執着するものがあるからこそ
プラトンは「書きながら死んだ」(scribens
est
mortuus)といわれている。
このキケロが伝える言葉は、文字通り、執筆中に倒れたという意味なのか、それとも、何か本を書きあげる予定をしていたのにその完成を見ないでなくなるという意味なのかが問題にされることがある。
三木清はこんなことを書いている。「執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるからこそ死ねるということである」(『人生論ノート』p.11)。携帯のメールを打ちながら寝てしまう時のような感じなのだろうか、とふと突飛な連想をしてしまう…眠くてうち続けられない、いつからが夢なのかわからないままに目覚めるまでに何通もメールを書き直すというような…高校生の時に三木の『人生論ノート』を読もうとしたようで、わからない言葉はすべて辞書を引いて欄外に書き込みをしている。「執着」という言葉もその頃の僕は知らなかったようである。たしかにあの頃は今とは違って、執着するものなど何もなかった。
朝日新聞の読書欄に水村美苗が「本というものは、書き終われば幸せな記憶しか残らない」と書いていて、そうなんだろうか、と考え込んでしまった。『不幸の心理 幸福の哲学』を上梓した時、そんなふうには思えなかったからである。
しかし、水村が次のように書いていることには僕は深く共感する。アメリカの大学で教えることになった水村は、三年の歳月をかけて『續明暗』(漱石の絶筆『明暗』を完結させた作品)を雑誌に連載した。「あの三年間、いかに小説を書く時間を大切に生きたことか。授業のスケジュールを睨みながら、この日は夜に書ける、この日は一日中書ける、この週は三日連続して書ける、とカレンダーに赤く印しておく。連続して書ける日々は寝ても覚めても書き続けた」。リルケがいう「書かずにはいられない」(Ich
muss
schreiben)というのはこんな感じなのだろう、と思う。
仕事の合間をぬっての執筆ということであれば、翻訳の仕事だったが、精神科に勤務していた頃、水村とよく似た生活をしていたことはたしかにあった。医院ではもちろんできないし(医院に僕の本を持ち込み、診察室の書棚を院長と分けあってそこに本を置かせてもらったが、医院で本を読む時間はなかった)、休みの日や通勤時間などに仕事を続けた。身体を休めることしかできない激務の日が多かったが、僕にとっては至福の時であったことはたしかなようだ(アドラーの『子どもの教育』を出版。『人はなぜ神経症になるのか』の訳もこの頃、大半を仕上げた)。
去年の三月から取り組んだ翻訳の出版をこの目で見ることができた。途中、去年の夏のことだったか、体調を崩してしまった。精密検査を受けなければならなかった。幸い、復帰して校正の仕事に取りかかったのだが、それからが本当に苦しかった。著書と翻訳を合わせると、今度の翻訳は僕の6冊目の本である。生きている間に校正をして過ごすことは何度もあることではないと自分にいい聞かせて頑張った。まだこれで終わりではない。
力になってくれた人に心から感謝したい。
Posted: 日 - 8月 14, 2005 at 03:50 午前