国語科の授業をつくるために考えていること

国語科の授業内容と方法をどのように捉えているか


私にとって国語科の授業とは何か、を考えてみたい

 

学校は授業が大事である。これは学校教育に関わる誰もが納得するものであろう。ではあるが、そもそも授業とは何であろうか? 辞書的な定義はさておき、私がいま考えている国語科の授業というものを考えてみたい。

 

 

授業の内容を規定する四要素

 

授業は、以下の四要素から構成されていると私は考えている。

 

1)生徒が学びたい内容、力を育てたいと考えている内容

2)授業者が指導したい内容、指導できる内容

3)社会が授業に求めている内容

4)人類が人間の成長に求めている内容

 

以下に論じる。

 

1)生徒が学びたい内容、生徒が力を育てたいと考えている内容

 

生徒は基本的に「自分を成長させたい」と考えていると思っている。思っているが、その方法が分からなかったり、できなかったり、やる気が起きなかったりと足踏みしていたり、投げ出して逆の方向に進んでいたりしているのだと思っている。

 

そうであるならば、その足踏みしていたり投げ出したりしている部分を整理して、学べるようにしていくことが大事であろう。

 

そこで、授業開きでは、授業に関するアンケートを取るようにしている。ここでは、「あなたは、国語の授業でどのような力を付けたいと考えていますか?」という質問を設定し、「〜力という形で答えてください」と指示して答えさせている。これにより、どんな力を付けたいのかをざっとではあるが把握することができる。

 

生徒は自分の付けたい力を、授業で付けることができるかもしれないということで、意欲を持って参加することができる。

 

ただし、学校では学習集団を相手に授業をしているため、一人の生徒の希望に添うことが他の子どもの希望に反することもあり、バランスを考える必要もある。

 

生徒の学びたい内容を確認することが、一つ目の要素である。

 

 

2)授業者が指導したい内容、指導できる内容

 

目の前の生徒を観察した上で、彼らに必要な力は何かを把握したら、次に考える内容である。

 

授業者は教職免許を持ち、教員採用試験を合格しているが、それは教えるためのライセンスを得ていると言うことであって、技術やセンスを持っているということとは違う。人となり、生い立ち、学びの履歴などは様々であって、そのさまざまな部分から生まれる指導のユニークネスがあるはずである。

 

もちろん、教えなければならない内容を教えることが苦手なのであれば、この部分について研修を深めて教えることのできる力量を付けなければならない。しかし、ここで言いたいことは別のことである。

 

たとえば私は、小学校一年生の五月二十四日にお習字教室に通い始め、かれこれ三十年以上も筆を執っている。また、小学校の低学年の時から料理をやらされ、中学校二年生からギターを始め・・・という育ち方をしている。そういう私が授業を行えば、これに応じた個性がでてくるのは当然である。

 

また、私が生きてきた上で(ここはもう少し勉強しておけば良かった)とか、(この部分がこれからの世の中では必要だろうなあ)と思う部分もある。そこに力を入れて指導したいと考えることもあることである。

 

指導者の指導ユニークネスと指導哲学が、二つ目の要素である。

 

 

3)日本の社会が授業に求めている内容

 

義務教育が税金で行われている以上、社会の要求に応える面があるのも当然である。社会の要求には様々なレベルがある。保護者、地域社会、国の政策、企業の意向等が考えられる。

 

仮に、国の政策だけにを見てみても、様々である。たとえば教育基本法では、教育の目的を以下のように定義している。

 

引用開始 ーーーーーーーーーー

 

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の

形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、

自主的精神に充ちた心身とともに健康な国民の育成を期して行われなければなら

ない。

 

引用終了 ーーーーーーーーーー

 

ここから学校教育法や学習指導要領が導き出され、中央教育審議会、臨時教育審議会の動向、文化審議会答申(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301.htm)などに教育の方向性が示されることになる。もちろん、国が示すことがすべて正しいかどうかは考えなければならないが、この点も視野に入れなければならない。

 

ただし、この社会の要求は、非常に価値観がぶれる部分である。価値観が多様化している現在では、保護者のニーズは学習集団内で対立することは珍しくない。授業の目的と内容、さらにはその指導方法がどのような文脈で設定されているのかなどを説明することで方向性を確認したい。

 

教育に関して、社会がなにを求めているのかを確認することが、三つ目の要素である。

 

 

4)人類が人間の成長に求めている内容

 

教育が人類の安定した反映を築く礎だとすれば、教育の視点を日本だけに求めることはできない。世界は教育に何を求めているのかの視点を持つ必要がある。

 

たとえば、ユネスコは学ぶ権利について以下のように述べている。

 

引用開始 ーーーーーーーーーー

 

学習権宣言(1985年 UNESCO 国連教育科学文化機関)

 

学習権とは、

読み書きの能力であり、

質問し、分析する権利であり、

想像し、創造する権利であり、

自分自身の権利を読み取り、歴史をつづる権利であり、

あらゆる教育の手立てを得る権利であり、

個人および集団の力量を発達させる権利である。

 

学習権は、経済的発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとして認められなければならない。学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人びとを出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである。

 

引用終了 ーーーーーーーーーー

 

ここでは「読み書きの能力であり」と述べられていることを、国語科を指導する教師としては重く受け止める必要があるだろう。

 

では、ユネスコは教育に何を求めているのであろうか。最近の10年について具体的には、http://www.unesco.jp/contents/10/10_index2.htmlを見てみたい。

 

引用開始 ーーーーーーーーーー

 

2001年〜2010年 「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力の国際10年」---→「ユネスコ平和の文化国際年 」

2003年〜2012年 「国連識字の10年:すべての人に教育を」---→「ユネスコ世界寺子屋運動」

 

引用終了 ーーーーーーーーーー

 

ユネスコは平和と識字を教育に求めているのが分かる。

 

人類は教育に何を期待しているのかを確認することが、四つ目の要素である。

 

以上の四要素の重なりあう部分に、国語科の授業で扱う内容が浮かび上がってくるものだと考えている。

 

 

これらの授業の内容を規定する四要素を受けて、どのような授業方法を採用するのかについては、次項にまとめてみたい。

 

041230

 

 

     

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