運命愛 


 敬愛する師、藤澤先生の奥様からお手紙をいただいた。文鎮が同封されていた。書斎の机に置かれていたメモにあった筆跡を刻み先生が好きだった文鎮したものである。先生のギリシア文字が懐かしい。 

 刻まれていた言葉は、アリストテレスの『形而上学』θ61048b28から引かれたもので先生自身の訳では「ひとは、善く生きつつあると同時に善く生きてしまっている」という意味のギリシア語である。

 アリストテレスはこの個所で、キーネーシス(動)とエネルゲイア(現実活動態)を対比して論じている(岸見『不幸の心理 幸福の哲学』第5pp.209-212を参照し)。アリストテレスは、目的への過程にある動きとは違って(これがキーネーシス)、行為のうちに目的が内在する、あるいは行為自身がそのまま目的であるような完全な行為の典型的例として「生きる」ことを挙げている。なしつつあることがそのままなしてしまったことである。生きることについていえば、人は生きつつあると同時に生きてしまっているのである。

 そのように考えた時、生は今ここで完成するのであって、目標まで到達していないからといって、また若く逝ったからといって「道半ば」ということにはならないのである。比較的新しいと思われるこの同じメモには、AMOR FATI運命愛という言葉も記されていたと聞く。最晩年の先生の心境を思って涙しないわけにいかなかった。 

Posted: 木 - 9月 1, 2005 at 07:24 午前          


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