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CMC研究の原型としての80年代若者論
本章では、「テクノロジーの有効活用」という言説と80年代若者論の関係をみていく。しかし、その前になぜ、80年代若者論を考察対象とするかを説明する必要があるだろう。それは80年代若者論がCMC研究の原型となっていると考えられるからである。80年代若者論をひもとくと、前章でCMC研究の問題点としてあげた、受け手像振り子説に基づく「テクノロジーの有効活用」という言説の影響が浮かびあがってくるのである。このような関心のもと、本章では守弘(1993)の議論を基調としながら80年代若者論の構造を分析し、CMC研究への教訓をいくつか引き出していきたい。
1.情報新人類論
1−a 80年代のメディア環境
80年代若者論の要点は、新たなメディア機器への若者の対応にあるといえるだろう。そこで、若者論の検討に入る前に、当時のメディア環境の劇的な変化をふりかえっておこう。80年代には音楽メディアではウォークマンやCDプレーヤー、映像メディアではホームビデオやファミコンに代表されるビデオゲームなど、さまざまなメディア・テクノロジーが登場した。
これらのメディア機器に共通する特徴は、コンピュータを搭載していることにある。この時期、登場したコンピュータを搭載したメディア機器の特徴は次のように分類ができよう。@メディア機器の小型化によるモバイル化(ウォークマン)、A非同期的なメディア利用(ホームビデオ)、Bテレビ画面の多利用化(ファミコン、ホームビデオ、衛星放送などのディスプレイとしてのテレビ)である。つまり、受け手が「好きなときに、好きなところで」情報を受信することが可能になったといえるだろう。
80年代に登場したメディアのこれら特徴を、本論文では「情報受信環境のカスタマイズ性」と呼ぶことにしたい。
1−b 情報新人類論の展開
これらのメディア機器を自由自在に活用したのが若者であった。守弘(1993)によれば、彼らは「情報新人類」と呼ばれ、「来るべき情報化社会に対応した人間」として社会から肯定的な評価を受けたという。しかし、その一方で不可解な言語を用いて機器を操作する「理解できない若者」という否定的な評価も存在したようだ。すなわち若者に対する社会的評価は、期待と不安の入り交じった「アンビバレンツ」(守弘、1993)なものだった。だが、「情報機器技術の発達が将来の幸福を生むという単純なテクノロジー信仰が力を得ていた1980年代という時代背景が、後者のマイナス・イメージよりも前者のプラスイメージの方を強く人々に印象づけ」(守弘、1993)ることとなったという。
このような時代状況のなか、若者と情報・メディアに関する議論が発展をみせる。守弘(1993)によると、それは大ざっぱに以下の2つの観点で分けることができるという。情報化に対応した若者を「高感度人間」(成田、1986)として描くものと、そこから一歩進んで若者を「創造的受け手」(稲増、1991)として位置づけ、若者自身の情報に対する自律性を主張するものである。
それでは、守弘(1993)を基調としながら、それぞれの議論の要点をまとめておこう。まず、前者の成田を典型とする議論からみていく。成田は「現代の高度な情報化社会のなかで、魚が水の中に生きるように情報の中に生き、音と映像を四六時中飲み込み、理屈以前の反応としてそれらを見事に味わい分けている」若者を「高感度人間」として位置づけ、若者の情報化への対応を指摘した。一方、後者の稲増を典型とする議論はそこから一歩進んで、情報に対する自律性と創造性を身につけた受け手として若者を位置づける。稲増は若者が「ただ無批判に送り手からの情報に盲従するだけでなく、もっと積極的にその情報を活用し、送り手の予期していないようなメッセージを読みとって」(稲増、1985)いると指摘するのである。
前者が「情報化の進展が先にあり、それに対応せざるをえないなかでうまくやっていこうとしている人間として若者を描いたの」のに対し、後者は「より積極的に評価し、情報化社会をつくりだす自律的人間として若者を描いた」といえるだろう。
2.情報新人類論への疑問
しかし、守弘(1993)はこのような情報新人類論が、拡大解釈だったのではないかと疑問を投げかける。彼はその根拠を、自らの研究グループが行った若者のビデオ機器の利用に関する調査結果(新井・岩佐・守弘、1990)から導き出している。それによると、情報化に対応した若者は部分的なものにすぎず、またそのような一部の若者の情報行動のなかに稲増の指摘するような情報に対する自律性や創造性は見受けられなかったという。つまり、情報新人類論は、「一部の若者」の情報行動を「全体の若者」のものとして、また「可能性」としての自律性・創造性を「実現された」ものとして描き出すという二重の拡大解釈を犯してしまったというのである。
それでは、なぜこのような拡大解釈が行われてしまったのだろうか。守弘(1993)は「メディア・テクノロジーが大幅な進歩を遂げつつあるといわれているにも関わらず、一般の市民は送り手からの一方向的なコミュニケーションのなかで、情報をもっぱら受け取るのみの『受け手』としての立場をいまだに脱却していない」という状況を指摘し、情報新人類論は「将来の情報化社会において予定されている『受け手の自律性・創造性』を、まずは若者たちにみいだそうとした」と説明する。これは、既に前章でみたCMC研究の問題点と同じ構図といえないだろうか。というのも、メディアの社会的機能をその技術的特性によりアプリオリに決定してしまう「技術決定論」、そしてコンサマトリーではなく目的的なメディア利用を優先させる「テクノロジーの有効活用」という言説の影響、さらに現在の「受動的な受け手」に対するアンチテーゼとして将来の情報化社会において予定されたものとして「自律的・創造的な受け手」をとらえる、受け手像振り子説の影響を指摘できるからである。情報新人類論は将来の情報化社会における受け手像をアプリオリに設定した上で、その根拠を一部の若者にみられる、自律性・創造性の可能性を秘めた情報行動に求め、「テクノロジーの有効活用」という名目の下にそこでの観察を無条件に拡大解釈したものといえるだろう。
3.情報新人類論からおたく論へ
情報新人類論は、メディア機器を自由に駆使する若者に「来るべき情報化社会に対応した人間」という肯定的な評価を付与した。しかし、既に述べたようにその裏側には「理解できない若者」という否定的な評価も存在していた。だが、それは未来を先取りした「情報新人類論」の肯定的評価の前にうち消された形になっていた。しかし、1989年の「連続幼女殺害事件」(以下、M事件)をきっかけにこの両者の力関係は逆転することになる。「メディアを駆使する若者への期待」は、「メディアに依存する若者への不安」に一転したのだ。
確かにM事件のインパクトは大きかった。しかし、そのインパクトの大きさだけで、この評価逆転現象を説明するのは不充分であろう。この現象を分析するには、両者に共通する技術決定論的立場に注目することが必要なのではないだろうか。M事件は若者の情報行動がコンサマトリーなものであったことを暴露した。それは、情報新人類論が「テクノロジーの有効活用」という名目の下で、隠蔽してきたものであった。これに伴い、これまで賞賛されてきた情報行動の形式についても疑問が抱かれるようになったと考えられる。つまり、彼らの情報行動は稲増の述べるような自律性・創造性とはかけはなれた、消費的なものであることが指摘されるようになったのだ。おたくの否定的評価は、この両者(コンサマトリーなメディア利用と消費的な情報行動)の相乗効果により形成されたと結論づけられるだろう。M事件のインパクトの大きさは、情報新人類論者の想定する若者像と実態としての若者像との落差、すなわち情報新人類論の拡大解釈の大きさを示していたのだ。つまり、情報新人類論は若者の情報行動の形式に可能性を見いだすあまり、彼らのメディア利用目的を無視することで成立した議論であったといえるだろう。
彼らの拡大解釈がなければ、おたくがあれほど否定的な評価を付与されることはなかったのではないだろうか。情報新人類論が根拠のないものだとすると、おたく論も若者の実態を無視したものだといえるだろう。
→。 CMC研究とは何だったのか
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