国と個人は別
前から考えていることだが。
話を単純化して考えてみたいのだが、自分が票を投じた候補者が党の考えに反対したにもかかわらず、無所属ながら当選したとする。しかし選挙の結果は自分が反対する考えを支持するという「民意」を反映していると考えて、選挙前の反対を撤回したとする。このような場合、その候補者に票を投じた人は裏切りと感じないだろうか。どこまでも反対に徹してほしいと願わないだろうか。
ある国に経済制裁を発動してほしいと願う人がいる。僕にはわからないのだが、そして何度も書いてきたのだが、そのことを願う人が狙っているのは、経済制裁によって、現状の政策変更であっても、困るのはその国の一般の人であっても、政府の要人ではないと思うのである。政府の方針によって日本がテロのターゲットになるというのも理不尽な話である。テロを容認するつもりは毛頭ないが、政府を攻撃するのなら筋は通るが、一般の国民を傷つけても意味がないのではないか。それとも、選挙で多くの人が政府の方針を指示したという責任があるということか。反対した人にも。
日本が降伏することがわかっていた1945年の8月14日に1トン爆弾による空襲があって、大阪では多くの人が死傷した。こういうのは殺戮としかいえないのではないか。ヒトラーが地下要塞で自殺する頃は、ドイツの敗戦は明らかであった。それなのになぜベルリンの人は空襲されなければならなかったのか。
中国の日本総領事館に駆け込んだ後韓国に亡命した金韓美(キム・ハンミ)ちゃん一家が朝日新聞のインタビューに応じたという記事をasahi.comで読んだことがある(キム・ハンミちゃん一家という表現は変だと思うのだが…)。既に旧聞に属するが、父親の金光哲(キム・グァンチョル)さんは訴えた。「飢え死にしている人を助けてほしい。これからも北朝鮮問題に関心を持ち続けてくれるよう、日本の方にお願いしたい」。
「食攻(じきぜめ)で拉致問題や核開発問題での妥協を引きだすという乾いた外交意識というより、陰湿で酷薄な民族差別さえ感じさせる。何万人もの子どもたちが餓死するかもしれないという想像を排除したこうした発言(注:北朝鮮を兵糧攻めにせよ、とかコメは一粒たりとも送るべきではないというような発言)は、もはや北朝鮮政権への義憤を超えて、非人間的な域にまできているのではないか」(辺見庸『いま、抗暴のときに』p.160)
Posted: 水 - 9月 14, 2005 at 12:57 午後