ディベートでは、かみ合った議論を作り出すために幾つかの仕掛けがあります。たとえば引用であり、たとえばナンバリングです。そして、このメリット・デメリットの数を絞るというのもその一つです。
こうすることにより、子どもたちは相手の出してくるメリット・デメリットの中の一番強そうなものへの反駁の準備をすることが出来ます。また、メリット・デメリットを多く出し、
「相手が言い返して来なかったから私の勝ちだ」
というようなディベートを防ぐことが出来ます。
ただし、どんなメリット・デメリットが予想されるかを考えるときには、一つ二つを考えるのではなく、出来るだけ多くのメリット・デメリットを見つけ、その中で強そうなものを選ぶようにした方がいいでしょう。
また、クラスみんなでメリット・デメリットを捜して、試合に使うメリット・デメリットを決めてしまって戦わせるという方法もあります。同じメリット・デメリットであっても、発生過程や重要性・深刻性の説明の仕方で全く違う議論になります。面白いものです。
現在日本で行われているディベートは、アメリカの大統領選挙にルーツを持つもの、司法制度にルーツを持つもの、イギリスの議会制度にルーツを持つものがあります。
メリット・デメリット比較方式のディベートは、これらからエッセンスを取り出し勝敗を付けやすくしたものです。
Tシャツの自由化に関して、論題を設定するとすれば【○○中学校は、制服のTシャツを認めるべきである。是か非か】となりましょうか。
このように校則を論題として扱う場合、注意しなければならないことがあります。それは、子どもたちはディベートの勝敗をそのまま、実生活のルールに当てはめて考える傾向にあると言うことです。つまり、【○○中学校は、制服のTシャツを認めるべきである。是か非か】のディベートで、肯定側が勝った場合、
「勝ったんだから、Tシャツでいいんでしょ」
と言ってくる場合があります。
ディベートは、肯定側でも否定側でも議論が出来るように論題を設定してあります。ですから、ディベートで勝つと言うことは正しいから勝ったというのではなく、議論が強かったから勝ったと言うことにしか過ぎません。議論が強いというのは、適切な根拠の提示、わかりやすいスピーチ、わかりやすい議論の構造などが出来ているということです。簡単に言えば、教員と生徒がディベートをやれば、どっちの立場でも教員が勝ってしまうと言うことです。
ディベートでテーマを両面から見た後、本音で語る学級会などを行うと深まると思います。
教室でディベートを指導する時の参考資料としては、以下のものがあります。出版社は全て学事出版(電話 03−3225−5471 ファックス 03−3255−0248)です。
以下の本は、『中学校国語科ディベート授業入門』以外、すべてメリット・デメリット比較方式のディベートをもとにして書かれています。私のものは、メリット・デメリット比較方式のディベートを開発する前に行われていた方式で「ストックイッシュー方式」のディベートで書かれています。
<ビデオ>
「小学校ディベート授業入門」指導 池内清 5000円
<ファックス資料>
『小学校ディベートワークシート』池内清・上條晴夫
『中学校高等学校ディベートワークシート』池田修・上條晴夫 1400円
『小学校 ディベート授業がてがるにできるモデル立論集』1800円
『中学校・高校 ディベート授業がてがるにできるモデル立論集』1800円
<実践記録>
『小学校 はじめてのディベート授業』池内清 1456円
『中学校国語科ディベート授業入門』池田修 1400円
<総合>
『中高生のためのやさしいディベート入門』上條晴夫 1600円
『新・教室ディベート入門事例集』全国教室ディベート連盟編 1600円
<学習ゲーム>
『論理的な表現力を育てる学習ゲーム』上條晴夫編著 1500円
<雑誌>
『教室ディベートへの挑戦』1〜14集
今回ご覧頂いたビデオは、「小学校ディベート授業入門」です。ルールを理解するには、『中高生のためのやさしいディベート入門』があります。「ことわざスピーチバトル」のようなゲームは、『論理的な表現力を育てる学習ゲーム』に載っています。ファックス教材とは、コピーして印刷すればそのまま授業が出来る教材集のことです。
私も、この「根拠」をどう教えたらいいのかと随分考えていました。ディベートでは、「〜と考える。なぜならば、〜である」という型を使って議論することを学びます。
はじめに、型を提示することが、根拠の理解に繋がるようです。
私が体験した中では、ディベートを教えると子どもたちは一時的に五月蠅くなります。
「根拠はありますか?」
「どうしてそう言えるのですか?」
なんてことを言い出します。時にこれが学校の中であまり発言をしない先生や、母親に向けられていきます。すると、場合によっては
「なんてことを教えるのだ」
「寝た子を起こすな」
と非難を受ける場合があります。
私はこれはある種、仕方のないことだと思っています。
子どもたちにとって見れば新しく手に入れたおもちゃを使ってみたいのと同じように、新しく手に入れた技術を試してみたいのだと思います。
ですから、ディベートの授業の前にはここを見越して、導入時には、ディベートの技術を学んだ者としての倫理を説いておくことが大事になるでしょう。また、保護者会などでもディベートの大切さについて先に語っておくことが必要かと思います。
私の体験では、ディベートの重要性については保護者から何も異論は出ません。ただ、子どもに反論されて何も言えなくなるのが悔しいという意見は時々頂きます。
ただ、子供の親に対する反論は二種類あります。キチンとした根拠を伴って冷静に行われた反論と、ディベートの小手先の技術を使って行った反論です。親御さんはどちらにも反論し返せないというのですが、前者の場合は「お子さんがディベートを学んで成長されたのですね」と言うようにしています。後者の場合は、「もっと学習を進めれば自分の反論に根拠がないことに気が付きますよ」と言っています。「また、お母さんの主張を支えている隠れた根拠も理解できるようになりますよ」と言っています。
いずれにせよ議論の仕方を学ぶわけですから、子どもたちは議論を始めます。その結果うまくいく場合もあれば、失敗してしまうこともあります。しかし、議論なしで行われる場合と比べれば、議論ありで行われる方が大事なのではないかと考えています。
ありがとうございます。
私は走り出してから考えるタイプですので、子どもたちには迷惑をかけていますが、それでも結構楽しくやってくれています。
ディベートに比べ「ことわざスピーチバトル」は、ゲームの構造が簡素に出来ていますので、導入にはこれを使うのが良いかもしれません。そして、対戦型スピーチゲームのおもしろさを子どもたちが実感したら、ディベートへ導くという方法です。
私の資料で良かったらどうぞご利用下さい。
いつも書写ではうちのクラスの子どもがお世話になっておりますf(^^;。
たくさんのご参加を頂き、とても感激しています。先生のようにもっと詳しく知りたいという声も多く頂いております。
これも何かの縁かと思います。三学期の期末考査後にディベートの授業を行う計画で、ディベートの手順などを体験するサークルのようなものを作ってみようかなあと思うのですが、ご参加いただけますか?>みなさん。月に1,2回で場所は楢原中学校を考えていますが。
まさにその通りだと思います。ディベートは、聞く、書く、読む、調べる、考える、話すなどの国語の言語技術を総動員して行う活動ですので、いろいろな所に応用が利くと思います。
私も昭島の瑞雲中学校にいた頃は、選択の授業でディベートを扱っていて、その生徒と一緒に全国中学高等学校ディベート選手権(ディベート甲子園)に参加していました。一緒に参加しませんか?
ありがとうございます。なるべく授業に即して説明しようと試みてみました。
あのプリントは、中学一年生を対象に作ったものではありますが、二、三年生から始める場合もこれを使います。
ただ、学校によって生徒の特性が違うこともありますので、学校の実状に合わせて変える必要がある場合は、変えてお使い下さい。
どのような論題だったのでしょうか?一般的には【○○中学校は、制服を廃止するべきである】の廃止論題が多いのですが。20年ぐらい前の中学生は、制服廃止に賛成する生徒が多かったと思いますが、今の生徒は逆ではないでしょうか。彼らは、制服は着ていて、制服を自由に着ることを認めてほしがっていますから。ここの問題意識を、指導する教員が持って行うことが、この論題を扱うときのポイントではないでしょうか。
私も本格的にディベートをはじめてからは7年ですが、毎年新しい発見があり実に奥の深いものだと思います。
ディベートは、言語技術ですのでトレーニングすればするだけ技術が向上します。これは私たち教員も生徒も同じです。
今回お話ししたナンバリングの技術は、ディベートの技術の初歩で基本中の基本でありますが、これを理解することと使えるようになることには大きな違いがあります。楢原の子どもたちもまだまだ出来ていませんが、繰り返しによって出来るようになると考えております。
研究授業の方はちょっとご勘弁をとは思いますがf(^^;、授業公開の方は今年度中に行おうと考えています。実際にご覧頂ければそんなに難しいことではないと言うことがおわかり頂けるかと思います。その時は、何らかの方法を使ってご連絡申し上げます。みなさま。
月に一回ぐらいの連続か、冬休みの一日を使って、ディベートの体験講座のようなものを八王子でできたらなあと思います。授業にかける前に、生徒が行う論題で先生ご自身が体験しておくことは大切だと思いますので。企画したら参加していただけますか?
総合的な学習のことはまだ良く分からないのですが、ディベートを行うことは非常に効果があると考えています。そのとき、国語科がディベート【を】教え、様々な教科がディベート【で】教える環境ができれば理想だなあと思っています。論題はズバリ、
【日本は、ごみ収集を有料化にするべきである】
です。
いかがでしょうか。
国語力に関しては、拙作ではありますが教科通信で生徒に説明したものをそのまま引用いたしたいと思います。*資料一
年間でどのくらい行っているかと言いますと、だいたい年間に10時間から15時間程度です。話し言葉や言語技術の指導の面からするとまだまだ足りないとは思うのですが、現状ではこの程度です。
私の経験上で申し上げると、15時間も行えばナンバリングを意識する生徒もかなり出てきます。
ディベートやことわざスピーチバトルは、発表がゴールになっています。理解することや調べるだけでなく、発表を出口に設定することで生徒はやらざるを得なくなります。しかも、勝ち負けが決まりますので多少のプライドを刺激しますから、いつもよりは真剣にやるようになります。
子どもたちは
「非常に疲れる授業だ」
と言っています。
私も、
「楽なことやって力が付くと思うの?」
と言い返していますが。
はい、多分そうなのだと思います。
私は、理解できたものは表現できなければ本当ではないと思っています。ディベートでは、表現をゴールに設定することで、理解せざるを得なくなると考えております。不十分な理解であっても表現をしなければならないのですから、子どもは辛いと思いますが、多少のプレッシャーは成長には必要なものだと思っておりますf(^^;。
ありがとうございます。
先日は、時間の制限もあり実践の大枠だけのお話となってしまいました。細かい指導のポイントなどは、ほとんど話せませんでした。
たとえば、お客さん的な子どもがいた場合、その子を含んだ三人組の会場で、その子どもがはじめはジャッジになるように全体を操作してしまいます。その子が引いたトランプのカードの種類をジャッジにしてしまうわけですね。そうして、一回目は様子を見させるとかするわけです。
また、反駁で固まってしまっている場合には、私が乗り込んでいって少し手助けをしてしまうこともあります。
たとえば、体育の授業でマットで回転できない生徒がいる場合、教師は補助をして回転させてあげますよね。ディベートも実技ですからそのように介入して補助してしまうことはそんなに問題ではないと思います。
ありがとうございます。
座学ができない子供が増えてきていると思うのですが、そういう子どもたちでも実技教科は楽しくやっている姿を見ていて、(国語もそういう風にできないかなあ)と思ってディベートに出会いました。
ことわざスピーチバトルは、子どもたちも大好きです。自分を語ることの快楽、聞いて貰えることの快楽、友だちの意外な過去を知れる快楽、声を出すことの快楽などが含まれているからではないかと思っています。
六時間の流れが詳しく載っている本があります。
『教室ディベートへの挑戦第七集 教科書単元・試案 「ディベートを楽しもう」』(学事出版1250円)
光村出版の国語の教科書にディベートの内容が載っているとすれば、どのようになるかと考えて書かれたものです。教科書、指導書、指導案などすべて載っています。是非お読み下さい。
簡単に流れを説明しますと、
1 ディベートとはなにか? → フローシートの取り方 → ビデオ視聴
2 立論の構造と作り方
3 質疑・反駁の方法
4 対戦準備
5 第一試合と試合を体験しての質問受付
6 第二試合と第三試合
ということになります。
ビデオは、国語部会で買って貰いましたので、由井中の真鍋先生に連絡していただければレンタルできると思います。
ありがとうございます。
ディベートでは、【日本はサマータイム制を導入するべきである】とか【日本はゴミの収集を有料化するべきである】のように、論題の内容が国語と言うよりは、社会科の内容であるものが多くあります。
国語科としては、その専門的な内容に関しては多く語ることはできませんが、資料の調べ方や議論の組立方などは、実に国語科なわけです。ディベート【を】国語科で教え、ディベート【で】社会科や、道徳、特活、総合的な学習の授業を組み立てて貰えるようになるといいなあと思っています。
私はビデオがないころからやっていまして、確かにビデオがなかったときは結構大変でした。が、今はこのビデオがありますから、かなり始めやすくなっていると思います。
ありがとうございます。
ディベートは万能ではありませんから、子どもたちの姿が急に劇的に変化するということはないかもしれません。ただ、話を聞く態度と技術、なぜかな?と思う気持ち、ナンバリングなど話の構成を気にした話し方などには、割と早い時期から変化が見て取れると思います。
別の面からの変化も指摘しておきます。
ディベートを行うと、一時的に子どもたちが屁理屈になることもあります。いろいろな会話の場面で
「なぜですか?」
「どうしてですか?」
と相手の話の根拠を求め出すこともあります。
これは、全国の実践を見ても一時的にはあるようです。
ですが、私の体験ではディベートの技術が向上すると、自分の発言が正しい根拠を伴わない屁理屈であると気が付いたり、相手が根拠を述べなくてもその根拠を類推して発言を聞けるようになっていきます。
いいご質問ありがとうございます。「ジャッジが難しかった」とのことですが、確かにジャッジは慣れないうちは特に難しいと思います。ちょっと詳しく考えてみることにします。
ディベートのジャッジの役割は次の三つに大別されます。
1 話を聞く、メモする。
2 勝敗を考える。
3 判定を伝える。
1は、試合中にフローシートを撮る場面です。2は、試合の後、勝ち負けを考える場面です。この二つは比較的早くにできるようになります。が、3には少し時間がかかります。試合経験が必要になると言うことです。
説得力のあるスピーチというものは、論理と感情と両面から支えられている話であることが多いですよね。更に、それを支えるプレゼンテーションの技術があると思います。
ディベートを通じてどういう力を子どもたちに付けようとしているのかという教師側の指導計画にもよりますが、現在の私の場合、プレゼンテーションの技術による説得力ではなく、根拠を大事にした論理や、話の筋道を意識した論理構成で勝ち負けが決まるような指導を目指しています。
理想としては、国語科でディベートのルールや技術を教え、社会科や学活や道徳でディベートを活用していくというものがあります。
言語技術に関しては国語科が責任を持つという立場を出して指導していくのが良いのではないかなあと思っております。
新しい授業と言えば、「ワープロを使った作文」とか「漢字ウォーリーを捜せ」だとかが、うち子どもたちは好きですね。
最近は、国語の授業を実技教科にしていくことが大事なのではないかと思い始めています。生徒は椅子に座り、教員はチョークと教科書とで勝負なんて授業はあこがれますが、今の時代の子どもたちを目の前にしてどうも私にはできそうもありません。これからも宜敷お願いします。
ディベートの授業は、指導者がある程度理解できればやってしまうことができます。 指導者がディベートに熟達していればそれはそれでいいのですが、授業では生徒の目の前でディベートの実技を見せるわけではないからです。実際、私の授業でも始まってしまえば、
「あと30秒」
など言う以外に指導することはありません。
では、授業中に何をしているかというと、評価です。ちょうど体育の先生が授業中に子どもたちの活動を評価するように、生徒の発言や資料の程度などを机間巡視しながらチェックします。名表を持って机間巡視しながらチェックして歩きまして、授業が終わると平常点の採点が終わっていると言うことになります。
論題についてお話しする時間がありませんでした。
論題は、大きく三つの種類があります。
1 事実論題
2 価値論題
3 政策論題
です。
事実論題とは、【邪馬台国は九州にある】のような事実の認定について争うディベートです。価値論題というのは、「日本は良い国である」というものです。政策論題は、【日本はサマータイム制度を導入するべきである】のように、【AはBするべきである】のように政策主体を設定して政策内容の是非を争うものです。
価値論題は、基本的に「良いか悪いか」ということですが、この「良い」ということを定義するのは結構難しいものです。その定義の仕方だけで議論が生まれます。その定義に基づいて議論が展開できているかどうかを判定するというのも難しいです。
小学校の実践などではときどき【ペットにするなら犬がいいか猫がいいか】とか【今度生まれてくるなら男が良いか女が良いか】などの論題を扱っていますが、それぞれの良い点を言うだけで議論がかみ合うこともなく、それでお仕舞いのようなディベートになりがちです
「論点を多く出せた方が勝ち」というディベートを設定するのならば、このディベートもありだと思うのですが、論点の質についての検証がないディベートは面白くないと思います。ですから政策論題をお勧めします。
政策論題を扱うとき注意すべき点は、
初めは論題の範囲を小さくする
勝った方が正しいわけではないことをキチンと教えておく
ということです。
1について。
論題の範囲を小さくすると言うのは、政策主体を小さくすると言うことです。いきなり「日本は、」という論題でやるのは大変です。はじめは、「○年○組は、」のようにクラスのネタで行うのがやりやすいと思います。ちなみに、ディベートの難易度は幾つかの要素で調整できます。一番やりやすいのが、先日お配りしたディベートのワークシートの形式だと言うことになります。
少しずつ難しくするには、以下の要素を組み合わせるとできます。
2について。
学級の論題を扱うと、子どもたちは
「先生、勝ったらこれやっていいの?」
と聞いてきます。
ディベートでは、肯定側も否定側も議論の仕方によっては充分に勝つ可能性のあるものを論題として選んでいます。ですから、勝ったのは、正しいからではなく議論の組立て方がうまかったからということになります。これをきちんと教えておかないと、学級経営上で混乱をする場合があります。
今年は、ディベートを教えた後に古典の単元でことわざスピーチバトルを行いました。先にディベートをやっていたこともあり、子どもたちはすぐにゲームの構造を理解して楽しんでいました。
ことわざについては、三つの段階で指導しようと考えています。
1 理解する
2 使えるようになる
3 作り出す
理解するというのは、ことわざの意味が分かるようになると言うことです。今回は資料集にあることわざを定期考査の試験範囲にして、とにかく覚えさせました。
使えるようになるに関して、ことわざスピーチバトルを行いました。場面に応じて実際の会話でことわざを使えるようにするためのトレーニングです。
最後は、自分達で新しいことわざを作ってみようと言うものです。「広辞苑に載るようなものを作ろう」が合い言葉ですf(^^;。今までに子供が作った作品で私が気に入っているのは、
・ 住めば狭い
・ 逃した私は大きい
・ 酒に交われば赤くなる
などです。パルコ出版から出ている「御教訓カレンダー」を作るノリです。
数学が苦手だった私が、論理を扱う授業をしているのですからなんとも説得力のない話になってしまいますがf(^^;、論理的という言葉を、「わかりやすく伝える」というように置き 換えることができれば、「根拠」と「構成」が「論理」のポイントになるのではないでしょうか?
なぜそう言えるのか?についてキチンとした例を持ってくる。また、どういう順番で話したらいいか、話そうとしている要素についてどれだけの分量で話せばいいのかということを考えるだけでも随分と違います。
子どもたちの語る経験を見ていると、
(おい、そこまで話してしまって大丈夫か?)
と思えるような過去の話もし始めますので、聞いている私は結構緊張しましたが、子どもたちは何でもないようでした。
失敗談を入れた方が、話としてはうまくまとまるようです。
一年生からやると段階的に教える時間もありますので、ゆとりを持って教えられますね。
ディベートでは、議論の方法を学びます。ところが、ディベートは一般的な議論とは違いルールに基づいたゲームの討論です。ですから、ディベートで身に付いた討論の技術をそのまま日常の議論に持ち込むと、却って人間関係に問題を作る場合もあります。
ディベートで学ぶ、ナンバリングやラベリングの技術は日常の会話や作文の指導でも充分に役立てることができます。ここを意識して活かすようにしてはいかがでしょうか。
落ち着かない生徒や白けた生徒に対してはどのようにするかということですね。
私はディベートを学ぶことによって、どういう力が付くか、そしてそれがどんなに大事なことかを語るようにしています。
『今の時代は懸命に仕事をしている人もリストラされてしまっているんだな。一所懸命は当たり前であって、その上にどういう技術を持っているかと言うことが大事になっているんだよ。一所懸命でもない、力もないとなると大変なことになるねえ』
てな感じです。
また、子どもたちはディベートをすると、
「大変だあ」
「難しい」
の様なことも言ってきますが、
『馬鹿なこと言うのではない。大事なことがそんなに簡単に身に付くと思う方がおかしい。難しくたって大事なことだからやるんだ』
と言ってしまいます。
答えになっていますでしょうかf(^^;。
三学期の中ではディベートの授業を扱いたいと思いますので、その時にはご案内を差し上げたいと思います。
ご覧頂ければ
(こんな感じなのか)
と分かっていただけると思います。ええ、大したこと無いと言うこともおわかり頂けるかと思いますf(^^;。
教員に成り立ての頃の私は、非常に活舌が悪くてどうにかしなければなあと思っていました。たまたま読んだ本(家本先生の本だってしょうか?)に、「自分の授業を録音してみると良い」というのがあって、録音してみました。これがなんとまあ酷いf(^^;。
活舌の方は簡単には直らないと思ったので、私は次の点を注意するようにしました。
・大きな声で話す
・ゆっくり話す
・大事なところは繰り返す
・「えーーーー」という言葉を言わないようにする
・つまらない冗談は言わない
一ヶ月ぐらい録音を続けたら、結構直りましたが。
(分かるとできるは、こんなにも違うのか!)
というのがディベートを学び始めたころの実感です。頭の中では理解できているのに、実際にやると言葉にならない。非常にもどかしい思いをしました。
ところが、試合数をこなしていくうちに言葉になるようになりました。だいたい10試合ぐらいです。
ディベートの構造やルールを理解することと、ディベートの技術を使えるようにするのと二つの事柄を導入時にやらなければならないので大変なのだと思います。
体験による気づきは、生徒にとっても重要なことではないかと考えています。
ディベートは試合だけではなく、準備も重要です。ディベートの授業では、準備がその70%ぐらいを占めることになります。試合は20%ぐらいで、振り返りが10%ぐらいでしょうか。その準備の過程で得たものは勝ち負けを越えることもあります。それは、合唱祭で優勝できなかったとしても練習の過程で得たもので十分満足することに似ています。
逆に言えば、適当な準備だけで試合に勝ったとしても、試合後の充実感や学んだなあという実感は薄くなります。負けても満足できるディベートマッチの鍵は、その前の準備の段階にあるということです。
ただ、一般的に子どもたちが体験する試合の数が少ないと、一つ一つの試合にこだわって、結果的に勝ち負けにこだわるということになります。ですから、時間の許す限り試合数を多くすることが大事です。同じ論題で結構ですので、10試合ぐらいやるといいかと思います。
就職活動で出会ったディベーターは、私の勘ではさほどうまくないディベーターのような気がします。私がうまいなーと思うディベーターは、場の空気と展開されている議論をきちんと読みとり、自分の意見を主張しまくるのではなく、的確な質問を発してその場に参加しているメンバーから答えを引き出せます。例えとしては、「さんまのからくりテレビ」での明石家さんまさんのような感じです。
ディベートのようにぎりぎりの議論をするということは、人生の中でそんなにあるわけではないと思います。私で言えば、交通事故の調停や家を買うときの契約の時ぐらいでしょうか。しかし、ぎりぎりの議論のトレーニングをしている人としていない人とでは、危機的な状況に陥ったときに踏ん張れる度合いが違うようながします。一種の保険と考えても良いかもしれません。
ディベートは、包丁のようなものだなあとつくづく思います。
包丁は、キチンと手入れをして、正確な技術を持って、使用方法を間違えなければ美味しい料理を作り出すことができます。しかし、これらを怠ると自分の指を傷つけてしまったり、場合によっては人に大きな危害を与えることになってしまいます。大事なのは、包丁が悪いのではなく、包丁の使い方を間違える人間の問題だと言うことです。
ディベートも、使い方を間違えると人を傷つけてしまいます。ディベートの技術を教える一方で、使うための倫理を教えなければならないとも思っています。