茨木のり子

順調です

 山根基世さんによる講演会「山根基世氏 茨木のり子さんを語る」の入場整理券は順調に出ています。当初の目標はクリア、今はさらに会場を満席にすべく六月の会メンバー一同努力を重ねているところ。これからは細かな打ち合わせや調整も色々出てくるでしょう。頑張らなくっちゃ。そうそう、講演会の前にまず会報を発行しないといけない。仕事が次々に押し寄せて来ます。
 山根基世講演会は6月13日午後2時から鶴翔会館(鶴岡南高等学校構内)にて開演です。お近くの方は、いや遠くの方もぜひおいで下さい。今ブレークしている庄内観光とあわせ、楽しく充実した土日になること請け合いです。

山根基世さんの講演会

 山根基世さんをお招きしての講演会「山根基世氏 茨木のり子さんを語る」が鶴岡市で開催されます。

 主催:茨木のり子 六月の会
 日時:6月13日(土) 午後2時
 会場:鶴翔会館(鶴岡南高等学校内)
 入場整理券(資料代):500円

 故人を描いて美しい文章と言えば、ぼくは森有正最後の日々を二宮正之さんが敬愛を込めて綴った「詩人が言葉をうしなうとき」を真っ先に思い浮かべるのですが、山根さんが文庫版『倚りかからず』の解説として書かれた一文もまたこの上なく美しいものでした。山根さんは茨木さんを親しく、そして的確に語れる方です。
 講演会では茨木さんに関するお話のほか、その詩作品をいくつか選び、朗読してくださるはずです。詳しくは「
茨木のり子 六月の会」ホームページをご覧下さい。リーフレットをダウンロードすることが出来ます。

それぞれの「私」との対話

 何十年、何百年、いや何千年・何万年を経た造形であっても、すぐれた芸術は現代のぼくたちを深い感動に誘ってくれる。芸術の不思議と言うより他ないのだけれど、しかしぼくたちが過去の芸術作品を目の前にして、その作品の同時代人たちと同じ種類の感動を味わっていると考えるのは早計でしょう。例えばラスコーの洞窟壁画なら、先史の人々は描かれた動物の写実性や躍動感・色彩感覚にではなく、イコンとしての宗教性、その呪術的な意味合いに価値を見出していたに違いないのです。
 ラスコーの壁画は一万五千年前に描かれたというのだから、理解しきれずともまぁ諦めはつきますね。けれども近・現代の人間の歴史はその流れがあまりにも早すぎます。わずか数十年前に発表された詩作品の語感を正確に受け止めることができない──と、そんなこともあるのです。
 「茨木のり子 六月の会」初めての勉強会で取り上げた茨木さんの初期の詩「魂」は、その意味で大変解釈の難しい作品でした。「魂という語は、戦後まだ七年目という当時にあっては、そのニュアンスを今読者に伝えるのは難しいが、例えば軍人魂といった表現にすわりの良い言葉だった」とは、盟友だった川崎洋さんの解説。
 しかし一方、一編の詩は時代のなかで生きていると同時に、まとめられた詩集の中で生きる存在でもあります。今のぼくたちの咀嚼の手がかりはそこにある。そう念じて詩集『対話』の全体を見やれば、「全ての詩作品が、書いている現在に視点を置き、そこから過去を振り返ることで、対話を行っている」(齋藤恵)ことに気づかされます。
 対話の相手は「あなた」であり、そのように自分自身に向かって(あるいは外に向かって)呼びかけることで、過去の、その存在を実感できなかったものをも確かにあったものとして確認する。つまり、〈それぞれの時代の『私』を認識することで『私』の歴史を紡ぐ〉作業、〈自己との対話からそれぞれの時代の「私」を生き直そうとする〉作業こそが、茨木さんにとっての詩を書く意味だったのではないか。齋藤恵さんの的確な読みに、一票を投じましょう。
 「凍って」「切り離された魂」との対話は、容易いはずのものではありません。けれども同世代の川崎さんや吉野弘さんは、「いまなお」の忸怩たる現状より、「火をはら」ませて「魂」と向き合おうとするひとりの女性の姿に、強い衝撃を受けたようです。「わたしはこの詩を読んで、魂をがんじがらめにしていた見えない鎖のようなものが解かれた思いを味わった」(川崎洋)。
 戦争に負けない──ということは奪われた自分の「いちばんきれいだった時」を取り戻す、生き直すことに他ならないのですが、「魂」はその予兆を暗示しています。まことに茨木さんの第一詩集冒頭にふさわしい、詩人としての旅立ちのうたと言えそうです。
 
〈参考文献〉
川崎洋「鑑賞」(『現代の詩人7 茨木のり子』、中央公論社、1983年)
齋藤恵「茨木のり子研究──初期詩集について──」(「言文」(通号55)、福島大学国語教育文化学会、2007年)
和合亮一「春の気圧のなかで輝く言の葉と樹木」(「現代詩手帖4」、思潮社、2006年)

「六月の会」会報

 「茨木のり子 六月の会」の会報第六号を六月の会HPにアップしました。PDF版です。6月に開催した「六月に詩う」の様子がよくわかる、楽しい内容になっています。ぜひご覧ください。

岡本忠成の「12月のうた」

 アニメーション作家の岡本忠成(1932.1.11 - 1990.2.16)が気になってあれこれ検索しました。というのも、彼の作品に「12月のうた」があるからです。音楽は小室等さん。そう、小室さんのファーストアルバムに収録された「12月のうた」(詩・茨木のり子)。残念ながらぼくはまだこの曲を聴いたことがなく、もちろんアニメ作品「12月のうた」を見たこともありません。
 岡本忠成という名前は知らなかったのですが、「NHKみんなのうた」のバックに流れた「オナカの大きな王子さま」や「メトロポリタン・ミュージアム」の作者と聞けば、ああと思い出します。また、遺作となった「注文の多い料理店」は川本喜八郎さんが後を引き継いで完成されたそうで、川本さんはぼくも鑑賞する機会のあった「死者の書」の制作者です。
 岡本さんの作品集は過去にビデオ化されていますが、今となってはなかなか手に入りません。せめて音楽だけでもと思って小室さんのアルバムも探してみたけれど、こちらも入手困難(全集BOX版には入っているものの、高額でした)。iTSに登録される日を気長に待ちましょうか。
 しかしそれにしても、岡本忠成さんの「12月のうた」は気になります。あるレビューに「2分、あっという間に終わってしまいながらも、小室等御大の聞き入ってしまうフォークと、童話のような、描き絵がそのまま動き出してしまう可愛らしさに心奪われてしまう。どこか“みんなのうた”風。人間だけが、12月忙しくしている横を、動物はノンビリと過ごしている様子、確かにそういう点ではシニカルではあるんだけど、とってもチャーミングに描写」とあって、原作? にかなり忠実な作品と思われるからです。

六月に詩う

 昨日の「六月に詩う ─茨木のり子・詩の朗読─」は大成功でした。ご参加いただいた皆様、朗読していただいた皆様、ありがとうございました。全体の様子は六月の会ホームページブログをお読みいただくとして──。
 さてぼくは、当日、好きな詩がたくさんたくさんの中から「行方不明の時間」を選び、朗読しました。この詩は『茨木のり子集 言の葉』のための書き下ろしで、文庫判『倚りかからず』にも追加収録されています。会の終了後、何人かの方に「良かった」と仰っていただいたのがうれしく、夜の部も愉しく美味しく過ごすことができました。感謝です。
 朗読していただいた中に、地元大山の眼科医でぼくや家族もお世話になったことのある森國トクヱ先生がおられました。89歳にして未だ現役の先生はとてもお元気なご様子で、ぼくも大好きな詩「橇」(『歳月』)を淡々と朗読されました。そのごく普通の読みが、しかしこの作品には誠に見事にあっていて、こみ上げてくるものを押さえきれない参加者もいたようです。お話も素敵でした。
 六月の会はたくさんのすばらしい方たちに支えられ、休むことなく歩みを続けています。

今日、「偲ぶ会」

 いよいよ今日は、「詩人茨木のり子さんを偲ぶ会」が午後、菩提寺の浄禅寺で開催されます。ここしばらく荒天が続き、心配されたお天気もひとまず落ち着いたようで、交通機関の乱れなどもなく予定通りの開催となるでしょう。とはいえ真冬、しかも会場は市の中心から離れた海辺の町にありますから、参加者がどのくらいになるのか、いささか心配ですね。……と、そういう自分自身、県外での仕事が入ってしまって。情けない限りです。

詩人茨木のり子さんを偲ぶ会

 このところ毎月一枚ずつショスタコービッチのCDを買う(ダウンロードする)ことにしています。先月は第2番の交響曲で、今月は、近郊のショッピングセンターに出店している大規模書店の書棚から、NAXOSレーベルのショスタコービッチ「ヴィオラソナタ」「チェロソナタ」を購入。渋いかも。
 ヴィオラソナタはショスタコービッチの白鳥の歌とも称されていて、特に第三楽章は心に染み入ると言います。キャッチコピーに惹かれての購入だったけれど、後悔はないな。名曲です。例によって屈折しているけれども。

 さて先日の集まりで、「六月の会」主催による「詩人茨木のり子さんを偲ぶ会」の要旨が決まり、地元ミニコミ紙等でも紹介されています。菩提寺を会場として、宮城教育大学教授の渡辺善雄先生による講演を中心にしたプログラム。茨木さんを偲び、また彼女をより深く知る絶好の機会です。ご参加ください。詳しくは
こちら

『茨木のり子集』を薦めるミュージシャン

 自転車こぐ足ふんばりぬ雪起し(高橋零)

 目にされた方も多いかと思いますが、昨日の朝日新聞読書欄(「中高生のためのブックサーフィン」)・「お笑いの本棚」で、オアシズの三浦靖子さんが『茨木のり子集 言の葉』(筑摩書房)のことを書いていらっしゃいました。意外な組み合わせのように思えたけれども、さらに意外だったのは、彼女にこの本を薦めた男性ミュージシャンがいたということ。三浦さんは彼のファンで、薦められた翌日すぐに本屋に行き、買い求めたのだそうです。
 三浦さんとカラオケをするくらいだから、そんなに古手のミュージシャンとも思えないし、だれなんだろう、その人は。とても気になっています。

WHEN I WAS MOST BEAUTIFUL

 ピート・シーガー(Pete Seeger)作曲の「WHEN I WAS MOST BEAUTIFUL(わたしが一番きれいだったとき)」については、話だけは聞いていました。でも一度も耳にしたことはなかったのですが、なんとこのたび、この曲を含んだアルバムがiTMSにあるのを発見、早速ダウンロードしました。といってiTMSを散策して見つけたのではなくて、たまたま辿り着いたういろー・ざ・わーるどというサイトでアルバムを教えられたのです。Amazonでも買えたのですが、検索するとiTMSにもあったので、ぼくは一曲買いしました。訳詞は片桐ユズルさん。
 実際に歌っているのはピート・シーガーではなくて別の女性シンガーです。哀しげな寂しげな歌いぶりで、もう少し野太くと思わないでもないけれど、素直な歌い方なので聴きやすいですね。茨木さんの詩は既にファンの心にはしっかりとしみ込んでいる。だから、妙にツクって歌われるとどうしても違和感を感じてしまうのです。ストレートに歌ってください、シンガーの皆様。ストレートに読んでください、朗読者の皆様。

再刊「四季」第11号を入手

 再刊「四季」の第11号を入手しました。最終号(第17号)は既に手元にあります。いずれの号にも茨木のり子さんの作品が一編収められているのです。11号には「廃屋」、丸山薫追悼号となっている終号には「まんさくの花」が。特に後者は丸山薫に捧げられたとても印象的な詩になっていて、オルガンが鳴った「鶴部の分教場」を、今もなお残されているのならぜひ一度、雪が降る前に訪れたいと願ったことでした。
 まだしっかりと読んではいないけれど、第11号には丸山薫を囲んでの同人による座談も掲載されています。これはこれでとても興味深いもの。詩史に疎くまた詩壇のことは皆目分かりませんが、本音トークはボーッと読んでいても面白い。
 さて最近の夜の読書は、『ジャパンクールと江戸文化』でも触れられていた『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』(梅棹忠夫)。この高名な学者の著作は恥ずかしながらまだ読んだことがなかったのだけれど、うーん、評価が難しいなぁ。大胆というか大雑把というか。ま、ナナメ読みにしとこう。

近くにいた

 生きることは出会うこと。作家の角田光代さんは、『対岸の彼女』でぼくにそんなことを教えてくれた。
 中学や高校、学生時代には、あんなにたやすくたわいもなく交わせた会話が今は出来ない。人生や芸術をアツく語り合える友がいない。寂しいことじゃないか? 今さら迷ってみたところでどうしようもない大人になってしまったぼくたちだって、いやそんなぼくたちこそが、実は夢と理想を語り合える友を一番必要としているんじゃないか? ……ぼくは旅立つ日のことを思って身を捩る、一本の木だ。
 ぼくがネットの世界に踏み入り、ホームページを持ち、自分の思い、自分の無知を恥も外聞もなくさらけ出して平気でいるのは、そんなふうに自分の扉を開くことによって、隣にはいないとしても日本のどこか、あるいは世界のどこかにはきっといるに違いない「対岸の彼女」と、どうかして出会いたいという願い、魂の叫び、──いやそんなカッコいいものではないな。ようするに悲鳴をあげている図、であるわけなのだ。
 ところで。
 戸村事務局長から小田演出による茨木のり子追悼公演の計画があること、そして実行委員会立ち上げのメールをいただいたのは昨年12月初めだった。これはバーチャル引きこもりを脱するチャンスかも。そう思い、あるいはそもそも何事にせよ「断る」のが苦手なぼくではあるし、とにかく賛同しすぐさま参加することになった。怒濤の6ヶ月の始まりだったね。
 愉しかった──自分の本当にやりたいこと、意味のある、意義のある仕事が出来たから。欲得ではなく人様のお役に立つ仕事、自分だから出来る仕事をやることの愉しさ、誇らしさ。
 そしてもちろん、厳しかった──仕事の上でも家庭でもいろいろなことが続いたから。でもそれもまた充実というものでね。考えてみればぼくは今まで、寝食を忘れて一所懸命に取り組んでしかも目的を成し遂げたなんて経験は、ほとんどなかった。だから一層うれしかった。もちろん、ぼくを刺激し続けてくれた代表、事務局長を始めとする実行委員の皆さんのおかげだった。
 そうなのだ。半年間に及ぶ実行委員会での活動で知ったのは、「対岸の彼女」「対岸の彼」は、実は意外に近くにいたということなのだ。この小さな町鶴岡にも、茨木のり子を介してお金にもならず出世にも名誉にも繋がらないようなことを大まじめに論じ合える仲間が、それもよいトシをしたオジサン、オバサンの仲間が、たくさんいたということなのだ。ぼくの仲間は、詩という無用の長物を心の宝石のように信じて疑わない人たちだ。たとえ仕事や生活や子育てや介護に追われているにしたって。
 公演の反省と感想についてはここでは触れずにおこう。きっと誰かが書いてくれるはずだし、ぼくにとっての「茨木のり子追悼公演」の意味の第一は、なんといっても茨木さんがぼくにたくさんの仲間を引き合わせてくれた、ということなのだから。

 あの日会場に集ったすべての皆さんに感謝します。

追悼公演を終えて

 昼夜2回の追悼公演「朗読劇 茨木のり子の世界」が終わりました。6ヶ月間に及ぶ準備期間、助走期間を経ての飛翔。素人集団には長く、思い悩み思い惑うことの多い道のりでした。
 本来であれば、このテの観賞のあとにはぼくなりの感想を載せるものですが、今回はぼくも当事者。コメントは差し控えさせていただきますネ。
 とはいえ会場前から長い行列が出来たり、また昼夜とも満員、お帰りのときには多くの方から感謝の言葉をいただきました。地元キャストも驚くほど進歩して見事な朗読を聴かせてくれましたし、鶴岡の誇る混声合唱団・鶴岡土曜会による「はじめての町」も見事。皆のハーモニーが生んだ大成功だったと思います。これこそが、茨木さんが一番望んでいらしたことではなかったでしょうか。
 とかくメッセージ性の高さが、個の粒立ちの鮮やかさのみが強調されがちだけれど、茨木さんは「美しい人と人との力」を謳う詩人です。きてくれた左官屋の「奥さんの詩は俺にもわかるよ」を最大の賛辞とする詩人です。
 とすれば、素人集団の右往左往、そしてその成果を、茨木さんはきっと微笑みつつ見守っていてくれたに違いないのです。ありがとうございました。
 
  
 

今夜から舞台稽古です

sekibutsu

 最近道端の石仏が気になって仕方ありません……。

 さて、「朗読劇 茨木のり子の世界」がいよいよ三日後に迫ってきました。今晩から舞台稽古も始まるし、ドキドキわくわくで仕事が手に付かなかったりなんかしちゃったりして。

「朗読劇 茨木のり子の世界」満員御礼に

 うれしいことに、来る30日におこなわれる「朗読劇 茨木のり子の世界」が満員御礼になりました。夜の部については若干数の当日券を発行できるかもしれませんが、とにかく、前売券は昼の部・夜の部とも売り切れです。
 公演まであと1週間。緊張感が日々高まっていきます。昨日の集まりでも皆ハイテンションでした。公演終了後の脱力感がコワイ……。

あと15日

「朗読劇 茨木のり子の世界」まで、あと 15日。がんばれー。チケット販売もう一息!

いよいよですね──朗読劇 茨木のり子の世界

 6月になりました。6月はぼくの誕生……いや、「朗読劇 茨木のり子の世界」鶴岡公演開催の月です。公演当日をめざして練習も準備も着々と進んでいます。チケットも好評発売中ですが、まだまだ残券もあり、東北の田舎町での開催とはいえ、全国の茨木ファンの皆々様のご参加をぜひぜひお願いしたいところ。この機会においで下さい。茨木さんの菩提寺・浄禅寺への墓参を中心とした観劇ツアーも用意していますから、安心して初夏の庄内路を辿ることができますよ。

tour

 「茨木のり子追悼公演」鶴岡実行委員会のサイトでは、来る30日の公演について詳しくご紹介しています。ご覧下さい。

 
ふたり展の展示替えを行いました。

『倚りかからず』ちくま文庫版

 『倚りかからず』(ちくま文庫)を購入しました。この詩集の初版二刷はすでに持っているし、何度も読んでいるけれども、山根基世さんの解説に惹かれて。山根さんは桜井洋子さんと並んでぼくの好きなNHKアナウンサーですが、少女時代から茨木さんを敬愛してきたとおっしゃいます。
 「誇るのではなく、羞じる人」。このタイトルを見ただけで、山根さんがいかに深く茨木さんを理解しているかが知れます。誰もが茨木さんの詩の特徴と理解する「まっすぐな物言い」「強い言葉」。

 だが一方で、そんな正論を語らずにいられない自分をもてあまし、羞じる気持ちもある。だから韜晦する。……信念を持つ自分を誇るのではなく、羞じるところが茨木さんらしい。


 ユーモア・茶化しもまた彼女の詩を特徴づけるものだが、それはこの韜晦から来るのであるとは、山根さんの鋭い分析。深い省察。そうかぁ。ぼくも茨木さんの詩の持つユーモアの要素については何度か触れたことがあったけれど、その寄って来るところに思いが及んだことはなかった。参りました。
 山根さんの簡にして要を得た解説を読むと、ぼくなどが駄文を草することが無益で恥ずかしいことのように思えてきます。しかし一方、

 山本(安英──引用者注)さんだけでなく大勢の先輩たちから受け取った美しいものを、茨木さんはその詩に託して、後に続く私たちに手渡そうとなさったのだ。


 その志は間違いなく山根さんの世代に引き継がれています。そしてまたぼくが詩人・茨木のり子について語ろうとするのも、理解の深浅・表現の巧拙はともかくとして、その「志」を受けとめ次の世代に手渡そうとする、ささやかな決意に他ならないのです。

わたしの茨木のり子ノート

 「わたしの茨木のり子ノート」をパワーアップしました。まぁ、Web日記に散らばっていたテキストを集めただけなんですが、お読みいただきやすくなったのでは、と。ページのデザインは古いままですが、お許しください。
 好評だった「メモリーズ 高橋治郎・レイ ふたり展」。ご希望もあるので「バーチャルふたり展」を企画しています。本当は今日アップの予定だったけど、失敗しました。後日とします。

詩集『歳月』を読む

 詩集『歳月』を読み、「てれくさい」として生前には出版されなかったその理由に思いを巡らせました。

 一種のラブレターのようなもの──たしかに、赤裸々な告白、ナマな表現を得手としない彼女にしてはめずらしく、ずいぶんストレートに、失われた愛の生活を書き綴っています。たとえば「獣めく」。照れ臭かったのは確かでしょう。
 しかし、それだけではないようです。
 つまり、ぼくは率直に言って、収められた三十九編の詩のほとんどに、作品としては何か足りないと感じたのです。何かが違うと感じたのです。まず内容的には、「救いがない」。
 たとえば冒頭に置かれた「五月」。絶望にふさがれ、立ち上がることすらままならぬ彼女の姿。エッセーに書く「虎のように泣いた」日々があられもなくぼくたちの前にさらけ出される。ナマの絶望が悪いわけではない。悪くはないのだけれど、それに最後までひきずられるのはやはり違う。
 飛翔ということ。かつて彼女が書いた〈言葉が離陸の瞬間を持っていないものは詩とはいえない〉ということ。あるいは〈浄化作用(カタルシス)を与えてくれるか、くれないか、そこが芸術か否かの分かれ目〉ということ。
 ぼくには『歳月』の作品の多くは「離陸の瞬間」を持たず、いや持てず、したがって読み手に「カタルシス」を与えてくれないように感じられます。それだけ絶望が深かったということでしょうか。その深さが、ダイアローグをこそという気概に溢れていたはずの彼女をすら、モノローグの世界に押し込めてしまったのでしょうか。
 作品としての弱さ。しかしそれもこれも、第一級の詩人たる彼女には知れ切ったことであったに違いありません(同じように愛の詩でも、立派に離陸の瞬間を持つ「大男のための子守唄」などは詩集に収められ、出版されている)。……それでも捨て置き忘れ去るわけにはいかなかったのです。
 これらの詩篇を世に出すことは照れ臭い。三浦のり子としても、茨木のり子としても。
 にもかかわらず彼女はその存在をほのめかし、編集者とは出版の約束まで交わしていました。なぜならそこには、彼女にとって何者にもかえがたい、詩のミューズの入りこむ余地さえない、夫との愛の世界があったから、そこに素の彼女がいたから──に違いありません。そう思い至るなら、茨木のり子の人生は『歳月』を得たことによって見事に円環を閉じた、と納得できるのです。

 そろそろぼくも彼女の眠る浄禅寺に足を運び、墓前に手を合わせる頃合いのようです。

「追悼のつどい」のこと

ibaragi(佐藤博子さん撮影)

 17日の「茨木のり子追悼のつどい」。菩提寺・浄禅寺住職は「近くは隣りのおばさん、遠くは韓国」からも墓参にいらっしゃるファンの方の様子を紹介されました。人生の辛い時期に茨木さんの詩に出会い、励まされてきたというある女性は、お墓の前に立つなり「会いたかった」と号泣されたとか。わかります……。
 また、亡くなる数カ月前にご自宅に伺ったという実行委員の一人は、その日に茨木さんが腰掛けておられた椅子について、「倚りかからずの椅子ですか?」と尋ねたときのことを語ってくれました。茨木さんのお返事は、なんと、命日に刊行されたばかりの詩集『歳月』に収められた、「椅子」と題する作品とまったく同じ内容だったそうです。
 会場では最新詩集『歳月』をはじめ、現在入手できるかぎりの茨木さん関連の本が販売され、大勢の方が求めておいででした。これも嬉しかったことのひとつです。

一山越えた

 「茨木のり子追悼のつどい」は、おかげさまで超満員。用意したプログラムも数枚を残して捌けてしまいました。当日直接ご来場のお客様もかなりあり、最後は立ち見で入館いただきました。感謝です。
 講演いただいた小田健也さんからの思いがけないプレゼント。同行したプロによる朗読は「さすが!」と感嘆するしかないもの。これで「500円」は安すぎます。
 ぼくも今回はチラシやチケット・プログラム・ポスターの制作などで役目を果たせてホッとしました。取りあえず「一山越えた」という印象です。しかし大きな山が6月に控えている。「茨木のり子追悼公演」を必ずや成功させなければ。
 全国の茨木ファンの皆様。次回は私たちとしては大きな、渾身の公演になります。時間と労力とお金をかけても価値のある舞台です。観劇に合わせて墓参されるのも良いでしょう。ぜひ鶴岡までおいで下さい。

満員御礼

 先月お伝えした「茨木のり子追悼のつどい」。おかげさまですでに満席状態です。立ち見必至。意外なところに意外なファンがたくさんいらして、実動部隊メンバーのぼくとしてはうれしいかぎりでした。ありがとうございます。
 6月には、ぼくたちとしては本番の舞台とも言える「茨木のり子追悼公演」が待っています。今回おいでいただけなかった方には、次回ぜひご参加いただきたいものです。昼夜2回の公演ですから、ご都合に合わせてぜひどうぞ。
 
 さて、先日の朝日新聞文化欄に、山形交響楽団の定期演奏会評が載っていました。指揮は常任指揮者の飯森範親さん。「蔵王の春描く伸びやかな歌」となかなか好意的な批評で、普段このオーケストラを聴く習慣のないぼくでも、同じ山形県の人間として嬉しくなってしまう。
 最後に聴いたのは確か99年、「はじめての町」初演のときで、予想以上の深さを持った音に関心したものでしたが、さらに進化しているようですね。
 

とても機能的で、しかも風土に密着した音楽のやれるオーケストラが出来上がりつつある。

 
 良い批評です。

茨木のり子さんの菩提寺

 時にお尋ねを受ける、茨木のり子さんの眠るお墓。墓参を希望される方が多いようで、ぼくのような単なる一ファンにもお尋ねくださいます。今回もある方からメールをいただいたのですが、返信がどうしても届かず、また同じご希望をお持ちの方もあるかと思い、ここに書き記すことにしました。

浄禅寺
 鶴岡市加茂字大崩325
 tel. 0235-33-3107

 1日4本の東京便が発着する庄内空港からほど近いところにあります。小さな港町ですが、遠距離の方には意外に便利なところにあるかもしれません。

加茂を紹介するサイトもあり、浄禅寺ももちろん載っています。良くできたサイトです。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kamo_hp/title/kamomap/kamomap.html

 
あくまでも三浦家のお墓なので、そのあたりをわきまえたお参りにしたいものですね。ちなみにぼくはまだお墓参りをしていません。周りもぼくも、もう少し心落ちついてから、と思っています。

告知....「茨木のり子 追悼のつどい」2/17

 ようやくチラシ・チケットが出来、詳細も決定し、ご報告できることになりました。以下の要領で「茨木のり子 追悼のつどい」を開催いたします。

 日時:2007年2月17日(土) ─茨木さんの命日
 会場:東北公益文科大学 大学院 ホール
    山形県鶴岡市馬場町14-1(tel 0235-29-0555)
 参加費:500円
 内 容:講演(演出家・小田 健也氏)、歌、朗読など

 チケットは鶴岡市内の書店で入手いただけるようになるはずですが、満席(100名)にならないかぎり、当日会場にてもお求めいただけます。もちろん、事務局メンバーの一人であるぼくにご連絡いただいても結構です。メールでお問い合わせください。
 このたびのつどいはまた、6月30日(土)に予定されている「茨木のり子追悼公演(仮称)」実現のための、総決起集会の意味合いもこめられています。たくさんの茨木のり子ファンにお集まりいただけると嬉しいのですが。

ibaragi_leaf

予告──「茨木のり子追悼のつどい」

 鶴岡市とゆかりが深く、今は市の中心部から少し離れた小さな港町・加茂のお墓に眠る、詩人・茨木のり子さんを追悼する催しを地元で開こうという動きが始まっています。
 実行委員会の活動は来年6月に上演予定の朗読劇「茨木のり子の世界」となって結実するはずですが、それに先駆け、2月には、すでに今年川崎で「時代と詩と・茨木のり子の世界」を上演された演出家・小田健也氏を招いて、「茨木のり子追悼のつどい」が市内で開かれます。
 
 期日:2007年2月17日(土)──茨木のり子さんの命日
 会場:東北公益文科大学大学院 大ホール
    鶴岡市馬場町14−1(鶴岡公園前)

 小田健也氏による講演や詩の朗読などを予定していますが、詳細は後日、1月中にはお知らせできるはず。出来るだけ多くの方に参加していただきたいですね。