Mari-Mari 通信 vol.4/スマトラ メダン編
新年を寒い日本で迎えることが出来ました。たるんだ体と精神がひきしまったらいいのだけれど。今回は私の友人であり、小学校の数学の教師でもあるネリーの里帰りについて行った旅行記です。予告していたチレボンはvol.5にて紹介します。


格安旅行のための移動手段で絶大な人気を誇るPelni船に今回初めて乗ってみました。目的地メダンへ48時間程の船旅となります。


彼女がネリー。誇り高きBATAK KARO族の出である。年に1~2度の帰省に3ヶ月分以上の月給を費やすそう。3等船室にて。


珍客の私をもてなす為にネリーの家族大集合。ミニバス運転手の叔父さん所有の車に乗り込んでのメダン郊外の観光地巡りでしたが、このうち車酔いで何人吐いたことか....


私の「KARO族の織物をみたいねん」という我侭に、車酔いの集団は織物の産地を廻ってくれました。本当に「見る」だけでしたが。金糸を使った豪華な織物が特徴。


年に一度のBATAK TOBA族のフェスティバル。伝統舞踊が見れたけど、宿代は3倍に上がっていた。彼等の民族舞踊と、衣装から、アイヌ族を連想しました。


サモシール島に残る伝統家屋。でも朽ち果てた家屋も多し。屋根もほとんどが、トタン板に変わりつつある。葺き屋根より便利なのでしょうが...残念です。


Si galegaleは子供を持たずに亡くなったBATAK TOBA族の男性の葬儀で使われる人形です。


再びメダンに戻り、マイムーン宮殿へ行きました。1888年にムガール時代の建築や、アラビア建築を模して作られたと言われています。


マイムーン宮殿は知名度は低いけれども、インテリアなどはかなり重厚な作りで、やはりスマトラはインド、アラブ色が濃い。でも確か建築家はイタリア人やった?


カレンダーに記されたKARO族の文字。ネリーはこれらの文字を使わないとのこと。しかし勉強しなおしたいとも言ってたなぁ。


最後は土産探し。ジャカルタの友人の為にドゥリアンを求める。ネリーの親戚のおじちゃんから10万ルピア分買うことに。結局35個持たされた。