人にどう思われるか気にしないということ 


 内村鑑三が二宮金次郎についてこんなことをいっているのが僕の興味を引きました。内村の見方でしかありませんし、二宮論ではありません。
 Ichiro's Home Pageに書いたものと重複するところがあります。読まれた方、申し訳ありません(「人からどう思われるか気にしない」 

 いつ頃から、勤勉が美徳とされるようになったのか、かつて小学校には二宮金次郎の銅像があったがあの銅像が置かれるようになったのはいつ頃からのことなのか調べたらおもしろいと思って、内村鑑三の『後世への最大遺物』(1894年)を読み返していたら、内村が次のように書いているのに気がつきました。

「『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です」

 この内村の講演は1894年(明治27年)に行われましたが、1891年に幸田露伴(1867-1947)が『二宮尊徳翁』によって蒔をかついで読書に励む二宮金次郎像が提示され、これが国定教科書に採用され修身の教材として知られるようになった結果、小学校の校庭に二宮金次郎の銅像がたてられるようになったということです。

 幸田露伴の本が出た年の1891年に、内村鑑三は第一高等中学校(旧制一高)に勤務していましたが、信仰上の理由から教育勅語への敬礼を拒否した「不敬事件」を起こし失職しています。『後世への最大遺物』は内村の浪人時代にキリスト教青年会で行われたものです。

 しかし、内村はこの二宮尊徳からは大きな影響を受けており、「この人の伝を読みましたとき私は非常な感覚をもらった。それでドウも二宮先生には私は現に負うところが実に多い」といっています。『代表的日本人』(1894年)には西郷隆盛、日蓮などとともに二宮尊徳を取り上げています。

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 人に自分がどんな印象を与えているか、あるいは、自分のことを人がどう思っているかということにあまりに注意を向けている限り人はどうなるかということを二宮の生き方は教えてくれるように思います。

 たしかに人に認められ、できることなら尊敬されたいという思いがないといいきれる人は少ないかと思いますが、しかしそのことは人間の本質ではありません。人は自分をどう思うか、何かについてした方がいいのか、とか、することを断ったらどうなるかそういうことにかかわることに費やされるエネルギーは莫大であるにもかかわらず、現実では何一つしていないのです。これがどういうことか二宮金次郎について考えてみます。

 内村鑑三が伝える二宮金次郎の生涯を見ると、一見したところ、寸暇を惜しんで勉学にいそしんだというふうに私たちに印象づけますが、まず、自分で判断するというよりは伯父に判断を委ねているように思えるところが気になります。彼は古典の勉強をするのですが、役に立つとは思えない勉強のために貴重な灯油を使うとはなにごとかと叱責されたとき、「伯父の怒るのはもっともと考えて」(内村鑑三『代表的日本人』岩波文庫、p.82)自分の油で明かりを燃やせるようになるまで勉強をあきらめています。本当に「もっとも」なのでしょうか。

 次に気になるのは、菜種を栽培し、それとの交換で一年後ようやく自分の油を手にした金次郎は、次のように考えるところです。「自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、伯父からは、ほめ言葉があるのではないかと少しは期待した面もありました」(ibid.)と内村はいっています。二宮がこのように伯父にどう思われるかということを気にしていることに注目したいのです。

 二宮の期待に反して、伯父は「おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない」といいました(ibid.)。そこで初めて(だと思う)二宮は、「毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道で」(ibid.)勉強することにしました。これこそ小学校の校庭で見慣れた二宮の姿です。

 疑問に思うのは、二宮がなぜその前の一年にもそうしなかったかということです。油をつかってはいけないといわれてあきらめられる学問なのかそれが二宮の学問への姿勢なのか?

 二宮はいうかもしれません。「僕だって勉強したかった。でも油がなければ夜に本を読むことはできなかった」本当でしょうか

 もし二宮が学問への情熱を持っていたとしたら、どんなことをしてでも勉強していたはずです。一年も勉強を中断したとは思えません。

 「でも油が」こんな論理に欺かれてはなりません。自分で菜種を栽培して自分の油を手に入れた後も伯父は勉強をすることを許さなかったではないか。それでもその後は仕事の合間を縫って本を読んだではないか。一年前にどうして思いつかなかったのか

 僕には今度も二宮は伯父にほめられたいと思っていたのではないかと思われます。

 このように人に(伯父に)どう思われるかを気にしていた二宮は、結局、一年もの歳月を無駄にしてしまったのです。二宮は伯父にどう思われるかを考えずに、もし伯父が反対すれば闘うべきでしたし(伯父の怒るのはもっともと考えてはいけない)、それでも彼の置かれている状況をいかんともすることができなかったとしたら、最初から二年目のように仕事の合間を縫って勉強するべきでしたし、そうすることができたはずなのです。 

Posted: 水 - 9月 14, 2005 at 10:08 午後          


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