大熊徹教官 金曜三限 2003.11.7
『文章論総説』講読 レポート範囲 261p~294p
m03-1405 池田 修
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/
このレポートの構成
文章表現とは「何か」について「自分」というものを」相手に伝達しようとすること、である。この「何か」と「自分」というものは、時枝学説における「詞」と「辞」という概念に相当する。
詞・辞というのは、元来単語を類別するための基本的な概念であって、詞とは客観的な事柄として表現する語、辞とは主体的な立場を表現する語、の謂である。すべての語は、一語一語が詞または辞とされ、分類される。
1.叙述辞・・・・・・言語主体が客観的事物を分節して話材としたものを全体として統一する機能をはたすもの
(1)関係辞・・・・・・分節された話材を相互に関係づけ順序立てて配列する機能を果たすもの
(2)統一辞・・・・・・関係づけた話材の総体をとりまとめる機能を果たすもの
2.述定辞・・・・・・言語主体が一つに統一した客体的事物について、自らの立場・態度を明らかにする機能を果たすもの
3.伝達辞・・・・・・言語主体が一つに統一した客体的事物とそれについての自らの立場・態度を含めた全体を相手に持ちかける機能を果たすもの
陳述の連鎖とは、文章の筆者が客体界を構成する一つ一つの文末陳述部に筆者の意図が集約的に表現されているという前提に立ち、文章全体を通して文末の表現形式の変化と統一とを検証することにより、文章構造を解明しようとする一つの観点なのである。
(1)統一辞の連鎖を基調とする文章
『読売新聞』昭和60.8.18の記事より引用
日航ジャンボ機の墜落事件に関する事故調査委員会の発表についての報道記事である。こうした内容の文章であるから、記者の主観的見解を交えることは許されない。したがって、この文章の文末はすべて客体的事象の叙述の機能をもつ統一辞になっている。
→ 署名記事との違いはあるのだろうか?
(2)述定辞の連鎖を基調とする文章
時枝誠記『国語学原論』序より引用
論文は自説の主張を展開するのを目的とする文章であるから、右のように主体的立場の陳述を表す述定辞の連鎖を基調とするのが当然のこととなる。
→ 主張の部分と根拠の部分では違いはあるのであろうか?
(3)統一辞と述定辞との交差する連鎖を基調とする文章
芥川龍之介「或日の大石内蔵助」より引用
典型的な統一辞と述定辞の交差する連鎖を基調とする文章である。こうした小説に限らず、この形態の文章は実際上もっとも多く見られるのである。
→ なぜ、「この形態の文章は実際上もっとも多く見られる」のであろうか?
(4)伝達辞の連鎖を基調とする文章
伝達辞のほとんどが終助詞(複合助詞を含む)であるところから考えて、この形態の文章と言えば、会話または会話調の文章ということになる。
→ 伝達辞のない会話の文章には、どんな例があり、どんな特徴があるのか?
なお、実例は省略するが、幼児相手のお話の文章などは、この形態の典型であることを言い添えておく。
→ 伝達辞があるということは、読者は幼いということを表しているのか?
現在形と過去形との混用という形を取る歴史的現在の技法には、きまった法則などありえないように思われるかも知れないが、それが”雑然たる混用”ではなく、”変化と統一”とをねらったものであるならば、何らかの意味で典型的なものはあるはずである。次の文章例で検討してみよう。
→ 本当だろうか?
「かくれん坊」志賀直哉より引用
「もういいかあ。もういいかあ」遠くでかういふ@声がする。かくれん坊の鬼がいつてゐるらしいが、「もういいかあ」は少し間が抜けて居ると思つた。私は二回で手紙をA書いて居る。
→「@声がする。」「A書いて居る。」とあるが、「間が抜けて居ると思つた。」には触れていない。どうも都合のいいところだけ引用しているように感じるのだが、違うのだろうか?
課題解答方式を砕いていえば、筆者が説明しようとする事柄を、課題文の形、すなわち、読者へのといかけという陳述形式で明確に提示し、筆者自身がそれに解答文を与えるという述べ方で文章を構成する方式である。
なお、課題解答方式および潜在的解題文への着眼は、学校教育における読解指導や文法教育に役立てることができる。
→ 課題と解答がきちんと呼応している文章であれば、読解指導に役に立つと考えられる。しかし、実際の文章読解にはこのようにきちんと呼応した文章が読解のテキストに使われることは少なく、不完全な文章が読解に使われることが多い。特に入試問題では、分かりやすい文章を出題しては点差が付かない。分かりやすい文章を型として示すことは大事であるし、その開発を行う必要もあるが、それが即読解につながるのであろうか?
串田孫一『PHP』昭和五六年一月号より引用
この文章は、客体的事象そのものをあくまでも客体的事象として叙述し、文章全体における辞としては自分の感情を表に出していない。文章の内容は情感に支えられた想念の世界であるが、文章構造としては、自分の行動を含めて表現対象をあくまでも客体的にとらえ、厳しい冬の自然という対象に没入したもんのであると言えよう。陳述連鎖図から看取し得た文章の一つの典型である。
→ 本当だろうか? 確かに主張とその根拠となる陳述連鎖図は一致している。しかし、理由の後付けではないのか?
ままごと(小学校一年用教材文)
氈u@みんな、おとなしくまっていていね。Aいま、ごちそうをこしらえてあげますよ。」
「Bゆたかさん、たんぽぽはもうないの」
。「Cああ、もうないよ。」
「「Dじゃ、またとりにいきましょう」
この文章は、人形を含めたままごと遊びにける会話である。当然相手を意識し、相手に向かって話しかけるのであるから、一つ一つの文に伝達辞がついているわけである。
→「ああ、」「じゃ、」などは陳述連鎖に関連は無いのか? 呼応は陳述の連鎖にも関連するような気がする。
責任はアメリカに 『東京新聞』「時評」昭和60.8.11 下村治より引用
この文章の論旨は、「のである」をたどることによってつかむことができるのである。
→ 一度読み終わってからでないと、分からないのでは? 「のである」に筆者のイイタイコトが集約されているということを予め教えるのであろうか?
陳述の連鎖をどのように中学の国語教育に活用できるか、作文指導について簡単に考えてみたい。
平成10年度学習指導要領によれば、中学校の年間総授業数は980時間と規定されている。その内、国語の授業時数は、中学一年が140時間(週4時間)、中学二年、三年が105時間(週3時間)とかなり少ない。この少ない授業時数の中で、作文に当てる時間は、中学の作文指導については、同要領の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」に「指導に配当する授業時数の国語科の授業時数に対する割合は,各学年とも10分の2〜10分の3程度とすること。」とある。単純計算をすると、中学一年で28〜42時間(書写を含む)、中学二年、三年で20〜30時間となる。この授業時数を確保することは実際は難しい、というのが中学校現場にいる私の実感である。
しかし、作文は書く機会を与えなければ力を付けることができない。そこで、新年度の決意、総合的な学習の時間、行事の後の感想文、職場体験の後の感想文などさまざまな機会を掴まえては、生徒に作文を書かせる用に指導する。
ところが、ここに二つの問題が発生する。
一つは、国語科の教師ではない教師が作文の指導を行うという点である。上記に示した「新年度の決意、総合的な学習の時間、行事の後の感想文、職場体験の後の感想文」は、基本的に学級担任が指導することになる。もちろん、国語の時間に指導した上で、作文を書く時間の確保ということで学級活動を使うこともあるが、国語科が指導せずに「さあ、書け」という現状は多く見られるのではないだろうか。
私はこの問題を解決するために、二つの方法をとってきた。
一つは、作文の指導をきちんと行うことであり、もう一つは国語科ではない学級担任でも簡単に指導ができる短作文の指導方法の開発である。注1 これにより、私の学校では作文に関する指導は一歩前進したと考えられる。
しかし、今一つの問題がある。それは根本的な矛盾である。作文の力を付けるには生徒に書かせなければならない。書かせると指導する時間が必要になる。しかし、指導する時間はない。だから多く書かすことはできない。生徒に力を付けることができないというものである。
昨今の「教育改革」の波は、現場に膨大な事務時間の増加を押しつけた。本来ならば、教材研究と学級事務、また生徒の作品の評価や生徒指導に当てるはずの「空き時間」は、この事務の為に消えた。どこかで時間を産み出さなければ、上記の問題は解決しない。
私はこの問題を解決するために、三つの試みを行ってきた。それは、@生徒の作品鑑賞の時間を授業内に設け、教師も一緒に作品の鑑賞と評価を行う。注2 A教師が速読教室に通い、生徒の作品を早く読めるようにする。B 生徒がワープロで作文を書けるように指導する。これにより作文を書かす回数を少し多くすることができたと考えている。
簡単にまとめる
1)作文を書かせるには、国語科によるきちんとした指導が必要であるが、この環境を作るのは難しい。
2)さまざまな工夫をしてきたものの、指導する時間を確保するのは難しい。
3)生徒は、ワープロで作文を書けるようになりつつある。
この実践の上に、陳述の連鎖を生かした中学校の作文指導を構想するにはどのような方法があるだろうか? 私は、生徒自身の気づきを促す、作文指導にあるのではないかと考えている。
注1 前者は「体験作文の書き方 初級編 教科通信『志学』より」(http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kokugo/sakubunn/hou-to-write-taikensakubun.html)と 「体験作文の書き方 中級編 教科通信『志学』より」( http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kokugo/tuusinn/01sigaku.html)に示し、後者は、「新春お神籤で決意表明」(http://homepage.mac.com/ikedaosamu/gakkyuukeiei/3gakki/sinnshunn_omikuji.html)に示した。
注2 「書き込み回覧作文」(http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kokugo/sakubunn/kakikomikairann-sakubunn.htm)に示した。
エクセルとは言うまでもなく、マイクロソフト社の表計算ソフトである。単純な計算機能だけではなく、名簿作りや、成績処理などにも使える大変優れたソフトである。しかし、機能が多すぎて何をどう使ったらよいのか良く分からないのも事実である。ここでは、沢山ある機能の内の「COUNTIF」関数を使う。
簡単に言えば「COUNTIF」関数とは、指定された範囲の中に、検索したい内容がいくつあるかを計算してくれる関数である。ここでポイントになるのは、計算する対象は、数字だけではなく「文字」も含まれると言うことなのである。私が活用したいのはこの機能である。注3
私は、「陳述の連鎖を生かした中学校の作文指導を構想するにはどのような方法があるだろうか?」と問を立て、「生徒自身の気づきを促す、作文指導にあるのではないか」と仮説を立てた。換言すれば、「自分の作文の癖を自分で発見できるようになること」と言うことができると考えている。
以下に方法を示す。
1)エクセルのシートに、『文章論総説』249pの「辞に関する分類語例表」を打ち込む。
2)1)のエクセルのシートに、辞に応じた「COUNTIF」関数を埋め込む。【辞に関する分類語例集計表】
3)ワープロで自分の書いた文章を、2)のエクセルのシートに指定された箇所ペーストする。
4)結果を見て、自分の文章の癖を考察し、推敲に生かす。
【辞に関する分類語例集計表】は、別のプリントに示す。注4
もちろん、「辞に関する分類語例表」の@とAに関してはここでは含まれていないし、「だ」「た」「の」などの一語の辞は、文章中から重複してカウントされている可能性、形は同じでも意味の違うもの(「た」が、過去のなのか完了なのかの違いなど)が区別できていないこともある。しかし、これらは今後、辞の定義や関数の改良で改善されていくことであろう。
現状の「COUNTIF」関数であっても、中学生が大体の自分の作文の癖を理解すること。どのように換えていけば、伝えたい文章に近づけられるのかを考えるきっかけを与えることが大事だと考える。そのためには、この文章論を基本とした【辞に関する分類語例集計表】を活用する方法は今後、有効になるのではないかと考える。
注3 http://www.melma.com/mag/47/m00093247/a00000017.htmlに「COUNTIF」関数の簡単で分かりやすい解説がある。
注4 実物は、http://homepage.mac.com/ikedaosamu/jibunruiv.2.xls にアップしてある。ダウンロードして使ってみて欲しい。