努力も喜び
努力はただ苦しいことではないのではないか。
大江健三郎が『「自分の木」の下で』(朝日新聞社)の中でこんなことを書いている。中学校二年生の時に将来学者になりたいと思い始め、そのことを友達や先生に話していたところ、そのことを間接的に担任ではない先生が聞きつけて、わざわざ呼び止めて、「三ごんなくしては学匠になりがたし、というよ!」といった。大江は「意味はわからなかったのですが、私は傷つきました」と書いている。学者になれないといわれたので傷ついたのか、それとも「三ごん」という言葉の意味がわからないので傷ついたのかははっきりとしないが、「担任の先生に、それがどんな本に出ている言葉かをたずねてもらうよう、おねがいしました」といっている。直接たずねないところが大江のプライドの高さを示しているといえるかもしれない。上野千鶴子が東大生は上野が講義の中で言及する人で誰かわからない人があっても決してたずねない、その場でたずねないで次の時にまでに調べてくると書いていることを思い出した。「それは誰ですか」とたずねたらいいだけと思うのだが、大江もすかさず、三ごんとは何ですかとはたずねられなかったわけである。
この言葉は新井白石の『折たく柴の記』の中にある。大江は公民館の図書館で長い時間をかけて調べた。大江の説明によれば三ごんとは「利根、気根、黄金」つまりかしこい性質、ものごとに耐える気力、金銭…これらが豊かにないと、学者になることは難しいという意味である。「自分について最初の二つはまだよくわからなくても、私の家にお金が十分にはない、それははっきりしていました」と大江はいっている。
高校の時の倫理社会の先生が間接的に僕が哲学を専攻したいといっていることを聞いた時僕を職員室に呼びだして哲学はやめるように、と僕を説得したことを思い出した。僕はその忠告を受け入れなかったのだが、先生が哲学を学ぶといかに経済的に苦労するかということを強調したことが印象的だった。後に京大の教授は給料を取りにこない、なぜなら家が裕福だから給料をもらわなくても大丈夫だからというような話がまことしやかにされているのを聞いて僕は無理かもしれないと思ったものだ。家の経済状況はともかく博士課程を終えても就職がなければ経済的にはかなり大変であることは僕自身の、あるいは友人の経験からもよくわかる。
大江はどう考えたか? 白石が三歳で文字を書くことができるようになった時ちゃんとした先生についていたら書がうまくなったのにとか、六歳で中国の詩を覚えて意味も習った時、その勉強を伸ばす場所があったらなどと残念なことを思い出すことに同情しながらも、この一節は後に立派な政治家、学者になった白石が、自分は「いつも忍耐できにくいことを忍耐しようとしてがんばって、世のなかの人が一度することなら十度、十回することなら百回したおかげで」このようになれたというところにつながるのだといっている。
努力も才能のうち、と僕がいつもいっていたのを思い出した。努力しか僕にはできることはないから。大江はいう。
「十五歳になったある日、私が文学関係の仕事をしよう、と思い立ったのは、他の分野の努力と比較して、本を読んだり文章を書き写したりすることには、自分が苦しいと感じない、と気がついたからです」
努力はするが自分が苦しいと感じない(相対的なことだが)ということは大事なポイントだと思う。
Posted: 日 - 12月
4, 2005 at 03:08 午後