その昔、4stマシンで2stマシンを破ることを夢に描き挑んだ男達がいた。
今シーズン、GP500クラスはレギュレーションの変更でMotoGPと名付けられ、500ccまでの2stマシンと990ccまでの4stマシンとの混走となることになった。
 Hondaと4stGPマシンの関係は古く、1960年にHondaはWGP初優勝をあげる。この時のマシンが4st・125ccのRC143であった。以降、かの高橋国光の駆ったRC162(1961)、悲願のマニュファクチャラーズ・タイトルを決めたRC115(1965)、6気筒エンジンで"Honda Sound"を奏でたRC174(1967)といづれも4stマシンである。1967年には500ccの4stマシンでマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得している。だが、この時は他のメーカーも4stマシンが主流であった。この後HondaはWGPにおけるワークスとしての活動を中止する。
 1977年。およそ10年の沈黙を破りHondaはWGP復帰を宣言する。もはやGPマシンの主役はYZR(YAMAHA)やRG(SUZUKI)のように2stマシンに移っていた。「4stで2stを破る」ここでHondaは最もHondaらしい選択をする。オーバルピストン、1気筒あたり8ヴァルブ、500ccV型4気筒レイアウトのエンジンを搭載したNR500。HondaはWGPを戦うマシンとして4stを選んだのである。
 そのマシンは、1977年に日本人初の世界チャンピオン(GP350クラス)になった片山敬済の手に委ねられることになった。「面白いね」16インチのホウィール、モノコックフレーム、今や装着が当たり前になっている倒立フロントフォークを観て片山はそう言った*そうだ。
 1979年、シルバーストーンサーキット。NR500は華々しくデビューするも決勝レースではリタイヤで終わっている。81年までの3シーズンの間、NR500はライダーを表賞台にあげることはなかった。その年の12月、Hondaは2st3気筒のエンジンを搭載したNS500を発表する。のちに2st4気筒エンジンのNSR500と進化し2001年にはHondaにWGP500勝をもたらした。役目を終えたNR500は750ccにスケールアップされ1987年にル・マン24H耐久レースに参戦している。またそのテクノロジーは1992年に市販されたNRで結実している。
 2002年、4月。鈴鹿サーキットから始まるコンチネンタルサーカス(WGP)。サーキットにHondaの4stマシンが帰ってくる。かつての名車RCの冠を戴いたRC211Vである。昨シーズンの500ccクラスチャンピオン、V.ロッシと日本人ライダー宇川徹のライディングで優勝を目指す。
 25年の歳月を経て、男達が描いた夢、ふたたび。

<
参考資料>
*ライダーズクラブ 1992 6.5 NO.210
Back to Garage Top
■当ホームページのバグ・ご質問・ご要望があれば、お気軽にShimohigoshi,Hirotoまでご連絡下さい。
■当サイトへリンクされる場合はご一報下さい。                        
Copyright 2001,i_Momonga"Web"House. All rights reserved.