汰なし。しばらくしたら連絡が来て、核問題が露見してそっちの方の企画が先になってしまったのだという。そうこうする内に今度はイラクが「来て」しまい、どうもお蔵入り臭くなってきた。

 もう完全に諦めかけていた3月末、突然電話があってイラクも一段落したみたいだし(戦闘はたけなわ)、そろそろやります、つきましてはインタビューを撮りたいので週末伺いますとのこと。これまたえらいこっちゃ!肝心の旅行記は完成してないし家の中は散らかり放題、まず何から手を付けたらいいのやら・・・そうは言っても仕事もあり、結局ブルドーザーのように散乱していたものを別室に追いやり掃除機をかけたのは来訪30分前。

 結局パソコンを前にしてあーだこうだと1時間半ほど、前にも書いたようにNHK「真夜中の王国」にちらっと出たこともあるんだが今回もコチコチとなってしまい皇族のようなしゃべりである。クランクアップ(?)の後、言いたいことの10分の1も言ってないし自分のしゃべりはできてないしガクー。その後サイトの柳京ホテルの絵と私がパソコンを操作しているところを舐め回すようなシーン、あとわざとらしくカメラを並べた静止ショット(一休のハッセルと現役のEOS5を並びで。本当は二休のF2を出したかったんだけど、レンズが離れた所の実家にあることに気がついて断念)などを撮り、Nステってこんな絵が出てくる企画コーナーあるっけ?ずいぶん親切にしてくれるな〜などとちょっといぶかしく思えるほどの扱いであった。

 片付けも一段落して担当氏、カメラマン氏と買ってきたケーキでお茶しながら話し込んでいると、イラクイラクって言っても、実は数字そんなに良くないんです。ところがこんな時期でも、いやこんな時期だからこそ、共和国やるとなかなかいいんですよ。やっぱり日本人は共和国が(担当氏の名誉のために念のため言っときますと彼は「北朝鮮」と言ってます)大好きなんですよね〜、なんてマスコミ界の実状を明かしてくれた。なんて話してくれるお客様を歓待すべく、ふうこがあっち行ったりこっち行ったり、座ってる膝の上に飛び乗ったり。お客が来ると大喜びで部屋中を走り回るのである。カメラが回っている時はCマンの後ろで同居人が抱いていて、本当は一緒に出演させてやりたかったのだが、諸事情により断念。

 さてGWも後半、当欄にもちょくちょく登場するレインボー宮川氏と同姓のM氏(バレバレやん!)と渋谷HMV、"Gloove Line"公開放送会場に向かうべく明治通りを走っていると、担当者氏から電話があって「明日やります」。また突然ですね〜。ただし、6日はナイターがあって恐らく2230始まりなので、コーナーは2300過ぎになるでしょう。実はテレビというのは2300を過ぎると数字がガクッと下がるのです!と告げられる。いやいやお蔵入りにならなかっただけで結構です。また、私が持っているガイドブック「朝鮮 魅力の旅」もスタジオで久米氏が手に持って説明したいのだが、現物が入手できなかったので貸して欲しいとのこと。そこまでやりますか・・・

 というわけでOA当日、昼に担当氏が会社までやって来てガイドブックを持っていったのだが、その時点では本日決行とのこと。ビデオも予約しておいたし安心だ、うんうん〜なんて言っていたら夕方になって急遽中止との連絡が。まあ今日は変則だし条件が悪いしなんてガックリしつつもホッとしてコンビニに行って帰ってきたら再度やりますとの連絡。どっちやねん! 担当氏によるとこんな風にドタバタするのは珍しいんだそうだ。通常は金曜日に翌週1週間の予定が出て、よほどの突発事態が起こらない限り(実はこれが結構起こるんだけども)そのままいくらしい。祝日とはいえ月曜に決まって翌日OAなどというのは異例中の異例らしい。GWで局もシッチャカメッチャカなんです、とも。

シャネルのような幾何学模様を見せる本日のふうこ。
 さて番組が始まったが、遅く始まる時はスポーツが前に来て。2300を過ぎてもやる気配が全くない。すでに20分を過ぎ、ひょっとしたら潰れたかな?バンザーイ!来週だ、だってあと10分ちょいでしょ、これから企画モンなんてできるわけがない・・・なんて同居人と話してたら、私の姿が画面に映し出された。

 休刊日の翌日で朝刊がないので告知が徹底できない、すでに深夜番組の領域である2330始まりなど悪条件が重なってしまったが、一番無念なのは苦労して作って局の都合で消化試合みたいなところにはめ込まれる制作会社の人だよな〜。それでもすぐに2ちゃんのテレ朝実況板に当サイトのリンクが張られ、直後30アクセス、翌日にはサイトはじまって以来の記録である50アクセスを記録した。トップにアクセスしていない人も結構いるだろうし、共和国ページにもカウンタを設置しようと思って忘れていたので実数は全くわからないが、結構なアクセスがあったものと思われる。翌日職場の人間はまったく見ていなかったが、取引先などで見ていた人がいてそこそこ噂にはなっていた。ただし、みんな「テレビに出た」ということを話題にして「あの国に行った」という事実には関心がないようだったのが意外だったが・・・

 まあこんな感じで、ぼちぼち再開していきます。

 27/8/2002

 ・・・ふう、やっと一息ついた。一時はどうなることかと思ったが、まだ気は抜けないものの仕事も何とか先が見えてきたようで、ふうこの世話も一通りやって自信もついてきた。あと先が見えないのは私生活上のトラブルだけ・・・(それがでっかいのだ)。

 18日の深夜、フェリーで本州に上陸し八戸から東北道をひた走り家に着いた我々であったが、翌日からそのまま出勤という詰め込みすぎのスケジュール。ふうこを引き取りに行かなければならないのに、私はちょっと休めず同居人が一人で学芸大学へ向かう。折しも台風接近で、名前が悪かったんじゃないか!? まさに嵐を呼ぶ女。そういえば、ドラえもんに台風の「ふー子」って話があったっけ・・・

 仕事をしつつもそっちのことばかりが気になって、何度も電話を入れてみるが、どうやら無事電車を乗り継いで家に連れ帰ってきたようだ。今日は仕事も適当に切り上げて早く帰らねば・・・家に帰ってみたら、今まで空っぽだったサークルの中に小さいのがちょこんと座っていた。昼間は随分鳴いていたらしい。夕食を食べさせて、就寝前にちょっと遊んでやる。

 さてそれからというもの、毎日が犬中心で回る生活に否が応でもならざるを得ない。1日のスケジュールは以下のように決めた。起床は0730。30分サークルから出して遊んでやる。0800朝食。これが済んだらもう構わずに、私は0908家をそっと出る。バタバタと動いている間に着替えや荷物はそっと玄関に持って行っておく。同居人が昼過ぎ仕事から一旦帰宅。自分の昼食を済ませてから1300昼ご飯。しばらく様子を見て1400に家を出る。夜は同居人が1830頃帰宅し、2000に夕食。2200頃に寝かしつけるが、当然のごとく人間はそれより遅くまで起きているため、ケージにタオルケットをかけることにした。いくらも暗くなるわけではないが、一応疑似夜状態を作り出すわけである。実践している人はあまりいなようだが、余計な物が見えなくなり気が散らずに寝られるような気がする。

 3/8/2002

 この一週間、仕事も手につかず犬の事を考えつつニタニタと勝手に桃源郷に逝ってしまっていた私であったが、先週は実は肝心なことをしてこなかったのである。そう、支払い。気が変わったらどうしようという不安があって、正直400万のレンジを買うときより慎重になった。内金を1万円振り込んでおいたので一応取り置きにはなっているが・・・今日はあいにく会社に行かなければならなかったが、昼前に出て1600過ぎに帰ってきたので大急ぎで車を走らせ学芸大学前のChoco Dogへ。またもや店のドアをギィ〜ッと開けると・・・

初公開!アタシが「ふうこ」で〜す!
 いたいた!我が娘よ。先週と同じケージに入っておもちゃとじゃれておった。顔を近づけると手を伸ばしてくる。まぁ!お手もできるようになったのか。一昨日東京一帯はすごい雷があり、犬は雷に弱いので心配していたら全然怖がらず遊んでいたそうだ。人見知りはしないし無駄吠えもしないし、他の犬とも仲良く遊んでいる。性格もいいし店でも手がかからないという。若干甘噛みのくせがあるが、これは生後2カ月では仕方ないだろう。徐々にしつけていけばいいこと。飼育の注意点をいろいろと店の人に聞きながら、両手で持って胸の上に乗せているとシャツを舐めてみたり前足でひっかいてみたり忙しい。うっひゃっひゃ、とてもこの世の物とも思えない凶悪な可愛さだ!

 まだ連れて帰れないのがなんとももどかしく、今日は早くおいとましようと思いつつ、また1時間半ほど居座ってしまった。山手通り、わんぱくチワワの隣のペットのコジマにケージを頼んであったんだった。今日持って帰らないともう連れて帰るまでに組み立てる暇がない! 慌てて店を出てコジマに着いた時には蛍の光がかかりはじめていた。

 さあこっからが大変で、家に帰って0時前から大掃除とレイアウトの変更。テレビの載っているラックを端に寄せ、ケージのスペースを捻出した。問題は電気コードの処理で、ちょうどケージの所にパソコン・周辺機器、テレビ・ビデオ、コンポとすべての電源となっているコンセントがあったために、取り回しを全面的に変更するが、机の下に潜り込んで手探りでプラグをあっちこっちやったり、限られたタップの組み合わせを考えるのも大変だ。これも可愛い娘のため・・・なんとか狭いながらも快適(と思われる)な家ができあがった。

 身の回りの品は金出せば買えるんだけど、一番大事なのは名前! 店の人にも考えたらすぐに電話してください、その名前で呼びますから、と言われていたのだ。早く自分がそういう名前(犬にしてみれば「音」でしかないが)なんだと認識できるようにするらしい。いろいろ考えてはみたのだが(「綾波」?ダメダメ!、「ジョンスク」?ダメダメ!!、「ユーラ」?それは男の名前!)・・・

 今はみんな店の人がびっくりするほどフランス語なんかで気取った名前をつけてくるのだそうだ。私もスウェーデン語か朝鮮語で何かいい意味の単語を・・・と探して見るも、両言語ともご存じの通りあまりに名前として呼ぶには不適当な発音の単語ばかりである。結局、単純な名前を好む同居人の案により、「ふうこ」と決定。みんな一生懸命辞書見ておしゃれな名前つけてるのに、何ともかんともなあ・・・まあそれでもいいか、今日からお前はふうこに決定!

 27/7/2002

 今回はお食事中の方は終わってからお読み下さい。

 ことの起こりは一冊の本である。

 和室の本棚に入れてあった、知り合いのスウェーデンのおじさんからもらった鉄道工学書の布表紙の背がぼろぼろになっているのに気がついた。確かもらったときはこんな風にはなっていなかったはずだが・・・手に取ってみると中は何ともないが、すでにページがばらけてしまうのではないかと思うほど背が薄くなっている。

 よく見ると、周囲の棚の上面に黒いごまのようなものが散らばっており、「何だこりゃ?」と不思議に思っていたのだが、ある時その謎が一気に解けてしまった。ゴキである。たまたま部屋に入って本棚を覗いてみたら、「!!!!」2匹の、しかもでかくて茶色いのがその本の背にうごめいている! まるで吐き気を催すような光景であった。慌てて古新聞を取りに玄関に戻り、叩いて見たのだが手元が狂って逃げられてしまった。

 和室は寝る部屋なので、その日以来恐怖で夜ゆっくりと寝ることもできない。あれが顔の上でも這い回っていたら・・・恐怖はピークに達した。とりあえず寝るときは冷房をフルにかけ、部屋内部を寒冷な状況におけば表には出て来るまい。しかし結局3〜4日、突然臨検をかけてみると必ず1匹はお食事中に出くわす。洋ピンってーのはそんなにうまいんか。和室に行くときは必ず新聞紙を持っていくようにしたのだが、恐怖が先に立っているためかつぶしたら大事な本に体液がぐわしゃっ!と行くのを恐れているためか一度も命中した試しがない.週末にゴキジェット(登録商標)を買ってくるとして、根本的な対策は・・・なんか異常にデカイし、何より背に筋の入ったほぼ茶色のクリーチャーが、あれは熱帯とかに生息する奴ではないのか!? 我ながら気の小ささに嫌気がさすが、奴を見なかった人に私を嗤う資格はないだろう。とにかく根本的な駆除策! バルサンか?しかしあれは家電などを厳重にシーリングしなければならないらしく、家財道具すべてに施すとなると現実的ではない。う〜ん・・・

 そうだ、猫だ! 猫は良くゴキとかを取って飼い主に見せびらかしに来るというではないか。これは名案。生まれて30ン年、生き物といえば鈴虫位しか飼ったことないが(あとゴキちゃんも)、ペットは念願ではあったのだ。もちろん、住んでいるマンションはペット禁止であるが、猫なら内緒で飼っている人は多数、てゆーか内緒の方が多いと思う。大体これは駆除マシンとしては理想的であろう。ヤッタ、ヤッタ! 同居人に早速提案。

 これまた(可愛い)生き物が好きな同居人は喜んで乗ると思いきや、犬が欲しいとのたまう。私だって犬も好きだが、今回はゴキ駆除という大義名分がある。じゃあ犬というわけにも行かない。大体同居人は柴が大好き。それはなあ・・・ちょっとうちで飼うには大きいぞ。もともとハムスター飼うのがせいぜいの広さだ。辛うじて猫。犬だったら私はラブラドールレトリバーが欲しい。しかしこれでは本題とは全く関係がなくなってしまう。喜んで飛びつくと思ったのだが・・・

 とにかく、その気になったらすぐに調べてみないと気が済まない私は早速土曜日にペットショップに。テレビでも有名なZOO、環七立正佼成会前のコジマなどで相場などをチェック。しかし、私が欲しいのはミケなのにペットショップには気取った洋猫しかいないではないか! そうか、猫はもらうものなんだな。ついでに(この時点ではまだ「ついで」)犬も見てみるが、柴も大体16万と目ん玉飛び出るような値段。ペットってそんなに高いの〜!? ラブは最初のZOOに血筋の近いゴールデンが25万というのがいたが、コジマでは両種5万弱で檻の中で可愛い顔して寝ていた。ZOOのはテレビに出たりしたタレント犬くずれみたいなので、ブランド料も入っているのだろう。結局値は手頃でも大きさから犬は断念せざるを得ないが、さりとて猫は売ってないし・・・と、手頃な住宅サイズの犬がコロコロと寝返りを打っているのを見つけた。そう、皆さんご存じのチワワである。帰ってからネットでいろいろと検索した結果、結構チワワ専門店があることが判明。なんでもマーケットがあるもんだ。てゆーか自分が知らなかっただけで、ペット市場というのは現代日本経済を支える太い柱の一つなんだろうな。それにしてもこうまで細分化しているとは・・・他にも店を回ってみたのだが、柴は吠えるし暴れるし結構大変だと言われて、同居人は結構チワワに傾いてきたようであった。

 日曜日。今日も精力的にペットショップ巡りをするべく出発。まず1軒目、中目黒の山手通り沿いにあるその名もずばり「わんぱくチワワ」。こぢんまりとした店内ながら、売り物の犬も5・6匹いていろいろ比較検討することができる。見ているそばから客が来てどんどんクレジットの支払書にサインしてゆく。一体全国で1日に何軒チワワオーナーは増えて行くのだろうか。

 話を聞いたところ今いるのはほとんど売約済みで次の入荷は8月中旬になるとのこと。特にスムースタイプの数が少なく、次の入荷の予定は現状では分からないという。人気でいえばロン毛の方があるらしいのだが、スムースは絶対数が少ないこともあり希少なのだそうな。まあその場で即決するわけにもいかないので一通り話を聞いた後礼を言って店を出る。

 次は学芸大学前(駅名の方ね)の「Choco Dog」。ここはチワワに限らず小型犬を扱う店とのことだが、目黒区鷹番一帯は道が細く路駐できる場所もないので駐車場探しに手間取り、やっとのことで店を探し当てた。ああ、あったあった・・・ん?違う?あれ?

 見たところ、店が2軒並んでいて、2人ともどう見ても奥の方がペットショップの造作だろうと思ってそちらに入ろうとしたのだが、よく見たらそちらが美容室で、美容室だろうと思っていた重厚な木製のドアのある方がペットショップだった。また凝ってるな〜。これじゃ流しの客は気がつかないしおっかなくて入れないのでは・・・ギー(ドアを開ける音)。

 店内もまたゴシック調の重々しいデザインで、これでペット屋か〜と改めて驚く。お金、かかってますね。入ってすぐ右側のケージにスムースの小さいのが入っているのが見えた。しばらく先客の陰でおとなしくしていたが、落ち着いたところでいろいろ聞いてみる。今決まっていないスムースはさっきのだという。5月29日生まれというからもうすぐ2カ月、500gと小ぶりのメスだ。まあよちよちで可愛いこと・・・

 父親はドッグショーでチャンピオンを取った血統だけあって、お値段なんと!23万。最初に柴で目ん玉飛び出た時より高いじゃん!しかしどうも、チワワというのはこれ位が相場らしいと分かってきたこともあり、何となく・・・腰が浮いてきた。いかんいかん!これはゴキ駆除マシンではないぞ! しかし同居人は抱かせてもらって既にどっから見ても購入ムードである。ただ一応我々はお盆には同居人の実家である釧路に1週間行かねばなんないので、今買うわけにはいかないんですけど・・・えっ?帰ってくるまで預かってもらえるんですか? 

居心地のいい店内で商談中
 ああだこうだと2時間近く店の人と話し込んでいたらしいが(コイン駐車場を精算したら10分100円で1100円だった)このまま手の中でコロコロ動く「娘。」に押し切られるような形で、後は言うのも野暮というか、店を出る頃にはすでにケージをどこで買うかの算段を余儀なくされていたのである。ウエ〜ン!

 結局、検討の一日のはずが即決である。まあバイクも車もいつもそうやって買ってきたのだから・・・取り立てて高いわけでもないし。だがなにせ生き物、健康に生きればあと10年以上は面倒を見なければならない。覚悟、というには大げさかも知れないが、こんなんでいいのかな? チワワは食費も1月1500円位で、手もかからず犬ビギナーには最適とはいうけど。この店に来るまでは用品など冷やかしで見ていれば良かったのだが、当面ケージと給水器、寝床やリード(首輪)など一通りを揃えなくてはいけなくなり、漫然と車を走らせ新宿駅まで来たところでまた立正佼成会前のコジマへ。渋滞に変にはまってしまってUターンもできない。なにやってんだ俺? やっとのことで店に着いたものの、こちらにはケージ類がほとんど置いていないらしくて、さっき見たときお手頃のが置いてあった中目黒わんぱくチワワ隣のコジマに行くべく山手通りを南下。同じ所を狂ったように回って、ホントに俺はなにをやってんだ・・・しかもこの店には現品はなく、空しく取り寄せの手続きをして帰ってきた。

 今家にはこれまで本屋で見たこともなかったチワワ本が散らばり、ネットでもやれ服だキャリーバッグだとその方面のサイトしか見なくなってしまった。子供ができるとこんな感じなんだろうか。しかし残念だが、我々2人は人間の子供にはここまで夢中にはなれないと知っている。当初のゴキ駆除マシンとは全く違うものが来ることになったのだが、それはそれで良いかな?

 16/7/2002

 また同居人がライブを探し出してきた。おなじみの「ママレイド・ラグ」(「マーマレード」ではないので間違えないで下さい!だそうな)を含めて4組が出演するプログラムで、目玉はなんと!今上り調子の元ちとせがゲストに入っている。まあ私はほぼそれに丸め込まれたようなもので、会社を定時にあがると山手線で渋谷に向かったのである。目指すは宇田川町のクラブクアトロ。

 台風一過でまるで蒸し風呂のような暑さだが、こういう時にひやっこい電車に乗ると気持ちいいもので、品川―恵比寿あたりは爆睡。改札を出て交差点に来ると、なんとまあ景色が変わっていること。でっかいビジョンができたり、そういえばこの交差点を渡るのも2年ぶり位か。東京に住んでいながら・・・目的地は宇田川町交番の奥なので、当然のようにセンター街を通るが、これがまた思い出すのも難しい位長いあいだ通った覚えがない。一応高校は渋谷界隈だったので、その昔は生活圏だったのだ。しかし、ガッコ出てから何度この道通ったろうか・・・恐らくマジで10年ぶり位。通りのほぼ中間あたりにでっかいHMVができていた。こんなものが!とのけぞったが、やはり長い間通ったことがないという同居人は(当然というか)知っていてバカにされてしまった。

 遠ざかる我が青春の挽歌をひそやかに歌いながら西端の十字路まで来たが、どうも腹減ってきてこのまま3時間も立ち通しだったらまずい。なんか口に入れなきゃ・・・というところで、十字路の角にマックがあるのは18年前から知っているのでハンバーガーでも食うかと立ち寄った。ノーマル1個80円というのも正直驚くのだが(180円の頃しか記憶にない)、1個じゃとても足りないので2個頼む。もうクアトロはすぐなので向こうで食べるかと店を出たが、考えてみりゃマックもハンバーガーは5年は食ってない。俺は本当に都会人なのだろうか?

 2個ぱくつきながら入口で同居人と合流、ハンバーガー最後の一口を片付けていたらママレイド・ラグのベースとドラムの2人が横を通って外に消えていった。オイオイこれから出番だよ!どこ行くんだろうか。会場に入ったら前回のロフトと比べ随分余裕のある人数で、後から入ったのに人の頭しか見えないなどということもないようだ。今回のライブはドリンクつきで2800円と安いのだが、のどが渇いて期待して行ったのにカウンターのメニューには「淡○」の2文字が! こんなところで経費を抑えてるんですか〜!! 苦い思い(と酒)をグッと飲み込んだ。壁には今回のイベントのスポンサーとおぼしきポスターが貼ってあったが、よく見ると「ぴあ」30周年記念のイベントだそうである。また随分地味ですね〜。我々のすぐ隣がDJブースで、今回は60年代GSや歌謡曲オンリーで回していた。「マリリンモンローノーリターン〜」とかやっちゃうんだもんな〜。コレ、同居人は初めて聞いたらしい。まあ私もリアルタイムで聞いたわけではないけど、ハズシ過ぎで何とも変な空間ができあがっていた。

 1900開始。ライブは予想に反しゲストのはずの元ちとせが1番で登場。結構前に押していったので彼女との距離は3mは切っていたと思う。オオ〜こんなビッグ(になりつつある)ア〜チストを間近で見られるとは。それにしてもちとせちゃん、台風で実家大丈夫だったんだろうか。おなじみの「わだつみの木」をはじめ6曲を歌ったが、やっぱむちゃくちゃうまい! なかなかいいブルースを堪能させて頂きました。ママレイドは相変わらず一言も余計なことをしゃべらない沈黙のMC(?)と、まるで虚無僧のように無表情に歌うボーカル田中氏が印象的っつーかなんつーか・・・

 その後ママレイド・ラグを除く2組はよく知らん若者で、ママレイドが3組目だったので最後は特に見る義理もなく、よっぽど帰ろうかとも思ったのだがせっかくなので見て行こうと留まった。しかし、会場はママレイドが終わった時点でかなり隙間ができるほど引いてしまい、なんかラストがかわいそうになってくる。と思ったら、このラストがタテ乗りで、絶対的な人数は確かに少ないのに盛り上がりは一番であった。私的には若干違う音なんだけど・・・終了は2200で、半蔵門線で帰ることにしてホームで待っていたら新鋭5000系が(反対方向だが)走ってきた。オ!ラッキー。最後にいいもん見たわ。

 と、こんなことをやっているので共和国への道は全然進まないのであった。現在一応祖国解放戦争勝利記念館編を鋭意執筆中。もうちょっとお待ち下さい。なにせパソコンのある居間が炎熱地獄なのです!

 6/7/2002

 知る人ぞ知る神保町の北朝鮮グッズ専門店「レインボー通商」に共和国今年最大のイベント、マスゲーム「アリラン」のビデオが入荷したというので久しぶりに行ってみた。靖国通りはいつになく空いており車もすぐ近くに停められ、狭い階段を上がるとそこはワンダーランド。共和国のあらゆる書籍やCD、ビデオ、グッズを売っている。売り物だかなんだかわからない山の中に、今回は朝鮮の脳外科解説書?を見つけた。何でこんなものがあるんだ・・・

 目指すアリランビデオは平積みで山になっていた。今回はビデオと「共和国のスカパラ」、ワンジェサン軽音楽団のアリランメインテーマのCD、またホームページ作成用に共和国の英語ガイドを購入、しめて8,060円なり。おまけなのかどうか、店主のM氏より共和国のサッカーバッジを2つもらった。購入前にビデオ現品をちゃんと映るかどうかチェック。M氏いわく「結構いい加減で時々PAL(共和国のビデオ方式。ヨーロッパなどはこのタイプ)とか混じってるからな・・・」ということでさわりだけ店内のビデオで再生してみたが、きれいに映っていた。

 その後腹が減ったというので11時過ぎに朝食を食べたにもかかわらず昼食を食べることに。「いもや」の天ぷら店で天ぷら定食600円なり。今日は夕食を共和国同行者のM氏(なぜかレインボー通商店主のM氏とそれほどありふれた名字でもないのに同姓)と食う予定なので今腹をいっぱいにするのは遅すぎなのでは・・・すでに1500過ぎ。

 今年の夏は同居人の実家、釧路まで帰るので手配をしなければならない。本当は車をフェリーに載せて帰りたかったのだが、動き出すのが遅かったせいですでに予約はいっぱい、最近の北海道は非常に厳しい情勢でこの数年複数あった首都圏―北海道航路が次々廃止され現在残ったのは大洗―苫小牧航路1つだけとなってしまい、既に代案もない。八戸まで走ってもいいのだがいずれにしても満員御礼で、飛行機は乗りたくなし残るは鉄道のみである。

 久しぶりに「北斗星道」をたしなむことになってしまった。上野と札幌を結ぶ豪華寝台列車「北斗星」の予約は、一頃のブームに比べ落ち着いてきたがお盆時などにはまだ熾烈を極める戦いに勝ち残らなければならない。少ない寝台券を巡って1月前の発売日朝10時に予約システムのキーをひらすら叩かなければならないのだ。で、学校の受験と同じで複数の旅行代理店に併願をする。本当は1月前に店に行っても「まだ売り出し前ですから・・・」と断られるのがオチだが、今カウンターに行ってみるといい。「あのー、まだ売ってないんですけど・・・」「北斗星ですね」即答である。ただしその後に続く文句は「難しいですね〜」む・む・む・・・

 さらにややこしいことに、この列車JR化の直後、まだ世の中がイケイケだった時にさみだれ式に増備を重ねたために仕様がバラバラな車が多数で、「コレ乗りたいわ〜」と思っても狙った仕様のが来るかどうか全くわからないのである。一例を挙げると、デラックスなA寝台2人個室車を狙っても国鉄時代末期に造られたのとJR北海道が1990年に改造をした最後期の車両ではそのデラックス加減が天と地ほど違い、それで料金は変わらないのだからかなわん。1両しかない造りの車もいて、えてしてそういうのが狙い目だったりするからたちが悪い。この車はJR北海道が保有しているので、同社持ちの北斗星1・2号にすれば当たる確率は2分の1かと思いきや、ピーク時のみ動く臨時の北斗星81・82号も隔日でJR東日本編成と北海道編成が交互に使用されており、結局確率は4分の1となってしまう。また、当然検査などで編成を外れることもあるので、確率は4分の1より低いことはあっても高くなることはないのだ。

 また、北斗星1・2号は個室化率は全列車中一番高いが上野発の時間が早く勤め人は早退しない限り休みを1日棒に振らなければならない、また連結されているロビーカーのロビーが半室と狭くくつろげない、遅い時間の3号は仕事を終わってからでも乗れてロビーカーも丸ごと1両で広いが個室化率が低いなどトレードオフの条件がたくさんあり、迷い出すときりがない。個室化が高いということは編成総定員が少ないということで、楽しみではなくて確実に切符を取りたい場合は3号にしたいが、さすがに出発が遅いだけあって北海道に着くのはちょっと遅すぎる、といった具合。

外食文化のない土地柄、表通りから引っ込んだ立地でいつまで持つのだろうか・・・
 とりあえず、なぜかJR九州の旅行センター、JR北海道プラザのカウンター、JTBの店と3カ所に種を蒔いてきた。これもあまり蒔きすぎると自分の予約で同士討ちになる恐れもあるが、かといってこれ以上の有効な方法もない。各予約ごとに第1希望から第3〜第4希望まで、微妙に順番を変えてある。一番の希望は発時間・着時間ともにちょうど良く、皆が敬遠する臨時列車の北斗星81号。さて、問題は乗車当日の編成がどちらの会社のものかだ。上野駅に出かけて編成を確かめた後、花を持ってきて「来る、来ない・・・」みたいに「東日本、北海道・・・」とやるか、尾久客車区か札幌運転所に電話して聞くか(良い子の皆さんは絶対にやっちゃダメ!)。いずれにしても事故や災害で運休があったらそこでおじゃんである。さて、どうなるか・・・

 夕方よりM氏と合流し、また半額サービスというので近所に新装開店した韓国料理屋に食いに行く。事前告知が効いたか我が街はじまって以来ではないかと思われるほどの行列ができていたが(まあ10人位ですけど)、粘った末40分程で何とか潜り込むことができ、今回もたらふく食って3人で5,700円也。あれ、この間の焼肉半額って先週か・・・俺は毎週半額で飯食ってるのか!

 そして前々回と同じく、M氏は結局終電に間に合わず、我が家泊。だから着替え持ってくればいいのに・・・この暑いのにネクタイ締めて。しかしこの男、来週から10日ばかり仕事を休んで韓国釜山からソウルまで自転車旅行をするそうである。この行動力・・・2カ月前に共和国行ったばかりなのに(そもそも今年の2月にも共和国に行っている。これで今年朝鮮半島3回目)。

 29/6/2002

 同居人が犬が飼いたいというので、レンタルペットなるものをちょっと調べてみた。するとそれなりにあるもんで、サイトが一番眼についた&近いという理由で、五反田の店に行って来た。時間単位で犬を借り出すことができ、お泊まりもOKということだが、大体1時間1,000円位で、1日借りれば1万円位にはなってしまう。先日柴を散歩させていただいたバイク屋に行けばただでいくらでも散歩させてもらえるのだが、用事もないのに犬だけ触らせてもらいに行くのもどうかと思うので・・・今日は店を見てきただけでシステムとか扱い方を聞いてきたが、私的には好みの品種がいないのでん〜という感じ。レンタルで和犬かゴールデンいないでしょうか。

 新聞に折り込みで入っていたのだが、近所の焼肉屋が創業20周年謝恩企画ということで半額セールをやるらしい。以前また別の焼肉屋が何をトチ狂ったか開店以来断続的にかつ延々と半額セールをやり続け、結局9カ月位で潰れてしまったことがあったが、その時も半額の時を狙ってよく食いに行ったものだ。世の中焼肉(のみ)半額とかビール1杯目ただとかいろいろサービスはあるが、勘定を終えてみると結局1人3,500円位払っている事が多い。最終的に客単価でそこそこの値を出さなければいけないので、そんなにバカ安くなるはずないのだ。ところがこの半額制度、本当にレジで出た金額を電卓で÷2してくれる。これには本当にびっくりするが、焼肉腹一杯食って2,000円行くか行かないかなのだ。こんなオイシイ話を見逃すはずもなく、各方面に電話をかけ有志を募り繰り出すが、いつもは客2組しか入っていないような店で(失礼!)行列ができる程押しかけたのだからホールも大変。1時間待ちで卓についたもののオーダーした物がなかなか出てこない。ジョッキなんか自分でやった方が早いのに・・・で、まあ味はともかく腹一杯食って今回も4人で8,300円であった。

6月29日、新宿職安通り界隈の喧噪。左は最近オープンした韓国料理屋「大使館」横の広場に設けられた大画面で応援する大観衆。雨が降っているにもかかわらず裸になっている人もいる。あちこちの店先に張り紙がしてありましたが、麻布の韓国大使館にも「日本の皆さん応援ありがとうございました」と横断幕が出ていました。仙台坂をはさんだドイツ大使館はいつも通り不気味な静けさ。

 その後2000を回ったので至近距離にある職安通りに移動。先日の準決勝に続いて韓国応援の熱狂を目の当たりにしてきた。両日とも雨にたたられなかなか快適とは言えない状況ではあったが、日本に暮らしていると日常なかなか感じることのできない「外国の匂い」を嗅ぐことができてついつい足を運んでしまう。2次会をやるつもりで行ってみたものの、試合が始まってからではどこの店も満員で早々に諦め、全員が試合をちゃんと観賞したいというので自宅に戻った。もう祭りも終わり・・・サッカー自体には興味はあまりないものの、世界中の人と交流できるお祭り感はオリンピックよりも上のような気がする。日本ももっとこういう機会が多くなるといいんですがね。あと、お隣の国は次回ぜひ南北統一チームでの参加を!(てゆーか国が統一すればOK?)

 21/6/2002

 今日は同居人が会社のパーティーとかで遅いらしいので、帰りがけに吉牛に寄って夕飯を済ませてきた。

 現在職場の隣のビルではジャニーズの学芸会をやっていて、ビルの前は夕方になると女子高生からとうの立ったお姉様までウンカのように押し寄せる女どもでいっぱい。これにダフ屋が加わり、いつもバイクを置いている場所は連日とってもデンジャラスな状況になっている。まあ傷はつけないだろうが、ゴミを置いたり、場合によっては引っかけて倒されて挙げ句に下敷きになっちゃったりするので、あまり混雑がひどいときは昼過ぎに別の所に避難させるのだが、この劇昨年12月にもひと月やっていて当時ボロバイクのシートやミラーステーには毎日必ずと言って良いほど空き缶やペットの入ったビニール袋がぶら下がっていたので、やはり見た目が高そうだと(ほんとに高いのだけど)気安くは触れないようで安心。

 まあそれはともかく、10時過ぎのビル前は恐らく「出待ち」なのだろう、夕方に増して女・女・女の洪水・・・ほぼ全員が携帯で何か必死に話している。帰るルートを全員で探しているようだ。ネズミ園もUSJも客足が落ちているというのに、W杯まっただ中の6月に上演するという恐るべき自信。先日の日本チュニジア戦・トルコ戦の時も他がまるでゴーストタウンのようになっているのにここだけは期間中変わらない女どもの喧噪があって、ちょうど外に出た私も(お前も興味ないんかい!)人間の興味の幅とはかくも広いのかとさすがにびっくりした。もちろんコイツら、携帯で試合の情報をリアルタイムでチェックしているというわけでもない。

 店に入って「特盛」と言ったつもりが、田口浩正似の店員は奥に向かって「大盛一丁!」と叫んでいる。何聞いてんだよ・・・まあいいか。体にも財布にもそっちの方が優しいか。この店員、前のOLらしき4人組にも牛丼1つ出し忘れたようだ。私の隣になんだか騒がしい兄ちゃんの2人組が座った。どうでもいいようなことを大声でしゃべくっている。なんだコイツら?ふと店の外を見ると、女子高生が大勢私の方を見ている。????????? そして女性陣の数は増える一方。店員はまた隣の兄ちゃんの1人が牛鮭定食と言ったのに牛丼を持ってきた。「あっれ〜オレ牛鮭って言ったのにな〜」などと相変わらず大声の彼らは、「なんか集まってるな〜、ヤベエ!」と言って1人が店を飛び出して行った。すぐ戻ってきたが、どうも外の女子高生どもと何か話しているようだ。

 !!こいつらジャニだ。は〜あ、女子高生は俺を見ているわけではなかったのだ!(ショック!) スマップTOKIO滝沢クン位しか知らないオヤジにはこの2人が誰なのかはまったく不明なるも、この時の牛丼屋の雰囲気はかなり異常なものがあった。だって、一面のガラス越しに女子高生が固唾を飲みながら見つめている中で牛丼食って見てくださいよ。ちなみにジャニ追っかけは規律が厳しいことでも有名で、女子高生は遠巻きに見つめるだけで決して本人には近寄ってきません。しかし・・・あれって、羨ましいような気もするけど、人生誤るよな〜・・・アッ俺が心配することないか!

 20/6/2002

 19日夜、5月の共和国ツアー参加者有志でささやかな同窓会を催した。参加者は4人。いずれも劣らぬ共和国への情熱を持ち続けている方ばかりで、後日談あり情報交換ありで最初1時間ばかりでさくっと終わらせるつもりが結局4時間。しかし、我々は幸運だったというか、普通パックツアーで帰国後会ったりする? うちの親などは当然パックオンリーで、年賀状とかは結構やりとりしているみたいだが・・・もう一回同じメンバーで共和国へ行ってみたいと思う位ベストな顔ぶれだった。

 会場は一応縁起物ということで、有楽町の韓国料理屋。今盛り上がってるぞ!と意気込んで行ってみたら、店員は全員日本人、客も普通に飲み食いしていてな〜んもおもろなかった。やはり職安通りに行った方がいいのね。大体こんな店前はなかったような気がするのだが。焼肉のない(プルコギはカセットコンロで可)韓国料理屋というのも新しいコンセプトで、なかなかおしゃれな店内なのだけど・・・記憶にないな〜。

 各自思い出話と他のメンバーに見せたい秘蔵のグッズ類開陳などに加え、私はアジアに情熱を燃やし続けているプロ(鉄道)写真家から提供を受けたQuail map社の南北朝鮮鉄道路線地図のコピーを提供、またM氏は朝鮮人民軍ダンス&コーラス楽曲集をダビングしてきてくれた。実は我々は平壌で「よど号」グループメンバーの子供達といろいろ話をしてきたのだが、M氏が記念に羊角島ホテル47階の回転展望ラウンジで撮った写真を見ながら娘3人どれがいいかとモメるうちに、みんな結構イケイケの人が1人いるので彼女がいいんじゃないの?と言うのに、M氏が一番「地味」なOメンバーの娘さんが相当気に入っていることが判明。う〜ん・・・Oさん?・・・しかも、ちょっとよりによってワケありの人・・・彼女が帰ってきたら一緒に暮らしたいらしい。う〜ん・・・式は高麗ホテルでやんのか?じゃあ司会俺が立候補するけど、行くの大変だなぁ・・・てゆーか、彼女がどう思ってるかを聞くのが先決!?

 久しぶりの楽しい会話に時の経つのも忘れ、M氏は終電アウトで我が家泊に。皆さんお疲れさんでした。半年に一回ぐらいやりましょう。

 16/6/2002

 スウェーデン負けてしまった。もともと球技には(というかほとんどのスポーツに)まったく関心がない私だが、応援する国があれば話は違う。「死のグループ」ことF組で強豪イングランドと引き分け、アルゼンチンを下したスウェーデンチームに、多くの日本人が自国チームに寄せる思いと同じくらいの応援をしてきたつもり。中堅ながら負けないサッカーで予選を突破、いよいよ決勝リーグということでどこにも出かけずにテレビで応援したのだが・・・惜しい! 最後のポロリシュート、あんなので負けていいのか!!!! ん〜、やはり優勝は遠かったか。しかし、はじめてスポーツでこんなに夢中になった。Tack sa mycket, Blagul! 

 先日、韓国の大手新聞社中央日報のサイトを見ていて、不思議なものを発見した。「北朝鮮」情報のページトップに、「アリラン祝典で南北共同宣言を紹介」との見出しで写真が掲載されているのだが、どうもどこかでみたことがあるのだ。見出しをクリックして全文に飛んでみると、ヤヤ! これはオレの写真ではないか!!

問題の写真。上記「オレの写真ではないか!」と見比べてみてください。
 北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国で4月から6月まで開催されている10万人マスゲーム、「アリラン」で、劇中に2000年6月15日の金大中大統領訪朝・南北共同宣言をテーマにしたシーンがあることが写真取材により確認された、という記事なのだが、オリジナルからトリミングされているものの、観客の頭、上空のイルミネーションの特徴的な光等どこを見ても私が「共和国への旅」に掲載しているものと同じ。ムムム、やりやがった! とりあえず中央日報にメールを送り、抗議およびクレジット表記と使用料の請求(笑)。翌日返ってきたメールには、その写真は韓国の通信社、聯合ニュースより配信を受けたもので当社ではコメントできない、聯合ニュース社に直接問い合わされたし、しかし同社は日本語環境がないので英語か韓国語しか受け付けられません、とあった。

 この野郎絶対やり逃げなんぞさせんぞ!と英文でメールを書く。しかし、北がワールドカップと並ぶ世界の大イベントと言い張る今回のマスゲーム、未だに自由に交流のできない敵国ながら韓国の大手通信社、新聞社が取材を出していないわけがない。中央日報の返事にもこちらからも取材を出しているんですから、と書いてあった。ならば、なぜ私の写真を・・・!? カメラマンがタコで全部ピントが合っていないとか露出をミスったとか、そういうことなのだろうか。大手通信社が素人の撮った写真を無断転載・配信・・・腹立てたらいいのか光栄だと喜んだらいいのか。

 やはりアジアは海賊版文化の土壌なのだろうか。抵抗感のなさといったら、我々日本人の想像を超える。しかも素人ならまだしも・・・各国に氾濫するドラえもんやドラゴンボールの版権無し海賊本、テレビなどで見ていても遠い世界の話だと思っていたら自分にふりかかってくるとは! 少額訴訟を起こすかなとも思うのだが、相手が外国だと提訴や手続きも難しかろう。さてどうしたものか。連合ニュース側からの返事はメールを送って2日目の16日現在、ない。

 29/4/2002

お台場の東京ビッグサイトで開催された「キャラフェス2002」に行ってきた。これ、何のイベントかというと、美少女ゲームの見本市&コスプレイベントなのです。なんでそんなのに行ったのかって?いえいえ、趣味ではありません!ちょっと仕事上関わりがあるものでして・・・イヤこれホントです!まあ言い訳はほどほどにして、今日はうだうだ解説しませんので、点数は少ないですがご覧下さい。

 28/4/2002

 何とか暇ができて、同居人の許しが出たので奥多摩に行って来た。この歳になると純粋自分の趣味に1日を費やすなど年に何度もない。天気もいいようだし、それでは!と出撃することにした。

 ところが、例のごとく起きたら昼前。6時起きは無理にしても8時位には出発したいところだが・・・やってしまったものは仕方がない。GWだし、帰ってくるまでずっとすり抜けで何のために遠出したのかわからないようなツーリングになるのでは・・・という危惧もあるが、今日を逃すとまた3カ月位は機会が巡ってこないだろう。とにかく出発!

 高井戸で中央道に乗りたいところだが、ガスがないのでまず給油を。そして安い店はランプの先にあるので、甲州街道をそのまま進み調布から乗ることにする。連休の中日だけあってか、都内は非常にすいており超快適。いつもはなかなか進まない甲州街道もすいすい進む。明大前の辺りのオーバーパスで早くも●kmを突破。う〜ん、パワフルじゃ!ここまで回すのは買ってから4カ月半、初めてだもんなぁ・・・

 中央道に乗ってからはさらにペースが上がり。あっという間に八王子。ここからかつて奥多摩に向かう定番ルートとして良く通った滝山街道で秋川→五日市で檜原街道へ。奥多摩には青梅線に沿って行く青梅街道ルートと、多摩川をはさんで対岸の吉野街道ルート、そして山の反対側から攻める檜原ルートがあるが、私は好みで檜原しか使わない。とはいえ、奥多摩はおろか五日市に来るのも前の前の前、CBR900RRに乗っていた頃以来なので6年ぶり位にはなる。サマーランドの入口、秋川の橋なんかすごい橋が上にかかってるし、圏央道はできてるし広いバイパスはできてるし五日市駅は新しくなってるし・・・すっかり浦島太郎である。

 車の量もボチボチだし、いい感じで流していく。大体こちらも6年ぶりのリハビリ、あまりペースを上げると危ない。ところが、奥多摩周遊道路のゲート数キロ手前、集落の真ん中で突然の大渋滞。というかバスが3台並んで停まってる。なんだなんだ?その斜め前に、前がへこんだジムニーが見えるが・・・やったか。でも何で車が進まないんだろう?

 と、そのジムニーの前に電柱が根本から折れて道をふさいでしまっているのが見えた。アチャー、やったか・・・たったそれだけのことで道は通行止め。しかし、奇跡的にその信号の脇から集落を通る旧道というか路地が伸びていて、乗用車は向こう側に抜けられるようになっていた!私も車の列に混じって初めて通る細い路地を抜け、再び本筋に戻った。やれやれ・・・しかしこの先、バスの停留所ごとに何人もの人が待っているのを見る。教えてやろうかとも思ったが、いちいち1カ所ごとに停まるのもなあ・・・イライラしながら待っていた皆さん、ごめんなさい。先を急ぎます。

 奥多摩周遊に入った。最初はさすがに6年ぶり、おっかなびっくりである。大して寝かせられないし、スピードも乗らない。とりあえず東コースの拠点、都民の森駐車場で一服。すると、ここでもバスを待つ人々の列、連休だけあって100人はいたろうか。下から上がってきた私におじさん達が声をかけてきた。「下で事故があったらしいんだけどどうなっとんの?」「電柱でござる」「直らないんかい?」「難しいでござる。クレーン持ってこなきゃなんないから数時間は無理でござる。ここから6km位なので歩けば2時間はかからないでござる」と言ったらみんなゾロゾロと歩き出した。そう行っては見たものの、2時間で着くかなあ・・・車はたくさんあるんだからヒッチハイクすればいいのに。しかし、やはり日本人は奥ゆかしいのか車に声をかける人は一人もいなかった。ここで歩き出してしまった人は残った人と明暗を分けることになる・・・

 再び走り出したが、いきなり路面に縦溝が!昔はなかったのだが、峠族対策である。これはマジで危ない。アチャーこれ全線でやられたら走ると危ないぞ・・・と思ったら、ある所とない所が交互に出てくる。仕方ない、まずはそれなりのペースで湖まで1回。見たところ大体半々のようである。KSI庁さん、良心的です!

 奥多摩周遊道路というのは、前述の通り五日市からのアプローチである檜原側(東コース)と、青梅からのアプローチである奥多摩湖側(西コース)、頂上の尾根を走る風張峠の大きく3パートに分かれる。その中で、各人お気に入りのコーナーがあってそこを重点的に走り回るのだが、どちらかというとバイクには西側が人気があって、私ももっぱらこちら側を愛用していた。湖畔の「山のふるさと村」で折り返し、大体2km位の区間を10往復。これが結構疲れるんです。でも、バイク乗らない人には何が楽しいかわからないでしょうね(私もわからん!?)。

 本当はここから湖側終点までの数キロがまたオイシイのだが、ほとんどが縦溝と化していた。残された路面には今となっては数少なくなった峠族の方々がちらほら、しかし、ほとんどが大排気量車で昔のいわゆる「小僧」は1台もいない。私が走った区間もお仲間とも言うべきホンダVTR1000Fのツイン軍団が往復していた。しばらく走ってタイヤの具合を見るが、大体端まで皮むきが完了したようだ。今日ここに来るまで、タイヤの端は2cm位が残っていた。毎日の通勤ではタイヤも暖まらないしそんなに寝かす所もない。ようやく全パーツのならしが終了したことになる。

 その後、風張峠に移動して5本をこなし、大体50kmを走行。途中で西東京バスとすれ違ったが、周遊道路にはバス路線は設定されていない。そうか、奥多摩湖側の営業所に連絡が行って、反対側から迎えに来たのだ。しかし、すでにかなりの時間が経ったとはいえ、都民の森から檜原側に歩いていった人々はどうなったのだろうか?歩いた方が良かったのか待った方が良かったのか、難しいところである。

 さすがにぐったりとなってきた。ガスも残りが少なくなり、再び檜原経由で帰還。帰るときには電柱は撤去されていた。五日市までは道はすいていたが、八王子までの滝山街道は恐ろしいほどの大渋滞であった。全部すり抜けで速攻八王子インターへ。高速もすいており、19時過ぎには帰ってきた。

 自分では6年のブランクを感じさせない走りだと思っているのだが、果たしてどんなもんでしょう。一応デジカメは持っていったのだが、1人であるので当然写真は全くなし。サイトにツーリング記を書くのはこれが課題なんだよな〜。

 20/4/2002

 バイクのならしが終わった。結局どこにも行かず会社と家の往復だけで1000km。この往復が14kmなので71回行き来したことになる。まあ納車日に第三京浜で横浜まで行ったので60往復位だと思うが・・・今までは雨の日でもマシンを甘やかさずに乗っていったのだが、TLは一応朝の予報で降りそうだったら電車で行くようにしている。これがどうにも苦痛なので、いつまで続くやらと思っていたが、ピッカピカの黄色いTLを見るとまあしゃあないかなと思ってしまう。オーナーバカですね。

 さて、点検&オイル交換ということで購入以来イイヤマさんへ。同居人も一緒に行くというので初めてシートカウルを外し座布団をつけたが、メットが今ロード1つとオフ用1つしかないのでどちらがどちらをかぶるかで一悶着。こんなマシンでオフ用は恥ずかしいです!ってことで行きは私がオン用をかぶる。通勤経路以外の道を通るのは久しぶりである。

 店に到着後早速作業に取りかかるが、この店には犬が2匹いて、いつも客に愛想をふりまいている(たまに吠えて飛びかかってくることもある)。大きい柴はあまり愛想が良くなく、ミニ柴は触ってやるとコロンと腹を見せる。「どっか散歩に連れてってやったら?」というので、喜んで引き受けて外に飛び出した。

 なじみのにミニ柴の方をお借りして店を出たのだが、10mも進まないうちに道端の雑草をくんくんし始め、全く動かなくなってしまった!引っぱっても次の雑草でまたくんくん・・・そして草を食べだした!店から見ていた社長も苦笑い。よっぽど普段食べさせてもらってないのか!?ダメだコリャってことで犬チェンジ。今度はおっかない柴の方を連れて出動。

 コイツは外面はいいんだよね、ということで、確かに店内ではふてくされたような物腰だが店を出ると知らない人間が手綱を引っぱっているのに気にもせずにさっさか進む。他の犬と出会うとミニ柴の方はケンカになるがこちらはそういうことはしないのだという。事実、店から50mの所で犬に出会ったが、一方的に吠えられてそこから引き返した。

 そんなこんなで一度店に戻って肝心のバイクの方を見に行ったのだが、点検終了後もう一回行くか?ということで再び柴を連れて店を出る。今度はちょっと先の方にある公園へ連れてってやってくれということで、犬に任せてどんどん進む。

 そういえば、われわれ2人とも犬の散歩はもちろん手綱を握るのも初めての経験だが、なりは人間の子供ほどしかないのに正直こんなに力が強いのかと驚いた。しかし、犬ぞりを牽くくらいだからこの位力強くて当然なのだろう。ものすごい勢いで引っぱられて行くが、普段こんなに走ったことのない運動不足の身にはかなりハードな運動である。思った通り、翌日からしばらくは体のふしぶしが痛くなってきた。

柴激走! 点検&オイル交換後のTL号と並んで1枚
 毎日朝30分、夜40分〜1時間散歩させるとのことだが、大変だなぁと思う反面犬を飼えば成人病とはおさらばできるのではないかと思う。実際好きだし飼ってみたいのだが、マンション暮らしで動物を飼えるはずもなく、またちょくちょく旅行にも行けないだろう。どうしても触れ合いたくなったらここに来るか!

 公園では植え込みの奥深くに入り込むなどの謎の行動も見られたが、後半はおとなしくなってきてベンチに座って一服しても落ち着いて待っていた。帰りはトコトコ歩きで店まで戻ってきたが、思いがけず散歩に出て満足したのかすぐに出てきた昼飯をうまそうに食べていた。そして帰りがけ、いったん店を出て鍵を忘れたことに気がついて店内に戻ると猛烈な勢いで吠えて飛び出してきた。おいおいさっき散歩させてやったのもう忘れたのかよ?

 そんなこんなで、走行1166kmでバイクの慣らしは無事終了。早速4000から先、未知の領域にスロットルを開けてみるが、確かにパワフルでやっと自分がレプリカを買ったことを自覚できた。今までダラダラ走ってただけだもんなあ・・・しかし、これを本当に楽しむことができる奥多摩や箱根は、今の私には遙かに遠いのです(涙)。

 13/4/2002

 4月8日にアイルランド海軍の沿岸警備艦“ニーヴ”L.E.Niamhが来日、晴海埠頭で公開された。本日は昨年11月に日本を出航した南極観測船「しらせ」が帰国、また近々日本を出発する海上自衛隊平成14年度遠洋航海を控えた練習艦隊3隻が例年のように晴海で停泊中とあって岸壁はとっても華やか・ シーズン・インという事で気合いを入れて0800起床で出撃! 用事以外で土日こんなに早い時間に起きたのはこれまた何年ぶりだろう? 0930入港予定の「しらせ」を船客待合所3階外デッキで迎え撃つ。ゆっくりとレインボーブリッジをくぐって現れる「しらせ」には、登舷礼の乗員が並ぶ。う〜ん、空気も気持ちいいし早起きは三文の得!

ベイエリアをバックにしずしずと入港する「しらせ」半年ぶりの帰還です。
「しらせ」はご存じ南極観測船だが、船籍としては防衛庁所属となっており、運用・操艦は海上自衛隊が行い、予算は文部科学省より支出されるという特殊な船である。例年11月上旬に日本を出発、南極の夏に合わせて物資補給・観測隊の人員輸送を行い4月に帰ってくる。昨年までは民間人である観測隊員も日本まで乗艦して帰ってきたのだが、今年からシドニーで先に降りてしまうようになったとか。

 フネが通り過ぎたら、ダッシュでHI00Cバースへ急ぐ。そこは半年後の再開を待つ乗組員の家族でごった返していた。これがなかなか感動の雰囲気で泣けるんだな。接舷、ラッタルが降ろされると待ち兼ねた家族が艦内に殺到。これ、実は部外者でも乗れるのです。戦闘艦ではないが、一応自衛艦籍にあるフネながら、セキュリティはどうなっとんの?艦内の生活区画にもどんどん入っていける。まあおめでたい日なので、野暮なこと言いっこなしってことですかね。

続々と荷下ろしされる物資はこの専用の段ボール箱に入れられている。可愛いので1枚。
 護衛艦のそれとは比べ物にならない広〜い艦橋でマターリとし、答礼&訓辞に訪れた海上幕僚長を上から見下ろすという不遜な行為に恐縮しつつ、食事のために一度退艦&帰宅。当初すぐ帰って家にしばらくいるつもりだったが、思いの外時間を食ったためターンアラウンド20分位で再出撃。何で一日に2度同じ事をせにゃならんのか・・・と思いつつ、有楽町のビックカメラでフィルムを購入し、今度は“ニーヴ”へ。

 2001年7月就役の最新鋭艦は2月11日母港のCorkを出航しアジアツアーの真っ最中で、前港は韓国の仁川、折り返し地点の東京を15日に出航し次はマレーシアのペナンとのこと。数日前の朝日新聞に記事が出ていたせいか恐ろしい行列ができていて、その中の大部分が新聞の切り抜きを持っていた。そんなに軍艦なんて見たいですかね〜。それでも20分位で乗艦できた。大きなフネならどんどん乗れるが、なにせ排水量1,500トンのコルベット、入れ物が小さいしコースも短いので一度に入れない。入ってもブリッジを通って前甲板で終わり。まあこんなもんかなあ・・・最近の来航艦は見せるスペースが少ないような気がするんだが、各国海軍の皆さん、爆弾とか持ち込んだりしないからもっと奥まで見せて!(オレが持ち込まなくても誰かがやんのか。)

 夜、CDを買い出しに新宿のタワーレコードへ。昨日の余韻さめやらぬ我々は同居人がゲントウキ、私はフェイ・ウォンと迷ったのだがキンモクセイと何と!気志團をチョイス。気志團いいっすね〜!自分でも驚いてしまうがかなりグッと来るサウンドだと思うが皆さんいかが?ぜひライブに行きたいです。

 そして、今買ったCDを聞きながら復活に向けて作業を進めています。

 12/4/2002

 長いこと更新を休んでしまった。直接の原因は風邪。これで正月以来のネット生活リズムが狂ってしまった。言い訳になってしまうが、その後ちょっと仕事が立て込んでしまい、もともと2つの事を一緒にできないタチなので、ちょっとした暇があっても更新がおっくうになってしまいそのままズルズルと・・・何だかんだで1月半。定期的に訪れていただいた方には大変申し訳ないことをしました。自分でアクセスしない日も結構あって、カウンタが900代後半になっているのを見て驚いた。気が付いたら1000超えてる!普通なら大々的にキリ番プレゼントとかやるのに、主不在のままするっと通過してしまっていた。あ、ここで告知。カウンタ1000番ゲットの方、一応プレゼント用意していますので(鉄道関連なのでその方面の趣味の方だったら)ご連絡下さい。

 最近同居人が「ママレイド・ラグ」というバンドに凝っていて、ここ1月でオンストアライブを2回も見ている。客は若い女ばかりなのだが、なぜか私もほぼ最前列で見ることに。もうCDも買わなくなって何年もたつ。レコード屋(って言うのか今でも?)に入るのも久しぶりであるが、最近は視聴CDも豊富にあるからついつい長居になってしまう。

 そして12日はついにママラグライブに行くことに。同居人はいわゆる「コンサート」の類には行ったことがないらしく、お気に入りのバンドなこともあり相当舞い上がっている。私はその昔今は無き日清パワステによく行っていたが(歳がバレる〜)・・・今回のハコは新宿ロフト。明らかにオッサンには場違いな場所と出演バンドである。ちなみに出演は・・・

 初恋の嵐(ボーカル心不全で急逝のため今回ゲスト多数をボーカルに迎えラストライブ)

 ゲントウキ(俺的にはかなりキツイ楽曲だが同居人はそれなりに気に入っている模様)

 ママレイド・ラグ

 キンモクセイ(これははっきり言って好み!「二人のアカボシ」しか聞いたことないが)

 初恋の嵐、「フレンズ」が6人位やってきてかわるがわる歌うのだが、そのうちの一人に何とそこそこ売れてる堂島孝平が。彼はCDも持ってるし、こんな所で本人を見るとは思わなんだ。キンモクセイも同じく、ラジオで「二人のアカボシ」が結構好みなので気になってはいたのだが、まさかこれも本物を見るとは・・・30過ぎのオッサンが。まあ会場は薄暗いからわかんないですけどね。キンモクセイはMCも面白くてやるじゃんコイツらと感心してしまいました。

 27/2/2002

 金曜に会社で延々と打ち込みをやっていると、どうも気分が悪い。モニタを見続けているとある程度は仕方ないので、いつもの事かと気にも留めなかった。が、家に帰って風呂に入ったら熱湯のように熱くしてもまだ寒い。これは来たかな・・・と悪い予感の通り、土曜に起きたら熱がある。測ってみたら39.8度。私の風邪スタンダードは熱咳くしゃみは一切なく、ひたすら吐き気でのたうち回るという症状なので(子供の頃ドラえもんでよく描かれた「典型的な風邪の症状の絵」を見てどうして自分はこれを体験しないのか不思議だった)、吐き気のない今回はそれだけで楽。しかし仕事の先行きが暗く、あまり休んでもいられないので病院に行くことに(普段は病院は嫌いだし風邪だったら立つことはおろか上半身を起こすこともままならないので家で寝ています)。

 土曜20時過ぎに救急外来に行ったら、廊下の長椅子にびっしり!20人位はいたろうか。こちらもホイホイと病院まで歩いてきたくらいだから、余裕で本など読みながら順番待ち。しかし結局呼ばれるまで1時間はかかったろうか。挙げ句診断はさらっと話を聞いて「風邪ですね」と飲み薬2種類をもらって4800円也。保険証を会社に置きっぱなしにしてあるので全額取られる。同居人が1人で地下の時間外薬局に受け取りに行ったが、なんか古くさくて怖い・・・やっぱり一緒についてきてほしかったと言っていた。昔からその「白い巨塔」を見慣れている私にはあまりそういう想像力は湧かないのだが・・・まあいろいろ逸話のある病院なんですけどね。由緒ある所ですから。

 明けて日曜。食欲は衰えず、朝は同居人にコンビニに走ってもらい「スタミナ焼肉弁当」みたいのとたこ焼き、おでん8品位、さらにプリンやらアイスやらいちごやら・・・自分でも驚くほど食った。どうなってるんだ?いつもはもう吐き気で吐き気で吐き気で・・・ずっと洗面器を手放せない(すいません)のに。普通の風邪ではない?これがインフルエンザというものなのか?同居人は病院でそれを聞いてこいとしつこく私に念を押したのだが、ボケボケな私は(普段からです)そんなこと聞くことも忘れてしまっていたのだ。インフルエンザの場合、発症2日目までにワクチンを打たない限り直すことはできないそうで、すでに日曜の段階では手遅れだし・・・

 結局月曜は会社を休む。この辺りが一番きつかった。食欲もだんだん落ちてきて、布団で寝ていると次々と幻覚が襲ってくる。2時間位ごとに目を覚まして、汗でびしょびしょになった寝間着を着替える。同居人には非常に迷惑をかけたがこのサイクルを10回位繰り返したと思う。ひたすら洗濯して布団乾燥機をかけて・・・昼前にもう一回病院に行き、今度こそインフルエンザかどうか確認してこい!と同居人に念を押されて診察室に入ったのだが、判定するためのキットを使用して結果が出るまで約1時間お待ちいただきます、しかも発症2日目までに対処をしていないですから、今インフルエンザであることがわかっても何にもなりませんよ、結論としては薬飲んで1週間位寝てなさい、と諭されたような丸め込まれたような・・・どのみち土曜夜の救急外来の当直医じゃ判定キット持ってないから、とも言われた。

 結局、1日半会社を休んだのだが、会社に行ってみたら同僚1人と会社に出入りする人間1人も寝込んでいた。一体感染源は誰だ!?ちきしょう。その週はずっと調子が悪く(仕事の時は基本的に調子悪いのですが)、本格的に回復したのは翌週に入ってから。いや〜、参りました。

 何年かぶりに入った病院の、混雑した外来廊下の光景にショックを受け、久しぶりに本棚でほこりをかぶっていた小松左京「復活の日」を読む。手に取ったの20年ぶり位かなあ。見事に黄ばんでますが、私これがトラウマでして、あの長椅子に辛そうに座っている人々を見るのがホントに怖かったです。この小説につきましてはまた機会を改めて書きます。

 11/2/2002

 年末に買ったバイク、慣らしがまったく終わらない。あっ、バイクや車に乗らない方のために説明しときますと、エンジン系の乗り物はあんまりブン回さない慣らし運転が必要で、バイクだと大体1000km位とされてます。この間はトロトロ運転を余儀なくされ、乗っていてもまったく楽しくない。毎日通勤で14kmずつ距離は伸びて行くのだが、そもそも慣らしでこういった短距離を走って止まってと言うのが一番良くない!伊豆か房総に2回でも行けば終わりなので何とかしたいのだが、何せ寒くて!

というわけで、本来今日は久々のツーリングレポートを書くはずだったのが、いつも通りのダラダラ日記となってしまった。久しぶりにまとまった時間ができたので、アダルトのようで何とかしたかったトップを全面的に更新。

 欧鐵ページは以前から地図をトップに配置しようと思い、素材を探していたのだが、フリー素材のサイトを見てもなかなか思った通りのヨーロッパのアップが見つからない。地図系のサイトもあたったのだが・・・それなら書くか!と思い立つものの、なにせ西ヨーロッパ全部をトレースするとなると気も進まず。しかし他に妙案もなく、見通しもないまま作業に突入したが、20時頃から始め予想より早く作業が進み、0時頃には国境も入れて一通り終わってしまった。ヲヲ、早い!しかもかなり正確。この素材お使いになりたい方はご一報下さい。ライセンス料は昼飯位で。

 5/2/2002

 今BSの「真夜中の王国」を見ている。この番組、先日わたくしもひょんなことから出演させて頂きまして、そのあまりにヤバイ映りに腰を抜かしたといういわく付きのNHK的カルチャープログラム(それとこれとは関係ないのでは?)なのだが、今日のゲストは久宝留理子さんっ! いや偶然ついてただけなんだが、昔結構好きでした! 10年前位のプロモが映ってさあ!テレビに「ずい」と寄ったものの、あれ・・・ちょっとお年を召しましたかね・・・てゆーか違う人?茶髪でロングって全然久宝さんじゃない!(ちょっとGlobeに似てる気もする)去年結婚されて今ミュージカルに出てるそうですが、う〜ん・・・さらば、青き日々の思ひ出。昔可愛かったんだよなあ、「いまっす・ぐ・に会いたいっ!のに〜」と白いスカートをヒラヒラさせて・・・あと、あと!(もう夜遅いのでやめさせていただきます)

 29/1/2002

 仕事で青森に行って来た。最近朝一の飛行機がプレッシャーでいやなので、夜行があるところは夜行で行くようにしている。だって羽田8時の飛行機なんて5時前起きとかだもんね。そんなのやってられないっすよ。ということで、上野2223発の「はくつる」に決定。奥羽線回り(日本海側に出て秋田を回る)の「あけぼの」もあるが、着時刻が若干遅く、現場に早めに着きたいので。夜行で朝うだうだするの結構好きなんだが・・・しかーし!前日「明日行きますから」と向こうの偉い人に聞いたら、「今日東北線止まってるんだよね〜」とのこと。えらいこっちゃ、這ってでも行かねば!日本海側はそうでもないらしいので「あけぼの」にも乗れるよう家を早く出、上野に行ってみたが「はくつる」動いてますよ、と言われ一件落着。

さびちい車内 うにじゃ〜!! うに!! プッチンプリンの醤油和えではありません
牽引機はJR東日本青森運転所青森東派出のEF81 137

 開放寝台に乗ったのも何年ぶりだろうか、上段で「東電OL」の後編を読みながらも夜は更けていく。なかなか寝付かれず、須賀川あたりまで覚えているが、その後もうつらうつらで朝になってしまった。まあ寝台なんてこんなもんだよな・・・起きたら一面真っ白け!しかし話に聞いていた前日とはうって変わっての晴天!まず腹ごしらえをするべく駅前の「長内食堂」へ。ここは青森に来るといつも立ち寄る店で、うに丼をはじめイクラ丼など海鮮が多数。朝っぱらからうに丼2,000円也を食う。いや=幸せ幸せ。なんか仕事どうでも良くなっちゃったなあ・・・

蛸の731(部隊)
 駅からタクシーで現場に向かう。タクシーの運ちゃんの話では前日がこの冬一番凄かったとのこと。市内の積雪は見たところ30cm位か。仕事の内容は割愛しますが、四つん這いになってみたり雪の上にうつぶせになってみたり(ヌードの撮影?)終わってみるとぐったり。固い地面と思ってずんずん歩いて行くと踏み抜いて膝上まで入ってしまう。市内で遭難か? そんなこんなで午前中位で終わると思ってたんだが、結局15時過ぎまでかかってしまった。帰りは1654のスーパーはつかりなので、大して余裕もなく駅前をぶらついただけ。青森に来たのは4年ぶり位だが(しかもその時は素通り)駅の辺り寂しくなりましたねえ。駅の中も寂しいけど。しかし、駅前に大きなデパートのような建物ができて、地下には駅前市場がそっくり移っていたのにはびっくりした。一層上で若い女向けの服売ってるのにその下はこれ。すごいギャップです。

 帰りの車中では爆睡。空が真っ黒になって、また大雪が降りそうな感じだが、出張日だけ晴れて良かった良かった。盛岡では定番!駅前の盛楼閣で冷麺を食う。盛岡着1906で接続の最終「やまびこ」は2000発。54分で食わなければ!そこで裏技を。列車が好摩の辺りに来たら携帯で冷麺2丁!と注文しておくのだ。店に着いた瞬間にサッと冷麺が出てくる算段である。腹はいっぱいになったが、食費ばかりが嵩む出張に多少疑問を感じつつ、「こまち」がベタ遅れで巻き添えを食った「やまびこ」の客となったことである。

 20/1/2002

 今日は昼過ぎに起き、高田馬場のインド料理レストラン「マラバール」にて朝昼食。ここ数年土日はここへ行くことが多いが、最近神田「ボンディ」の回数が追い上げてきていい勝負となっている。どちらもうまい。何かオレ東京カレー番長みたい。特にカレー好きというわけではないのですが・・・しかし「マラバール」のチキンカレー、最近行くたびに辛くなっていくような気がする。今日なんかすでに色が真っ赤!ヒーヒー言いながら食す。ナンで口の中をうすめるようにしているのでついおかわりが進む(ここのナンは食べ放題)。

 馬場の芳林堂で佐野眞一の「東電OL殺人事件」を購入。この後も引き続き暇がないので少しでも稼ごうと北青山の某カフェに移動。小1時間ほど夢中になって読んでしまった。これ、前から読みたいと思いつつ忘れていたのだが、この度続編が平積みになっていたので思い出して購入した次第。こう言ってはなんだが導入部だけでも非常に面白い。また感想レポートします。

 夕方大久保駅に行く途中、新大久保でディフェンダーの110(うちのレンジと同じランドローバー社の本格オフローダー。かいつまんで言うとイギリス製のジープ)を発見。あまりにかっこいいのでついしげしげと眺めてしまうが、何と乗っているのは極楽の山本。なにしてんだこんな所で?風俗か〜?その後大久保で待ち合わせをしていたら、女を助手席に乗せて走り去って行くディフェンダーの姿があった。ブタもやるなぁ。

 そんなこんなで新ページアップは週末では実現せず。もうちょっとお待ち下さい。

 17/1/2002

 やっと自己紹介をアップしました。結構いろいろ考えたのですが、笑わないで下さいっつ!キザに作ったようですけど、一応外国の方も読めるようにとの配慮なのです。日本語で書かないとニュアンスが伝わらない事も多々あるのですが、誰もわしの人となりなんか聞きたかないか・・・ということで。写真は良いでしょ?

 9/1/2002

 うちの親は2日から今日までスペインに行っていた。あちらは治安があまり良くないので注意はしておいたが、特に何事もなかったようだ。ただ、行く先行く先でそればっかり口を酸っぱく注意され閉口したとのこと。まあ安心させておいて物取られるよりいいじゃん。そもそもツアーで行く人には無防備、というか非常識の域に達している人も多いですからね・・・
Spanish Ham Euro!
 さて、お土産を見たらうまかったからと言う生ハム。これって検疫に引っかかるんじゃないの? 知らないで買って後でガイドに教えられ たが、捨てるのも何だしそのまま持って来てしまったのだそうだ。普段はなんてことない真空パックのハムだが、今は興味津々です。ホラ、あれが!

 そう、値札がユーロなのです! 566ペセタ、3.4ユーロ! どこもかしこもレジに行列ができて大変だったらしい。1ペセタは約0.7円(ちょっと前のレート)、つまりこれは約380円位。1ユーロは昨日の相場が118.22円。つまり402円?あれ、少しずれてる。大晦日のペセタのレートご存じの方いたら教えて下さい。

 しかし、これは便利ですねとうらやましい反面、これで各国の伝統ある通貨もその歴史を終えるかと思うと日頃縁もないくせに寂しいものがある。我々アジアの民もいつか1エイジアとかいうお金をウラジオストクでもジャカルタでも使えるようになる日が来るのだろうか。

 8/1/2002

 珍しく2日連続の更新です。

 今日、毎日の夕刊を見てびっくり! 森下裕美さんが連載マンガ書いてる。今日が4回目らしい。タッチが今までの新聞マンガと全く違うのがものすごく違和感。これで少しは若い読者が増える!?

 実はうち夕刊とってないのですが、週のうち半分位は入っている事が多い(自宅でとっているのは朝日)。最初朝夕刊ともにとっていたのだが、とにかく読む時間がなくしばらくして朝刊のみに切り替えたのだ。現金書留の配達と違って新聞なんて1日に10通位の誤差はなんでもないのだろう。わしは密かに「ESSE」とかに「賢い主婦の節約法!」なんて特集で朝夕刊セットでとって夕刊だけすぐにやめるウラ技が載るのではないかと思っておるのだが・・・

 7/1/2002

 仮仮開設以来、一度も更新したことのなかった日記、とりあえずアップ作業が一段落したこともあり書き加えてみることにした。

 ここまでひたすらスキャン&入力をしてきたが、まだまだやりたいことが山のようにあって、幸いプロバイダの容量がでかいのでどんどん付け加えることはできるが時間がない。今日から通常の仕事に戻ってしまい、これから1年間は土日での作業を強いられる。ってみんなそうやってるので、自分だけできないこともないんだろうけど。

 しかし、冷静になってBlueforceサイドのトップを見ると、色使いが何かに似てる・・・何だろう? しばらく考えたが、あれだ、アダルトだ! 黒と青と黄色の色使いが、毒々しくてあのどんどんウィンドウが開いてしまうアレにそっくり(何でそんなこと知っとるの?)。ちょっと考えちゃいます。

 閑話休題

 今朝、新聞を広げて見ると我が目を疑うような事故の記事が目に入った。東邦航空(トーホーエアーレスキュー)の篠原秋彦さんが事故死したという。篠原さんは北アルプスでヘリを使った山岳救助をやっている人で、本も出したほど山の世界では有名。高々度では非常に難しいヘリを自由に操り何人もの遭難者を助けてきた。しかしその恐ろしさは有名で、私の友人は仕事でつきあいがあったようだが彼を極度に恐れていた。一度穂高町の篠原さんの家を見たいと友人の車で近くまで行ったことがあったが、顔を合わせたらヤバイからとおびえる友人はそれほど大げさでもなかったと思う。

 遭難者にも厳しく、亡くなった人に申し訳ないが助かった人に鉄拳が飛んだり(もたもたするな!という意味で)、なかなかの逸話を耳にしたことがある。ホーラもう大丈夫だよ、よく頑張ったなあ、なんて本当の遭難にはないらしい(少なくとも篠原さんには)。

 しかしそれも、生きるか死ぬかの綱渡りをシーズンになると、いや冬の方が多いか、じゃあ毎年か、やっていた人が遭難者と自分を守るための行為だったんだろうなあ・・・と。歩けるんならとっとと立て! 一刻も早くここから、この危険から立ち去るために、篠原さんは鬼になっていたのか。単にハイキング気分でお手軽に冬山に来る奴ら(もちろん不可抗力の真面目な方々もいるとは思いますが)を腹立たしく思っていただけなのかも知れない。しかし、いずれにしても常人にはできる事ではない・・・仕事に厳しい人の究極を見る思いだ。お会いしたことはなかったが、ならば一層、人って簡単に死ぬんだ、神様のような人がヒロイックな逸話など残さずに、と痛感。残された奥さんとお子さんの事を思うと、胸が詰まる。

 とにかく、冥福をお祈りします。

 15/11/2001

 2001年11月10日、同居人の誕生日プレゼントにと懸案のホームページ制作にとりかかる。夏の終わり位からそういう話にはなっていたのだが、仕事のこともあり何もせず日々は過ぎて行き、結局約束の当日になってしまった。

11日の夕方になり、買ったままにしておいたHTMLで作るガイドを片手に自宅マックに取りかかる。当初どうなることかと思ったが、何とか3〜4時間で一通りのものができてしまった。その後数日、出来合いのデジカメ写真などを入れてみたり、いろいろといじくり倒して一通りの基本は押さえたが、どうにもタグを直接入力というのは味気ないし複雑なものを作るには不向きだ。結局HP作成ソフトを入手せねばという結論になり、15日Go Liveを導入。
 一日中会社で仕事もせず、度々のフリーズに切れそうになりながらも、何とか本格的なものの骨格が出来上がったのが夜。これを自宅に持ち帰り、早速アップロードすることにより、習作とも言うべき初代サイトは検索エンジンにも引っかからないため世界中の誰の目にも触れることなく、その使命を終えることとなったのである(しかし基本的なデザインは流用)。

 まだ始まったばかりで方向性も定まっていないが、とりあえずメインテーマのお弁当の写真を中心にどっか珍しいとこ行った記録、フネはじめ飛行機鉄道バイク車の写真などを随時掲載していく予定なので乞うご期待。