証人  武松輝男 さん

**第10回口頭弁論(2001年6月1日)での証言<尋問調書より抜粋>**


質問者  原告ら代理人(弁護士 小野山裕治)

<中国人労働者の収容状況>
6 証人が三井三池炭鉱に送り込まれた中国人について、本格的に調査研究を始められたというのはいつごろでしょうか。
 − 昭和34年ごろからです。
47 三井鉱業所には、中国人は昭和19年5月から昭和20年3月までの期間、6次にわたって集団として合計2372名を受け入れておることは御存じですね。
 − はい、知ってます。
48 これらの中国人は、宮浦坑、萬田坑、四山坑の3坑に配置されていたわけですか。
 − そうです。
50 収容所に収容されていたことは、中国人の生活できる場所、範囲が、収容所と炭坑の坑内に限定されると、このように理解してよろしいんでしょうか。
 − 例外として、収容所から炭坑の坑内、坑口に行く通路ですね、就労していく通路、それも中国人の生活の一部に加えていいと思います。
51 甲第34号証の2の「華人労務者調査報告書」は読んであると思いますけれども、それによりますと、華北労工協会理事長と三池鉱業所の所長が昭和19年4月25日に契約書を取り交わしておるんですけども、その中の使用条件の定めを見ますと、収容生活を始めた2か月後より引率者の下で集団外出ができることになっているが、中国人はこのような形で外出したことがあるかないか、聞かれたことがありますか。
 − いろんな人に聞きましたけれど、それはありません。
52 収容所が3か所あったとおっしゃいましたね。
 − はい。
65 この3つの収容所は新築ですか、それとも改築でしょうか、改造でしょうか。
 − 萬田坑と宮浦坑は改築です。四山坑だけが新築です。
69 設計図面が作成されたのは昭和18年5月31日ということで記載されていますね。これまで出てきました証拠を見ますと、政府が本格移入前に試験移入をしているんですが、試験移入を開始したのが昭和18年4月なんですよ。その1か月後には、このように三井三池鉱業所というのは既に中国人を受け入れるというような準備をしておったと解釈もできるんですか。
 − できると思います。
71 証人は調査され、手写しをされて、こういう平面図をご覧になっておるんですけれども、この平面図から見られて、中国人はどのような生活を収容所内でしておったか、どうお考えになりましたか。
 − 収容人員数から考えてみて、非常に狭いところで生活しているなと、本当にそのときはびっくりしました。
72 監視するための部屋なども用意されてあるようですね。
 − はい。管理人とかあるいは警察官、駐在室とか、そういうのもあります。
74 ところで、この3つの収容所の施設の中国人1人当たりの畳数はどのくらいだったか、分かりますか。
 − 大体、宮浦が多分0.6畳程度、萬田坑は非常に記憶が鮮明に残ってしまっていますが、0.38畳くらい、四山坑が大体0.9畳程度だったと思います。
86 そうすると、寝るときは体を触れ合いあるいは重ねるなどして、雑魚寝して寝起きしておったと、こういう印象になりますか。
 − そうです。ただ、中国人の話によりますと、四山坑では、わらを敷いて寝たと言ってます。
87 就寝具関係についてお尋ねしますけれども、布団は支給されていたようですか。
 − いや、してありません。
<食事の量と質>
90 給食関係ですが、太平洋戦争が始まった昭和16年4月ですね、国内では米は配給制になって、主食の基準配給量は普通で1人1日330グラム、こうなっております。それから炭坑坑内の労務者には特別配給がなされておると、こういうふうに甲号証を出しておる中にも見えるんですが、そのようでしたか。
 − そうです。
94 坑内労務に従事する、あるいは使役が課せられた中国人はどんな食事が与えられておったのか、聴き取り調査をされましたか。
 − 聴き取り調査はやりました。三浦坑では、よくマントウ2個もらったと言っています。
95 聴き取り調査をされたということですので、どなたから聞かれたかおっしゃっていただけませんか。
 − まず、収容所に関係した人、それから巡回して回った看護婦さん、その他、坑内の監督、一般のそういう納入と言いますか、例えば建築関係、電気関係、そういう人たちの話を集めました。そういう人たちから聞きました。
104 そうすると、中国人の食べ物というのは、あなたの印象としては、先ほど国内での炭坑労働に従事しておる人に給付されておる主食の量をお尋ねしましたけれども、十分仕事にふさわしい、耐えられるような食生活だったとは思えないですけれども、証人はどうですか。
 − 全く仕事にならない量だと思います。仕事することのできるような食糧じゃないと思います。
105 そうすると、中国人は、そういう支給されておった食べ物だけを食べておったんですか。
 − 原則はそうですけれども、収容所の人たち、あるいは三池炭鉱に強制連行されてきた中国人の話を全部集めてみますと、動くものを全部食べたと言ってます。例えば、ネズミとか、ヘビとか、トカゲとか、その辺にあるものは全部食べたと言ってます。それから、食糧が足りなかったものだから、収容所の中の草も全部食べたと言ってます。ただ、収容所の草だけでは足りないので、坑口のほうに、労役に向かっていく途中の道筋の草まで食べてしまったと言ってます。
106 何か1度食べたものが固形物として消化しなくて残っておったというものの話も聞かれたんじゃありませんか。
 − その話も聞きました。いわゆる栄養がかなり偏ってくると、人間は下痢質の便をするそうですけれども、その中にトウモロコシが混じっていたものを全部拾い出して、洗って食べたと言ってます。
107 そのような貧食状態だったと思いますけれども、こういう中国人の食糧の支給量について、三池鉱業所は関係機関にどのような報告をしておるか、これは報告書を読まれたことはありますね。
 − はい。
(甲第70号証を示す。)
109 この表によりますと、主食の米の欄だけを見ました場合に、配給数量は幾らになっていますか。
 − 計算しましたら、中国人1人当たり717グラムになります。
112 当時の食糧事情は非常に深刻で危機的だったというのは歴史をひもとくと分かるんですが、中国人に1人1日当たり717グラム支給しておったというのを見られて、証人はどう思われますか。
 − 考えられないことです。
<坑内労働の環境>
119 炭坑坑内の作業環境条件と言いますか、物理的な条件をお尋ねしますが、大体、坑外と違ってかなり厳しいんじゃないかと思いますけど、坑内の作業環境は坑外と比べてどういう理由で厳しいのか、それをおっしゃっていただけませんか。
 − 一つは、地上から深いところにありますから、かなり気圧の関係も多少違うと思いますけれども、相当厳しく、しかも暑くて、それから湿気が多くて、そういう状況です。
122 この坑内温度というのは、地表からの深さに関係するんでしょうか。
 − 関係すると思います。大体、私自身がもともと土木屋ですからよく分かるんですけれども、土木屋の一般常識として、特に三池炭鉱近郊の地質では、100メートル掘る度に水温が10度アップすると言います。ですから、もし四山坑が400メートル坑道を掘っておったとすれば40度ですから、それに水温の10度プラスの大体50度の地下水温度が出てくるはずですから、坑内温度もそれに関係して、相当暑い状態になっていると思います。
128 四山坑は、先ほどの証言では、これは大体。
 − 四山坑の場合は堅坑の坑底が上層で310メートル、本層で390メートル程度になってますので、これからちょっと深くなっていったら展開しますから、およそ約400メートルぐらいのところで中国人は仕事をしていったと思います。
129 そうしますと、四山坑については40度以上だということですけれども、そうすると、証人の証言では、45度とか50度ぐらいあったんではないかということですか。
 − そうです。
130 宮浦坑と萬田坑は、それぞれどの程度の温度と考えられますか。
 − 宮浦坑が大体25度から30度、三川坑が大体30度から35度ぐらいじゃなかったかと思います。
133 そうすると、坑内のそういう温度のところで作業をする場合、大体どういう作業着を着てやるのか、やらないのかを含めまして、どういう姿で作業をしていたのか、私たちはどういうふうに考えればいいんでしょうか
 − 規則としては、多分、シャツとか洋服とかを着なさいということになっているようですけれども、実際仕事をするときにはとても暑くて仕事ができないので、ほとんどが裸で、大体ふんどし姿と同じような状態で仕事をしていたと言われています。
136 これまで証言された坑内の温度、それから湿度などを考えますと、こういう作業環境条件の下で働いた場合、健康上、どういう影響があるのか、それを考えられたことがありますか。
 − あります。まず第1に、非常に体が疲労する、疲労が非常に早まるということです。それから、温度の高まりで体がふらふらする。よく当時、ちょっとよろけて仕事したりなんたりすると、よろける、よろけると言っておったようですので、そういう状態で仕事をするような格好になってくると思います。
146 それぞれの炭坑の物理的環境状況の違いというのはおっしゃっていただきましたけれども、先ほどからの食生活、それから心理的な問題を含めたいろんな健康状態の影響などを考えますと、そういう環境条件の違いというのは、死亡者数の数の上にも表れますか。
 − 強制連行中国人の場合だけを限って調べました結果、表に作ったんですが。
<虐使の状況>

(甲第74号証を示す。)
149 宮浦坑、萬田坑、四山坑、それぞれの疾病による死亡者数が、ここに書かれておるように、トータルで、宮浦坑は30名、萬田坑は132名、四山坑は167名と、もちろん収容者の数にもよりますけれども、この表からどういうことが読み取れそうですか。
 − やっぱり炭坑の坑内の深いところで仕事をするということは、人間の体に相当の影響を与えるというのが、第1にこの表から見ることができると思います。
150 かなりの疲労があるようですけれども、食事のほかに、休養を十分取る必要があろうかと思うんですが、日本人坑夫の場合、当時、休日はどの程度与えられていたのか、これは分かりますか。
 − いろんな人たちに聞いてみますと、採炭の場合で週に2日は休んだと言っています。それから一般の坑内の労働者は、月に2日、中国人の話をずっと聞きますと、この強制連行中国人は、1日も休んでないと言ってます。
151 ちょっとこれまで出ておる証拠をちょっと紹介しながら、今のものを確認したいんですが、中国人の公休日の取扱いにつきましては、これは国内移入を決めた閣議決定や次官会議決定に基づく実施要領があるんですけれども、それから先ほどから出しております、当事者間で合意された契約書によりますと、4大節は内地人労務者に準じて休ませ、旧正月3日、端午節、仲秋各1日、合計しますと年間9日取れることになっているわけですけれども、中国人は1日も休んでなかったと、こういうふうに聞いておられるわけですか。
 − はい、休みを取ったという話は聞いておりません。
154 そのような人を含めて、いろいろと強制的な仕方があったんでしょうけれども、もし入坑しないような場合ですね、就労しないような場合、制裁が何かあったんでしょうか。
 − 中国人の場合は、特にひどくて、御飯を食べさせなかったそうです。
155 そのほかに、手荒いことをしておったというような話は聞いておりませんか。
 − そのほかは、そういう就労しなかった人は、捕まえてきてたたいて拷問するということもあったようです。
156 拷問の方法などは聞かれましたか。
 − 拷問の方法はですね、ホースを口にくわえさせて、蛇口をひねって、飲まないと窒息しますから、飲むと腹が膨れるのをけり上げられたり、あるいは、足のひざの後ろに青竹を置いて正座させて、痛いというと、痛いてあるかとたたかれたり、ひどいときには手のつめと肉の間に針を差し込んで回したりということが言われています。
157 今度は、坑内での中国人の取扱いについてお尋ねしたいんですが、大体どのような取扱いを受けていたか、お聞きになっていますか。
 − 中国人が、坑内では、まず道具を持ってないと仕事をしない、あるいはしてないということで、処分を受ける。処分と言いますのは、御飯を食べさせてもらえないと。だから、どんなにつらくてもどんなに体がふらふらになっても、道具だけは手から放せなかったと言ってます。
167 お分かりになったら答えていただきたいんですが、就労中に中国人に対する賃金は支払われたと思われますか。
 − 支払ってないと思います。そういう支払ったという話は聞いたことがありません。
168 敗戦後はどうでしょうか。
 − 敗戦後も、支払ったという話は聞いておりません。
169 敗戦後の三池鉱業所の、皆さん方が相当ショックを受けたと思いますけれども、どういう状態であったかというのは、あなたは記憶ありますか。
 − 私は会社に入りましたのが、22年ですから、敗戦になってすぐ2年目で、その当時の会社に勤めとった人たちはかなりいましたんで、いろんな話を聞いてます。ただ、中国人の管理監督をして、厳しく中国人に当たっておった人たちが、全部いなくなったと言ってます。と言うのは、どこに行ったか分からないが、報復を恐れて全部姿を隠してしまったと言ってます。ですから、そういう状況が戦後の状況です。
<死亡の状況>
170 医療施設と治療、死亡者あるいは死亡場所、そういう問題についてお尋ねします。まず医療施設の関係ですけれども、三池炭鉱には、病院は当時何か所あったのか、分かりますか。
 − 中国人関係だけで見ますと、4か所あります。
171 外務省報告書の120ページの要旨のところですけれども、それによりますと、全国の事業所は135あったわけですけれども、その中において、炭鉱関係は健康診断とか防疫医療等など、行き届いていたところが少なくなかったと書いてあるんですよ。
 − (うなずく)
172 証人としては、三池鉱業所の医療施設など、当時どの程度のものであったか、お聞きになっていますか。
 − 九州ではトップクラスくらいの医療施設でして、かなり広い大きな病院だったことは知ってます。
173 そうすると、中国人の関係でお尋ねしたいんですが、病気をした中国人、これは、そういう4か所の、本院、分院などがあるんでしょうけれども、治療を受けていたという話は聞かれたことはありますか。
 − 聞いておりません。
176 中国人はどうして治療を受けられなかったのか、あなたなりに考えたことはありますか。
 − 第1に、やっぱり敵国人であるということ、朝鮮人の場合は治療を受けることはできて、朝鮮人の場合、よく病院へ来たと看護婦さんたちも言いますけれども、これは、その当時朝鮮人は日本人であったこと、そういう点では、中国人というのは、日本人が受ける治療の枠の中に入ってなかったというのが言えるんじゃないかと思います。
177 それから、先ほどの証言を聞いておりますと、中国人の立場からすると、何か病気で出勤できないとかいうことは、食料の供与にかかわるというようなこともあったように証言されていますけれども、そのへんはどういうふうにお考えになりますか。
 − 中国人に言わせますと、病気だと言えば、直ちに自分の食料に関係してくると、食べ物が減らされたり欠食されたりするもんだから、かなり苦しくても病気だとは言えなかったと言ってます。
190 前後するかと思いますけれども、収容所内での死者の取扱いですね、これは、どのようにされていたのか、聞かれたことがありますか。
 − 各収容所ともそれぞれちょっと違いがありますが、大体一般的に、平均と言うとおかしいですけれども、言いますと、四山坑が典型的ですけれども、少しまだ呼吸をしていて、うんうんうなってるのを、収容所の1番南側のトイレのすぐそばに全部置いておって、死ぬまでそこで待って、遺体が7体集まってから大八車で火葬場に持っていって、焼いたと言ってます。
191 火葬場に持っていって焼いた人はだれなんですか。
 − 同じ中国人です。
226 最後に、永年こういう強制連行を受けた中国人、囚人など、そういう方々の、特に強制連行中国人の場合についてお聞きしたいんですけれども、そういう調査研究されている現在の立場から見て、この内地の送り込まれた中国人の強制連行中国人問題を、あなたはどういうふうにお考えになってるのか、それをお聞かせ願いたいと思います。
 − 約45年くらいから、それくらいのことをずっと中国人にかかわって来ましたけれども、ほとんど1人でやってましたもんですから、特に日にちが長くかかってしまったんですが、本当はこういう調査記録というのは、三井鉱山がやらなければならないものなんです。三井が中国人を使い、中国人を痛めつけ、中国人の生活を破壊した、そういうきっかけを作ってますから、本当にやっぱり三井は反省して、この記録を三井鉱山自体がやっぱりやらなくてはいけないと思います。2つ目は、今、中国に三井の多くの社員さんたちが仕事に行ってますが、三井から仕事に行く前に三池炭鉱で働いた、あるいは三井関係で働いた中国人の方たちの家に、亡くなった人、病気で帰った人、あるいは生存者の家に1軒1軒回って、そして頭を下げ、当時のことを全部話し、そして謝罪してしかるべきだと思います。これをやらないことには、本当に三井鉱山の名前が将来にわたって余り芳しくないものになってくるんじゃないかなという危惧を、私は今、持ってます。

質問者  原告ら代理人(弁護士 松岡 肇)

<調査活動に対する被告三井の妨害と報復>
227 あなたは、さっきの証言お聞きしますと、在職中からこの調査をやっておられるんですね。
 − はい。
228 三井三池鉱業所に対して、関係書類の閲覧を申し入れて断られたという証言もありましたが、あなたがこういう問題について調査されることについて、会社側から妨害であるとか、何か特別な扱いを受けるということはあったんでしょうか。
 − それは、まあ、私自身のことですから、あんまり言いたくはないんですけれども、それはありました。一番ひどいのは、やっぱり、短く言って6年間、本当にマムシの出る家で、朝行って戸を開けると上からマムシが落ちてくるもんですから、それを確かめて入らないと入れないような場所、そらから、蛇口をひねるとムカデが出てくる、そういう場所、それから部屋の中をモグラが走り回り、天上からムカデが降るように落ちてくる、周りはセイタカアワダチソウで囲まれて、10匹ぐらいの野犬がうろつく中に、ほとんど9年間、1人で、たった1本の、本社ですから相当離れてますが、そこの課長の電話の並列の電話1本置かれただけでそこに置かれましたこと、これが1番、私はやっぱり、こういう問題を研究し、確認した者に対する仕打ちかなと思ったことがあります。
229 今、置かれたというのは、住居としてですか、職場としてですか。
 − 職場です。
230 9年間ですか。
 − そうです。
235 さっきから、お医者さんが診てくれないという医療状態や死亡の問題について数多く証言されました。帰国に当たって、GHQの共立病院の関係以外では、感謝の意を表して帰った者はいなかったというお話でしたが、お調べになって、三井三池だけじゃないほかのところと比べても、かなり三井三池での扱いは過酷だっだとお考えになりますか。
 − はい、そのとおりだと思ってます。1つは、やっぱり三池炭鉱の場合は、以前に囚徒坑夫を使った経験がありますから、相当厳しい取扱いをする経験を含めて持っていますので、多分それと一緒に重なって、やったんじゃないかなと思ってます。
236 外務省報告書によりますと、戦後の中国人強制連行者の全国135か所で最大の紛争が起こったのが三井三池だと書かれておりますが、そういうところにも原因があると思いますか。
 − あると思います。
238 最後ですが、今日は提出されていませんけれども、あなたがお作りになった連絡簿の中に、2001年、今年の2月15日の中に、三井鉱山の昭和23年4月21日付で三井鉱山のヤマカワリョウイチ社長が連合軍総司令部法務局あてに華人労務者管理概要というのを出したというふうに記録されてるんですけれども、これは何か原本か何かご覧になったんですか。
 − はい、そうです。
242 これを見ますと、ここでは、三井鉱山が5415名を受け入れたというふうに書かれてるんです。記録では5517名となってるんで、ここでも数字に少し違いがありますが、それから、これをちょっと見ますと、戦争中の労務者の充足対策として、労務動員計画要綱に基づいて連れてきたということとか、この収益は日本の政府と出先機関との間で合議決定したものだとか、民間業者はその方針に従って、管理に当たったんだというようなことが社長名で書かれてる、そのとおりですね。
 − そうです。
243 ただし、どういう扱いをしたかの中には、労務者として受け入れたとか、食糧は中国人の食生活を重んじたとか、様々書かれていますが、ここに書かれてる9項目の、例えば死者については葬祭を丁重に行って、遺骨は責任をもって送り返したと書かれていますが、これは、あなたが今お調べになった調査内容とは随分違うということになりますか。
 − 違います。
244 どういう感想をお持ちですか。
 − とんでもないと言いますか、よくもここまでぬけぬけと言えるものだなというのが第1の印象でした。それで、やっぱり先ほど申しましたように、本当のことを三井鉱山、本当の資料を三井鉱山が公にすべきだと思います。今でもやっぱり隠してると思ってます。どこに隠してあるかというのは先ほど尋問の中でお答えしましたように、倉庫にあるものを全部東京に送ったという1言の中に全部含まれてると思います。あると思います。それを出してほしいというのが私の本当の願いです。