2005年3月から2006年5月にかけて録音された。(mp3, 4'06, 4.9MB)
PLAY / DOWNLOAD
「寒い国の老人の額に深く刻まれた皺に捧げる」と同様に、1990年代前半に友人の芝居の随伴音楽として制作されたものが元となっている。
森の奥へ、ひらひらと舞うてふてふに導かれ、木の葉や枝を払いのけ、倒木を踏み越え進む。
もう、出口のわからない、後にも先にも進めない地点に至る。
<挿入曲>
In amorem vise cedo:
fecit Venus hoc, ut credo.
≪Ades!≫ inquam, ≪non sum predo,
nichil tollo, nichil ledo.
Me meaque tibi dedo,
pulchrior quam Flora!≫
Estivali sub fervore C. B. No. 79より
私はその人を見て、恋におちいった。
それはヴィナスがなせるもの。
私はいった「お待ち、私は盗人ではない
何もとりはしない。心配しないでおくれ、
私を、私のすべてをおまえにおくる。
フローラよりももっとうつくしいお前に!」
(高野紀子訳)
<使用道具>
マラカス/デフ/ドーラックリコーダー/ティン・ホイッスル/サズ
Nesliyanへ贈る。記憶の底に決してうずもれる事のない思い出とともに。
2005年5月から10月にかけて録音・制作された。(mp3, 2'14, 2.6MB)
PLAY / DOWNLOAD
一つ、ジャカスカしていて、二つ、野蛮で、三つ、音の塊のようなサウンドは移動式音楽班が追究して止まぬものなのであります。専ら生楽器によって。この曲はそんな三要素の実現を目指したものだ。ジャカスカで、野蛮で、音の塊になっているだろうか。
曲は「旅」の真っ只中にいる人間を容赦なく襲う、無遠慮で、混沌として、問答無用な事象・風物との対峙を歌っている。自分を縛っている諸々から逃れようとしても、そいつらは容赦なく追いかけてくるのだ。「旅」には終わりがあるし、終わりに向かって突っ走っているといえるかもしれぬ。そうした「ジタバタ」とでも表現したくなる風情を、声も駆使して表現を試みた。
中盤でヤケクソ気味に歌われる「ぷれっぷれっぷれっ」なる旋律は、1992年にトルコ共和国に滞在していた際、お世話になったある家の娘さん(8歳くらいだったか)が歌っていたものを編曲している。大衆的な歌謡曲なのか、民謡なのか、童謡なのか、はたまた彼女の創作なのか、とにかく、ちょっとハスキーな声で舌足らずにうたう感じがとても印象的だった。この箇所を彼女に捧げる旨の献辞を怠ることはできません。ま、こんな曲、捧げられてもひっくり返っちゃうかもしれないけどさ。
<歌詞>
モツカノトコロミナトニクギヅケ
この酔いどれた航路の途中
目下のところ港に釘付け
太陽の下、甲板の上、右往左往
気分はまるで家畜のようさ
早口言葉のありったけ、家鴨、煙草屋、ソーダ売り
朝だというのに夜の顔、花売り、馬喰、動物使いにまじない師 はっ
汗が俺をうんざりさせる
嘘がエンジンのビートに変わり、裏切りがスクリューのメロディーに変わる
ぷれっ ぷれっ
季節は移り変わって行く
つまり死に、そして再生する
真っ赤に燃えた太陽だけど
やがて沈む、だけど昇る、やはり沈む
モツカノトコロミナトニクギヅケダ
この酔いどれた航路の途中
目下のところ港に釘付け
エンジンのビート、スクリューのメロディー、右往左往
<使用道具>
洗濯板 / ジル / ダウル /ガイダ / マンドリン / クラシック・ギター / ウト
2005年5月から10月にかけて録音・制作された。(mp3, 1'39, 1.9MB)
PLAY / DOWNLOAD
生楽器を主体にした音のコラージュというスタイルを一貫して追究しています。
この曲は長年の研究の結果、編み出された移動式音楽班の基本形ともいえる編成によって演奏されています。ま、詳しいことを教える訳にはいかないけれど(使用楽器を見れば大抵のことは察しがつくだろうが)。
曲は、人間のダークな部分を見たいぜ、とかなんとか言って、何かから逃げ出そうとしているシチュエーションを描いている。そうした行為はある場合「旅」という言葉に置き換えることもできるだろう。すべての旅が前向きな訳じゃあないでしょう。そしてそれを間違っていると断罪することもできるまい。
ディオニソスは古代ギリシャの酒と音楽、つまり酩酊と快楽の神です。俺もその奥義を見てみたいな、と、常々思う。
<歌詞>
太陽に向かって船は無目的に行く
暗闇に向かって船は無目的に行く
情熱と熱狂を待ち焦がれる俺がいて
偽りと裏切りに漕ぎだして行く船に乗る
太陽に向かって船は波を滑る
暗闇に向かって船は波を滑る
情熱と熱狂で上の空の俺がいて
偽りと裏切りに溺れていく俺がいる
EGHO DHEN XERO, ESIS XERETE, DIONYSOS, THELO NA XERO.
(俺 俺は知らない、あなた あなたは知っている、ディオニソス、俺は知りたい)
情熱と熱狂で嘘を重ねる俺がいて
偽りと裏切りにもがいている俺がいる
太陽に向かって船は無力になる
暗闇に向かって船は無力になる
情熱と熱狂に後戻れぬ俺がいて
偽りと裏切りに沈んでいく俺がいる
<使用道具>
マラカス/チャフチャス/デフ/ダウル/マンドリン/ウト/サワリ付ギター
2005年5月から9月にかけて録音・制作された。(mp3, 3'13, 3.7MB)
PLAY / DOWNLOAD
1990年代初頭、友人の学生芝居の音楽として何曲かを書き下ろした。この曲は、それら一連の作業をサウンド・トラックとしてまとめようと思い立ったときに、46分のカセット一本にまとめるには曲が足らず、付け足し的なトラックとして、芝居とは関係なく、一晩で制作し収録したことを覚えている。ちなみにそのカセットは劇団員に配付されたほか、芝居上演期間中に即売され、せいぜい5本くらい売れたっけ。
今でもこの芝居の為に制作した曲は気に入っていて、MacのGaragebandというソフトを使って、自分の表現を形にしようと思い立ったとき、まずこの曲に向かってみたのはそんな思い出もあってのことかもしれぬ。
基本的にテーマを繰り返しているだけのフォークロリックな曲だが、民俗音楽の多くはテーマの繰り返しに終始しており、移動式音楽班としても、別段、ポップスなど志向しているわけでもないので、まぁ、これでいいではないかと、常に居直った状態にあります。
こんな歴史を通じて、頭の片隅にあったイメージは、真冬、すべてが枯れた故郷の景色の中を車で走ったとき、自分もいつかこの景色に同化してしまうのかなと感じた、やるせない感じである。季節は繰り返すが、人生は一度きりだ。
若い日、老人となった自分が並んで走っているように感じることがときどきあった。旅の途中で、孤独の只中で。同じように年老いた日、今度は、若かった自分が、やはり並んで走っているのだろうか。同じものを見て、同じように目に映るだろうか。俺も変わっていくのだろうか。答えは出ない。仕様がないことなんだよ。そんな気持ちなのです。
<言葉>
Gott, hilf uns aus dieser Not !
Sie werden uns verzeihen !
神よ、わたしたちをこの苦境から救ってください
わたしたちを許してください
<使用道具>
マラカス/グンガール/ドーラック/リコーダー/マンドリン/クラシック・ギター





