2005年12月から2006年6月にかけて録音・制作された。(mp3, 5'16, 6.0MB)
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「浅間追分 assamā’」
詞 長野県東部民謡(小諸馬子唄ほか)/ 移動式音楽班
曲 長野県東部民謡(信濃追分)/ 移動式音楽班
「finale」
曲 アントニオ・ホセ・サントス・アミーゴ
編曲 アントニオ / ウンベルト8世 / トムヤムクン・カラヒ(先生) / イリイニチナ・ハラショーヴィッチ
浅間追分 assamā’では詞・曲とも長野県東部に伝わる民謡「信濃追分」を部分的にカバーしている。
Finaleにおけるクレジットはすべて移動式音楽班のアミーゴ、アミーガである。
長野県東部と群馬県との境にそびゆる浅間山(活火山)であるが、「あさま」の語源としてはアイヌ語説、ポリネシア系言語説など諸説あるようだ。しかし、そこに割って入る新学説がここに登場した。
「あさま」の語源はアラビア語で「空」を意味する samā’ (サマー)に定冠詞 al がついた形 assamā’(アッサマー)から来ているのだ。日本語はアラビア語だったのだ。
というトンデモ学説ダレニモイウナヨをテーマにしています。
<歌詞>
浅間山 ほい ちょいと あいやさっさ
あたしゃ 山ではないけれども
ほい ちょいと
だもんで(~ということで) えー、だれ(ちょっと、そうではないでしょう) ほー(ほら)
あいやさっさ
胸に煙が絶えやせぬ
胸に煙が絶えやせぬ
あさま
東信濃の夜明け空
西風受けて顔上げりゃ
北も南も山ばかり(四方八方山ばかり)
聞いておくれよ山彦さんよ(聞いてあげよう恋狂い)はっ
浅間山ではわしゃないけれど
胸に煙が絶えやせぬ
その人の名を口にする(そっとその名を口にして)
空 空 空 空に吠える
assamā’
あさま
assamā’
あさま
assamā’
<使用道具>
こきりこ / びんざさら / ため棒 / ドーラック / デフ / 鍵盤ハーモニカ /クラシック・ギター / フラット・マンドリン / ウト
2005年2月から2006年6月にかけて録音・制作された。(mp3, 2'44, 3.1MB)
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2005年2月、中国製の銅鑼(アントニオ・ホセ・サントス・アミーゴ氏所蔵品)をどろどろ〜っと叩く。そのまま放置。
2006年6月、クラシック・ギターを適当に、きわめて適当に爪弾く。それにいくつかの音を加え編集する。
どこか収まりの悪いBGM制作の一環として、美学的に取り合わせの悪そうな音の組合せを試してみる。
<使用道具>
銅鑼 / クラシック・ギター2005年5月から11月にかけて録音・制作された。(mp3, 4'53, 5.6MB)
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英国の無言劇で歌われる曲で、歌詞の意味が聴衆に知れると幸運が逃げてしまうと考えられている曲があるという。
イースター島の古語(Rongorongo)は失われた言語であり、現イースター島民は、島に伝わる古謡を歌えど、その意味をわかるものはいない。
ダム湖に沈んだ集落が、渇水の年に湖底に露出することがある。
これらのエピソードに触れたとき、それは祈りであり、犠牲でもあると感じられた。失われ、取り戻すことの出来ないものが暗示する受難。
そんなふうに、クエスチョンマークの背後にある祈りと犠牲を、素朴な、フォーク・ソング風の曲にのせて歌ってみようと思ったのです。
<歌詞>
(イースター島古語 Rongorongo語によるイントロに続き)
風に吹かれ 丘の上 目を閉じた
そこは昔 故郷の町だった 二度とは戻れない
君は僕の大切な人だった
まるで君が今もそこにいるようだ 緑の木の下で
眠るあなたはまるで珊瑚になる
深い海の底で光を放つ
風に吹かれ 記憶の歌を口ずさんだ
その言葉をわかる者はもういない 二度とは戻れない
君となら僕はどこまでも行ける
祭りの夜 冒険に出発さ
全力で 全速力で
眠るあなたはまるで銀河になる
暗い夜の空に虹をかける
消え去った町の上で会おう
忘れられた言葉で歌をうたおう
<使用道具>
サヌカイト / チン / ギター・ケース / 手拍子 / 瓶 / ドーラック /リコーダー / 送油チューブ / 鍵盤ハーモニカ /
ギター(エレキ・ギター / クラシック・ギター )



