XRV750"Africa Twin"&DDH143"Shirane"

XRV750“Africa Twin”

1997年1月購入

 私がデカオフ車に目覚めたのはファラオがデビューした時でした。当時まだパリダカなど知らなかった私ですが、あの2つ目の牛とトンボが合体したようなクリーチャーに一発で持ってかれてしまい、現物を見るのはかなわなかったものですから(神宮前時代のショールームに出たことあったかな?)、1985年の「オートバイ」東京モータショー特集を穴の開くほど眺めて歎息していたわけです。

 その後トランザルプが出たときも一応注目はしましたが、なんと言っても仰天したのは初代アフリカデビュー時。それはHRCがパリダカ制覇を目指し80年代後半に人員・予算を傾注した大プロジェクト、NXR750のスタイルを模した「アドベンチャー・ツアラー」でした。

 NXRは86年ロスマンズカラーのヌブーが勝ち、87年再びヌブーがエルシャロカラー、88年はオリオリがリークーパーカラーで3度目(まるでひょうたんのような正面形がいっそう強調されるデザインとなり恐ろしくカッコ良かった)、89年再びロスマンズとなった最終形は100mmの小径ライトがまるでオン車のようなカウルに包まれたいわゆるひとつの究極の形となり、後にパリダカで事故死するラレイの手で4連勝、そしてレイド界から去っていきました。

晴海に来航したイギリス海軍の軽空母、HMSイラストリアスの前で撮影。アフリカは軍艦や機関車とのカラミがやたらとあります。
 まあ、アフリカはイメージをNXRに模しただけで、NV系の52度狭角VツインはワークスダートトラッカーRS750Dをプロトタイプに開発された45度VのNXR用とは別物ですし、スタイルも純然たるレイドマシンとは微妙に違い(似ても似つかない!?)ます。まあそれを言っちゃおしまいよって言うかロードのレプリカもそうですからねぇ。しかしとにかくこのジャンルはマイナーで、本物を見る機会もあまりないから会いたさもなおさら募ります。何だかんだで雑誌には申し訳程度にしか載らないパリダカ関連の記事を(35ミリサイズのフィルム現寸じゃないか?その写真!)引き続き穴の開くほど眺めていていた私は、いつかアフリカで駈ける自分の姿を想像しムニュムニュ・・・(オイオイ何だ!?)

 トップに教習所でアフリカに乗りたいと言ってみんなを笑わせた(という表現は自虐的過ぎ)話を書きましたが、もともとアフリカに乗るつもりで限定解除したのです。しかし、なぜか教習中で気が変わりGSになってしまい、アフリカに乗る機会はなかなか訪れません。好きなのに一緒になれない寅さんとリリィさんのよう・・・結局、ファイアーブレードの後に我が家に来たのは97年になってでした。

 当初購入を思いついたのは96年頭で、すく買えるつもりでいました。事前に別冊モーサイの「追跡」などでリサーチをしていたわしは逆車と国内のパワー差がそれなりにあると知り、バイク屋の勧めもあり逆車で発注。しかし、発注直後、96はすでに在庫切れとなったと知らされ、何と1年近く待つことに・・・まあそれでファイアーブレードを楽しむことができたのだし、後になってしまえばそれも良かったのですが。

 納車の日、またがってどうしようかと思うほどデカくて重く感じたのですが、慣れてしまえば軽快で乗りやすい。足つきも170cm以上あれば問題ないのではないでしょうか。値段は108万円。すでに電車通勤をやめてバイクに切り替えていたわしとしては非常に使いやすいマシンでした。高速では国内用バイクの規制速度よりチョイ下位の所まで出ます。国内よりも若干最高速は出るようで、また全域でパワーもあるため高速では楽なようです。なによりそのポジションから来る「威風堂々」といった(全体的な)雰囲気が好きでした。荷物の積載性も問題ありません。欲を言えば銀ベースのトリコのカラーリングが、私としては96を買うつもりでその白ベースのトリコが好きだったので、しかも97は青ベースの金・銀電撃が入った「北斗星」カラーとでもいうようなバージョンが設定され、そっちの方が良かったかなあ・・・と、そんな不埒な考えが後の悲劇を生みだしたのでしょうか。

 一時期よく丹那断層を見に(なぜ?)静岡の方に行った頃がありましたが、これも使い勝手の良い長距離レイドマシンあってのこ

廃止間近な碓氷峠、ブームを煽るようにぶどう2号に塗装されたEF63 2425とのカラミ。霧積温泉に向かう道路が線路と交差する所です。
とでしょう。写真を撮りに朝霧高原にも良く行きましたし、友人を訪ねて富山経由で飛騨の神岡まで、97年は碓氷峠がラスト近くだったので横川や軽井沢にも行っています。しかし、一度か長尾峠から伊豆スカまで走ったことがありましたが、これも雑誌等で峠も楽しいと書いてあったのを読んだわしは、そのあまりの辛さに泣きました。これはさすがにキビシイ! 前のバイクがファイアーブレードだったからなおさらだったんでしょうが。

 そんなこんなで楽しい日々を送っていたある日、98年8月6日だと思いましたが、出勤するべく家の前の通りに停めておいたアフリカに向かったのですが、「アレ?」。駐輪場に停めたかなあ・・・いや確か通りに・・・ヤヤッ、駐輪場にもない!!

 とりあえず110番して、パトカーが来ましたが、もうその時点で冷静って言うかこいつらに届けてもしょうがないって言うか、何かそれ程悲しい思いもなかったと思います。その1年位前かなあ、アウトライダーの編集後記で書いてあったドミネーターを盗まれ、デカオフ車はギリシャ辺りに売り飛ばされるとの話を思い出しました。オレのアフリカもギリシャ行きかなあ・・・U字ロックはリアのキャリアにくっつけたままでした。向こうで「97アフリカトリコ、U字ロック付、但し鍵はなし」とか値札がぶら下がっていたのでしょうか。こいつがわしのバイク歴の中で最初の車検を通すマシンになるのかな、という予感も空しく・・・そう言えばマイクロロンも入れていたんですが、結局効果を体感することはできませんでした。