『ヒトラー〜最後の12日間』(続き) 


 息子が『ヒトラー〜最期の12日間』(8月20日記事参照 )を観てきた。終わってから友人と会っていたようで、最終の電車で帰ってきた。それからひとしきり、映画のことなどについて議論することになった。瑣末な場面ではあるのだが、あの映画は人間らしいヒトラーを描いたものかという点については考えが違った。 

 愛犬のブロンディを薬殺する場面があるのだが、息子は家族だから殺したんじゃないの、というが、僕はそうは取らなかった。青酸カリの効き目について、医師からそれが2秒で功を奏するという説明を受けたにもかかわらず、自分の目で見なければ納得できないヒトラーが愛犬を実験台にしたのだと思う、と僕はいった。

 そこで、息子は朝日新聞に掲載された原作者ヨハヒム・フェストのインタビュー記事を持ってきた(朝日新聞2005510日朝刊)。

「私は小説『デア・ウンターガング(滅亡)』で、一人の人間としてのヒトラーを描いた。絶叫する姿だけではなく、犬にほほ笑んで語りかけたり、自殺前に涙を浮かべながらパスタを食べたりする一人の人物を描いた」

「いつまでもヒトラーを直視せず『ナチスの蛮行はヒトラーがやったこと』と単純にすませれば、大戦からの教訓が得られない」

 一理はホロコーストという現実を前にして、「人間としてのヒトラー」という言葉は空しく響く。原作を見ると、ヒトラーは飼育係のトルノ軍曹にブロンディを毒殺するように命じている(p.127)。「こいつをロシア人の手に渡してはならん、そんなこと、考えるだけで胸くそが悪くなる、と彼は言った」。しかしヒトラーにとって明らかにそれ以上に重要だったのは青酸カリの効き目を試すことだった。「ヒムラーの裏切り以来、SSによって調達されたこの毒がはたして、ヒトラーが一番気にしていた即効性を示すかどうか、彼にはもう信用できなくなっていた」のである。ヒトラーにとっては死は「一つの解放」(p.123)かもしれないが、他の人にあてはまるわけではないだろう。映画ではホロコーストのことは最後にわずかに文字で示されるだけである。 

Posted: 日 - 8月 28, 2005 at 12:00 午後          


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