
デンマークとスウェーデンの間には細いながらも内海のバルト海に通ずる国際海峡、Oresund(オアスン)海峡があります。こちらも2000年7月に橋が架かり現在では車両航送は見ることができません。1994年に撮影された、今となっては貴重な記録をご覧下さい。
なお、Oresundの綴りの頭の「O」はウムラウト(上に2つ点がつく)ですが、ネット環境では化ける可能性が高いため通常のoで表記します。
Part3 Sweden Oresund links&Sasnitz Express編
両国間の車両航送が行われていたのはデンマーク側Helsingor(ヘルシンオア―エルシノアとも表記する)―スウェーデン側Helsingborg(ヘルシンボリ)間。ヘルシンオアはコペンハーゲンから列車で北に約40分、「ハムレット」の舞台となったクロンボー城(駅の建物のすぐ後ろ)がある郊外の街です。ここはシェラン島のほぼ北東端にあたる場所ですが、スウェーデンとのオアスン(一般的にはオーレスン、エアスン、オーレズンド海峡と表記することが多いが発音は「オアスン」が原語に一番近い)海峡の最狭部に面し写真で右側に位置するフェリーターミナルから国際連絡のフェリーが発着しています。ホームに留置中なのはインバータ制御のEA3000形が牽引する普通列車。同形は22両が製造されたデンマークでは数少ないELで、制御客車が普及しているデンマークではプッシュプル運転を行うのが通例となっています。
![]() |
![]() |
||||
| 桟橋から見た出航するフェリー。向こう側にはヘルシンボリ市街が見えています。一番近いところでは3km程度ですが、これで国際海峡なのです。日露戦争の時にはバルト海からここを通って日本に向かうバルチック艦隊を両側から皆で見送ったという話が伝わっています。 | |||||
| 何と本線機が直接引き出すこともあります!"Aurora Af Helsingborg"で運ばれてきた航送列車を迎えに来たのはインバータ制御の電気式ディーゼル機関車、ME1500形。軸配置C-C、出力2,270kWの同形は非電化区間の多い(多かった)デンマーク国内でIC牽引をはじめとして各種列車牽引に現在でも活躍していますが、電化の進捗とIC3の台頭で一頃ほどは見なくなったようです。何よりデザインが・・・上のEA3000形もほぼ同じというなげやりさ、ちょっとフランス風ですがマンガに出てくる機関車みたい・・・でも、出力といい顔といい日本のDF200と似ていますね。ってことは・・・(以下自粛) | |||||
![]() |
![]() |
|||
| こちらはDSBの入換機が迎えに来た例。見た目にかなりオンボロでしたが、元気にちょこまかと動き回っていました。1両目の茶色いSJの客車も懐かしいですね。94年当時は結構見かけたものですが、最近さすがになくなってしまいました。 | ||||
ヘルシンオア駅構内に向かう直通列車。上の駅ホームの写真の右端、カーブしている線路です。右に見えているのはフェリーターミナルも兼ねている駅舎で徒歩の旅客は上のブリッジを通って船に乗降します。車両航送はなくなってもフェリーは現在も運行中ですので、今も駅はフェリー客で賑わっています。上の写真の通りこの線路は直接ホームにつながっていませんので、航送車両は一度駅の先まで行き、引き返してホームに据え付けられます。航送は2両程度の単位が多く必ず(ほとんど?)ホームで待っている列車に併結されるので、そのまま行ってしまう例はないようです。
![]() |
|||
| 車両甲板はこんな感じです。ストアベルトのフェリーに比べると、恐らく数社が路線を開設していたであろうストアベルトは車の航送は別に専業の会社があったのでしょうが、ヘルシンオア―ヘルシンボリ間の航路はこれ1路線のみですので車もガンガン乗ってきますが、夜も遅かったので台数は少なかったようです。 | |||
![]() |
|||
| この写真はコペンハーゲンからストックホルムに夜行列車で向かった際の撮影で、3月中旬でしたが外は猛吹雪(白く写っているのは雪です)、デッキに出ているバカ者など誰もいません。上の船室内でくつろぐ人々がうらやましい(って自分も行けばいいのに)。最後部の車両は「SJ EXPRESS」の文字が書かれた郵便・荷物車F24K/F33形。以前は長距離列車には必ず連結されていましたが最近はあまり見かけなくなりました。 | |||
これが管理人が乗った寝台車(だと思う)WL4形。側面手前にシャワーのマークがありますが、これがたいがいは湯の出は悪いし温度は上がらないしとんでもない代物。ここも有効長の関係で1本の列車をバラして収容しますので、上の写真の手前の編成もヘルシンボリでまた連結します。吹雪の夜にご苦労なこと・・・航送の際はIC3など世話が焼けない車両でない限り両方の駅で各30分位かかります。その間構内を行ったり来たり。ヘルシンオアの場合は一度ホームに入り、そこでコペンから40分の近郊編成を切り離し(国際列車と併結の近郊列車!)一度コペン側に出て再び向きを変え3両位ずつにバラして1両の入換機が行ったり来たりしてフェリーに押し込むという恐ろしく手間のかかる作業が行われます。こんなんで商売になるんかいな。
シーンは昼に戻りますが約25分でヘルシンボリに到着です。ヘルシンボリは人口11万人、全部で880万人のスウェーデンでは大都会。特に観光資源はない工業都市ですが、先日近郊を車で走ったところ景色がイタリアのサンレモ辺りに似ていました。北欧では珍しい南のビーチリゾートといった趣です。余談ですが、スウェーデンは酒の税率が異常に高く、また国営の専売所(System Boragetと言います)で平日の18時までしか売っていないので、デンマークに近い所に住む人々は週末にデンマークに買い出しに行き、箱単位で仕入れて家まで待ちきれずにフェリーの上で浴びるように飲んで暴れるという話を良く聞きます(デンマークはカールスバーグで分かるとおりビール消費量世界一の酒天国)。実際にこのフェリーで危ない目に遭った人から話を聞いたこともありましたが、週末の夕方でなければ大丈夫かな?バイキングの末裔にからまれたらたまったものではありません。
SJの客車を押し込むのは1985〜92年製と比較的新しい2軸のスイッチャー、Z68形。最高速度は35km/hとのことですがぴかぴかのボディできびきびと押し引きしていました。ここまで見てお分かりの通り航送されるのはすべてSJの客車ですが、これはSJ(スウェーデン)、NSB(ノルウェー)ではヨーロッパ一般より大きい車両限界を採用しているためで、それなら小さい方が大きい方に直通するのが自然なのにDSBの車はスウェーデン・ノルウェーには入ってきません。縦横無尽に車両が走り回っているように見える(本当はそんなことはなく各車両で乗り入れ国が決まっているのですが)西ヨーロッパに比べれば、バリエーションが少ないこともあり辺境(失礼!)に来たという印象も強くなってきます。
![]() |
![]() |
|||||||
![]() |
||||||||
| メイン航路ですから、昼はご覧のようにぎちぎちに詰め込まれます。手前は観光バスのようですね。何か不思議な風景・・・ここのフェリーは全通式の甲板ですので、連結器のロックはゲート式で上から降りてきます。こちらにはIC3は来ませんのでネジ式連結器用のロックだけです。 | ||||||||
![]() |
||||||||
| 連結器以外にも、このように適宜タイダウンをかまして行きます。 | ||||||||
フェリーからヘルシンボリを望む。お恥ずかしいのですがこちらの駅の記憶は全くなく、どんな構造か思い出せなかったのですが、2001年夏訪れたら2面4線の地下駅でした。地下だったかなあ?
たった25分の船旅ですが、国際航路ですから中には免税ショッピングの店があり、物価の高い(どちらも高いのですが)スウェーデンの人々が群がっています。いい気分転換にもなり、もうちょっと長かったらな・・・と思ったものですが、残念ながら車両航送に関しては2000年7月、デンマークのコペンハーゲン郊外、国際空港があるカストロップとスウェーデンのマルメ(ヘルシンボリの50kmほど南)を結ぶビッグプロジェクト、オアスン海峡橋が完成し廃止されてしまいました。

現在の連絡航路はコペンハーゲン中央駅とマルメ駅から直接発着する電車です。新鋭のX31K形(SJ呼称・DSB編成はマルメ方ET43××―中間FT47××―コペンハーゲン方ET45××となり統合形式名がないようです)が両駅を約35分で結びます。ご覧の通りIC3―その電車版であるET形の海峡線用バージョンですが、車体・車内ともに大幅に違います。IGBTインバータ制御を採用、SJが16編成・DSBが17編成を製作(写真はDSB所属の4301F)しましたが、どうも調子が良くなく保守側では手を焼いているようです。デンマーク国内ではヘルシンオアからスルーで直通運転される列車も多数設定されています。
![]() |
![]() |
||
| オアスン海峡橋完成を記念して発行された切手。2連の斜張橋であることがわかります。右の切手には従来のメイン航路であったヘルシンオア―ヘルシンボリ間航路との位置関係が描かれています。こんな柄の切手を出すとは、旧航路に特別の感情があるのでしょう。 | |||
![]() |
![]() |
||||
| 到着したマルメ駅のホーム。ここはいつも駅自体が閑散としていますが、降りた乗客も商売になる人数とはいいがたい感じでした。 | |||||
| 陸路によるスウェーデン初上陸を喜ぶの図。この橋は瀬戸大橋などと同じく2階建てとなっており、上が道路、下が鉄道です。この2大都市の間は従来も高速艇による航路が設定されていましたが(鉄道の航送はなかった)、橋の開業後は撤退を余儀なくされたようです。地図を見ていただくとお分かりのとおり、冷戦時代のスウェーデンは西側としては実質的に島の体をなしており、この狭い国際海峡への架橋は宿願の大プロジェクトだったのです。ストアベルトのルートが先に完成し、こちらが完成したことにより西ヨーロッパからスウェーデンまではすべて陸路での輸送が可能となりました。冷戦が終わった今でも、ロシア経由で人・物資の交流を行うのには限界があり、その役割にはいささかの衰えも見られませんが、局地的に見ると最近上り調子のデンマークにコペンハーゲンへの一極集中が進む中で橋の完成によりさらに吸い取りが促進され、マルメ都市圏は目に見えて衰退が著しいとの話も聞きます。
X31形はコペン中央駅を出てすぐにカストロップ空港駅に停車(中央駅からわずか13分、このためコペンハーゲンは世界で最も便利な国際空港アクセスを持つ都市となりました)、橋に入ると180km/hで快調に飛ばします。X31形の車内はIC3とは全く違い、近郊形といったシンプルなインテリアですが安い感じはせず快適です(「鉄道ピクトリアル」の2000年12月号に野田 隆氏の詳しいレポートが載っています)。 |
|||||
Sasnitz Express

スウェーデン最南部のTrelleborg(トレレボリ)からドイツ北東部のSassnitz(ザスニッツ)の間にはフェリー航路があり、今でも鉄道車両航送が行われています。こちらは貨物列車が主体ですが、旅客列車もマルメ―ベルリン間に昼行・夜行各1往復が設定されており、夜行は当時"Sassnitz Express"と名付けられていました(2001年ダイヤでは"Nils Holgersson"との名称がついている)。マルメを出て30分足らず、トレレボリで30分近く待たされた私に待っていたのはこの驚くべき光景でした!5線分岐の美しい幾何学模様を描く分岐器をご覧下さい。
![]() |
|||||
| 航送は2両だけで、管理人の車両が最前部だったのです。ドアも開け放たれており管理人を先頭に列車はゆっくりとフェリーに入って行きます。こちらのフェリーは全5線で全長も長いようで、すでに23時を回っていましたが、4線とも貨物列車が入り活気があります。旧東ドイツ時代もこのような物資の流通が行われていたのでしょうか・・・我々日本人が知らないヨーロッパの一側面を見た思いでした。 | |||||
![]() |
|||||
| トレレボリ回転編成(これも国際列車併結のマルメ―トレレボリ間30分という超近郊列車)を切り離す直前。渡り板は上げられましたがこちらの扉は開けたままでネジ式連結器が丸見えになってしまいました。ドイツに直通する車両は限界が完全に違うためすべてDBの車両となっており、私が乗った1等寝台車も青い通常のTEN客車でした。 | |||||
この航路は約4時間と長いこともあり、昼行なら当然皆降りてしまうのでしょうが、管理人が乗ったのは夜行でおおよそ23時〜3時の間となるため、寝台の旅客はそのまま車両甲板の中の寝台車で寝てしまいます。「親亀の背中に〜」みたいな話で、乗り物の中の乗り物で寝るというのは非常に奇妙な体験です。しんと静まりかえったなかで微妙に揺れているのですから・・・窓を開ければ目の前には壁。乗船時はまだ早い時間のため、船に降りて探索を試みましたが、大きなカフェテリア、ソファなどもあちこちにありこれだったら1等寝台とらなくてもいいかな?という感じです。その後1等料金の元を取るべく車両甲板の寝台車に戻ったのでザスニッツの様子は全く覚えていません。
日本ではあまり話題になりませんが、実は北欧に行くには使いやすいルートだと思われるので、機会があったら皆さんも一度体験されてはいかがでしょうか。昼行でも夜行でもどちらでも楽しめます。