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ケイちゃんは、6年前の春、沖縄の島々を放浪中、宮古島にて地元の人に拾われた。
たぶん、小柄で幼い顔立ちのケイちゃんを見て「子供が、こんなところで、何をしているんだー」と、保護をしたつもりだったのかもしれない。そして、そんな彼女に、とりあえず自分が経営するダイビング・ショップのクラブハウスを手伝ってもらうことにした。
彼女にとってみれば、ほんの少しの居候生活のつもりだったが、そのオーナーから、「せっかく宮古に来たのだから、トライアスロン大会でも見てから帰りなよ」と言われる。
同じ年、ぼくは、初めて宮古島を、そして、そのクラブハウスを訪れた。その時は、友人の応援だった。
当時、トライアスロンを始めたばかりのぼくは、いつか、アスリート誰もが憧れるこの大会に参加したいと思っていた。
だけど、ぼくはこの時、体調を崩していて、レースの応援以外、そのほとんどの時間をクラブハウスの一番奥の部屋のベッドで過ごすことになってしまった。
だから、ショップのスタッフの人達との交流は、ほとんど持てなかった。ただ、毎日、食事の世話をしてくれた、どこかあどけなさが残る小柄な女の子の事は、妙に印象に残っていた。
ケイちゃんは、その年、ぼくとは違った思いで、トライアスロンを見学した。たぶん、信じられない思いで、いっぱいだったに違いない。
トライアスロンが終わると、世の中は、ゴールデン・ウイークに突入し、宮古島では一番の繁忙期を迎える。それが、オーナーの作戦だったのかもしれないが、彼女は、その忙しさの激流に飲まれ、ずるずると宮古島のペースにはまっていった。
次の年、ぼくは、宮古島ストロングマン大会に待望の初出場を決めた。一年振りにクラブハウスを訪れると、すっかりこの島の雰囲気に馴染んでいる小柄な女の子に再会を果たした。それが、ケイちゃんだった。
この年から、ショップのチームが結成され、オーナーを始めスタッフのみんなの献身的なサポートにより、ぼくたち選手は思い切り競技し、そして楽しむ事ができた。
ぼくは、その時のゼッケンを記念にと思い、クラブハウスの一番奥の部屋の扉に貼り付けた。
それから4年。毎年、扉に貼っていったゼッケンが4牧に増えた。
その間、ショップのチームでは、スタッフの中からも毎年挑戦者を出してきた。そして、次の挑戦者に、半ば強制的に業務命令として、ダイビング・インストラクターとなったケイちゃんが選ばれた。これまで、女性スタッフでの制限時間内完走者は存在しなかった。ぼくは、あんな小さい身体で大丈夫かなと、ちょっと心配だった。
ぼくたちは、何か力になってあげたくて、仲間たちから余っている自転車のパーツを集め、ケイちゃん用にバイクを一台作りあげる。リサイクル・バイクではあるが、ちゃんとした素材を自ら鉄人である知り合いのフレーム・ビルダーが組んだので、安全面では、まったく問題ない。
だけど、ぼくたちができるのは、ここまでだった。後は、本人のやる気次第である。
そして、ケイちゃんが、オトーリという宮古の無形文化財であり、いわば公の場ともいえる席にて、来年出る宣言をしてから、あっという間に一年が過ぎ去った。
冷静になって考えると、ダイビングをした後の練習は大変な事である。彼女は、多くを語らないが、みんなが酒を酌み交わしている時間に練習をしていた。
そして、スタート前、ぼくは、何の根拠もなかったが、何故か彼女ならできるような気がしていた。
6年前、宮古で初めて会った彼女が、ぼくと同じ舞台に上がり、宮古の住民として、ストロングマン・レースに臨んでいった。
熱く長い一日が始まった。
それから、ぼくが彼女と再び会えたのは、ランの約30K地点だった。
「ゴールで待ってるから」と一声かけた。彼女は大きくうなずく。
これから彼女は、まだまだ長い道のりを走る。ぼくは、その姿を見て、逆に元気づけられた。
日が沈むとともに、選手たちを苦しめた暑さが和らいできた。
しかし、今度は、暗い夜道を走り続けなければならない。長い時間、競技を続ければ続けるほどダメージは蓄積される。
応援団の携帯から情報が入る。現在34K地点、制限タイムまで、残り約1時間。ぎりぎりのところだ。
最後は精神力の勝負となる。相手は自分自身だ。自分に勝つ事だ。
その頃、ぼくは、ゴール後倒れた妻の付き添いで、フィニッシュ地点から約1K手前の宮古病院にいた。
妻は脱水症状を起こし、点滴を何本も打っていた。ぼくは、その間、病院の前のコース際で帰ってくる選手たちを応援していた。
ゴールで待っていたショップのスタッフや応援団が、たまりかねてコースを逆走していった。制限時間まで、あと10数分しかない。果たして間に合うのか?
ぼくは、暗いコース上をやきもきしながら眺め続けた。
しばらくすると、大勢の仲間たちに囲まれて、ケイちゃんがしっかりと走ってきた。
ぼくは、「お帰り」と軽く手を上げた。彼女は、小さな拳を握り締め、そして、うれしそうにガッツ・ポーズを返してきた。
ぼくも、そのまま一緒に走って行きたかったが、妻を放っておくわけにはいかず、それより、あと1k走り続ける事は、とてもできない状態だった。
数分後、ケイちゃんは、数多くの仲間たちの祝福の渦の中、ストロングマンになった。
14時間の制限タイムより、5分を残してのゴールである。その地元選手の感動のゴールは、取材陣から格好の標的とされ、フィニッシュ・ラインは、もみくちゃになった。
そのどさくさからか、大会側は計測を忘れてしまう。記録表に名前がなかったのだ。
だけど、そんな事はどうでもいいと、ぼくは思った。
ケイちゃんの頑張りは、一緒にレースをしたぼくたちや、長い時間応援し続けた仲間たちの心の中に、しっかりと残っているから・・。
ぼくたちは、誰かに認めてもらいたいから、この競技をやっているわけじゃない。
自分自身の喜び。ただ、それだけだ。
それだけでいいじゃない? ねえ、ケイちゃん。
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