|
ぼくは、夕日を横目に、どこまでも続くと思われるクイーンK・ハイウエイを走っていた。
疲れはピークに達していた。ランの前半はバイクの時から続いていた高揚感と町中の応援とで気分よく走れた。
しかし、ハイウエイに入り中間地点を過ぎる頃になると、やたらと残りの距離が気になり出した。
このコースの距離表示はマイルである。ランは26マイル。1マイルは約1.6キロだ。最初は1マイルの表示を26回見れば終わりだよと余裕があったのだが、苦しくなるにつれ、あと何キロと頭の中で1.6をかけて計算してしまう。
その計算も、すぐにはできなくなるほど疲労の極致であった。
夕日は、だんだん傾いてきている。ぼくは、とにかく日没前にゴールするんだという当初の目標を、弱気になっている自分自身にもう一度投げかけた。
レース前、明るいうちにゴールするとサンシャイン・フィニッシャーといって、特別にキャップをもらえるという事を、何回か出場している仲間から聞いていた。
実際、ぼくは、そのキャップを見た事がない。それは参加者誰もが貰えないというところに、とてもありがたみを感じていた。
しかし、それ以上に、今回は個人的な応援団がたくさん渡米していて、あまり遅くなっては格好悪いという思いもあった。
だから、家族や友人の手前、見栄を張っている自分がもう一人レースに参加していた。だけど理由はどうあれ、その時は、どんな事でも自分のエネルギーに代えられればいいと割り切っていた。
それまで強烈な紫外線を発し続けた「10月の満月に一番近い土曜日」の太陽は、そのパワーを徐々に落としていった。
そろそろ、天空の主役の座を、ほとんど正円に近い月に譲ろうとしている。おまけに、いつの間にか雲が出てきて、海に完全に沈む夕日は拝めそうもなかった。ぼくは、だんだん不安になってきた。
涼しくなって走りやすくなったとはいえ、ゴールまで、まだ約5マイル程残っている。もし、日没予定時刻前に、あの太陽が雲に隠れてしまったらどうなるのか?
その場合、サンシャイン・フィニッシャーとして認めてもらえるのか?
ぼくは、ハイウエイに長く伸びた自分の影を追いかけるように走った。
苦しめば苦しむほど、喜びは必ずそれだけ戻ってくる。やっと、ハイウエイからコナの町に帰ってきた。
応援の人達がいきなり増えて、暖かい声援を贈ってくれる。最後の直線に入る前のコーナーは、ホット・コーナーと呼ばれる。
そこでは、威勢のいいミュージックが流れ、DJが最後の約400m続く花道に入って行く選手たちを景気づけていた。
「○○○○○ from Japan! Congratulations!!」
ぼくは、手を挙げてそれに応えた。最高の気分に近づいてきた。
ちょっと行くと、一日中応援し続けた妻が今や遅しと待っていた。ハイタッチをする。言葉は何も出なかった。
その後しばらく、彼女は人目をはばからず涙を流し続けた。ぼくは、それからの残り200mをあまり覚えていない。
今まで、さんざん外から眺め続けたゴールゲートが見えてきた。観客の声援は、みんな自分に向けられているような気がした。
そして・・、世界各国から来た名も知らぬ人々の祝福の言葉に押し込まれるように、最後はゆっくりとゴールラインを踏んだ。
ついに、ハワイを完走した。トライアスロンを始めて6年目の10月。10時間51分59秒、世界で588番目のゴールであった。
ゴールした時、太陽は雲に隠れたが、まだ暗くはなっていなかった。しかし、今年から予算削減のためか、サンシャイン・フィニッシャーの称号はなくなっていた。結局、キャップはもらえず終いだったのである。
だけど、そんな事は、もうどうでもよくなっていた。ただ、無事に終わった事を素直に喜んでいた。
その後、日本に帰って来て、ぼくは、友人であるプロ・トライアスリートの○○○○から白い帽子をプレゼントされた。
いつも太陽が高いうちにゴールする彼は、その帽子の意味を今まで知らなかった。完走者が必ずもらえるものの一つだと勘違いしていたのだ。
そこで、ぼくの話を聞きつけ、自宅の押入からわざわざ探し出してくれたのである。いろいろ探して、一個だけ見つかった昨年のものをぼくにプレゼントしてくれた。
その帽子は親父がかぶるゴルフの帽子みたいで、お世辞にも格好いいとは言えない。だけど、ぼくにとっては、そういう彼の気持ちがゴールした時と同じくらいうれしかった。
ぼくは鏡の前でニヤニヤしながら、もう一度、その帽子をかぶってみた。
こうして、ぼくは、サンシャイン・フィニッシャーとなった。
|