10 月 2008

ドストエーフスキー覚書

 市立図書館にリクエストしている本の順番がなかなか回ってきません。こんな時は自分の書架から蔵書を取り出し、就寝の友とします。少し重いけれど、今読んでいるのは森有正の『ドストエーフスキー覚書』(筑摩書房)。全集本です。
 渡欧前の森の、火傷しそうなほど熱い筆致でドストエフスキーの世界に触れていると、無性に彼の小説を再読したくなってきました。本好きなら誰でも、一度はドストエフスキー病に罹病するものでしょう? ぼくも学生時代にすっかりハマってしまい、主に電車の中で、だったけれども、文庫本を次々に買い求めて読みふけったものでした。
 最近は亀山郁夫さんによる新訳が評判のようです。今読むならこちら? でもまだ『悪霊』は出ていない。さて、どうしよう。

虹を見た

 昨日山形で大きな虹を見ました。脚下までくっきりとした虹で、しかも二重に天空を飾っているのです。でも、車を運転しているぼくでさえ空が気になって仕方ないのに、道ゆく人は誰も気づかないようす。小雨の残る町を人々は委細構わず歩き、あるいは自転車で駈けていきます。
 ある中学校の近くまで来て、ひとり、学校帰りの女子中学生が空を見上げ、虹を指差しているのを見かけました。同じ方向を見る人が一人でもいるということは、うれしいものですね。
 ところで。
 鶴岡市立第一中学校が「第61回全日本合唱コンクール全国大会」混声合唱の部で見事金賞、それも第二位に相当する高松市長賞を受賞したといううれしいニュースが伝わってきました。鶴岡は合唱の町です。今年もいくつもの学校や団体が県大会を勝ち抜き、東北大会に進みましたが、全国大会で金賞とは、市民としてまた同校の卒業生として、とてもうれしい。頑張ったね。来月下旬におこなわれる一般の部には鶴岡土曜会混声合唱団が出演します。結果が楽しみです。

叙情歌大全集

 先夜偶然見ることのできたBSの「叙情歌大全集」。恒例のような気もするけれども、良い企画です。
 私的な「発見」は波多野睦美さん。深々として落ち着いた声の心地よさに酔いました。iTSを覗くとアルバムが一枚リリースされていたので、その中から(定番にすぎるのですが)「オンブラ・マイ・フ」をダウンロード。
 しかし一番感動したのは、大妻中野中学校高等学校合唱部による「旅立ちの日に」だったかもしれません。大人の上手い歌よりも、ぼくは子供のひたむきな歌唱のほうに惹かれます。そしてこれは、おそらくぼくだけのことではないはずです。
 少年少女の歌声がぼく(たち)を惹き付けて止まないのは、事実として伝わってくる若々しい声と素直な表現もさることながら、そこに自分自身の少年・少女時代を重ね合わせ、はかなさを感じるせいもあるでしょう。すべからくはかないもの、永遠に喪われた思い出は美しいのです。
 現にあるものとないもの。合唱に耳を澄ませていると、様々な思いがよぎりそして心の奥底に、薄衣のようにあえかに、積み重なっていくようです。

指で考える

 村上春樹さんの〈僕は脳みそで考えるのではなく、指で考える〉に同感。UCバークレーでの講演の様子が、あるサイトにアップされていました。ぼくはじつは、まだ彼に出会っていないのです。けれどもとても興味深い内容で、早く出会いたい人だと感じた次第。自分の中に促しが無いと、どんなに高名な作家の作品でも手に取る気にはなれなくって、いままで無縁で来てしまいました。
 ぼくも指で考える、書きながら考える、考えをまとめていくタイプです。もちろん書き始める前にある程度頭の中で考えをめぐらして熟成の時を待つのだけれど、待つべき「時」は書き始めるきっかけにすぎません。どこまで広がるか、どこまで進めるかは、書き始めてからのことなのです。
 ぼくにとって書くことは辛い作業です。自分を掘りおこしていくことだから。村上さんは「心の中の『地下室』までおりていく」と表現されているようですけど。本当は辛いことなので、なるべく軽く、オシャベリするように書いているわけですね、ぼくの場合は。

エキセントリック

 仕事や社会生活の中で、エキセントリックな人に出会うことがままあります。攻撃的な性格なのですが、こういう人たちは受け身が下手。相手をうまく受け止めることができないので、攻められるとすぐに反撃に出て(いわゆる逆ギレですな)、自分を守ろうとする。結局人間として未成熟で「子供」なんだけど、キャラが立っているからタレントとしては重宝します。だけどこういう人がリーダーだとたまりませんよ。権力を持ったガキほど怖いものは無い(子供に失礼な言い方だが)。橋下大阪府知事の一連の言動をみての感想です。
 しかしそれにしても、いろいろなリーダーがいるけれど、批判されて自分の家族や事務所の職員を持ち出した人なんていたかしら。しかも彼は、自分の周りの少数の人たちのことは思いやれても、「廃業しろ、みんな首を切れ」などと大新聞社の大勢の人たちのことは考えられない。ましてや、彼が最初にテレビで焚き付けるように批判した光市母子殺害事件の弁護団のことなんて。「懲戒請求は弁護士の職を奪いかねない重大なもの」なのに。
 戦って勝つことで自分を築いてきた人たちは、個人としてはエラいと思えても、リーダーには向かないようです。勝つことで得るものはもちろんあるけれど、同時に喪うものもあるのですから。そして権力は必ず腐敗するのだし、その時、攻撃的な性格は必ず負に作用するのです。

ゆれる車の音

 文学座公演「ゆれる車の音」を見てきました。ここ数日演劇やら会食やらで家を空ける日が続いたので、内心びくびく(誰に?)しながら。──でも、行って良かったぁ。とにかく良くできた、サービス満点の舞台でしたね。
 この戯曲を書かれた中島淳彦さん、はじめて聞くお名前ですけれど、三谷幸喜さんなんかよりずっと作りが巧い。以前に見た三谷さんの作品「エキストラ」なんて、薄っぺらで本当につまらなかったもの。演劇は名前で見るもんじゃないね。
 さて「名前で」と言えば、今回の舞台で一番名前が売れてるのはやはり主役を張った角野卓造さんでしょうが、実際のところ一番光っていたのは上原丈太郎役のかたお鷹さんでしたね。メリハリがあって、声に力があって、それにそれに「シーサイド・バウンド」でも一番目立ってたんじゃない?
 もちろん角野さんも頑張ってました。良かったんですが、テキ屋の口上と言えばどうしても寅さんを思い出しちゃうし、渥美清さんのあのつややかな声、緩急と巧みな間合いの語りと比較してはどうしても「聞き劣り」してしまうのは致し方ないところ。
 塩田朋子さんの勢いある演技は見事でしたが、歌も上手でしたねぇ。「アカシアの雨がやむとき」には思わず聞き惚れました。西田佐知子さんより良いです(キッパリ)。悪かったのは「ゆれる車の音」という演劇のタイトルくらいかも。これはちょっと、引きが無い。うっかりパスするところでしたよ。
 脚本や役者さんのお芝居・音響の他、大道具・小道具、総じて舞台美術そのものが良く、おおいに満足した一夜。勇気を出して文化会館に出向いた甲斐があったというものです。

行ってきました

 行ってきました、青嵐舎。良いところでしたねぇ、実に。古民家材を活かしたという内部の作りが実にレトロで気持ちいいのです。母のパッチワークが似合いそう。
 旬の味も素直においしかったですよ。やや淡白な味付けですが、このくらいが健康的で、しかも素材そのものの持ち味が活きるのでしょう。11月16日まで、キノコ料理をメインにした「秋の御膳」がいただけるようです。
 さて迂闊にも知らなかったのですが、ここには昔鉱山があり、かなり賑わっていたのだとか。まるで要塞のような選鉱場にビックリ。廃墟の美しさに満ち満ちていて、絵心がそそられますね。いつか描いてみたいものだ。

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大山に暮らす幸福

 朝焼けの空を白鳥たちが飛んでいきます。彼らのコォコォという鳴き声を頭上に聞きながら、愛犬を連れたいつもの散歩。澄んだ空気が心地よく、大山に暮らすことの幸福を感じる瞬間です。
 好天も続きそうだし、ぼくは今日は仕事だけれど、明日の休みが楽しみですね。旧朝日村の大鳥まで行きますから。田舎レストラン・民宿の「青嵐舎」での秋を満喫する食事が目的。紅葉を愛でながらの食事は、おいしいに違いありません。羨ましいでしょう?
 さて今日は地元のアマチュア劇団「だいこん座」の舞台「松本十郎 ─はざまを行く」の夜の部を見る予定。テレビドラマにでも取り上げてもらいたいような良いテーマだけれど、脚本のできはどうかなぁ。期待しよう。

影響

 「『変貌』に『国際化』を読む ─森有正ノート1─」を書かれた江村裕文さんを検索していたら、あるサイトに江村さんのインタビュー記事を見つけました。すると「江村先生にとって大きな出会いはありましたか?」の問いに「西江雅之先生」と答えていらっしゃるではありませんか。御意。あの先生と出会って生き方、世界や人の見方、ようするに人生が変わらない人なんて、いないんじゃない?
 西江先生はまったくもって破格の人。彼の講義を受けた人、彼の本を読んだ人と、彼と無縁であった人とでは、根本・人間の土台が違うのではないか、そんな気さえします。
こちらのサイトで、その辺りを感じ取っていただけるかどうか。
 西江先生と森有正に影響を受けた人生という点では、江村さんとぼくは似ていますね。親近感を覚えるけれど、そのあとがまったく違っちまったからなぁ。ぼくはうだつが上がりません。それからずっと。おそらくこれからもずっと。

下池の秋

 早くも白鳥が飛来したようです。下の写真でも遠くに写っているのですが……分かりませんよね。ぼくは双眼鏡で観察してきました。大山・下池も足早に晩秋に向かっています。

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 そして芸術の秋。今日まで鶴岡で開かれていた山形県高等学校美術展で、末娘の油彩が入賞しました。完成度はともかく、いろいろな可能性を感じさせる、パワー溢れる作品だったと思います。まだまだまとまってちゃダメ。破綻こそが若者の美学だよ。頑張れ!

オペラ源氏物語

 さて昨夜は、三木稔「オペラ源氏物語」ハイライトコンサートへ。2006年にアメリカ・セントルイスで初演(英語版)されたこの作品の、日本語による初演とか(正確には、東京でプレ演奏会が催されたようですが)。なにしろ源氏、なにしろ(一応)初演、なにしろネットで調べた限りでは英語版は絶賛を受けた……らしい。期待値は否が応でも高まります。ところがネ。
 出だしから萎えてしまったぼく。洋楽器で雅楽のような雰囲気を出そうとしたようだけれども、これがねえ、調子っ外れにしか聞こえないのです。オーケストラの力量が不足しているのか、そもそも作曲者の意図にムリがあるのか、ぼくの鑑賞力の問題か、おそらくはそのすべてのような気がするけれども、和洋折衷の面白みにも達しない。
 ぼくが一番違和感を感じたのは、この日本語版が現代日本語版だったことですね。それも決して詩的とは言えない、日常的・手垢のついた常套句的な日本語です。意味がよくわからなくったって原文で歌って欲しいところでしょう。どうせオペラ歌手が歌うと、声を響かせすぎるので現代日本語でさえよく聞き取れないのですから、翻訳する必要などないのです。
 曲の全体としては──といってもハイライト公演だったわけですが──効果音の連続で、あまり音楽を感じられなかったような気がします。もう少し魅力的で印象に残る旋律が欲しい。いかにも素人っぽい感想だけれど、アリアでさえ音楽付きの語りのようにしか聞こえないのだから、物足りないのですよ。ブラボーの声が一度も聞かれなかったのは、決して鶴岡人が万事控えめのせい、だけではなかったような気がします。
 というわけで、期待値が高かった分、満足度も低くなってしまいました。それでも中国琵琶のシヅカ楊静さんと筝の木村玲子さんの競演は見事で、もっともっと聴いていたいと思いました。オーケストラと張り合って演奏できる、力のある楽器だったんですね。バスの佐藤泰弘さんの声も艶と深さが素晴らしいと感じました。公演の実現に奔走された関係者の皆様には感謝。(081008)

野草園で昼休み

 昨日は山形で外回りの仕事。お昼休みを利用して、西蔵王の高原にある野草園に行ってみました。何しろあまりにも高く青く空が晴れ上がり、澄んだ空気が心地よかったので、樹間をわたる風に吹かれたくなったのです。

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 もちろん時間は限られている。まずは広い草原のてっぺんにある東屋に腰を下ろして全景を見渡し、さわやかな風のなかでしばしの時間を過ごす。それからゆっくりと下って園の中程にある施設に入ります。外が気持ちいいのに、わざわざ建物の中へ? いえいえ、ここの休憩スペースに坐って、営業している蕎麦屋さんの手打ち蕎麦を頂いたりコーヒーを飲みながら、外の緑を眺めるのも気持ちいいのですよ。お蕎麦も十分においしい。さすが山形です。

 そして帰りはわざと外周のルートをたどりました。

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 「とち」の実。ぼくはとち餅が大好きだけれど(今、期間限定・曜日限定、大山・福田屋さんのとち餅が出ていますよ)、とちの木やその実を見ることはあまりないから、ついじっくりと見入ってしまいました。

 短いお昼休みが終わり、戻ってきた入り口ゲート近くの池の側では、終わりかけたワレモコウが風に揺れていました。

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 この野草園が本格的に色づくのは今月末でしょうか、それとも11月に入ってからでしょうか。ここより上の蔵王スキー場あたりでは、あと一週間もすれば紅葉に染まるでしょう。錦秋の始まりです。