
菅原道真(すがわらのみちざね)さんを知っているかい? 君たちが得意な、あの「まにまに」を作った人だ。
私が菅原道真さんのことを知ったのは、中学一年生の頃。さだまさしさんの「飛梅」という歌がきっかけである。
道真さんは、非常に学問ができ、民衆からの信頼は厚かった。が、それが逆恨みを買うことになり、無実の罪で、九州は太宰府に左遷されることになった。
道真さんは、何度も自分は無実であると訴えたのだが、聞き入れて貰えることはなく、京の都を離れることになった。
そのときに、庭にある自分が愛でていた一本の白梅に対して歌を詠んだのだよ。
東風吹かば
匂ひ起こせよ
梅の花
主なしとて
春な忘れそ
(こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ)
春を告げる東の風が吹いたならば、その匂いで思い起こしてくれ、梅の花よ。私は九州に無実の罪で左遷されてしまうが、主人がいなくとも、どうか春を忘れないでほしい。
という内容である。
その後、高校の修学旅行で私は太宰府天満宮に行き、その白梅を見ることになる。とても大きな梅だ。
おかしいだろう? 京都の庭に置いてきた梅が、太宰府にあるのだから。感激した道真さんが、周りのものに聞いたら、
「ご主人様を慕って、一夜で飛んできたのです」
と答えたという。
実際は家来が運んできたのだろうが、それ以来この梅のことを「飛梅」と呼ぶようになったのです。
今日で二月も終わり。
いよいよ、春が近づいてきます。
003/2/28 学級通信 『青』 NO.57より
都立高校は明日が一次試験の合格発表日です。三年生が一人でも多く合格すると良いねえ。
今週の朝礼で校長先生が話してらした「目は口ほどにものを言い」の話について、道徳の時間に話題を広げて話したね。
所ジョージさんの「目がテン」という番組でこれを検証していたが、実際の所は、目ではなく「眉毛」の変化で人間は、表情を読みとるという結論を出していた。
これはどういうことかというと、人間は外側の大きな変化の情報を直ぐに読みとると言うことである。眉毛の動きや眉毛の形は、直ぐに見ている人に飛び込んでくる。だから、「眉毛は口ほどにものを言い」なのである。
ところが、そう簡単ではない。やっぱり「目」そのものでもある。
どういうわけか、その人の人間性というものは、目や仕草に現れるのである。
アメリカの第十六代大統領であったリンカーンは、自分のスタッフにどうかと推薦された人の顔写真を見るなり
「だめだ」
と言った。推薦した人が
「一度も会わないで決めて良いのですか?」
と聞くと
「顔がダメだ」
と言った。
「顔で判断して良いのですか?」
と更に聞くと
「四十を過ぎたら顔に責任を持たなければならない」
と言ったという。
つまり、その人がどういう人生を送ってきたのかは、顔に自然と表れるというのだ。君たちの姿勢、箸の持ち方、授業中の足の位置、職員室での言葉遣い。そういうものを雑に扱っていると、少しずつ君という人間を、良くない方向に作り上げてしまうと言うのだよ。
老人ホームにボランティアに行ったある中学生が、
「お母さん、あそこには二種の人しかいなかったよ。いつもニコニコ笑っている人と、いつもぶつぶつ文句を言っている人。なんで?」
と質問をしてきたとラジオに投稿してきたのを聞いた。
答えは分かるよね。私も心したいと思ったさ。
003/2/25 学級通信 『青』 NO.56より
諸君が調理実習で魚をテーマに取り組むことを聞いた。なぜか私も
(やらねばなるまい。決戦ぢゃ)
という思いが湧いてきた。
このところ填っている魚料理があるので、君たちと料理の鉄人勝負をすることにした。
で、その結果、諸君に食べて貰ったら「美味しい」「美味い」とシェフにとってはとても嬉しい評価が出たので、レシピを公開しようと思う。休日に自分で作ってごらん。家族で楽しんでくれ。麦酒を飲む親御さんなら、更に喜ぶだろう。
材料
下ごしらえ
調理方法
とまあ、こんなもんだ。
添え物はトマトベースの野菜の煮込みなどがあるといいぞ。健闘を祈る。結果報告も待つ。
(なお、写真は調理実習で作ったものではなく、我が家で作ったものです)
003/2/20 学級通信 『青』 NO.55より
君たちに「手を洗ってうがいして、風邪には十分気を付けるのだぞ」と言っておきながら、自分がひいてしまうとは情けない。
百人一首の授業が終わって気が抜けたかな。選択の授業も入れると3000枚も読んだのが喉に応えたかな。38・5度の熱はきつかった。
リハビリを兼ねて、日曜日にはオペラ『椿姫』を見に行ってきた。主役のアルフレード役を、知り合いがやることになったので、見に行ったのだ。
本当は、アルフレード役の奥さんが知り合いである。私の高校時代の友人の妹だ。その妹に初めて会ったのは、彼女が小学校二年生の時だ。その友人のお通夜の時であった。
友人は、高校二年生のときにインフルエンザ脳炎で亡くなってしまった。私は、お通夜の手伝いで出かけていき、妹の子守をしていたのだ。
その当時の私は、今以上に髪の毛の癖が強くて、その妹は私を見るやいなや
「げじげじ!」
と叫んだ。
それから、私はげじげじの兄ちゃんと呼ばれ、彼女の受験の時や結婚の時と兄貴のようなことも、ちょっとしてきた。
その結婚相手がテノール歌手の卵だったわけだ。
ご主人は、主役級の役を演じるのは今回が初めて。お客さんは知らないが、最近お腹を切る手術をしたばかりであった。
知っている方は、ハラハラであったが、ステージが始まり、あの有名な『椿姫』の「乾杯」の歌を歌い終えたときには、
(を、調子はいいかも)
と思えて安心できた。
友人が死んで数十年になる。あのとき友人が死んでいなければ、こんなところでこんな風に『椿姫』を見ることはなかったと思う。
友人を亡くしたことは辛いことだったが、こうして、生きていることの不思議さや面白さを味わうことはなかったと思う。
人生は、やっぱり奥が深い。
2003/2/10 学級通信 『青』 NO.54より