イラク戦争日記(1)2003.1.29〜3.5
楽天広場の日記
にはイラク戦争について毎日のように書いてきました。今、日本がイラクへ自衛隊を派遣しようとしている時、戦争の前後に(実はまだ終わっていない)僕がどんなことを考えていたかをまとめてみようと思いました。振り返るとまちがったことも書いていることがわかりますが、この戦争がいかに愚かなものかはよくわかるかと思います。
2003年
1月
29日
(水) 今日の朝日新聞の朝刊には「日本がアメリカのイラク攻撃に加担することに反対する」という全面の意見広告が出ていた。一口三千円のカンパを募ったら五千人近くの人が賛同し広告が掲載されたのだが、小さな文字で印刷されたある人のメッセージにあるように、本当は日本が加担することに反対するというのでは弱いように思う。反対するとしたらイラク攻撃そのものに反対するべきではないか、と僕は思うのだが、アメリカの外交に口出しをしてはいけないということか。しかし今日の世界情勢では一国の政策が世界そのものを動かす(破滅させる)ことになる。ブッシュ大統領の一般教書演説に対して民主党が厳しい批判をしている。テロ直後から大統領を支えてきた超党派の結束にゆらぎが出てきているとしたらいいのだが。2003年
1月
30日
(木) アメリカで反戦ヴィデオがケーブルテレビでの放映を断られた。ネット上でこの放送を見ることができる。no
war. yes
peaceと呼びかけるものだが、なかなかこんなことでもむずかしいものである。好戦ヴィデオ(もしあるとすればということだが)も反戦ヴィデオも等しく流され視聴者が判断できるというのが民主主義だと思う。2003年
2月
26日
(水) 池澤夏樹
の『イラクの小さな橋を渡って』(光文社)を読んだ。イラク攻撃に反対する理由はいくつかある。 まず、イラクはたしかに民主主義国家ではないが、それはまずもってイラク国民の問題であり、他の国が武力を使ってまで是正するべきことではないということ(pp.49-50)。 また、この戦争でこの人やあの人が死ぬのだということ。「アメリカ側からこの戦争を見れば、ミサイルがヒットするのは建造物3347HGとか、橋梁4490BBとか、その種の抽象的な記号であって、ミリアムという名の若い母親ではない。だが、死ぬのは彼女なのだ。ミリアムとその三人の子供たちであり、彼女の従弟である若い兵士ユーセフであり、その父である農夫アブドゥルなのだ」(p.71) 中東のエネルギー資源の確保とイスラエルの存続がアメリカを動かしている原理である、と池澤はいう(p.54)。イラクの人が犠牲になっていいという理由はどこにもない。「この戦争を止められなかったら、次の戦争も止められないだろう。国際政治を動かすのは議論ではなく武力ばかりになるだろう」(p.81、あとがき) asahi.comでこんな記事を見つけた。「米政府は24日、イラク攻撃により発生する難民、国内避難民を約200万人と推定、戦後復興も含めた総額1億ドル以上の人道支援計画の準備を進めていることを関連省庁高官による記者会見で明らかにした。水や食糧などの人道援助物資をイラク周辺4カ国に搬入する作業を開始したという」 もちろん民間人の死傷者が多数出ることが想定されている。人道支援計画という言葉が虚しい。「まだ戦争は回避できるとぼくは思っている」(p.81) 僕もそう思いたい。2003年
2月
27日
(木) 今日は昨日の続きで『反ブッシュイズム』(アンドリュー・デウィット/金子勝、岩波ブックレット)。本書に書かれている強大な軍事力を背景にしたユニラテラリズム(単独行動主義)については息子が学校でレポートを書いたり、プレゼンテーション(なぜか英語で)をしたのを知っているので見せるとなぜ今こんな本を、と怪訝な顔をした。教えをこいたいところだが試験なのか忙しい様子。「終わってからでいいから教えてくれる?」というと「その頃にはニュージーランドに行って、いない」とのこと。その頃にイラク攻撃が始まったら研修は中止になるのかどうか。 本書はブッシュ大統領個人についてその資質を疑問視して経歴やブッシュ政権の汚職の構図があらわにされているが、そういう論述よりも、論じられている戦争がもたらすであろう世界経済への影響(原油高、株安)についての記述を読むと、誰にとっても戦争が対岸の火事ではありえないことがよくわかる。本書は1月に刊行されたものだが、好意的に取り上げられているパウエルですらタカ派に転じてしまっている。活字によるメディアでは現代史はフォローできない。昨日見た池澤がホームページを持ちメールマガジンを発行しているのはよくわかる。 池澤は『新世紀へようこそ』(光文社)で「彼らには武器がある。僕たちには言葉には言葉がある」といっているがいつのまにか「彼ら」はオサマ・ビンラディンとアル・カイダだったのが「イラク」にすりかわっていることの不思議。顔が見えたら戦争はできない。ミサイルを発射する時には、このミサイルがもたらすであろうこの人やあの人の死を思い浮かべないよう兵士は訓練を受けるのだという。<この人>に向けられる言葉によってしか問題は解決できない。2003年
3月 5日
(水) 小泉首相が参院予算委員会で、さまざまな世論調査でイラクへの武力行使に反対する声が多いことについて、「世論の動向に左右されて正しいかというのは、歴史の事実をみればそうでない場合も多々ある。イラクは圧力をかけると今まで協力してなかった部分を小出しにする。そういうこともよく判断しないといけない」と述べ、米英などの路線を支持する姿勢を示した、と報じられている。 たしかに世論が誤ることはあるかもしれない。多数者の考えが真理であるとは限らない。しかし世論の動向を考慮しないで自分の方針を貫くことは民主主義国家のリーダーのすることではない。世論に与さないのであれば世論が誤っていることをきちんと説明するのでなければ、独裁国家のリーダーと同じであるといわなければならない。そのようなリーダーであっても手続き的には民主的に選ばれたのであり、かつてこの首相は圧倒的に支持されていたのであるが。 今日僕はタクシーに乗った。京都の街は寒く雪が舞っていた。比叡山には雪が積もり、いつもよりも山は近くに感じられた。異常に気づいたのはまもなくのことだった。直進すればいいはずの車がふいに車線を外れ、またすぐにもとの車線に戻ったりする。バックミラーに映る運転手を見て驚いた。居眠りしているのである。命の危険を感じた。 愚かなリーダーが一国の宰相を務めるというのはこんな感じだろう。リーダーの判断ミスが致命的な事故を引き起こす。後ろに乗る乗客である国民が何をする術もなければ致命的な事故に巻き込まれることになる。 運転手の居眠りに相当するような何か問題が起こった場合、乗客つまり国民がその問題を指摘できなければならない。大きな声をかけ目覚めてもらい必要があれば運転手を交代してもらう。あるいは休息を取ってもらわなければならない。タクシーを降りた後見たらこの運転中に居眠りをした運転者は道に車を止め仮眠を取っていた。幸い事故にはならなかったが運転できないほど疲れる前に手を打つべきだった。 運転のプロである人ですら誤ることがある。それならば乗客が注意を促すしかない。なのに小泉首相のような運転手は乗客(国民)の声に耳を傾けようとはしない。あるいは、ロンドンのタクシーが乗客の声が運転手には聞こえないようになっているように(もちろん、これは乗客のプライバシーを守るためなのだが)声は運転手に届かない。かくて国家という車は破滅へと突き進むことになる。
Posted: 木 - 12月
11, 2003 at 12:30 午前