音楽とか美術とか演劇
戦時下の芸術
2009/05/14 21:43
芸術が何かの手段であってはならない。ぼくは決して唯美主義、芸術至上主義ではないし、それどころか現実を捨象した芸術は無意味とさえ思っているけれど、それでも何らかの目的に奉仕する芸術を、素直に受け入れるわけにはいきません。戦意高揚の為の芸術はもとより、レジスタンスもしくは平和運動の為のそれでさえ。また右であれ左であれ、体制であれ反体制であれ。
抵抗の画家・靉光(あいみつ)の「抵抗」の意味。フランス・レジスタンス文学の傑作『海の沈黙』(ヴェルコール)の「レジスタンス」の意味。様々なことを考えながら、また様々な思いを受け止めながら、ぼくたちは戦時下の文学を読み、美術作品の前に立つことになるのでしょう。
7月4日から11日にかけて共同の家こぴあ(鶴岡市)で開催される「無言館収蔵戦没画学生遺作『祈りの絵』展庄内」(http://www.youtube.com/watch?v=IiNGGXoIXdE)。遺作は決して政治的ではないし声高に叫ぶなにものもないけれど、その展覧に奔走するスタッフ、そしてその作品の前に立つぼくたちは無垢ではいられない。
今から8年ほど前、徳山市美術館での「祈りの絵展」開催に際し学芸員の赤松祐樹さんは、〈戦争をいかに捉え、記憶しく、その記憶を後世に残し、いかにあらわしていくかということは大きな問題としてあるが、そこには事実とその後の評価とのあいだの質の違いが大きく立ちはだかる。しかし過去の傷それ自体は決して癒されることがない〉。
〈それを癒されたものとして忘却したり、閉じられた空間のなかへ既に終わったものとして封じ込めることはある種の暴力だが、しかし展覧会とはそれらを固定し、さらに素材にして歴史を提示すること〉に他ならないとして、その葛藤を率直に告白しておいでです。そして〈展示に携わる学芸員としての、さらには公共の文化施設としての「責任」とはどのようなものなのか、誰が引き受けるのか。そのようなことを自間しながら、展覧会開催に向けて準備を進めています〉とも。
いささかのことではあるけれども「祈りの絵展」に関わることになった人間のひとりとして、ぼくは赤松さんのこの誠実な姿勢を範としたい。自問や自省を忘れた奔走は、むしろ故人への、そして芸術への冒涜になりかねないのですから。
抵抗の画家・靉光(あいみつ)の「抵抗」の意味。フランス・レジスタンス文学の傑作『海の沈黙』(ヴェルコール)の「レジスタンス」の意味。様々なことを考えながら、また様々な思いを受け止めながら、ぼくたちは戦時下の文学を読み、美術作品の前に立つことになるのでしょう。
7月4日から11日にかけて共同の家こぴあ(鶴岡市)で開催される「無言館収蔵戦没画学生遺作『祈りの絵』展庄内」(http://www.youtube.com/watch?v=IiNGGXoIXdE)。遺作は決して政治的ではないし声高に叫ぶなにものもないけれど、その展覧に奔走するスタッフ、そしてその作品の前に立つぼくたちは無垢ではいられない。
今から8年ほど前、徳山市美術館での「祈りの絵展」開催に際し学芸員の赤松祐樹さんは、〈戦争をいかに捉え、記憶しく、その記憶を後世に残し、いかにあらわしていくかということは大きな問題としてあるが、そこには事実とその後の評価とのあいだの質の違いが大きく立ちはだかる。しかし過去の傷それ自体は決して癒されることがない〉。
〈それを癒されたものとして忘却したり、閉じられた空間のなかへ既に終わったものとして封じ込めることはある種の暴力だが、しかし展覧会とはそれらを固定し、さらに素材にして歴史を提示すること〉に他ならないとして、その葛藤を率直に告白しておいでです。そして〈展示に携わる学芸員としての、さらには公共の文化施設としての「責任」とはどのようなものなのか、誰が引き受けるのか。そのようなことを自間しながら、展覧会開催に向けて準備を進めています〉とも。
いささかのことではあるけれども「祈りの絵展」に関わることになった人間のひとりとして、ぼくは赤松さんのこの誠実な姿勢を範としたい。自問や自省を忘れた奔走は、むしろ故人への、そして芸術への冒涜になりかねないのですから。
単純に
2009/04/28 21:15
アルヴォ
ペルトの「Spiegel im Spiegel for Violin and
Piano(鏡の中の鏡)」には、ただただ驚き陶然とする他ありません。単純に音階を上下するだけのバイオリンはしかし決して単純ではなく、単純なリズムをきざむピアノはしかし決して単調ではない。このような音楽もあるのだ。いや、余計なものをはぎ取っていけば、音楽はこのようになるのだ。
といって、似たような音楽が他にないわけではないのです。ぼくが年末になると聴きたくなるグレゴリオ聖歌がそうだし、バッハにだってあるでしょう。日本でも、例えば宗派にもよるけれど読経に同じような感動を味わうことがある。雅楽だってそう。純粋なるものは普遍なるものだね。
といって、似たような音楽が他にないわけではないのです。ぼくが年末になると聴きたくなるグレゴリオ聖歌がそうだし、バッハにだってあるでしょう。日本でも、例えば宗派にもよるけれど読経に同じような感動を味わうことがある。雅楽だってそう。純粋なるものは普遍なるものだね。
100 Best 20th Century Classics
2009/04/25 06:32
「100 Best
20th Century
Classics」なんていうタイトルのアルバムを目にすると、例によって例のごとく、よく耳にする有名曲の聴き所を寄せ集めたものかと思ってしまいますね。しかしこれが、なかなかバカにできない選曲だったのです。あ、なるほど、今わかった。ベスト盤といっても20世紀のそれだもの、バッハやモーツアルトが出てくるわけじゃない。耳新しいアルバムになるわけだ。
Façadesなんて初めて聞いたような。Philip Glassというアメリカの作曲家の作品「Glassworks」の中の一曲らしい。ぼくにとってはうれしい発見。iTSの手軽さは容易にぼくの狭い世界を拡げてくれます。
一昨日からある有名タレントの「公然わいせつ容疑」騒動であちらこちら盛り上がっているけれど、騒ぎ過ぎでしょう、どう考えたって。マスコミはいつでも餌食を求めている。政治家もそう。劇場と化した社会では、誰がいつ役者となりまた観客となるのかわからない。そしてプロデューサーが誰なのかも。
Façadesなんて初めて聞いたような。Philip Glassというアメリカの作曲家の作品「Glassworks」の中の一曲らしい。ぼくにとってはうれしい発見。iTSの手軽さは容易にぼくの狭い世界を拡げてくれます。
一昨日からある有名タレントの「公然わいせつ容疑」騒動であちらこちら盛り上がっているけれど、騒ぎ過ぎでしょう、どう考えたって。マスコミはいつでも餌食を求めている。政治家もそう。劇場と化した社会では、誰がいつ役者となりまた観客となるのかわからない。そしてプロデューサーが誰なのかも。
ケーゲルが怖い
2009/04/01 20:57
アマゾンからのお知らせメールに触発され、iTSでケーゲルを検索しました。メールにあったショスタコービッチ交響曲集は高くてとても買えない。ヘルベルト・ケーゲル指揮のレコードは昔、徳間ジャパンから(旧東ドイツ)シャルプラッテン・レーベルがリリース(このあたりの事情・経緯がここにアップされています)されていた頃に何枚か求め、愛聴していたことがありましたね。
iTSには名演として知られるビゼーの「アルルの女」もラインアップされていたけれど、最近ココロが疲れているぼくはワグナーの「Parsifal」をダウンロード。ワグナーって気持ちが広がるでしょう? 「Parsifal」はいささかおどろおどろしいけれど。
さらに色々チェックしていくと、ケーゲル+ドレスデン・フィルハーモニーによる「アルビノーニのアダージョ」が名演らしく、「Great Romantic Classics」と題したいわゆる「コンピレーション・アルバム」に収められていたのでこちらもゲット。
いやー、その「アルビノーニのアダージョ」がとんでもない演奏で驚いたのなんの。これは葬送行進曲ですよ。確かにあの曲は切々・惻々。でもねえ、ケーゲルの指揮はそれを遥かに通り越して陰々滅々、まるで死の行進のよう。まちがってますよ、ケーゲルさん。でも凄い。
冥界の響き、そして終末に轟くのは嗚咽か阿鼻叫喚の煉獄への誘いか。とんでもない演奏で、しばらくは聴き続けることになりそうだ。
忠実な体制派だったとされる彼はドイツ再統一の直後、1990年に自殺したそうです。彼をそこまで追いつめたのは政治だったのか、あるいは芸術だったのか。諸説あるようだけれど、謎ですね。
iTSには名演として知られるビゼーの「アルルの女」もラインアップされていたけれど、最近ココロが疲れているぼくはワグナーの「Parsifal」をダウンロード。ワグナーって気持ちが広がるでしょう? 「Parsifal」はいささかおどろおどろしいけれど。
さらに色々チェックしていくと、ケーゲル+ドレスデン・フィルハーモニーによる「アルビノーニのアダージョ」が名演らしく、「Great Romantic Classics」と題したいわゆる「コンピレーション・アルバム」に収められていたのでこちらもゲット。
いやー、その「アルビノーニのアダージョ」がとんでもない演奏で驚いたのなんの。これは葬送行進曲ですよ。確かにあの曲は切々・惻々。でもねえ、ケーゲルの指揮はそれを遥かに通り越して陰々滅々、まるで死の行進のよう。まちがってますよ、ケーゲルさん。でも凄い。
冥界の響き、そして終末に轟くのは嗚咽か阿鼻叫喚の煉獄への誘いか。とんでもない演奏で、しばらくは聴き続けることになりそうだ。
忠実な体制派だったとされる彼はドイツ再統一の直後、1990年に自殺したそうです。彼をそこまで追いつめたのは政治だったのか、あるいは芸術だったのか。諸説あるようだけれど、謎ですね。
卒展を観る
2009/02/13 12:26
近年高い評価を耳にすることの多くなった、東北芸術工科大学の卒業制作展を観ました。主目的は、同校のAO入試に合格した娘の課題提出付き添いでしたが。
あえて辛口の評価をすれば、卒展は「アマい」「ヌルい」作品が多い印象。むしろ各学生のポートフォリオに収められた2〜3年時あたりの作品に興味深いものがあったようです。造形なのだから、もっとエッジの効いた線が欲しい。堅固なカタチが欲しい。あの、ぼんやりとだらしなく広がる色彩で、いったい何を表現しようとしているのか。
社会との関わり、人間世界への眼差しが希薄なように思えます。芸工大の提唱する「東北ルネッサンス」が、当の学生の作品に反映されていないように感じられるのは歯がゆいところですね。とりわけ院生の作品に独りよがりが目立ちます。もちろん芸術は少なからず独りよがりなものだけれど、他者との接点の有無は、なぜ絵を描くのか、なぜ生きるのか、という根源的な問いへの回答になるはずのもの。執行猶予期間の戯れで終わってしまってはイカンのです。
新入生には丁寧で真摯な作業、確かな描写力、社会性のあるテーマの追求を期待したいものだ。昨日の講評会は担当教授による講評もしっかり時間を取り、熱のこもったものでした。入学前だけれども今日は第一回目の講義のつもり、とのお話もお聞きしました。せっかく就職に直結しない学部に入ったのだから、この際開き直って、創作活動に取り組んでほしいものだね。
あえて辛口の評価をすれば、卒展は「アマい」「ヌルい」作品が多い印象。むしろ各学生のポートフォリオに収められた2〜3年時あたりの作品に興味深いものがあったようです。造形なのだから、もっとエッジの効いた線が欲しい。堅固なカタチが欲しい。あの、ぼんやりとだらしなく広がる色彩で、いったい何を表現しようとしているのか。
社会との関わり、人間世界への眼差しが希薄なように思えます。芸工大の提唱する「東北ルネッサンス」が、当の学生の作品に反映されていないように感じられるのは歯がゆいところですね。とりわけ院生の作品に独りよがりが目立ちます。もちろん芸術は少なからず独りよがりなものだけれど、他者との接点の有無は、なぜ絵を描くのか、なぜ生きるのか、という根源的な問いへの回答になるはずのもの。執行猶予期間の戯れで終わってしまってはイカンのです。
新入生には丁寧で真摯な作業、確かな描写力、社会性のあるテーマの追求を期待したいものだ。昨日の講評会は担当教授による講評もしっかり時間を取り、熱のこもったものでした。入学前だけれども今日は第一回目の講義のつもり、とのお話もお聞きしました。せっかく就職に直結しない学部に入ったのだから、この際開き直って、創作活動に取り組んでほしいものだね。
七人の侍
2009/02/09 12:47
先週末、「七人の侍」をBSで再見。
百姓の出でありながら武士になろうとした菊千代。にもかかわらず武士を憎んでいた菊千代。その秘密はストーリーが進むにつれて明らかになってくるのだけれど、なんにせよダイナミックな映像で魅せる映画だね。そのダイナミズムは明らかに──末梢神経に訴える──貴族文化的なものではなく、庶民的土俗的なもの。もうひとつの、いやさ真に日本的な美意識ですよ。茨木さんの詩の本質にも通じるだろう。
野武士の放った火に焼けだされた子供を抱いた菊千代が叫ぶ「これは俺だ!」に象徴される彼の戦いは、菊千代が野武士との戦いを通して、自身の人生を生き直した軌跡と感じました。エンターテイメントにして芸術、芸術にして骨太の思想。やはり黒澤明監督は素晴らしい。
百姓の出でありながら武士になろうとした菊千代。にもかかわらず武士を憎んでいた菊千代。その秘密はストーリーが進むにつれて明らかになってくるのだけれど、なんにせよダイナミックな映像で魅せる映画だね。そのダイナミズムは明らかに──末梢神経に訴える──貴族文化的なものではなく、庶民的土俗的なもの。もうひとつの、いやさ真に日本的な美意識ですよ。茨木さんの詩の本質にも通じるだろう。
野武士の放った火に焼けだされた子供を抱いた菊千代が叫ぶ「これは俺だ!」に象徴される彼の戦いは、菊千代が野武士との戦いを通して、自身の人生を生き直した軌跡と感じました。エンターテイメントにして芸術、芸術にして骨太の思想。やはり黒澤明監督は素晴らしい。
最近の音楽ダウンロード
2008/12/17 07:29
最近のダウンロード。
Enyaの「And Winter Came」。心地よいです、やはり。聖にして静なる月=12月にふさわしいニューアルバム。
ベルント・グレムザーの「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集」。ロマンですなぁ。このアルバム、1〜4番の協奏曲の他に「パガニーニの主題による狂詩曲」も収められいて大満足ですよ。
沢田研二の「我が窮状」は、ジュリーと呼ばれた男渾身のメッセージソング。朝日で紹介されていて、NHKでも歌ったらしい。「窮状」を「憲法第九条」に引っ掛けているのだけれど、やったね。
この窮状救えるのは静かに通る言葉
わが窮状守りきりたい
許しあい信じよう
そう、必要なのは「静かに通る言葉」。声高な言葉は世に溢れている。最期に人のこころに届くのは、「静かに通る言葉」。
Enyaの「And Winter Came」。心地よいです、やはり。聖にして静なる月=12月にふさわしいニューアルバム。
ベルント・グレムザーの「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集」。ロマンですなぁ。このアルバム、1〜4番の協奏曲の他に「パガニーニの主題による狂詩曲」も収められいて大満足ですよ。
沢田研二の「我が窮状」は、ジュリーと呼ばれた男渾身のメッセージソング。朝日で紹介されていて、NHKでも歌ったらしい。「窮状」を「憲法第九条」に引っ掛けているのだけれど、やったね。
この窮状救えるのは静かに通る言葉
わが窮状守りきりたい
許しあい信じよう
そう、必要なのは「静かに通る言葉」。声高な言葉は世に溢れている。最期に人のこころに届くのは、「静かに通る言葉」。
12月は忙しい
2008/11/30 13:58
12月はイベントがいっぱい、忙しくなりそうですね。いずれも見るだけ、聞くだけなんだけれど、重なる行事もあるのです。
14日は、グランド エル・サンで「地球温暖化防止シンポジウムin鶴岡」が。ゲストは月尾嘉男さん(東京大学名誉教授)、福島敦子さん(TVキャスター)。お二人ともTVやラジオでおなじみの方ですね。第一部では話題となったドキュメンタリー映画「不都合な真実」も上映されるとか。入場無料(要整理券)。
同日、鶴岡カトリック教会天主堂では、元NHK交響楽団ビオラ奏者渡部啓三さんと鶴岡室内合奏団によるクリスマスコンサートが開催されます。入場料は一般1,000円。
クリスマスコンサートは鶴岡アートフォーラムでも開催されるのですが(13日)、こちらはもう満員御礼のよう。ぼくも間に合いませんでした。
ぼくは我が子の作品も観に行かなければなりません。10日からアートフォーラムで「田川地区高校美術展」、17日からは「創立10周年記念 鶴岡中央高校総合学科 平成20年度課題研究発表会展示部門」が。
合間を縫って、これは仙台での話だけれど「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」も観なければ。いやぁ、忙しい12月です。
14日は、グランド エル・サンで「地球温暖化防止シンポジウムin鶴岡」が。ゲストは月尾嘉男さん(東京大学名誉教授)、福島敦子さん(TVキャスター)。お二人ともTVやラジオでおなじみの方ですね。第一部では話題となったドキュメンタリー映画「不都合な真実」も上映されるとか。入場無料(要整理券)。
同日、鶴岡カトリック教会天主堂では、元NHK交響楽団ビオラ奏者渡部啓三さんと鶴岡室内合奏団によるクリスマスコンサートが開催されます。入場料は一般1,000円。
クリスマスコンサートは鶴岡アートフォーラムでも開催されるのですが(13日)、こちらはもう満員御礼のよう。ぼくも間に合いませんでした。
ぼくは我が子の作品も観に行かなければなりません。10日からアートフォーラムで「田川地区高校美術展」、17日からは「創立10周年記念 鶴岡中央高校総合学科 平成20年度課題研究発表会展示部門」が。
合間を縫って、これは仙台での話だけれど「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」も観なければ。いやぁ、忙しい12月です。
「おくりびと」を観る
2008/11/24 19:10
握った手からこぼれ落ちる小石にうたれました。映画「おくりびと」です。いかにも映画的な、狙った効果とは思いながらも、グッときましたね。
俳優がおしなべて良く(約一名ウキかげんな人はいましたが)、舞台となった我が郷土の風景は美しい。親しい街角、エキストラに見知った顔。
こういう映画を観れば人はどこかしら変わらずにはいないと思うのだけれど、変わらないのだなぁ、これが。……って、誰のことだ?
鶴岡土曜会混声合唱団が全国大会で銀賞を獲得しました。中学校の部で金賞・高松市長賞の鶴岡第一中学校(母校です)並とはいかなかったけれど、上々ではありませんか。定期演奏会を聴いた限りでは特に男声が素晴らしく、だから「戦いの日日」は充実していましたね。デリカシーに富んだ(ゆえに女声にとって難しい)「かどで」との組み合わせは素晴らしく、深い感銘を与えたに違いありません。
俳優がおしなべて良く(約一名ウキかげんな人はいましたが)、舞台となった我が郷土の風景は美しい。親しい街角、エキストラに見知った顔。
こういう映画を観れば人はどこかしら変わらずにはいないと思うのだけれど、変わらないのだなぁ、これが。……って、誰のことだ?
鶴岡土曜会混声合唱団が全国大会で銀賞を獲得しました。中学校の部で金賞・高松市長賞の鶴岡第一中学校(母校です)並とはいかなかったけれど、上々ではありませんか。定期演奏会を聴いた限りでは特に男声が素晴らしく、だから「戦いの日日」は充実していましたね。デリカシーに富んだ(ゆえに女声にとって難しい)「かどで」との組み合わせは素晴らしく、深い感銘を与えたに違いありません。
鶴岡土曜会混声合唱団
2008/11/16 10:06
昨夜、鶴岡土曜会混声合唱団第57回定期演奏会に駆けつけました。秋田県横手市での仕事からようやく帰り着き、見事セーフ。会場の鶴岡市文化会館は満員(1200席ほどでしょうか?)、あまり良い席は確保できなかったものの、間に合ったのだから良しとしましょう。
土曜会は今年も全日本合唱コンクール全国大会の出場を決めています。その課題曲と自由曲(「嫁ぐ娘に」より「戦いの日々」「かどで」。作詞・高田敏子、作曲・三善晃)の披露が第一部。懐かしの合唱曲を集めた第二部を挟み、第三部はプロのゲストを交えて「W.A.MOZARTの教会音楽」特集でした。四曲の披露。プログラムが、まるでプロの団体みたいじゃありません?
見事なハーモニーを堪能させていただきました。ピアニストとして招かれた渕上千里さんの演奏は美しい音色ながら少し角があるようで土曜会との相性は今ひとつだったかもしれず、ソプラノの高橋薫子さんは声に伸びと艶が多少不足していたようで万全のコンディションではなかったかもしれませんが、まあしかしこれは素人のトンデモ感想。ぼくを含め観客は皆大満足だったと思いますよ。
なにより印象的だったのは、満員の聴衆を前にステージで熱唱した鶴岡土曜会混声合唱団の皆さんの素敵な笑顔でした。目標を持って毎日を生き、その成果をみんなと共有する。目的をひとつひとつ果たして行く。素晴らしきかな、人生! ですね。全国大会のステージでも、持てる力を十二分に発揮されますように。
土曜会は今年も全日本合唱コンクール全国大会の出場を決めています。その課題曲と自由曲(「嫁ぐ娘に」より「戦いの日々」「かどで」。作詞・高田敏子、作曲・三善晃)の披露が第一部。懐かしの合唱曲を集めた第二部を挟み、第三部はプロのゲストを交えて「W.A.MOZARTの教会音楽」特集でした。四曲の披露。プログラムが、まるでプロの団体みたいじゃありません?
見事なハーモニーを堪能させていただきました。ピアニストとして招かれた渕上千里さんの演奏は美しい音色ながら少し角があるようで土曜会との相性は今ひとつだったかもしれず、ソプラノの高橋薫子さんは声に伸びと艶が多少不足していたようで万全のコンディションではなかったかもしれませんが、まあしかしこれは素人のトンデモ感想。ぼくを含め観客は皆大満足だったと思いますよ。
なにより印象的だったのは、満員の聴衆を前にステージで熱唱した鶴岡土曜会混声合唱団の皆さんの素敵な笑顔でした。目標を持って毎日を生き、その成果をみんなと共有する。目的をひとつひとつ果たして行く。素晴らしきかな、人生! ですね。全国大会のステージでも、持てる力を十二分に発揮されますように。
フェルメール展を観る
2008/11/10 07:39
先週末は上京。フェルメール展をはじめ、ハンマースホイ、ピカソの大掛かりな展示を鑑賞しました。
フェルメール展の混みようは尋常ではありませんね。ぼくたちは朝一で駆けつけ、小雨を避けながら開門を外で待っての入場でしたが、行列は待っている間にも伸び、開館するや否やすぐに館内は一杯に。ぼくたちが観終えて出る頃合いには、入場制限がかかったのでしょうか、かなりの列が動かずにとどまっていましたよ。
フェルメールの魅力は、やはり本物を目にしないと分かりません。これが例えばピカソなら、複製を見ても(絵はがきでも)その良さを理解することが出来ます。しかしフェルメールは本物でないとダメです。写真では到底伝えられないものを描いている画家です。フェルメール作品の絵肌に込められているものは決して再現できません。彼を観たあとでは、ハンマースホイはもちろん、ピカソの青の時代を象徴する傑作ですら平板にみえてしまいます。絵画芸術の不思議です。
さて久しぶりの東京で感じたのは、やはりここは生きている街だ、ということ。どの時間帯でも人間が活動しています。いろいろな地方の言葉が聞こえ、様々な言語が飛び交っています。多様な生活を蔵し、あらゆる表現に出会うことのできる街。ぼくのような人間はそれを日常にはできないけれど、たまには刺激を受けたいですね。
フェルメール展の混みようは尋常ではありませんね。ぼくたちは朝一で駆けつけ、小雨を避けながら開門を外で待っての入場でしたが、行列は待っている間にも伸び、開館するや否やすぐに館内は一杯に。ぼくたちが観終えて出る頃合いには、入場制限がかかったのでしょうか、かなりの列が動かずにとどまっていましたよ。
フェルメールの魅力は、やはり本物を目にしないと分かりません。これが例えばピカソなら、複製を見ても(絵はがきでも)その良さを理解することが出来ます。しかしフェルメールは本物でないとダメです。写真では到底伝えられないものを描いている画家です。フェルメール作品の絵肌に込められているものは決して再現できません。彼を観たあとでは、ハンマースホイはもちろん、ピカソの青の時代を象徴する傑作ですら平板にみえてしまいます。絵画芸術の不思議です。
さて久しぶりの東京で感じたのは、やはりここは生きている街だ、ということ。どの時間帯でも人間が活動しています。いろいろな地方の言葉が聞こえ、様々な言語が飛び交っています。多様な生活を蔵し、あらゆる表現に出会うことのできる街。ぼくのような人間はそれを日常にはできないけれど、たまには刺激を受けたいですね。
晩秋にふさわしい
2008/11/03 07:29
ある雑誌でラフマニノフの交響曲第2番が「晩秋にふさわしい」と形容されていて、ラフマニノフといえばコンチェルトくらいしか思い浮かばなかったぼくは慌てて(?)iTSを探り、スヴェトラーノフ指揮のものを買い求めました。一番安かったこともあるけれど、評価も高い演奏のようです。試聴した中では、テンポが一番ぼくに合っているような気がしました。
それにしてもラフマニノフは本当に秋にふさわしい。叙情的にすぎるほど叙情的。あまりにも甘美。しかしそれが去りゆく輝きの季節、「晩秋にふさわしい」のですね。
さて昨日のお昼は郊外にある農家レストラン「菜ぁ」にて。鶴岡近辺にはこのテのレストランが3軒ほどあって、それぞれに個性的です。共通しているのは、やはり農家・田舎レストランらしく旬の食材、地場野菜にこだわっていることでしょう。子供や脂ぎった大人には不向き。料金も手頃(ランチで700円程度)で落ち着けました。
それにしてもラフマニノフは本当に秋にふさわしい。叙情的にすぎるほど叙情的。あまりにも甘美。しかしそれが去りゆく輝きの季節、「晩秋にふさわしい」のですね。
さて昨日のお昼は郊外にある農家レストラン「菜ぁ」にて。鶴岡近辺にはこのテのレストランが3軒ほどあって、それぞれに個性的です。共通しているのは、やはり農家・田舎レストランらしく旬の食材、地場野菜にこだわっていることでしょう。子供や脂ぎった大人には不向き。料金も手頃(ランチで700円程度)で落ち着けました。
叙情歌大全集
2008/10/27 12:44
先夜偶然見ることのできたBSの「叙情歌大全集」。恒例のような気もするけれども、良い企画です。
私的な「発見」は波多野睦美さん。深々として落ち着いた声の心地よさに酔いました。iTSを覗くとアルバムが一枚リリースされていたので、その中から(定番にすぎるのですが)「オンブラ・マイ・フ」をダウンロード。
しかし一番感動したのは、大妻中野中学校高等学校合唱部による「旅立ちの日に」だったかもしれません。大人の上手い歌よりも、ぼくは子供のひたむきな歌唱のほうに惹かれます。そしてこれは、おそらくぼくだけのことではないはずです。
少年少女の歌声がぼく(たち)を惹き付けて止まないのは、事実として伝わってくる若々しい声と素直な表現もさることながら、そこに自分自身の少年・少女時代を重ね合わせ、はかなさを感じるせいもあるでしょう。すべからくはかないもの、永遠に喪われた思い出は美しいのです。
現にあるものとないもの。合唱に耳を澄ませていると、様々な思いがよぎりそして心の奥底に、薄衣のようにあえかに、積み重なっていくようです。
私的な「発見」は波多野睦美さん。深々として落ち着いた声の心地よさに酔いました。iTSを覗くとアルバムが一枚リリースされていたので、その中から(定番にすぎるのですが)「オンブラ・マイ・フ」をダウンロード。
しかし一番感動したのは、大妻中野中学校高等学校合唱部による「旅立ちの日に」だったかもしれません。大人の上手い歌よりも、ぼくは子供のひたむきな歌唱のほうに惹かれます。そしてこれは、おそらくぼくだけのことではないはずです。
少年少女の歌声がぼく(たち)を惹き付けて止まないのは、事実として伝わってくる若々しい声と素直な表現もさることながら、そこに自分自身の少年・少女時代を重ね合わせ、はかなさを感じるせいもあるでしょう。すべからくはかないもの、永遠に喪われた思い出は美しいのです。
現にあるものとないもの。合唱に耳を澄ませていると、様々な思いがよぎりそして心の奥底に、薄衣のようにあえかに、積み重なっていくようです。
ゆれる車の音
2008/10/20 23:01
文学座公演「ゆれる車の音」を見てきました。ここ数日演劇やら会食やらで家を空ける日が続いたので、内心びくびく(誰に?)しながら。──でも、行って良かったぁ。とにかく良くできた、サービス満点の舞台でしたね。
この戯曲を書かれた中島淳彦さん、はじめて聞くお名前ですけれど、三谷幸喜さんなんかよりずっと作りが巧い。以前に見た三谷さんの作品「エキストラ」なんて、薄っぺらで本当につまらなかったもの。演劇は名前で見るもんじゃないね。
さて「名前で」と言えば、今回の舞台で一番名前が売れてるのはやはり主役を張った角野卓造さんでしょうが、実際のところ一番光っていたのは上原丈太郎役のかたお鷹さんでしたね。メリハリがあって、声に力があって、それにそれに「シーサイド・バウンド」でも一番目立ってたんじゃない?
もちろん角野さんも頑張ってました。良かったんですが、テキ屋の口上と言えばどうしても寅さんを思い出しちゃうし、渥美清さんのあのつややかな声、緩急と巧みな間合いの語りと比較してはどうしても「聞き劣り」してしまうのは致し方ないところ。
塩田朋子さんの勢いある演技は見事でしたが、歌も上手でしたねぇ。「アカシアの雨がやむとき」には思わず聞き惚れました。西田佐知子さんより良いです(キッパリ)。悪かったのは「ゆれる車の音」という演劇のタイトルくらいかも。これはちょっと、引きが無い。うっかりパスするところでしたよ。
脚本や役者さんのお芝居・音響の他、大道具・小道具、総じて舞台美術そのものが良く、おおいに満足した一夜。勇気を出して文化会館に出向いた甲斐があったというものです。
この戯曲を書かれた中島淳彦さん、はじめて聞くお名前ですけれど、三谷幸喜さんなんかよりずっと作りが巧い。以前に見た三谷さんの作品「エキストラ」なんて、薄っぺらで本当につまらなかったもの。演劇は名前で見るもんじゃないね。
さて「名前で」と言えば、今回の舞台で一番名前が売れてるのはやはり主役を張った角野卓造さんでしょうが、実際のところ一番光っていたのは上原丈太郎役のかたお鷹さんでしたね。メリハリがあって、声に力があって、それにそれに「シーサイド・バウンド」でも一番目立ってたんじゃない?
もちろん角野さんも頑張ってました。良かったんですが、テキ屋の口上と言えばどうしても寅さんを思い出しちゃうし、渥美清さんのあのつややかな声、緩急と巧みな間合いの語りと比較してはどうしても「聞き劣り」してしまうのは致し方ないところ。
塩田朋子さんの勢いある演技は見事でしたが、歌も上手でしたねぇ。「アカシアの雨がやむとき」には思わず聞き惚れました。西田佐知子さんより良いです(キッパリ)。悪かったのは「ゆれる車の音」という演劇のタイトルくらいかも。これはちょっと、引きが無い。うっかりパスするところでしたよ。
脚本や役者さんのお芝居・音響の他、大道具・小道具、総じて舞台美術そのものが良く、おおいに満足した一夜。勇気を出して文化会館に出向いた甲斐があったというものです。
オペラ源氏物語
2008/10/08 07:30
さて昨夜は、三木稔「オペラ源氏物語」ハイライトコンサートへ。2006年にアメリカ・セントルイスで初演(英語版)されたこの作品の、日本語による初演とか(正確には、東京でプレ演奏会が催されたようですが)。なにしろ源氏、なにしろ(一応)初演、なにしろネットで調べた限りでは英語版は絶賛を受けた……らしい。期待値は否が応でも高まります。ところがネ。
出だしから萎えてしまったぼく。洋楽器で雅楽のような雰囲気を出そうとしたようだけれども、これがねえ、調子っ外れにしか聞こえないのです。オーケストラの力量が不足しているのか、そもそも作曲者の意図にムリがあるのか、ぼくの鑑賞力の問題か、おそらくはそのすべてのような気がするけれども、和洋折衷の面白みにも達しない。
ぼくが一番違和感を感じたのは、この日本語版が現代日本語版だったことですね。それも決して詩的とは言えない、日常的・手垢のついた常套句的な日本語です。意味がよくわからなくったって原文で歌って欲しいところでしょう。どうせオペラ歌手が歌うと、声を響かせすぎるので現代日本語でさえよく聞き取れないのですから、翻訳する必要などないのです。
曲の全体としては──といってもハイライト公演だったわけですが──効果音の連続で、あまり音楽を感じられなかったような気がします。もう少し魅力的で印象に残る旋律が欲しい。いかにも素人っぽい感想だけれど、アリアでさえ音楽付きの語りのようにしか聞こえないのだから、物足りないのですよ。ブラボーの声が一度も聞かれなかったのは、決して鶴岡人が万事控えめのせい、だけではなかったような気がします。
というわけで、期待値が高かった分、満足度も低くなってしまいました。それでも中国琵琶のシヅカ楊静さんと筝の木村玲子さんの競演は見事で、もっともっと聴いていたいと思いました。オーケストラと張り合って演奏できる、力のある楽器だったんですね。バスの佐藤泰弘さんの声も艶と深さが素晴らしいと感じました。公演の実現に奔走された関係者の皆様には感謝。(081008)
出だしから萎えてしまったぼく。洋楽器で雅楽のような雰囲気を出そうとしたようだけれども、これがねえ、調子っ外れにしか聞こえないのです。オーケストラの力量が不足しているのか、そもそも作曲者の意図にムリがあるのか、ぼくの鑑賞力の問題か、おそらくはそのすべてのような気がするけれども、和洋折衷の面白みにも達しない。
ぼくが一番違和感を感じたのは、この日本語版が現代日本語版だったことですね。それも決して詩的とは言えない、日常的・手垢のついた常套句的な日本語です。意味がよくわからなくったって原文で歌って欲しいところでしょう。どうせオペラ歌手が歌うと、声を響かせすぎるので現代日本語でさえよく聞き取れないのですから、翻訳する必要などないのです。
曲の全体としては──といってもハイライト公演だったわけですが──効果音の連続で、あまり音楽を感じられなかったような気がします。もう少し魅力的で印象に残る旋律が欲しい。いかにも素人っぽい感想だけれど、アリアでさえ音楽付きの語りのようにしか聞こえないのだから、物足りないのですよ。ブラボーの声が一度も聞かれなかったのは、決して鶴岡人が万事控えめのせい、だけではなかったような気がします。
というわけで、期待値が高かった分、満足度も低くなってしまいました。それでも中国琵琶のシヅカ楊静さんと筝の木村玲子さんの競演は見事で、もっともっと聴いていたいと思いました。オーケストラと張り合って演奏できる、力のある楽器だったんですね。バスの佐藤泰弘さんの声も艶と深さが素晴らしいと感じました。公演の実現に奔走された関係者の皆様には感謝。(081008)
粕谷正一展を観て
2008/09/25 07:34
昨日、お昼休みを利用して鶴岡アートフォーラムに行き、「粕谷正一展」を観てきました。彼はぼくの高校時代のクラスメートで、現在石川県で高校教師をしながら二科会の会員として活躍する洋画家です。
全体を見渡すと、確かな描写力と、種々雑多なモチーフを見事にまとめあげる構成力に関心させられます。
現在の作風は意外に早い時期から始まっていたようですが、もちろんその中にも変遷はあります。色彩的にも変わっているけれども、一番は空間表現でしょうか。一時はかなり平面的・装飾的だった(その意味では日本的でもあった)彼の作品に、空間が感じられるようになってきたのです。象徴的なのは、中心的なモチーフとして描かれるトルソでしょう。すっくと立ち上がり、空間を作り上げているのです。
あとは、この空間になにが満たされるか、でしょう。情念や空気や光ではないような気がします。彼の絵は具象だけれども写実ではないのだから。それでは真空でしょうか?
いずれにせよ、新たな粕谷正一の絵画世界の萌芽が、近作にみられたのはうれしいことでした。彼には──もちろんぼくにも、ぼくたちの世代にも──変貌が欲しいのです。変わる事こそが、生きる事なのですから。
全体を見渡すと、確かな描写力と、種々雑多なモチーフを見事にまとめあげる構成力に関心させられます。
現在の作風は意外に早い時期から始まっていたようですが、もちろんその中にも変遷はあります。色彩的にも変わっているけれども、一番は空間表現でしょうか。一時はかなり平面的・装飾的だった(その意味では日本的でもあった)彼の作品に、空間が感じられるようになってきたのです。象徴的なのは、中心的なモチーフとして描かれるトルソでしょう。すっくと立ち上がり、空間を作り上げているのです。
あとは、この空間になにが満たされるか、でしょう。情念や空気や光ではないような気がします。彼の絵は具象だけれども写実ではないのだから。それでは真空でしょうか?
いずれにせよ、新たな粕谷正一の絵画世界の萌芽が、近作にみられたのはうれしいことでした。彼には──もちろんぼくにも、ぼくたちの世代にも──変貌が欲しいのです。変わる事こそが、生きる事なのですから。
誤解の無いように
2008/09/22 05:47
博物館
2008/09/21 11:50
「樹氷」という同人誌を手にする機会がありました。なかで、遠藤敦子さんが書かれた「『さだまさし』という詩人」に注目、いや、羨ましかったというべきか。当たったんだって! NHK深夜生放送「桜咲いてもさだまさし」の一般無料招待が。
文中では「博物館」という曲の歌詞が紹介されていました。ぼくはけっこう彼の曲は聴いているし、持ってもいるのだけれど、これは知らなかった。というわけでさっそくネットで試聴してみるとこれがまた良いのです。「療養所」や「風に立つライオン」の系列ではないかな。ダウンロードで購入しましたが、生半な歌ではないですよ、これは。
ひとつ目の部屋には 手首の傷が置いてある
若い頃に失くした 愛の形見として
ふたつ目の部屋には 言葉を全部閉じ込めた
他人の心を いくつか殺した償いに
他には沢田知可子さんの「美しい国」を購入。確か今年の暮に、余目の響ホールで彼女のコンサートがありますね。行けると良いのだけれど。
文中では「博物館」という曲の歌詞が紹介されていました。ぼくはけっこう彼の曲は聴いているし、持ってもいるのだけれど、これは知らなかった。というわけでさっそくネットで試聴してみるとこれがまた良いのです。「療養所」や「風に立つライオン」の系列ではないかな。ダウンロードで購入しましたが、生半な歌ではないですよ、これは。
ひとつ目の部屋には 手首の傷が置いてある
若い頃に失くした 愛の形見として
ふたつ目の部屋には 言葉を全部閉じ込めた
他人の心を いくつか殺した償いに
他には沢田知可子さんの「美しい国」を購入。確か今年の暮に、余目の響ホールで彼女のコンサートがありますね。行けると良いのだけれど。
待ってました!
2008/07/18 21:28
井上陽水さんの「少年時代」がようやくiTSに登場。待ってました! とばかりに即刻ダウンロード。
それから、ガンが転移したと伝えられ、病状が案じられる忌野清志郎さん。試聴の上で「Jump」をダウンロードしましたが、この曲もアツイです。童謡・唱歌、叙情歌が好きなぼくだけど、なぜか忌野清志郎やブルーハーツなんかも好きなんだなぁ。
今月は他に小室等さんの「雨が空から降れば」などもダウンロードしていますが、彼のファーストアルバムの登場を心から願っています。茨木のり子さんの詩に曲をつけた「12月のうた」が収められているので。
それから、ガンが転移したと伝えられ、病状が案じられる忌野清志郎さん。試聴の上で「Jump」をダウンロードしましたが、この曲もアツイです。童謡・唱歌、叙情歌が好きなぼくだけど、なぜか忌野清志郎やブルーハーツなんかも好きなんだなぁ。
今月は他に小室等さんの「雨が空から降れば」などもダウンロードしていますが、彼のファーストアルバムの登場を心から願っています。茨木のり子さんの詩に曲をつけた「12月のうた」が収められているので。
野田弘志展をみる
2008/06/22 22:11
酒田市の本間美術館で、野田弘志展を観てきました。精緻で精密で、空間も十分に感じられる作品は見応え十分でした。
一方で写実絵画は難しいな、と思ったのも事実です。よく見ると、やはり腑に落ちないところが見つかるのです。たとえば「室内」では着衣の少女の隠された肉体が感じられず、とくに右肩は脱臼しているかのよう。小品「和香子」も右肩が扁平で弱く、静物画のモチーフとなった蜂の巣は丸みが不十分に感じられます。
しかし一番の問題点は、たとえばフェルメールではかぐわしいほどに感じられる空気が、野田さんの作品には皆無だということでしょう。野田さんの写実は真空の写実です。加えて言うなら、「時」や「自然の光」もないのです。あるいは無意味な比較だと思われるかもしれないけれど、ぼくにとっては大切な、絵画にとっての価値感です。
メカニックな時代の写実とはこのようなもの、無機的な世界表現、なのでしょうか。
一方で写実絵画は難しいな、と思ったのも事実です。よく見ると、やはり腑に落ちないところが見つかるのです。たとえば「室内」では着衣の少女の隠された肉体が感じられず、とくに右肩は脱臼しているかのよう。小品「和香子」も右肩が扁平で弱く、静物画のモチーフとなった蜂の巣は丸みが不十分に感じられます。
しかし一番の問題点は、たとえばフェルメールではかぐわしいほどに感じられる空気が、野田さんの作品には皆無だということでしょう。野田さんの写実は真空の写実です。加えて言うなら、「時」や「自然の光」もないのです。あるいは無意味な比較だと思われるかもしれないけれど、ぼくにとっては大切な、絵画にとっての価値感です。
メカニックな時代の写実とはこのようなもの、無機的な世界表現、なのでしょうか。
昨日は合唱、今日は狂言
2008/06/16 22:40
本日、鶴岡市民劇場6月例会は茂山千五郎一門による狂言。なんとまあ、面白いこと。
はじめに、素人が多いだろうという配慮から? わかりやすくかつ面白い解説があり、続く演目は「蝸牛」「附子」「濯ぎ川」。所作にも台詞にも(こんな言い方をするのかどうかわからないけど)新しさを感じましたけどね。飽きませんねぇ。美しささえ感じます。クセになりそう。
そして昨日。山形で山形木曜会合唱団の定期演奏会を聴いてきました。まず会場の山形テルサホールが気に入りました。そしてもちろん、木曜会の合唱もなかなかのもので、ぼくは都合もあって2ステージしか聴けなかったけれど、「混声合唱組曲『生命・はるかなる旅』から」は多少パート的に弱い(薄い)部分も感じられたものの聴きごたえは十分でした。なにより、団員の皆さんの真摯な姿勢に打たれましたね。
はじめに、素人が多いだろうという配慮から? わかりやすくかつ面白い解説があり、続く演目は「蝸牛」「附子」「濯ぎ川」。所作にも台詞にも(こんな言い方をするのかどうかわからないけど)新しさを感じましたけどね。飽きませんねぇ。美しささえ感じます。クセになりそう。
そして昨日。山形で山形木曜会合唱団の定期演奏会を聴いてきました。まず会場の山形テルサホールが気に入りました。そしてもちろん、木曜会の合唱もなかなかのもので、ぼくは都合もあって2ステージしか聴けなかったけれど、「混声合唱組曲『生命・はるかなる旅』から」は多少パート的に弱い(薄い)部分も感じられたものの聴きごたえは十分でした。なにより、団員の皆さんの真摯な姿勢に打たれましたね。
「良い」です
2008/05/29 12:25
ラジオで偶然聴いたS・E・N・S。調べてみると息の長いグループです。知らなかった……。ヒーリングって言うんですか? 心を慰撫するやさしい調べ。メロディラインが親しみやすく、そもそも想定の範囲内で流れていくのが心地よく──もっともその辺りに物足りなさを感じることもあるのだが、とにかく「良い」のです。とりあえず「輝く季節の中で」を購入。
美空ひばりもiTSにラインナップ。なんども聴いているのに、「川の流れのように」をダウンロードして聴きなおすと、本当にうまい歌手だなぁとあらためて思います。よくコントロールされた、太く、強く、艶やかに伸びる声。完璧ですね。これも「良い」です。
美空ひばりもiTSにラインナップ。なんども聴いているのに、「川の流れのように」をダウンロードして聴きなおすと、本当にうまい歌手だなぁとあらためて思います。よくコントロールされた、太く、強く、艶やかに伸びる声。完璧ですね。これも「良い」です。
もしもの森
2008/05/11 20:09

↑ 鶴岡アートフォーラムHP
鶴岡アートフォーラムで「もしもの森──メディアアートと影絵の現在」を楽しんできました。その内容の紹介は公式ホームページに譲るとして、うれしかったのは、館内に若いお父さんお母さん、そして小さな子供たちがたくさん訪れていたことです。参加型の展示はいいですね。遠くから見守るのではなく、体を動かし、手で触れて、自分で、ある表現を生み出す展覧会なのです。笑い声のきこえる美術館は素敵です。
Glenn Gould Plays Bach
2008/03/23 13:45
見つかるときはいろいろ見つかるもので……懐具合に関係なく。確かソニー音源だから出てないはずと思い込んでいたグールドが、あまり多くないとはいえ、iTSにもあるじゃないですか。「Glenn
Gould Plays Bach」。900円。ピアノ協奏曲第1番とゴールドベルグ変奏曲。
20年くらい前になるでしょうか。はじめてグールドを聴いたのは。クラシック全集(名曲集)に入っていたグールドのテープを耳にするなり呆然・唖然。「本物」を直感しました。最初の一音でわかるのです。独創的なのに正当。天才というのは、こういう人を言うのですね。うれしいダウンロードでした。
20年くらい前になるでしょうか。はじめてグールドを聴いたのは。クラシック全集(名曲集)に入っていたグールドのテープを耳にするなり呆然・唖然。「本物」を直感しました。最初の一音でわかるのです。独創的なのに正当。天才というのは、こういう人を言うのですね。うれしいダウンロードでした。
山下達郎
2008/03/20 19:29
びっくりしました。何気なくiTSをのぞいたら、山下達郎の新曲「ずっと一緒さ」が配信されているじゃないですか。今まで彼のアルバムはいっさい出てなかったのに。もちろんダウンロード。この調子で、他の曲、たとえば大好きな「クリスマス・イブ」なんかも配信してくれるとうれしいのだが。
もう一つ。なぜか今まで出ていなかった斉藤由貴の「卒業」もついに。これは名曲だと思うのです。彼女の声によく合うのです。getです。
もう一つ。なぜか今まで出ていなかった斉藤由貴の「卒業」もついに。これは名曲だと思うのです。彼女の声によく合うのです。getです。
ステンドグラス展
2008/02/04 22:10
酒田市松山にある「松山文化伝承館」に行ってきました。「藤田フミ子ステンドグラス展」を見るためです。絵画的であり、物語を感じさせる作風に惹かれましたね。ランプや足下灯も美しいものでしたよ。
町に住む人たちにとってはやや不便なところにあるためか、日曜なのにぼくたちの他には鑑賞する人影もなく、それが少し寂しかったですね。旨いものを食べるためならどんなに遠いところにも出かける人が多いのに、美しいものの展示には、足が向かないのでしょうか。
とても丁寧に
2008/01/30 06:08
平原綾香さんは「星つむぎの歌」をとても丁寧に歌ってくれます。一つ一つの言葉、一つ一つの音がそれにふさわしくくっきりと、しかもやさしく浮かび上がってきます。思いと、祈りと、詩と、曲と、歌唱が、見事に調和していますね。星つむぎの歌HPもすてきです。
先の日曜は母の三回忌でした。今度の日曜は義母の一周忌です。月日は速やかに過ぎていきます。しかし記憶は、それによって遠ざかってしまうのではなく、むしろ寄せてくるような気がします。「時」は記憶をつむぎ、ぼくたちを心暖かく包むものとなるかのようです。
先の日曜は母の三回忌でした。今度の日曜は義母の一周忌です。月日は速やかに過ぎていきます。しかし記憶は、それによって遠ざかってしまうのではなく、むしろ寄せてくるような気がします。「時」は記憶をつむぎ、ぼくたちを心暖かく包むものとなるかのようです。
星つむぎの歌
2008/01/29 12:40
「星つむぎの歌」(平原綾香)が美しい。
空の青さが なつかしいわけは
小さな僕らの昨日があるから
見上げることが うたに似てるのは
夢の続きが そこにあるから
僕らは一人では生きていけない
泣きたくなったら思い出して
風に消えない願いのような
星の光でつむいだ歌を
涙。こころが少し疲れているときは、いつまでもなんどでも、この歌声を聴いていたい。
(追記。以下の記事を見つけました)
みんなで星を見上げ、その想(おも)いをつむいで共に歌をつくろう-。そんな呼びかけで全国から詩を募った試みがある。山梨県立科学館が中心になって進めた「星つむぎの歌」で、昨年5月から11月の間に、7歳から80歳まで幅広い年代から計2690通もの詩が寄せられた。その中から20通を選定し、山梨県出身の作詞家、覚和歌子がひとつの歌詞にまとめ上げ、財津和夫が作曲したのがこの作品(23日発売)。アコースティックギターの落ち着いた旋律と生命(いのち)や愛をつづった素朴な詞を、平原が抱きしめるように丁寧に歌う。作風はフォーク的だが、奥行きのある歌唱と世界観はデビュー曲「Jupiter」とも通底する。
空の青さが なつかしいわけは
小さな僕らの昨日があるから
見上げることが うたに似てるのは
夢の続きが そこにあるから
僕らは一人では生きていけない
泣きたくなったら思い出して
風に消えない願いのような
星の光でつむいだ歌を
涙。こころが少し疲れているときは、いつまでもなんどでも、この歌声を聴いていたい。
(追記。以下の記事を見つけました)
みんなで星を見上げ、その想(おも)いをつむいで共に歌をつくろう-。そんな呼びかけで全国から詩を募った試みがある。山梨県立科学館が中心になって進めた「星つむぎの歌」で、昨年5月から11月の間に、7歳から80歳まで幅広い年代から計2690通もの詩が寄せられた。その中から20通を選定し、山梨県出身の作詞家、覚和歌子がひとつの歌詞にまとめ上げ、財津和夫が作曲したのがこの作品(23日発売)。アコースティックギターの落ち着いた旋律と生命(いのち)や愛をつづった素朴な詞を、平原が抱きしめるように丁寧に歌う。作風はフォーク的だが、奥行きのある歌唱と世界観はデビュー曲「Jupiter」とも通底する。
どうなるんだろう、この一月は
2008/01/06 11:34
今度はブルックナーの交響曲全集ですか。iTSの価格破壊シリーズ(?)=1500円! 指揮はカラヤン。流麗な彼の棒はブルックナーの音楽に不似合いな感じもするけれど、といって水準以下の演奏ではないはずです。これも買い。ほかに、紅白を観ていて気になった曲の一つ馬場俊英さんの「スタートライン」、テレビでさだまさしさんと一緒に歌っているところを偶然観た矢野真紀さんの「窓」もダウンロードして、年末年始、ずいぶんiTSに奉仕してしまいました。仕事も始まったことだし、これからは財布をしめて毎日を過ごそう。
昨日の昼、休み時間を利用して図書館に行き、予約をしていたスザンナ・タマーロの『わたしの声を聞いて』を借りてきました。『心のおもむくままに』の続編という位置付けの書。先日のテレビ番組に影響されて、また書棚から抜き取って枕元に置いた『赤毛のアン』と『わたしの声を聞いて』を併読する? どうなるんだろう、この一月は。
昨日の昼、休み時間を利用して図書館に行き、予約をしていたスザンナ・タマーロの『わたしの声を聞いて』を借りてきました。『心のおもむくままに』の続編という位置付けの書。先日のテレビ番組に影響されて、また書棚から抜き取って枕元に置いた『赤毛のアン』と『わたしの声を聞いて』を併読する? どうなるんだろう、この一月は。
年末の贅沢
2007/12/31 07:57
今年の年末は少しだけ贅沢をしましたよ。大物はないけれど、小物? をあれこれ購入。
まず音楽では先日書いた「WHEN I WAS MOST BEAUTIFUL」の他、吉岡しげ美さんが歌う「怒るときと許すとき」「わたしが一番きれいだったとき」。吉岡さんは芯の固い良い声をしていますね。ただしイントネーションに難があるし、ときどき甘ったるくなるのはいただけません。
とんでもなくオトクな買い物だったのが「Mozart: 46 Symphonies」で、これはないでしょう、普通。ベーム&ベルリンフィルによるモーツアルト交響曲全集。全47曲がたった1500円ですって! 迷うことなくiTSからダウンロードしました。確かに古い録音ですが、聞き苦しくはありません。よそで(CDを)買えば8000円くらいはするし、25年前にLPレコード25枚組を30000円で買った、なんて人もいましたよ。
ソフトウエアではiShdeとムービー素材集を買いました。どちらも特価だから買えたんですけど、もともと3Dに首を突っ込むつもりはなかったのです。面倒くさがりだから細かい作業には向かないと。ただ、ちょっと依頼されたことがあって、目標があればぼくも飽きずに向き合えるかもしれなぁと思って。とにかくやってみるのです。高等数学をやろうというんじゃない、今までぼくがやってきたことをさらに拡げるだけなんだ。
サラ・パレツキーの『ウィンディ・ストリート』もネット古書店にて入手。V・Iシリーズはもれなく読んできたつもりなのに、なぜ『ウィンディ・ストリート』に気づかなかったんだろう。去年の6月に出てたんじゃない。
その他、森有正関連の資料をサイトや国立国会図書館の複写サービスでいくつか手に入れ、食べるための仕事と合わせなかなか忙しい年の瀬。皆々様、来年もよろしくお願いします。
良いお年を!
まず音楽では先日書いた「WHEN I WAS MOST BEAUTIFUL」の他、吉岡しげ美さんが歌う「怒るときと許すとき」「わたしが一番きれいだったとき」。吉岡さんは芯の固い良い声をしていますね。ただしイントネーションに難があるし、ときどき甘ったるくなるのはいただけません。
とんでもなくオトクな買い物だったのが「Mozart: 46 Symphonies」で、これはないでしょう、普通。ベーム&ベルリンフィルによるモーツアルト交響曲全集。全47曲がたった1500円ですって! 迷うことなくiTSからダウンロードしました。確かに古い録音ですが、聞き苦しくはありません。よそで(CDを)買えば8000円くらいはするし、25年前にLPレコード25枚組を30000円で買った、なんて人もいましたよ。
ソフトウエアではiShdeとムービー素材集を買いました。どちらも特価だから買えたんですけど、もともと3Dに首を突っ込むつもりはなかったのです。面倒くさがりだから細かい作業には向かないと。ただ、ちょっと依頼されたことがあって、目標があればぼくも飽きずに向き合えるかもしれなぁと思って。とにかくやってみるのです。高等数学をやろうというんじゃない、今までぼくがやってきたことをさらに拡げるだけなんだ。
サラ・パレツキーの『ウィンディ・ストリート』もネット古書店にて入手。V・Iシリーズはもれなく読んできたつもりなのに、なぜ『ウィンディ・ストリート』に気づかなかったんだろう。去年の6月に出てたんじゃない。
その他、森有正関連の資料をサイトや国立国会図書館の複写サービスでいくつか手に入れ、食べるための仕事と合わせなかなか忙しい年の瀬。皆々様、来年もよろしくお願いします。
良いお年を!
片づけたい女たち
2007/12/19 22:50
グループる・ぱる公演「片づけたい女たち」を観てきました。新聞の劇評でも高い評価を得、楽しみにしていた市民劇場の例会です。
出演者はわずかに三人だけ。受け身ではなく、自分たちのやりたい芝居を企画し、作り、演じていこうというアグレッシブな3人の女優たち。それは確かにおもしろく、テーマ性も明確です。リーフレットにある「時代と対話する舞台作品」は嘘じゃないね。
つまり彼女たちが片づけたかったのは何か。時間の経過、舞台の進行につれて、ステージ上のゴミが片づいていくにつれてあらわになっていったのは、それぞれが持つ心のゴミだったようです。こだわりすぎても、また無頓着でも、あるいは一見バランスよく保っているようでもじつは浄化しきれず、吹きだしてくる心のゴミ。幸いなのは、彼女たちには友がいるということだね。おのおののゴミを掃き出せる友がいるということ。
それにしても「傍観者」という言葉はぼくの心にイタかった。加害者よりも罪深い傍観者という言葉は。コミカルな演技とセリフの中にかくされたこの小さなハリの傷みを、どれだけの観客が感じ取っていたものか。あるいは誰かがどこかで書いていたように、時代がとうに追い越してしまった問題意識なのかどうか……。油断のならない三人組(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)だナ。
出演者はわずかに三人だけ。受け身ではなく、自分たちのやりたい芝居を企画し、作り、演じていこうというアグレッシブな3人の女優たち。それは確かにおもしろく、テーマ性も明確です。リーフレットにある「時代と対話する舞台作品」は嘘じゃないね。
つまり彼女たちが片づけたかったのは何か。時間の経過、舞台の進行につれて、ステージ上のゴミが片づいていくにつれてあらわになっていったのは、それぞれが持つ心のゴミだったようです。こだわりすぎても、また無頓着でも、あるいは一見バランスよく保っているようでもじつは浄化しきれず、吹きだしてくる心のゴミ。幸いなのは、彼女たちには友がいるということだね。おのおののゴミを掃き出せる友がいるということ。
それにしても「傍観者」という言葉はぼくの心にイタかった。加害者よりも罪深い傍観者という言葉は。コミカルな演技とセリフの中にかくされたこの小さなハリの傷みを、どれだけの観客が感じ取っていたものか。あるいは誰かがどこかで書いていたように、時代がとうに追い越してしまった問題意識なのかどうか……。油断のならない三人組(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)だナ。
ベートーベンは苦手
2007/12/03 21:56
ショスタコ熱再燃か!?
今年の夏、ピアノ協奏曲第二番第二楽章を「発見」してから、ショスタコーヴィチをよく聴いています。学生時代にハマったのが最初でしたが、何しろあのころはムラヴィンスキーがいた。作曲家より指揮者にハマったのかも。
社会人になってからはあまりショスタコーヴィチを聴く機会がありませんでしたね。一種悲劇的な口調を持つ彼の作品は心がリラックスできるようなものではなく、音楽に癒されたいぼくには苦痛なものでした。諧謔はうるさいだけだし、革命讃歌は嘘っぽい……。それがねぇ。
Op.102に参りました。息苦しくなるほど切なく、美しいメロディ。感傷的といわば言え、こんなに心を優しく撫でさすられては、誰だって夢心地になってしまう。ショスタコーヴィチは交響曲第五番第三楽章の独創性を自慢にしていたと聞きましたが、Op.102の破格の美しさも、彼ならではの透徹した哀しさをたたえています。Dmitri Alexeevのピアノがまた、いいなぁ。
さて、先の日曜は市内のスタジオで大瀧実花先生の小さなコンサートがあり、夫婦で行ってきました。「先生」と呼ぶわけは、今は離れましたけど我が家の娘たちが幾度かレッスンを受けていたからです。
プログラムはベートーベンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」を中心とした苦手な作曲家の盛り籠。いえね、ぼくだって昔はベートーベンが好き──というか、人並みにベートーベンからクラシックに入ったのですよ。つまり交響曲全集を揃えるところから始まったのだけど、年を経るにつれ、積極的には向き合わなくなりました。巌のような彼の音楽に堪え難くなってきたんですね。
森有正がどこかで、夏目漱石を読んだときに感じる抵抗感のなさを、否定的に語っていたように思います。同質感の危うさ。それは確かに心地よいけれども、創造の源泉とはなり得ない。抵抗とか葛藤とか、とにかく、ぼくの前に立ちはだかるものこそがぼくを成長させてくれる。そういうことなのでしょう。
とすれば、ぼくがベートーベンに耐えられなくなってきたというのは堕落なのかもしれません。あるいは敗北であると。でもあえて言うならば、ぼくは毎日、違う世界で戦っている。家に帰ってまで戦い続けるわけにはいかない。いや、戦いはあるのだけれども、すべてに戦うわけにはいかないじゃないか。だから、突き刺さるのではなく旋律は歌ってほしいわけ。惻々と心にしみいってほしい。それがぼくにとっての音楽。
さすがにまだ「わび」「さび」までは浮世離れしませんが、それでもかなり弱ってきたぼくに、親しみを覚えさせてくれたのが「ワルトシュタイン」の第二楽章「Adajo molto」でしたね。さすがアダージョ。湿気のせいかあるいは傷んで手を入れたというピアノの不安定さのせいか、やや音が金属的に響いたように感じたのは残念でしたけれど。心に優しいのは丸くソフトな音です(Dmitri Alexeevのピアノタッチのまろやかさ!)、って、それじゃあベートーベンにならない!?
しかし全体として、聴きごたえは十分なものでした。前からほかのピアニストと比較して感じていましたが、大瀧実花先生のタッチは強靭でしかも音が粒だっています。ピアノを存分に鳴らしてくれ、小さなオーケストラを実感させてくれます。天井の低いサロンよりも、いま少し大きめのホールで聴きたいプログラムでしたね。
今年の夏、ピアノ協奏曲第二番第二楽章を「発見」してから、ショスタコーヴィチをよく聴いています。学生時代にハマったのが最初でしたが、何しろあのころはムラヴィンスキーがいた。作曲家より指揮者にハマったのかも。
社会人になってからはあまりショスタコーヴィチを聴く機会がありませんでしたね。一種悲劇的な口調を持つ彼の作品は心がリラックスできるようなものではなく、音楽に癒されたいぼくには苦痛なものでした。諧謔はうるさいだけだし、革命讃歌は嘘っぽい……。それがねぇ。
Op.102に参りました。息苦しくなるほど切なく、美しいメロディ。感傷的といわば言え、こんなに心を優しく撫でさすられては、誰だって夢心地になってしまう。ショスタコーヴィチは交響曲第五番第三楽章の独創性を自慢にしていたと聞きましたが、Op.102の破格の美しさも、彼ならではの透徹した哀しさをたたえています。Dmitri Alexeevのピアノがまた、いいなぁ。
さて、先の日曜は市内のスタジオで大瀧実花先生の小さなコンサートがあり、夫婦で行ってきました。「先生」と呼ぶわけは、今は離れましたけど我が家の娘たちが幾度かレッスンを受けていたからです。
プログラムはベートーベンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」を中心とした苦手な作曲家の盛り籠。いえね、ぼくだって昔はベートーベンが好き──というか、人並みにベートーベンからクラシックに入ったのですよ。つまり交響曲全集を揃えるところから始まったのだけど、年を経るにつれ、積極的には向き合わなくなりました。巌のような彼の音楽に堪え難くなってきたんですね。
森有正がどこかで、夏目漱石を読んだときに感じる抵抗感のなさを、否定的に語っていたように思います。同質感の危うさ。それは確かに心地よいけれども、創造の源泉とはなり得ない。抵抗とか葛藤とか、とにかく、ぼくの前に立ちはだかるものこそがぼくを成長させてくれる。そういうことなのでしょう。
とすれば、ぼくがベートーベンに耐えられなくなってきたというのは堕落なのかもしれません。あるいは敗北であると。でもあえて言うならば、ぼくは毎日、違う世界で戦っている。家に帰ってまで戦い続けるわけにはいかない。いや、戦いはあるのだけれども、すべてに戦うわけにはいかないじゃないか。だから、突き刺さるのではなく旋律は歌ってほしいわけ。惻々と心にしみいってほしい。それがぼくにとっての音楽。
さすがにまだ「わび」「さび」までは浮世離れしませんが、それでもかなり弱ってきたぼくに、親しみを覚えさせてくれたのが「ワルトシュタイン」の第二楽章「Adajo molto」でしたね。さすがアダージョ。湿気のせいかあるいは傷んで手を入れたというピアノの不安定さのせいか、やや音が金属的に響いたように感じたのは残念でしたけれど。心に優しいのは丸くソフトな音です(Dmitri Alexeevのピアノタッチのまろやかさ!)、って、それじゃあベートーベンにならない!?
しかし全体として、聴きごたえは十分なものでした。前からほかのピアニストと比較して感じていましたが、大瀧実花先生のタッチは強靭でしかも音が粒だっています。ピアノを存分に鳴らしてくれ、小さなオーケストラを実感させてくれます。天井の低いサロンよりも、いま少し大きめのホールで聴きたいプログラムでしたね。
昨日の日曜日
2007/10/15 12:18
昨日の日曜日。娘も出品している「山形県高等学校美術展」を観るために米沢に行ってきました。
ぼくも高校の時まで油絵を描いていましたが、あの頃の自分とは比べ物にならないくらい今の高校生は上手い。100号クラスの作品を、さほど破綻もなく描き上げる力量には驚かされます。
モチーフとしては自分自身が多いようです。青春という時期、少なくともその真っ只中にいる時はとても苦しく、泥々さえしているものです。そんな狂おしい自分を見つめる作品が多くなるのは自然なことだけれど、いま少し周りを見て欲しいと思わないでもない。最近の若い人たちの書く(私的)小説の絵画版ではなく、世界を見据えたテーマ性のある作品が少しは観たい、と。
さて我が娘の作品は、むしろその大きなテーマが先にたったもので、観るほどに良くなってきましたね。ただ、テーマに沿って集められた個々のモチーフの連携がいまいち取れていないようで、それが理解の難しさになっています。手に余ったのかもしれないけれど、志は良かったのではないかな。親バカですか。
帰りは「白鷹ヤナ公園あゆ茶屋」に立ちよって写真を一枚。尾頭付きが苦手なので肝心の鮎は口にしません。それでも少し「日曜」させてもらいました。

そして夜。メジャーリーグ公演「百物語」(出演・白石加代子)を観賞。最初「クセのある読みだなぁ」と感じ若干違和感も覚えたのですが、結局は負けてしまいました。凄いです、白石ワールド。独りであれだけのことをされてしまうと、大勢の人間が右往左往する普通の演劇なんて、立つ瀬がないじゃない。
ぼくも高校の時まで油絵を描いていましたが、あの頃の自分とは比べ物にならないくらい今の高校生は上手い。100号クラスの作品を、さほど破綻もなく描き上げる力量には驚かされます。
モチーフとしては自分自身が多いようです。青春という時期、少なくともその真っ只中にいる時はとても苦しく、泥々さえしているものです。そんな狂おしい自分を見つめる作品が多くなるのは自然なことだけれど、いま少し周りを見て欲しいと思わないでもない。最近の若い人たちの書く(私的)小説の絵画版ではなく、世界を見据えたテーマ性のある作品が少しは観たい、と。
さて我が娘の作品は、むしろその大きなテーマが先にたったもので、観るほどに良くなってきましたね。ただ、テーマに沿って集められた個々のモチーフの連携がいまいち取れていないようで、それが理解の難しさになっています。手に余ったのかもしれないけれど、志は良かったのではないかな。親バカですか。
帰りは「白鷹ヤナ公園あゆ茶屋」に立ちよって写真を一枚。尾頭付きが苦手なので肝心の鮎は口にしません。それでも少し「日曜」させてもらいました。

そして夜。メジャーリーグ公演「百物語」(出演・白石加代子)を観賞。最初「クセのある読みだなぁ」と感じ若干違和感も覚えたのですが、結局は負けてしまいました。凄いです、白石ワールド。独りであれだけのことをされてしまうと、大勢の人間が右往左往する普通の演劇なんて、立つ瀬がないじゃない。
ある日渚に
2007/08/03 23:41
おお、iTunes
Storeに加山雄三が! さっそく涙が出るほど懐しい「ある日渚に」をダウンロード。ついでに森進一の「冬のリヴィエラ」も。オジさんだなぁ、ぼくも。
猛暑の一日。仕事先の新潟から夜遅く半分ふらつき(ときには運転中意識を失い?)ながら帰宅。もう寝ます。
猛暑の一日。仕事先の新潟から夜遅く半分ふらつき(ときには運転中意識を失い?)ながら帰宅。もう寝ます。
これぞ春
2007/04/29 14:03

好天に恵まれ、これぞ春の一日。帰省の娘夫婦、末娘を連れて昼前に訪れたのが鶴岡アートフォーラムです。
その節は大変お世話になりました。まずは顔見知りになってしまったスタッフにお礼を忘れず、企画展のチケットを購入。若妻になったはずの長女が高校生に見られるというハプニングを経つつ、はじめに企画展「2000年後のタイムカプセル」を観賞しました。面白かったぁ、これが。アイディアというか視点というか、ユニークな展示ですよね。2000年後に現代のオブジェが化石として発掘されたら……という発想。スゴイです。
美術作家・柴川敏之さんの作品展ですが、彼にかかると、アトムやウルトラマンも未来の仏像になってしまうんですよ。携帯電話もイコンのようで、視点を遥か未来に置く事によって、現代に溢れるオブジェが別の意味あいをもって迫ってくるのですね。会場には柴川さんもちょうどいらして、丁寧に解説してくださいました。贅沢な時間でした。
2Fで同時開催の「パレットの記憶/日本近代洋画家たち」も良い企画でした。地方の美術館が大家の大作を集める展示なんてできっこない。企画で勝負ですよ。その作家の代表作・傑作なんかじゃなくっても、パレットと作品が並ぶと同じ色調が見えてきて面白いのです。ぼくたちが帰る頃には、山形から芸工大の学生さんたちも団体で入場してましたね。きっと得るところの多い展示だったはずです。
さて午後は、あまりに天気が良いしついでもあったので加茂の灯台へ。海岸沿いの道路はいつになく混んでいます。灯台の隣にある水族館も盛況の様子。ここは近ごろ「くらげ」の展示で評判なんです。クラゲを使った料理も話題で、「朗読劇 茨木のり子の世界」に合わせて企画された「観劇ツアー」の立ち寄り先にもなっています。
ちょっと風が強く、長居はできなかったけれど、海は良いなあ。蒼く深い海・遠い空を見ていると、心の疲れもすーっと消えていきます。少なくとも今日一日はネ。
「武士の一分」を観る
2006/12/10 20:56
観終えた後じわじわと感動がこみ上げてくる映画、繰り返し頭の中で映像を、交わされた会話を反芻しては噛みしめる映画、ではなかったでしょうか。「武士の一分」。
山田洋次監督のお話です。実際、ストーリーは「隠し剣鬼の爪」のようにストレート。しかし前作と違うのは、主役たちの愛のある生活が、中間(笹野さんが大活躍でしたね)の実直な務めを含めて丁寧に描かれていること。それが観る人の心をホットにし、感情移入を容易にします。
主役・三村新之丞役の木村拓哉の演技には、努力の跡が窺えました。特に感心したのが殺陣の上手さ。剣の師匠・木部との稽古は迫力十分、仇敵・島田との果たし合いの場での緊迫感。しかしこの映画の真骨頂は、やはりラストシーンにありますよね。
離縁された妻・加世(檀れいさんがひたすら可憐に美しい!)が飯炊き女として家に戻り、それを夕餉の懐しい味わいで知った新之丞と、加世の抱擁には、目頭が熱くなりました。今日は家族での観劇でしたが、出来れば次の機会にはひとりで薄暗い館内に身を沈め、この映画の世界に存分浸りたいものです。ハンカチは必携です。
この映画はシンプルで、単純な物語です。単純だけれど、非常に深い物語です。決してにぎやかなクリスマスツリーのような映画ではない。だけれども、よく観て下されば皆さんの心の中に、たくさんのイマジネーションやたくさんの思いが吹き上がってきて、観終わった後にはきっと胸の中が温かくなっているのでないかなと思います。
山田洋次監督のお話です。実際、ストーリーは「隠し剣鬼の爪」のようにストレート。しかし前作と違うのは、主役たちの愛のある生活が、中間(笹野さんが大活躍でしたね)の実直な務めを含めて丁寧に描かれていること。それが観る人の心をホットにし、感情移入を容易にします。
主役・三村新之丞役の木村拓哉の演技には、努力の跡が窺えました。特に感心したのが殺陣の上手さ。剣の師匠・木部との稽古は迫力十分、仇敵・島田との果たし合いの場での緊迫感。しかしこの映画の真骨頂は、やはりラストシーンにありますよね。
離縁された妻・加世(檀れいさんがひたすら可憐に美しい!)が飯炊き女として家に戻り、それを夕餉の懐しい味わいで知った新之丞と、加世の抱擁には、目頭が熱くなりました。今日は家族での観劇でしたが、出来れば次の機会にはひとりで薄暗い館内に身を沈め、この映画の世界に存分浸りたいものです。ハンカチは必携です。
サラダ記念日
2006/11/26 20:01
昨夜はお楽しみ寅さん。俵万智さんのサラダ記念日をモチーフに、人生の老い、終末期医療の問題、そして学問の意味が問われる秀作。笑わせてくれ、泣かせてくれ、そして考えさせてくれる映画でしたね。
それにしても冒頭の、鈴木光枝さんと三田佳子さんのやり取りが凄い。三田さんは役に見事に合ってるし、鈴木さんはただただ上手い! と、感嘆するのみ。もう戻れないことを察しながら病院に向かおうという鈴木さん扮するおばあさんが、自宅に向かって手を合わせるシーンなど、それだけでもう、一篇を未終えたような充足感がありますよ。
鈴木光枝さんは紛れもない名優。ぼくは以前、彼女の舞台「荷車の歌」を観劇したことがあります。宝物のような体験でしたね。
さて。日曜日の今日は降雪に備えてタイヤ交換を。業者に頼むと費用もバカにならないので、ここ数年自分で交換してます。もうすぐ12月。冬への備えを急がなければ。
それにしても冒頭の、鈴木光枝さんと三田佳子さんのやり取りが凄い。三田さんは役に見事に合ってるし、鈴木さんはただただ上手い! と、感嘆するのみ。もう戻れないことを察しながら病院に向かおうという鈴木さん扮するおばあさんが、自宅に向かって手を合わせるシーンなど、それだけでもう、一篇を未終えたような充足感がありますよ。
鈴木光枝さんは紛れもない名優。ぼくは以前、彼女の舞台「荷車の歌」を観劇したことがあります。宝物のような体験でしたね。
さて。日曜日の今日は降雪に備えてタイヤ交換を。業者に頼むと費用もバカにならないので、ここ数年自分で交換してます。もうすぐ12月。冬への備えを急がなければ。