きょうは炊込会(たきこみえ)のイベントの一つである流しソーメンのリハーサルをしました。
 円満の会のその筋のプロフェッショナルの人々が本光寺前のミニ公園で本番さながらに竹を組み立てなんと世界初(たぶん)のまわる流しそうめんを開発したのです!
 
 円満の会一員である建設業のイワクラさんやソノイさんが綿密な設計図を書き起し、デザイナーのkazuさんは眺めているだけで涼しくなるようにミニ公園にセッティングし、寿司屋のスギさんは特性のだしと絶妙のつるつるシコシコ麺を茹で上げるという見事なチームワークでした見事な竹も山から今日のリハーサル用に切ってきたそうで青々としていました。
(なんと当日はまた新たに切ってくるのだそうです)

 さあ!麺を流し始めると見事に弧を描いて流れ始めました。
その後はみなリハーサルであることを忘れ、そして我を忘れ、ソウメンに舌鼓をうったんです。

 暑い日でしたが、このときばかりは強い日差しもそうめんの涼しい美味しさを引き出す具にこそなれ、すこしも気になりませんでした。

 いつのまにかお寺にお参りにきた方も交わって本番さながら大盛況でした。

みなさん15日お参りお待ちしています!
おみたきさんはあいにくの雨でした。しかし、雨天決行!

おかみそりもすみ、おみたきさんの儀式も終わり、7回の鐘の音を合図に爆竹がなり、イベントは始まったのでした。そのときたん、小雨だった天気は一気に大ぶりとなり、最悪の始まりとなりました。

 しかし夕方からは晴れ間が広がり、サンバの踊りが始まるとお参りの人々も多くなってきて、メインの輪踊りも輪が3重になるほど。

屋台も活気づき大盛況のうちに幕を閉じたのでした。私もビールのみ過ぎて、ふらふらになりました。

結局雨はかえってイベントの結束を強め踊りの前に涼しさを運んだ恵みの雨となったのでした。
こんにちは。
きょうは「おみたきさん」の太鼓風景とニュースな本光寺に記事をアップしました。太鼓の風景は上のクリック!クリック!をクリックしてください。

 またお寺の壁を取り壊してミニ公園を作ったりイベントをしているのが評価されたようです。とにかく記事を見てください。

またリンクの広場ワープゾーン!「本覚寺」が追加されました。当寺と同じく小松のお寺です。
まだ試験運行中ですが、現段階でもかなり良い出来です。仏教音楽が聴けます。のぞいて見てください。
今日は「おまいり」も少なくゆっくりした一日です。
北國新聞の記事追加しました。なんと小さな記事だったので、
発見が遅れてしまった記事です。本光寺によく取材に来る記者の名前入りの記事です。
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 焼肉の準備も整い、会は始まったのですが、そこで自己紹介も始まらぬ前、坊主に対する定番の質問が投げかけられたのです。

「お坊さんって、肉食べてもいいん?」
(可愛い感じで)

この質問は私の中で「簡単に答えられそうなのに、しっくり答えることの出来ないリスト」に入っているものの上位を占めるものの一つである。私は飲みに行って坊主であることが知れるとよくされる質問の上位に位置します。

 この質問は結構奥が深いと思うのですがいかがでしょうか?仏教的説明ではなく、飲み屋で「ガッテン」と手を打つ返答募集します。

 メールくれた方にはもれなく本光寺オリジナル経本を差し上げます。応募期限8/31まで
住所・氏名・年齢を添えてふるって応募ください。
もちろん坊主・坊主でないは関係ありません。また「坊主たるもの、酒は勿論、肉食べちゃダメ!」という意見でもよいのです。
応募内容は順次公表していきます。
 
しゅう

2000/7/27夏まつり成功に感謝 
御門徒さんの記事が新聞に掲載されました。
読んでください。

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 たまに「水子供養をして下さい」という電話があります。 親鸞聖人の教えをよりどころとする真宗では「いわゆる水子供養」は成り立たないのですが それで電話を切ってしまうと大切な法縁までも切ってしまう事になるので 事情を説明してお勤めをすることにしている。

 「水子供養」という言葉には(悪いことがあったのでそれを払いさる)という ニュアンスが感じられる。実際「水子の霊がたたっております」 とまことしやかに「れいのう」している方があるが、それはいろいろな事情で 人工的に、(または自然に)堕ろした方のうしろめたい気持ちに付け込む貧しい生命観だと思う。
 「払いさる」という言葉には、そのうしろめたい気持ちを消し去りたいという思いが込められている。 しかしそのうしろめたい気持ちは実は尊いものであるから消し去ってはいけないのである。
 仏教ではお腹に生命が育まれた時から1歳と数える。それはどんなに短い生でも尊いのだ という事実を大切にしているからである。人生は長さではない、かといって質でもない。
「生まれて死ぬ」そのことそのものがどんな命であろうと尊いと教えてくれる。
 その事実をどこかで認めているからこそ、うしろめたい思いが沸いて起こるのでしょう。 「本来の水子供養」とは払いのけるものではなく、短かくはあったが、さまざまな思いを伝えてくれた命を尊び、 正面から向き合う大切なご縁である。

 「水子供養」という自分勝手な思いが込められた言葉を退け、法名(仏教徒としての名前)をつけて「法事」として勤めています。
先日大学ゼミのOB会で京都に行ってきました。以前から思っていたのですが、電車にのって久しぶりに懐かしの地へと赴いている間、時間までもさかのぼっているような気になります。小松から特急雷鳥で2時間くらいの距離ですが、この感覚は飛行機でも自動車でも味わえません。

 電車に乗って京都に近づくにつれ、自分の心の感覚が過去の自分のものへと満たされていって、それに抵抗せずに外の景色を見ていると、懐かしいというよりも照れに近い感情がこみ上げてきます。京都につくとあの頃の自分や友達がそのまま歩いているような気持ちがするのです。

 しかし実際京都駅につくとそれは電車の中だけのもので、タクシーで宴会場に着き、新規OBに可愛い女の子がお目見えしているのを見るなり、消えていくような儚い感情なのです。

しゅう
皆さんの中には、この度のご身内のご不幸をご縁として、初めてこの寺と関わりを持たれた方も多かろうと思います。世間の常識では寺の主人は住職だと思われていますが、実は寺の主人はご門徒の皆さんなのです。この寺の財物はすべてご門徒のものなのです。では、私の立場はというと、ご門徒に任された寺の管理人のようなものです。この寺には私の私物といえる物は一切ありません。すべて皆さんご門徒の共有物なのです。

 皆さんのご先祖からの庇護の下、この本光寺は今年で一千一歳の歳を迎えました。私と皆さんはこの本光寺をご縁として結ばれたお仲間です。私がこの寺の住職をさせていただいておって、何よりもの喜びは、皆さんが「この本光寺の門徒であってよかったな」と思って頂けることなんです。そう思って頂けるには何をしたらよいのだろうか、いつも思案を重ねております。
 
 昨年一千年を契機に、本光寺の境内の塀が取り払われたように、誤解の元となるような因習や旧弊などを払拭し、開放的な親しみ易い寺になることが、皆さんから喜んでもらえることではないかと思っております。

 真宗の教えを聞くということは、様々な思い違いが訂正されていくことです。そして、様々な世間の間違った常識や迷信や俗習の束縛から開放され、自由の身となって、正しく物事の判断ができ、生き生きと今をひとり立ちして生きていけるような身になれるのです。これが真宗でいう救いです。

 ご門徒にとって寺とは楽しむ所です。法話を聞くことも、趣味技芸をたしなむことも、娯楽に興ずることも楽しみです。私はこの寺を遊休施設にしておくのではなく、十分社会的な役割を担った寺にしたいと思っています。
以上抜粋
住職
住職挨拶の全文はこちらです。
今朝お参りに行くとブラジル人の亡くなった夫の筋の親戚の方がおいでになっていると、いつも家に一人で住んでいる奥さんが慌てていました。聞くところによると今朝急においでになったようです。
 お勤めも終わり、ブラジル人の方に(といっても日系二世なので顔も言葉も日本人と変わらない老婦人のお二人です)話を聞くと飛行機で24時間かかること、昔は舟しかなく40日間かかったことを聞きびっくりして、日本語は聞けるし話せるけれども、読み書きはできないので、駅などで行き先のホームを聞いたりすると怪訝な顔をされてこまったとか、ブラジルは日本人街もあるので是非気軽に(24時間かかるが)来てくださいなどとお話していました。
 ふと疑問に思いブラジルにも浄土真宗のお寺がたくさんあるのですか?と尋ねると、たくさんあり二世あたりまでは圧倒的に日系人は浄土真宗の御門徒が多いとのことでした。

 小松は小松製作所やソニーなどの工場がある関係でしょう、ブラジル人の人が多いのです。ブラジル人の経営する飲食店もありますし小学校でも交流があるそうですし。飲み屋などに行くと若いブラジル人がすごいパワーでお酒を飲んでいます、私なんか一度のみ比べして死にかけました。(冗談抜きで)
 それはともかく、2.3年前のある日、本光寺に若いブラジル人がきたのですがおばあさんの命日だからといっていたそうです。一緒に女の子もいたそうですが。日本人の若い子達がおばあちゃんの命日だからといってお寺に来たことはないのでかなり面食らったのを覚えています。その後も2・3回おまいりに来たそうです。
僕が会ったのは一回だけでしたが。
しゅう
あけましておめでとうございます。

除夜の鐘の風景をアップしました。
毎年のように除夜の鐘を月においでになる人が増え、喜ばしいことです。11時30分から撞き始めるのですが、今回は11時前から並び始める人々もいました。これも年越し蕎麦を無料で振舞うようになってからだそうです。今回は250人分ほど用意したのですが、12時前にはなくなってしまいました。
楽しみにしていた方ホントごめんなさい。 

 しかし今回の除夜の鐘つきから、もう一つ見所が出来ました。ロウソクで山道を照らし、本堂前に見事なモニュメントを作ったことです。製作者は本光寺のミニ公園を造ってくださった、アトリエカズさんです。

しゅう
昨日、実家の広島から帰ってきました。その翌日見事な雪となりました。小松は石川県でも雪の少ない地域なのです。特に本光寺のように山側でなく、海岸に近い辺りでは雪の少ない地域なので珍しいのです。
 僕が本光寺に勤めはじめたばかりの頃は、門徒さんと雪の話題になると必ず出てきたのが「サンパチの豪雪」でした。昭和38年の頃この小松でも電信柱に迫るほどの雪が降ったというのです。
 その頃は車も無く、除雪車も無く大変な騒ぎであったそうです。
 そう話す門徒さんの顔ははちょっと自慢げにかがやいています。
 僕が広島からここ北陸に来る前に描いていたイメージはそんな「サンパチの北陸でした。今はそんなことはありません、山の地域も今は除雪車が出るし融雪(道路の真中から水が出て雪を溶かす)も充実しているので、お葬式だって行けます。
屋根雪下ろしも一度もしたことがありません、少し残念ですが、今はよかったと思ってます。
 先日お説教でも「最近は北陸の子供でもお正月に雪の積もっている風景を知らない子供がいる」とお話になっていました。
いま、ホームページの再構築を行っています。作り始めた頃は何もわからず、考えずにとにかくやるのだー!との意気込みで作っていったので、もうぐちゃぐちゃです。
 もとより整理整頓が苦手な私は、非常に困っております。

ところで今一番出していきたい項目は円満の会です。毎年派手な催しをしている本光寺ですが、今年の七夕には世界でも初めての試みがお寺で行われます。キーワードはは「風景のお寺」。
順次アップしていくので是非見てください。
一月二月ずっと亡くなる方が多いこの頃です。人の人生は小さな葉っぱについた朝露が先のほうへ次々と落ちていくように、あっという間だという表現が「白骨の御文」にありますが、まさにそのとおりです。
と共に、坊主という職業柄、いつもそんな現状の中で御通夜などのお勤めをしていると、人がなくなっていく現場に慣れてしまう自分を発見して戸惑うこともあります。
 人は生きることになれている人ほど、身近な人がなくなるとその動揺もはげしいものです。
身内の方が突然に無くなったご家庭ほど悲しみが深いのがそれを示しています。

生きること、死んでいくことに慣れるのではなく、こころにとどめておく事が大切なのだと思います。
しゅう
円満のコーナーを見てください。
先日、住職と河合さんと一緒に帰敬式(おかみそり)に行ってきました。おかみそりの意義については住職の記事を見てください。私自身はおかみそりの出張に行ったのは初めてです。
 それは多くの場合、お寺や京都の本山でおこなわれるものだからです。今回は寝たきりの方のためにこちらから出向いたのですが、おかみそりの儀式が終わり、夫婦そろって涙を流されたとき、本来の出家の姿を見たような思いでした。

 お釈迦様は遊行(ゆうぎょう)といってインド中を生涯歩き回り、布教するにあったって一所にとどまることはほとんどありませんでした。お釈迦様の行く所々で出家するもの、在家のまま仏教に帰依する人々があったといわれます。

 今回の帰敬式(おかみそり)は教えに帰依するその原点を現代にまのあたりに見たようで、感動しました。
「かもめと雪駄」

私は月に一度はお参りに安宅(あたか)まで行く、安宅とは
あの勧進帳(かんじんちょう)で名高い、弁慶と義経のお話の場所である。

安宅は海辺にある。お参りが終わるといつもすぐそこの防波堤の先の小さな灯台のあたりまでゆき
日本海の「ドッ・どーーん」という波を見に行く。門徒さんの家に早く着きすぎた時は、お参りの前に行く。

はじめの頃は、感動してお参りの話でよく日本海の波の凄まじさを目のあたりにした感動を語っていたが。
聞く人にしてみれば昔からそこに育っているのだから、「そうか」くらいのものでしかないはずだが。僕の話に乗ってくれて、海の話をいろいろして下さった。

日本海の「ドッ・どーーん」感を味わうなら冬がいい。しぶきの勢いや、防波堤にぶつかる時の音が違うのだ。
「荒波の日本海」と聞いていたが、ホントすごい。演歌の心が少しわかった気がした?

その日もお参りが終わって海に向かった、もちろんお参りの格好のまま。すると「あんたぼうさんやろ?」と声をかけられた。
えんまんの会員から要望があり、本光寺の僧侶が出向いて、お経の練習が行われています。すでに昨年からは小松市沖町で不定期的に開かれており、今年は岩上町でも約10回の練習をする予定です。

 3月1日一回目の教室が岩上町公民館で開かれ、このお経教室の発案者、西田俊一さんは、「僅か14戸の町ですがほぼ全員の参加でとても嬉しい」と満足げでした。
先日本光寺の本堂で能舞台が開かれました。詳しいことはニュースな本光寺に出ているので見てください。

 
この催しは近所の商店街の方々が有志を募って催され、会場が本光寺となったものです。普段は聞けない能についての裏話や、面(おもて)をとって、普段は見ることの出来ない素顔を見ることが出来たり能面(安土桃山時代のもの)の裏側を見せてもらったり、貴重な体験をさせていただきました。

 なんと今回めいんの舞を舞った方は来年のNHK大河ドラマの主役唐沢寿明さんに舞の指導をしている方だそうです。

ちなみにこの櫻間眞理さんは顔や手には汗をかかないそうです。
面をとった顔は能面のようでした。

しゅう

円満のコーナーを見てください。
 先日京都に行ってきました、大学時代のゼミの先生が退官されるとの事で、そのお祝いパーディーに行ったのです。懐かしい先輩や後輩にあえて楽しかったのですが、同じ7期生の人がこなかったのが寂しかった。おかげで代表でスピーチさせられました。

 その日の晩大学時代に行ってた居酒屋「ー味の故郷ーここのえ」に寄った。タクシーで不確かの記憶をたどりながら何とか店の前にきたら、オジサンとおばさんいました!ここのえおやじさんは仏教に入れ込んでいて「最近の坊主はくさっとる!」と僕達に説教するのですが、本人は四柱推命の先生でもあるという、矛盾した人です。「親鸞聖人は占いはイカンとおしゃるが、ワシは少しくらい役に立つと思うのだがと」悩んでもいます。

 写真の通り本光寺の経本を大切に持ってらして感動しました。門徒さんでもこのように箱を作って大切にされている方はいないのではないでしょうか? こんな現代語訳の入った経本をなんで本山はつくらへんのや!と怒ってました。

 すっかり酔っ払い、法談もして最後は抱き合ってお別れしました。その後タクシーでホテルに行ってもらいましたが、3件回っても全部満室!
仕方なくタクシーのおじちゃんがかって利用されたというラブホテルに泊まりました。

翌日タクシーの運転手に聞くと京都マラソンと観光シーズンの土日が重なったからホテルが満杯だったのでしょうということでした。



しゅう

円満のコーナーを見てください。


 前回の日記

本光寺の鬼籍に「平成九年九月二十三日」築田浩妻芳子六十五歳釋尼芳華」がある。

 小松市本折町の築田浩さんが、県バリアフリー社会推進県民大会が十一月十四日金沢市戸水町の県地場産業振興センター新館で行われ、県知事から優秀賞を受けた「亡き妻にとってのバリアフリー」の、かけがえのない妻、芳子さんである。


優秀賞 築田浩 殿

あなたはバリアフリーふれあい体験作文に応募され、その作品特に優れていましたので賞します。

平成十二年十一月十四日県知事   谷本正憲


 一枚の賞状の数行の重み、二七年の長い間、夫婦が病魔と戦ってきた体験の記録がバリアフリーだけでなく、名医をたずねての、傷み苦しみを分け合っての人生行路は満たしきれないものがあったに違いありません。

本光寺では、会館にエレベーターを取り付けました。階段をスロープにするよう努力しています。また、山口富雄総代からは、車椅子のご寄付を受けました。

 会館だけは、スロープとエレベーターを利用し、車椅子で動けるようになりました。車椅子の方はエレベーター前の入り口をご利用下さい。

 さて、築田さんは、今度の作文の応募にあたって「住職にすすめられて応募した。拙文が賞をもらえたのも本光寺教化運動の一環だろうね」と言葉少なく、まるで他人事のように話しておられました。

 この私も、築田さんの奥さんのように、生涯進行しても治らぬであろう病気に取付かれました。ただ傷みを伴わないだけに、恐怖心が強いと贅沢を言っています。

 お二人が辿られた心の旅路に思いを馳せる時、作文の行間にやるせない気持ちが潜んでいるようにうかがったのは、私だけでしょうか。

                     K
本光寺新聞「光雲」制作・編集者 荒田慶一

 次に、作文の全文を紹介します

松下君は今23歳本光寺で一番若い!そして本光寺の門徒さんは、次々に新しい坊主が来るのになれているから、お参りなどに行くと「あんたはどっからきたんや」と尋ねられることであろう。「若いのにえらいねー」といわれるに違いない、そして「修行しにおいでになったんか?」と何人もの人に聞かれることであろうことは必至である。

 「真宗には修行はないのです、ただし憶えなくてはならないことはたくさんありますけれども。」とはじめは答える。(僕はそう答えてました)

 比叡山や永平寺では修行がある。こないだもNHKで永平寺の若き修行僧のドキュメンタリーを放映しており。見た後、なんか心洗われるというか、「僕もがんばらなくちゃ」と思います。
(そのときだけですが)
 
それに比べて真宗の坊さんは頭も丸めてないし、顔はすがすがしい人は少ないように思えるし・・・。


しかしそれが真宗の坊主らしさでもあると思うのです。坊主のくせに泥臭い、ではなく坊主だからこそ泥臭い。これぞ親鸞
聖人以来真宗の坊主に引き継がれてきた系譜なのだと思うのです。

そんなことを僕が新人のとき御門徒さんに「修行大変ねー」といわれるうちに思ったことです。


しゅう
外国人の浴衣コンテストが6月24日に本光寺を会場に開かれる。昨年初めておこない70名以上の参加があり、大好評だったらしい。今回はその場所を貸して欲しいとの申し出があったようである。

 石川県は精密機械工場が多い、SONYあのプレステの部品工場も、三田工業という、F1の部品や衛星の部品なども手がけている工場も石川にある。コンピュータのディスプレー「EIZO」で有名なナナオも石川の工場である。もちろん小松製作所を忘れてはいけません。僕は「ああ!ショベルカー作っているところだ!」と思っていましたがいろいろ作ってるみたいです。
ちなみに小松菜はここ石川県は小松が産地です。

 話は大きくずれましたが、そういうわけで小松にはそういう工場に勤めている、外国人が多いのです。特にブラジルから多く来ています。日系3世は外見はポスターの通り日本人と同じです。が、彼らにとっては浴衣は珍しくまた、実家の親などに送ると大変喜ばれるので好評のようです。

 かれら(彼女)が今年も沢山出場するようです。お近くの方はぜひ写真撮りに来てください。
先日お参りに行って、いつものように阿弥陀経のお勤めをおわると、おばあちゃんが「前にお勤めしてくれた人は本当に丁寧なお経で、お念仏もなんどもいってくれた。」というので、どきっ!としておばあちゃんに「えっ?私の念仏少ないですか?」といったら「少ないわねー」といわれた。「わかりました、次回から念仏多くします」と答えたものの

とってもショックでしたが「なにも前にきてたお坊さんを引き合いに出していわんでもいいのに」と腹も立ち、内心「お経中、念仏の数を数えるようなお参りするおばあちゃんも、おばあちゃんや」と
心の中でつぶやいていたら「お念仏の数って決まってないの?」と質問され、またまたドキッとしつつ「そうです、親鸞聖人もお念仏は数ではないといわれております」と答えました。しばらく会話が止まったので「いやー今日は天気いいですねー」と、お茶を濁すお話でその日は退散しました。

後で考えると、おばあちゃんは念仏の数のことを言いたかったのではなく、わたしのお勤めをする態度に問題があることを指摘されたのでした。

その日僕は翌日友達のいる大阪に行くことで頭がイッパイのまま、お経をあげていたのでした。
しゅう
みなは知らない

真夏に、大汗で、ぐっしょりになってお参りする。
みなさんが、「アツクてたいへんですね」と、気をかけてくれる。
.
ワタシ 「
いやいや・・・仕事ですから・・・」。
ゴモント「いえいえ、仕事やいうても、たいへんで・・・」。
じっさい、ボク(mr.gibson)は夏に4〜5キロやせて、冬に元に戻る。

ダイエットしてる女性に、教えてあげたい。
「やせたいなら、夏に衣を着て、お経あげるこっちゃ!」
人間も、自然界の一動物だと、実感する。

ところが、やせるだけじゃない。
この夏のグッショリ大汗には、
ものすごい大きなご利益があるのだ。
それは・・・エット〜・・秘密!
実は、ヒミツにしときたいほどのご利益なのだ。

それは・・・
ワタシ 「夜のビールが、ウウウ・・・ウんん〜マァァァ〜イ!!」
ゴモント「ナンヤそれだけかえ。ショウモナ」
オソマツ
GIBSON
坊さんは、お菓子好き?
おまいりに寄せてもらうと、いつも「お茶とお菓子」。
おまいりが多い日には、ヤマのようにお菓子がたまる。
しかも和菓子は日持ちせず、どないしようもない時がある。
「坊さんはお菓子好き」という法律が、あるかのようだ。
これはたぶん、昔、お菓子のような甘いものが、
貴重品だったころの名残りだろう。
でも、はっきり言って、もらったお菓子を全部食べていたら、
糖尿病まっしぐらだ。
ワタシは親しくなったところでは、
タバコとかにしてもらっている。
正直に言いますと、坊さんは和菓子を食べません。
GIBSON
肉食べんの?
「お坊さんて、肉食べはるんですか?」
これが、私ら坊さんへの質問のナンバー1ですわ。
いやあ、これの答え方がムツカしゅうて。
一般の方は、坊さんのイメージとして、ナンカ修行しとって特別な生活してるみたいに、思てはるんですな。
でもそんなんは、宗派によって違いマ。
戒律を守るところもあれば、そんなんないトコもある。
ワテラ真宗は在家教団ですんで、肉食や妻帯ありデス。
ちょっとエリをただしていえば、真宗は「戒律が守れるエリートの教え」じゃないんです。
人生につまずいて、「自分はどないしょうもない」と泣いたことのある人の教えなんですね。
続きは、CMのあとで!?
肉食べんの? その2
 
じつは、肉食べんで、仏教がわかるんやったら、
ワタシは絶対に食べません。
 仏教がわかるというか、この身にいただくというのは、
食べ物とか生活様式(たとえば、結婚しない=女犯しない)には、あまり関係がないというのが、念仏の教えですわ。
 ふつうの生活してる、ふつうの人の教えです。
戒律が守れるエリートの教えではないんです。
 こんなことは、またオリオリに話さしてもらいます。
BY  GIBSON
足、しびれんの?
 
じつは、ようシビレます。
20分も座ってたら、ビシビシです。
でも、ワタシらは、シビレを直す術(すべ)を、
こころえてます。
人によって、いろいろ工夫してるようです。
だから、2〜30分のおつとめのあと、
すぐに立って歩けるんです。
 
ほんで、シビレならまだエエのです。
これが、おまいりが続くと、痛なるんです。
ひざ、ふくらはぎ、あしくび。
ここらが、座ったと同時に、
シビレをこして、痛なります。
ズキン、ズキン、赤ズキン!
BOUさんのウラばなし 6
人間て本能のままに、
自分のことしか考えへんようなってもたら、

自分が正義や思て、
自分がエライ思て、
自分が絶対や思てもうたら、

自分を認めへんんヤツを、殺してまうんやな!
言葉がうまいこと出えへんわ。

坊さんとして、
宗教がこれほど恐ろしいモンとは、
知らんかった。
けど、あの映像、
青空がミョウにキレエすぎた・・・


この「うらばなし」コーナーへのメール、気がむいたらドウゾ!
BY  GIBSON
彼岸花
 今日お参り先で曼珠沙華を見た、帰る途中に目に付き、その見事な咲きっぷリに感動し、「これなんていう花ですか?」と尋ねると「曼珠沙華」と教えてくれました。

 「マンジュシャゲ?」と今ひとつ、心もとなげに返答すると、おばあちゃんは「ヒ・ガ・ン・バ・ナ」とゆっくり言った後「ぴったしお彼岸の時期に咲くので彼岸花とも言うのよ」と教えて下さいました。

 丁度お勤めの後、「温暖化って騒がれているけど、まだまだ暑さ寒さも彼岸までという言葉は生きているねー」 と話していたので、四季を失いそうな昨今、この彼岸花を見てなんだか頼もしく思った。

 あとから、彼岸花を見て感動したのは、その咲き方が幼い頃読んだ絵本の「モチモチノ木」「花さき山」 の挿絵を書いた滝平二郎の版画を髣髴とさせたからだとわかってうれしかった。

 帰り道、向こうから自転車に乗ってくるオバチャンの赤く染めたパーマ頭が曼珠沙華のようにもえていた。ふうに見えた・・・。
 BY shu 

昨日の年始のお参りにも50人余りの
お参りの方のなかに混じって、若い人が
5・6人いました。

今日も女の子二人でお寺にお参りにきました
喜んで案内しました。

最近お寺に若い人がくるのが増えているようで
うれしい限りです。

お寺に初参りしたのは初めてのことだそうで
「おみくじ、ないんかー」っていってました。

お寺にはおみくじはないのですが
「お寺のおみくじは全部大吉やー」っていったら

「なんやーおもしろないぜー」って答えでした。

なるほど凶あっての大吉かって
「おとろしやー」って震えました。
 
 久しぶりに、山のお葬式に行った。三ッ屋野という場所である。トンネルを越えると雪に反射した光がまぶしかった、景色が変わったように思えた。すると住職が

「雪の色が変わったな」というので、生返事しながら「暗いところから出てきたからでは?」と半信半疑だった。

 しかし二つ目のトンネルを越えてまた「ほら、また雪の色が替わったな」と住職がいうと。雪の色が変わるとはいい言い方だな、と思いつつ「そうですね、気温も急に下がりましたね」と答えた。

山はトンネルを越えるごとに雪の色が変わるのである。


 町では良く知っている人でも、その距離が微妙な場合、すれ違うとき知らないふりをすることがあるが、田舎の人はこちらが挨拶するとまるで昔から知ってる人に対するような親しげな挨拶を返してくれる。

お山のトンネルは雪だけでなく、人の表情も変えるのかも。

歴史探訪のバス旅行(当日の写真あり)の日、天気もよく最高の旅行日よりでした。世界遺産合掌造りの集落五箇山、同じく行徳寺へお参り法話を聞き、和紙の里を経て井波瑞泉へ、というルートです。みなさん帰ってきたときには、いい気分で酔っ払っておりました。そのあと好きな人はお寺で、さらに一杯!
お寺との親交を深める、いい旅になりました。
 
昨日お寺に大学生3人がやってきました。

話を聞くところによると、新潟県上越市から自転車で
琵琶湖まで旅をした帰りなのだそうです。

真っ黒に日焼けしています。一晩泊めて欲しいとのことで、住職と坊守は、快く承諾しました。

所持金は一切なし、(翌日聞いたら初めから持って行かなかったとのこと、さすが若いというか、電波少年の見すぎか?!)

近くの銭湯に送り出し、坊守と娘さんでヤキソバを作ってご馳走したそうです。

一宿一飯の恩義か?翌日はお寺の朝の掃除を手伝ってくれました。(というか半強制)

お勤めの後、朝ご飯を一緒に食べながらいろいろ話を聞きました。

写真つきの続きはこちら!
先日、本光寺の法務の田西君が家族と共に、初参りのお勤めをしました。

初参りとは、子供が生れて90日目にお参りすることです。本堂で手を合わせ、阿弥陀様に新たな命を授かった喜びと感謝の気持を報告する日なのです。

田西君は、翌日の法話で子供を授かり、育てる身になって僅かな期間ではあるが、自分もこのように育てられたんだな、とありがたく思った。とお話していました。

よく、子供が生れると同時に親も生れるのだといいますが、田西君が恥ずかしがらずに、自分の親のありがたさを口にするなんて、子供を授かるってことは本当に親という身を同時に授かる事なんだなと感じ入りました。
  「朝顔」

 夏真っ盛り、今年は久しぶりに海で泳ぎ、自転車で山に行きました。久しぶりに山へ海へと体を運び、海のしょっぱい匂いや、山の土や緑の風をうけていると、ふいに子供の頃の夏休み時代にドッと引き寄せられて、タイムスリップしたような妙な感覚に襲われました。
 懐かしいような、さみしいような気持がごちゃごちゃになった、その不思議な感覚が何なのか確かめようと、さらに気持を寄せていったのですが、そのまま身を任せていると、その思いから抜け出せなるようで不安になり、やめました。

 お参りに行く先々、海に行ってすごくよかったと話をするのだけど、何度話しても話しきった気持がしなくて、もどかしく感じていました。
それはきっと、海に行った話をしても、その時感じた不思議な思いは伝えられないからだと思います。

 今朝、お寺の梵鐘をつき終わって、鐘つき堂を出ると向かいのお饅頭やの浜屋さんが、朝顔の前でしゃがんでいます。

「おはようございます」と挨拶をすると、いつもは夜の居酒屋で酔っ払っている時以外は愛想のない浜屋さんは、片手をちょいとあげて応えるだけなのですが、今日は私に手招きをします。

隣にしゃがむと 「いや〜 見事な朝顔だね〜 さすが、世話が行き届いているからだよ。」と言われます。

 浜屋さんは公民館長もしておいでで、朝いつも公民館の前の自前の花壇に水をあげていますし、お店の前にも朝顔を数鉢、置いているので花には詳しいようです。

 「この色、この大きさ、素晴らしいね〜」「でも、ほらここを見てみ」と枯れてしぼんだ花をつまみながら、「これをつまんで落としてやるといいんだ、そしてほらここ、大きな葉っぱや黄色くなった葉っぱも、もいでやると養分が花に回りやすくなって、いい花がさらに増えるんだよね。」と教えて下さいました。


 私も、浜屋さんがするように、しぼんだ花をつまんだり、葉っぱをプチリとちぎったりしてみました。朝顔をこんなにしげしげと眺め、そして花をつまんだり葉っぱをちぎったりと、世話をするのも久しぶりの事でした。

もしかしたら、小学生の時夏休みの課題で朝顔の生態を調べた時以来かもしれません。

 花はホントに美しく、水彩画のようなクレヨンのような、その二つを上手に使い分けても出せない、繊細な色をに輝いていました。
触ってみるとさらに美しさが分かるようです

かしいけれども、妙な感覚や不安は少しも起こりませんでした。朝顔が子供の頃の記憶以上に美しく見えたからか?浜屋さんの指導が良かったからなのか?
単に眠たかったからという線が濃いようです。


しゅう
「あまがえる」


今朝朝顔を覗いたら、アマガエルがすっぽりと花弁の中に鎮座ましましていました。時々瞬きするくらいで、近づいても逃げようともしません。

朝顔によって来る羽虫でも狙っているのでしょうか?

それとも、この中が涼しいのでしょうか。

よく分かりませんが、見ていると私も入ってみたくなりました。

お昼もすぎ、3時頃お参りから帰ってくると、朝顔はしぼんでいました。

アマガエルもいなくなっていました。まさかしぼんだ朝顔にそのままつつまれている訳ないよなーと、覗き込むけれど、もちろんいません。

明日の朝、朝顔と一緒に咲いてたりして。

翌朝カエルはいませんでした。

住職は見たそうです。
   「おかみそり

先日、当寺本光寺においてご夫婦二人だけのお髪剃が行われました

普段は、大きな儀式の時に大勢でそろってする事が多いのですが、お二人は特別な事情があり、静かな雰囲気の中、儀式が執行されました。

お髪剃とはお念仏の教えを聞く身となり、新たな人生を歩むべく誓いを立てる大切な儀式です。

人それぞれ様々な理由でお髪剃を行いますが、儀式を執行してみると自分の思いのほかの感情が芽生えてくるようです

写真をとっている私自身にもお二人が儀式の中で感動されているのが伝わってきたように思います。
お念仏の教
を聞きそこに生かされて行けば。儀式など執行しなくても真宗門徒という事は出来ますが、儀式を執行してみて初めて感じ取る事もあるのだと改めて思いました

儀式の後お二人でニコニコ話しながら歩いて帰っていかれました。
「出張、おかみそり」

先日、鳥越村の下吉谷で、山口さん(82歳)がご自宅でおかみそりを受式されました。

山口さんは、ご病気のため、酸素マスクが手放せない状態のため、お寺で受式出来ず、今回の機会となりました。

山口さんは
「昨年の暮れに退院するときは、3月まで(寿命が)持つか持たないか、と医者に言われていたのにこうして、法名をもらえてうれしい」とおっしゃっておりました。

住職は
「きっと、おかそりという大切な、お仕事が残っていたので引き戻されたんやろー」と
笑いながら言うと「そうや、そうや」とみなで頷きあいました。

住職が続けて
「こうやって、80を過ぎて受ける人もいれば、20の若者が受けに来ることもある、どちらが、いいと言うわけでなく、受けようと思い立ったときが、その人にとっての一番ふさわしい時なんだろうね」というと。
そうや、そうやと頷きあいました。

式が終わったあと、山口さんの奥さんも、山口さんも感動した面持ちで、合掌されておりました。

先日、本光寺ボーリング大会、北国新聞後援が100万石ボウルで行われました。
参加者111名の中わたくし、しゅうは何と栄光の第三位を獲得しました!スコアは203・193でハンディーがなければ、二位という人生始まって以来の快挙です!
私普段は120以上のスコアが出たら調子がいいという素人なので、嬉しさは一入です。

その大会では、住職が忙しく出席できないため、代わりに始球式で黄金のボールを投げさせられた。(参加者111名の目の前で!)

その時、受けを狙って、野球のピッチャーのポーズをとったら、会場がシーーーーンと静まり返ったので、
ヤバッ!!と気をとりなおし

「せめて、ストライクを獲って会場を沸かせなければ!」と、渾身の力で投げたら見事!
ガーター(^^; しかも、レーンの中ごろで溝にはまるという、明らかなガーター・・・。 わたしは一瞬、投げた状態のまま固まり、後ろを振り返ることも出来ず、うつろな目で溝をさらっていく黄金のボールを追っていたら

期せずして会場から「おお〜」という声と共に拍手が!意外な展開にうれし、恥ずかしでした。

一位の小川さんは、私の右隣野レーンで、しかも前日に報恩講のお参りに行った、お宅のご主人だったので、びっくり、優勝されて二度びっくりでした。

ボウリングは40年来の趣味で、セミプロの実力の小川さんにコツの伝授を願いでると
「そんなもん、真中にボールを投げるこっちゃ」とさすが、ベテランの言葉。
「それが出来れば誰でもプロじゃ!」との突込みを
心の中でしつつ、投げていたら小川さんのアドバイス?が効いたのか、ストライクの嵐!! 小川さん効果でひと時の夢を見させていただきました。

二日に早くも本光寺ソフトボールチームは寺内の特設室内練習場で、冬季練習が始まりました。

この日清水コーチを始め約10人で1時間30分にわたって、和やかな雰囲気で、しかもそれなりの真剣な表情で練習をしました。

森監督は風邪で不在でしたので、清水コーチにコメントを求めました。

「初めての、特設室内練習場の使い心地はいかがですか?」
「いつお寺が壊れるか心配です。蛍光灯やら、スプリンクラーやらあるので、と言っといて」

でした。

こちらとしては「屋根つきの素晴らしい練習場だ!!」
という、コメントを期待していたのだが、残念である。

しかし、たしかに地下駐車場での練習を見学していたら、外れたボールが勢いよくコンクリの壁を反射して跳ね回るので、身の危険を感じる事が何度かあった。

取材も命がけである。
 本光寺では年に一度、報恩講の法語のチラシを配っています。チラシの配布を始めたのは、お勤めの後、ゆっくり話すことも出来ない報恩講のあわただしいおまいりの中で、何かご門徒さんにお土産を残していきたいとの思いで始まったのです。

 今ではチラシだけでなく、法話会の内容を本にした、「本光寺ノート」もお配りしています。

 今回は、チラシの内容をチラシッとお見せしましょう。

ここをクリック!
 「つきかげ」

先日ご紹介した、月の写真を「天空博物館」にお送りしたところ、「空の日」にリンクを張ってくださいました!2003年の1月〜3月のリンクをクリックして2月21日の項目です。

これで私のとった写真は本当にハロ(月暈 (つきがさ))であると太鼓判を押されたようで大変嬉しいです。

月の光は闇夜を照らす光である事から、仏教ではよく、お釈迦様の教えに喩えられます。仏の教えは暗い人の心を光で照らし出してくれるからです。

法然上人の歌に

月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」
(つきかげの いたらぬさとは なけれども ながむるひとの こころにぞすむ)


という、歌があります。浄土宗の宗歌になっています。面白いことに対照的な月に関する紀貫之の和歌があります。

「かつ見れど うとくもあるかな 月光の いたらぬ里も あらじと思えば」
月の光は美しいが憎らしい。それは自分1人のものではなく、世の中全てに平等だからだ、

という月に(恋人に?)恋いこがれる歌だそうです。

同じ月でも、眺める人の心模様によって、様々な思いを喚起する月は、まさにお釈迦様の対機説法のようですね。

しゅう

月の写真はこちら
                    「家を乗っ取る?」
  今朝お参りに行くと、いつもは必ずかぎが閉まっているお宅の引き戸が、スーと開きました。不思議に思いましたがそのまま玄関に入り、「おはようございます」と呼びかけましたが、返事がありません。足元の毛並みのいい黒猫が足元を行ったり来たりするだけです。

実はこの家の玄関がいつも閉まっているのは、この猫たちがかってに扉を開けて出て行かないためなのです。そう聞かされていた私は、猫が出て行かないようカギをしめて、また部屋の奥に向かって声をかけました。

しかしやっぱり返事がありません。だんだん心配になってきたそのとき、呼び鈴が鳴りました「アリャ?」 すりガラスの向こうに見慣れた奥さんの影が、その手には牛乳ビンを5・6本抱えています。

なんと、ちょうど家の奥さんが牛乳を取りに行ったときに、私が玄関に入りその上カギをかけてしまったのでした。結果私は家の中からカギを開けて「こんにちは」と言うはめに。

いつもは奥さんが私の呼び鈴を聞いて「ハイ、ハイ」と駆け寄ってきてカギを開けてくださるのに、今日はその立場が思わず逆になったので、二人して笑いあったのでした。 
今年に入って病気にばかりなっている。先日、風邪をこじらせて病院に行ったら、念のためということで、レントゲンを撮る事をすすめられ。血液の検査も受けた。

内心、今何かと話題のSARSか?コロナウィルスか?とびくびくしながら受けたが。
「その疑いがあるのですか?」と質問する勇気のないまま、検査を受けた。

出来たばかりの病院なので検査機材は全て最新のものである。レントゲンといってもパソコンが埋め込まれているようないかにもハイテク機材っといった装置が部屋にいくつか置いてあり、SFの主人公になった気分。
でも「はい、大きく息を吸ってー ハイ!とめてっ」という先生の指導は昔のままで、そんな所に安心を見つけたりする。

検査中、胸をぴったりつけている面には”Konica”とフィルムメーカーロゴがうたれていて「そうか!?コニカか富士フィルムじゃないんだ」と妙に感心した。
ちなみにプリクラはどっちなんだろ?

病院は全てコンピュータ・ネットワーキング化されているようだが、ディスプレイ上で見るのではなく、ちゃんとフィルムとして現像するようだ。

検査結果は異常なし、血液検査では、風邪のウィルスが原因と思われる炎症反応が出ているという結果だった。
今年はとにかく病気ばかりしている。病院に4つも通っている。入院、歯医者、耳鼻科、皮膚科である。先日などは大学病院のはしごをした。飲んべえの私は 飲み屋のはしごなら、何度もしたことあるけれど、まさか病院のはしごをする身になろうとは思ってもいなかった。おまけにはしごをしたその日は、耳鼻科の待合席に座っているうちにどんどん具合が悪くなり、風邪の診断を受けその場で点滴。風邪薬までもらい、「喉の治療にかかる前に、風邪を治して来て下さい」といわれてしまった。

飲み屋をはしごする身分から、病院通いへの転落は傍目からはさぞつらく、惨じめでさへあろう。と思われるかもしれないが、いざその身になってみればあまり悲壮感はない。

友人の入院している時に点滴の袋を釣り下げる棒をキャスターごと引きずるようにしながら歩いている人と廊下ですれ違う度に大変だな? さぞ辛いだろう、などと思っていたものだが、自分がその身になってみるとなんともないものである。
ある時、友人のお見舞いに行った時だった。点滴の袋を釣り下げる棒をキャスターごと引きずるようにしながら歩いている患者と廊下ですれ違う度に大変だな? さぞ辛いだろう、などと思っていたものだが、自分がその身になってみるとなんともないものである。

病院内のキャッシングコーナーでお金を下ろそうとその前に後二・三歩のところで、「カラカラ?」と点滴袋キャスターが見事に私とキャッシング機の間 に滑り込んで来た。寝間着姿のおじさんがすぐあとに続いてゆっくり登場、「へへへっ」という感じでおもむろにお金をおろしにかかった。唖然としつつも、順番を露骨に取ろうとするおじさんのたくましさを頼もしく思った。

自分も始めは点滴の針が抜けないかなどと不安だったが、半日も立つと軽快にキャスターを滑らしながら廊下を闊歩したものだ。健康な人にとって病気は非日常で大変そうだが、数日入院してれば病気の身が当たり前の日常になってくる。(病気にもよるのでしょうが)       
金沢医科大学(金大)の耳鼻科の待合室でのこと。
金沢大学付属病院(付属大)でアトピーの診察を受けた後、今度は付属病院の耳鼻科に来たのである。アトピーの経過は良好で一月に一回の通院が二月に一回でいいことになり、気分よく耳鼻科に到着した。
アトピーでお悩みの方は是非<金沢大学付属病院 竹原和彦先生</A>を訪ねてください。先生いわく「私のところに来た患者は100パーセント改善している」

実際私も幼少の頃から36歳になる今年まで永遠悩まされており、自分の体はこれが当たり前なのだ、人と比べるから余計苦しいのだ。などとあきらめていたアトピーが信じられないくらい良くなり、大変感謝しています。狐につままれたような気分です。
実際アトピーの人は良くお分かりでしょうが、苦しいのは見た目が悪い事だけではないのです。むしろ見た目のことは、それこそ表面上のことで、それよりも肉体的につらく、そのつらさが同時に精神に影響を及ぼしていることのほうが苦しいのです。
そして、大人のアトピーの人は先の私のように「自分はこんなもんだ」と長年かけて自分に折り合いをつけ、あきらめている為、治療を信じられなくなっています。

良くなるコツは先生の仰るとおりにすることです。自己診断は禁物です。そのようなことも治療の最初に丁寧に説明してくださいます。私の場合一月で劇的に改善3月目からはステロイドは使用しなくても良いようになりました。

さて、はるばる遠い金大の耳鼻科に来たのは訳がある。
退院した後も喉に軽い圧迫感があるので、地元の病院で診察してもらったところ”喉チンコが大きい”しかも腫れていると診察されたのである。そのせいで軽い無呼吸症候群になっているから喉チンコを切除するか、特別な機械で収縮させなければならず、その最新の機械や手術の先生は金大にあるからである。
しかし、地元の八幡メディカルセンターで診断が下ったときは軽いショックを受けた。自分ではこの圧迫感は喉頭がんではないだろうか?とかリンパ腺が異常なのではと心配したり、甲状腺の病気ではないかとインターネットで散々調べたりした。

 その後、先生にその自分の不安や自己診断を話した後、「じゃあ、ちょっと見てみましょうか」といってファイバーを鼻から入れられ、喉を見た結果の診断が”喉チンコが大きいようですね”である。

 ほんのわずか一瞬、白けた空気が流れる。わたしは診断をそのままに受け止めたつもりだった。しかし自分の意に反して、顔が上気してくるのが分かる。先生は普通に説明を続けておいでである。
 わたしは、はからわずも軽く動揺してしまった、そのこと自体がショックで、先生の説明に積極的に頷いて、説明に集中しようとした。

 それにしても、先生は女性である。女医さんに「喉チンコが大きい、喉チンコが腫れている、喉チンコが・・・」と説明される度に、どうせ大きいとか腫れると言われるのなら”喉”でない部分であって欲しかった。とチラリと脳裏をよぎり、そんなことを思ってしまったことが顔に出てないか?などと勝手にドキドキしながら診察を受けていようとは・・・。つくづくアホな私である。

ちなみに”喉チンコが大きい”事を専門用語では「口腔垂」というらしい。今も通っている歯医者さんが教えてくれました。
カズさん率いる円満音頭プロジェクト製作現場では現在も108枚の浴衣に円満音頭の歌詞を皆で筆を振るう作業が続いています。

ある日、乾かしてあった浴衣に描かれている文字を見ていると、カズさんが「泉原君も書いてね」と言われたので「僕も一枚書きましたが、下手なので恥ずかしいです。」と返事をしたら「しゅうちゃん、文字に下手も上手いもないんだよ。」

「イヤー程度があります」という風に照れた態度をすると 「ほんとうだよ、本当なんだよ」と慰めや励ましで言っているのではない事を込めて答えてくれました。

私はうそのないカズさんの言葉に感動しました。カズさんはどんな文字でもその個性を認める世界にいるのだな、と感じました。
さすが宇宙波動を感じるカズさんである。

現場から去るとき「これ誰が書いたんですか?」と私が尋ねたら「松下君」とカズさん。
「へー 松下君上手ですねー! 」と思わず言ってしまいました。
理屈を知っただけではアカンのである。

本光寺には職業は様々に違うけれど、お坊さんの説教調ではなく、法を説く人が沢山おいでになります。どうやら最近増えてます。
 
カズさんのギャラリーはこちら        描かれた浴衣の文字はこちら
さて、そんなこんなで金大の耳鼻科の待合室でのこと。急激に風邪の症状が酷くなり始め、朦朧としながらも大学病院特有の長い廊下に幾つも並べてある長いすの一つにしなだれかかるようにしてこれまた長い順番を待っていた。

 近年の花粉症・無呼吸症候群・などで患者が多いのかと思っていたが。そうではなく耳鼻咽喉科はいつも大盛況である。待合室や診察室で小耳にはさむだけでも。耳が聞こえにくくなった老人、原因不明の頭痛、蓄膿症、扁桃腺、甲状腺、アレルギーなどなど。病気はこれでもかというほどある。結果長い待時間を過ごすために私は本を持って行く。しかし、今日そんな状態ではない。

 朦朧としつつも廊下のはす向い、病室の入り口の横のポスターに目をやると「花粉は月から飛んでいる」と書いてある!? 一瞬目が覚めた。大学病院に張ってあるポスターである。スポニチの見出しじゃないのだから、ウソが書いてあるはずがない。海の塩の満ち欠けが月と関係あるように、花粉にもそのような関係が見出されたのだろうか?と重い体を引きずるようにして、向いのポスターの詳細を見ようと近づいて見ると、なんとそこには思いがけない衝撃の事実が〜!!! 
次号を待て!
「花粉は月から飛んでいる」2
前回 
 テレビで「この後、衝撃の事実が!!」とテロップが出てその事実がほんとに衝撃だった試しはない。私はそういう類のテロップが出ると”絶対見てやるもんか”と意地を張ってチャンネルを変えるのだが、30秒後にはまた元のチャンネルに戻っている。意思が弱いというか、懲りないのである。もしかしたら今回こそは本当かもしれないと期待してしまうんである。

 それと同じ理由で、いくら期待を裏切られても、未だにUFOを信じてるし、お化けだっているかもしれないとどこかで思っているし、素敵な女性がいつか私の目の前に現れるに違いない、と期待なんかもしている。ホント懲りてない。
 したがって「花粉は月から飛んでいる」レベルの話しなら。うん、そうなんかも知れん!と、朦朧としながらもそのポスターの所まで行くんである。

 で、近くで見ると”月”の前に”一”がありました。申し訳ない_(._.)_ 自分だってがっくりしたのです、ゆるして下さい。
花粉と言えば杉のものが有名だが、一月からなんらかの花粉が舞っているから、早めの花粉対策をしようという内容のようだ。がっくりしてたし全部読まなかった。

お月さんと花粉の不思議な関係の話しはちっとも書いてなかった。

がっくりして自分の席に戻ろうと振り返ると、ちょっとドキッとした。座っていた方の壁に月の写真が掛かっている。正確に言うと枯れた木と月を写した白黒写真。寂しい風景写真。病院には似つかわしくないのでは?

なんだか興味を惹かれて、近づいて見ることにした。
近づいてみると、枯れた木には柿の実が2つほど枝先に付いている。背景の満月の光が墨絵のような陰影を与えて、秋も終わりこれから冬が来るという風情。
白黒写真だが、月の光がまっ白ではなく白乳色をしている。
 実際のその場はシンとした、とても明るい夜であることが分かる。遠くで見たときは寂しい印象だったが、近くで見ると温かみを感じる写真だった。

 病院にはこのような写真がもっとあってもいいな
、と思った。
先ほど私が、ホームページを作成している時、「土木って言う字が変換されないよ!どもくって字がっ ホントこのコンピューターって奴はあかんね」と憤っていたら、

下っ端松下君
どぼくです」と軽く訂正された。

近くにいた住職が大爆笑。「自分で勝手に字を作ってるんだから、そらでんわな」

とっても恥ずかしかったです。

下っ端君は「ちゃんと辞書登録しといて下さいね」と言って去っていった。

うぬぬ〜 ウヌヌ〜
三十数年間「どもく」って読んでました。

  八方塞がり

先日、お寺の前の神社を通りかかったら、その看板に大きく
八方塞がり除難祭受付中と書いてあった。

さらにその横に「今年の八方塞がりは」と続き、まるで受験結果の発表よろしく、大正から平成までの当たり年をズラリと書き並べてありました。
私は思わず心の中で叫んだ


”やったよ、母さん受かったよ!”

昭和42年、見事に当確である。なんだか恥ずかしい当選発表である、というより、これは赤点の発表に近いか?看板の周りも赤く塗られているし。

だけど私、八方塞がり的な人生は
なにも今年に限ったことではないので、
違った意味で心外である。などと思いながらしばらく看板を苦笑いしながら見つめていました。

そんなことを友人に話したら「まあ、人生には何年かに何度か大変なことがあったり、大病をすることがあるので、気をつけなさいという意味で厄年とかあるのでしょう」と言ってくれました。

きっと私がその看板をとっても気にしてると思ったので”気にすることないよ”との意味をこめて慰めてくれたのでしょう。ほんとやさしい奴である。


ちなみにこの神社には左の写真のように、交通安全のお払いもしているのだが、何年か前に自動車がこの看板に突っ込んで来た事故があり。
その時はさすがに笑えなかった。(運転者は無事でした)






突然ですが、MRIに入ったことがありますか?私は二日前に入りました。
難しいことは分からないですが、磁石の力で体を輪切りに見ることが出来るという、スゴイ機械のことです。しかもリアルタイム、フルモーションで。

私の場合は喉の撮影との事。無呼吸症候群が本当にのどチンコの肥大によるものなのか否か?という切実な課題を解明するため、最先端の装置で検査である。

その部屋に入る前に、いろいろ聞かれる、手術歴があるか否か、ペースメーカーつけているかとか。
要は、つよい磁力を発生する装置なので、金物系はご法度なのである。メガネ、時計、ピップエレキバン、ジーパン(チャックの部分などが鉄だから)ブラジャーなど全部とってくださいと、注意書きもあるし、口頭でも伝えられる。面白いところではイレズミもダメだそうだ(外せないけど)

”もし宇宙人に誘拐されていてインプラントされてたらわかるな”などと変な考えが頭をよぎる

いよいよ部屋に入ると2001年宇宙の旅のワンシーンを思い出させる白い部屋と、やはり真っ白のSF的な円筒形の装置が目に入る。それもSF映画に出てくる冬眠装置っぽくってなんだかわくわくする。

 部屋中にかなり大きな音がしている。機械の無機質な音ではなく、心臓の鼓動のような間隔で「ヴュン・ヴュン・ヴュン・ヴュン」とずっと鳴り響いている。ガンダム系アニメのマシン起動シーンに使われる効果音っぽい。
ともかく、大変なエネルギーがこの機械には使われているのだと直感させられる。

まずベッドに横になるように指示されて頭を左右上下できないように完全に固定される、次に腹部もシートベルトのようなもので、固定される。

その間、男の先生と女の助手の方が落ち着いた声で、頭の位置や腰の位置などを変えるように指示してくださる。患者の不安を駆り立てないように気遣う。そんな落ち着いた声である。

 体を固定した上で、軟式テニスボールをさらに小ぶりにしたもので、線が付いている。(カエルをシュコ、シュコと空気の力で飛ばす、おもちゃっぽい)物を握ぎらされた。
それにしても、なんでこの道具だけアナログっぽいのだろう?
多分それを強く握ると「パフッ、ぱふ〜」と昔の自転車の警笛っぽい音がなりそうな、そんな感触である。とか思っている。

男性の先生のほうが
「これからの検査の途中に、これ以上検査を続ける事は出来ないと思ったら強く握ってください」

声の調子は相変わらず、やさしく落ち着いているけれど、言ってる事はかなり不安を煽る内容である。

「え!?なんでですか?」
と聞くと

つづく
     病院通「MRI」2
「いや、MRIの中の様子はカメラで見えるようになってますし、中のあなたの声も聞こえるようになっているのですが、中は狭いのでしっかり見えない場合があるのです。」
さらに
「中が狭くて、検査中大きな音がしますのでそれに絶えられない場合があるのです。」
なるほど、検査が危険なのではなく、こちらの精神力がその検査に耐えられなくなることがあるらしい。特に閉所恐怖症か、それに準じた人はイヤになるらしい。

「笑い事でなく、けっこうそういう人が多いんですよ」といわれ、少し緊張する。

映画アポロ13号で宇宙飛行士になるための訓練の中に、狭い部屋に何日間か閉じ込められるシーンがあったな、と思ったりする。

「検査中工事現場のような、かなり大きな音がしますからね。では、入りますよ〜」 

ベッドがスライドして徐々に頭から入っていく、天井には巻尺のメモリのようなものが張ってある。しばらく行くと横方向にも定期的にメモリが在る。それが2つほど過ぎて3つ目のメモリがクロスしているところでベッドが止まる。

天井は低い、どのくらい低いか、分かりやすく言うと急行北国のB寝台3段ベッドの一番上で寝た時くらい。つまり、鼻に天井がすりそう。

話しは変わりますが、列車に詳しい松下君によると、客車つき寝台列車はこの急行北国しかもう日本にはないそうなので、是非乗ってみてください。
私は3度乗ったことがありますが。小松で降り損ねて、富山で夜中の3時頃起こされ、富山駅で路頭に迷いかけました。夏だからまだ良かった。

駅の構内には”おわら風の盆”のポスターが何枚も張ってあり。蒸し暑くてベンチで眠ることが出来なく、カプセルホテルにでも泊まろうかと、そのまま駅を出ていくと。こんな時間なのに、4人組の男女のカップルが楽しそうに歩いていた。

足の趣くまま少し歩くと、赤提灯を発見!狭いカウンターにおでんがクツクツしている、いかにも赤提灯の店にぴったりのおばちゃんが立っている。
隣のお店も空いているらしい、ギターを演奏しながら若者達が大合唱している声が聞こえる。これは4.5年くらい前の話しであるが。まるでタイムスリップしたような感覚で、清酒立山のコップ酒をおでんをつまみつつ飲んだことを思い出す。


「それでは、大きな音がしますよ〜」マイクから先生のやさしい声が聞こえてくる。

つづく
 病院通「MRI」 完結
               
「それでは、大きな音がしますよ〜」マイクから先生のやさしい声が聞こえてくる。すると「ブブー ブッブー」という大きな音が耳元で鳴る。この音は!?
クイズ番組で不正解を出した時のダメだし音ではないか。

検査を受けうる前に、居酒屋でよく会う女性に、「しゅうさん、何処の断層写真を見ても金太郎飴みたいに”ハズレ”って写ってるんじゃない?」と冗談で言われた事を思い出す。わたしゃ、どこを切っても不正解なんか?不愉快な音である。

そんなこと思ってる間に「は〜い、もっと大きな音がしますからね〜」と先生のおちついた声
この音は・・・?
明らかに緊急避難したくなる音、「エマージェンシー!エマージェンシー!」と連呼しながら脱出ボタンを押す場面の音である。

もちろんMRIの中に脱出ボタンなんてない、しかも相当大きな音。狭い中に拘束されてこんな音を耳元で鳴らされたら、誰だって出たくなる。これは精神力を試すテストだったっけ?

「それでは睡眠薬を注入します、腕か冷たく感じますが心配要りません」
あらかじめ血管に刺されている管から、ほんの十数分眠る睡眠薬が注入される。そう、これは睡眠時無呼吸症候群の検査であった。

刺してある管から腕に冷たい感触が伝わってくる。生まれて始めての全身麻酔に眠れるのか心配になったが。眠気は襲って来て眠るというのではなく、スイッチが切れるように、スーッと意識がなくなっていく感じ。次の瞬間

「終わりましたよ。」と起こされる、とっても眠い。「大丈夫ですか〜フラフラしませんか〜」と聞かれたので、正直に「フラフラします」と答えたら。なんにも言わず黙って見ているので。”なんにも処置はないんだ?水くれるとか”と思いながらベッドの上を這い出て帰ったのだった。

先日検査結果を聞きに行った。喉チンコは確かに大きいが、無呼吸の危険度はないそうだ、その時、聞いて驚いたが、普通の人でも一時間に2・3度の数秒間の無呼吸は日常のことなんだそうだ。

自分の断層映像と、酷い症状の人との喉をふさぐ、のどちんこ映像を比較して見せてもらったが、その人のモノとは比較にならなかった。上には上がいるものである。

記念に自分の映像をダビングして欲しいと申し出たが、ダメだった。

おしまい
 「愚痴も言えない夏」

今年の梅雨は長かったけれども、比較的過ごしやすい梅雨だった。

昨日お参りに行ったとき、27日の本光寺でのイベントの話になり、「いい天気になってよかった、おかげでたくさんの人が来てくださった」とお互い頷きあっていた。

ちょうど、イベントの日が梅雨明け宣言が行われた日で、その日までは雨続きで当日までやきもきしていたから、天候に恵まれた喜びはひとしおだった。

 今年の夏はあまり暑くなく、また天候にメリハリがなかったせいで。スイカも甘くならないし、稲も不作が予想されているし、野菜の出来も今ひとつ冴えないらしい。

 天気話というのは、お参りで玄関に入ったら交わす挨拶のようなもので。お互い、寒いだの暑いだの言って、愚痴を言い合えるくらいの暑さ寒さの方が、いい季節なのだろう。

 一通り愚痴を言い合った後、「夏には暑いのはいやだと言い、冬になったらなったで寒いのだけはかなわんと愚痴がでる。季節が悪いのでない、われらの根性は本当に勝手わがままなもので・・・」と、聞法者のおばあちゃんが話すのを聞いて、頷きあいながら汗を拭く。これがお参りでの会話に無いと、少しもの足らないものである。

すごし易すすぎて、愚痴も口をついて出ない季節は寂しものである。

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