10 月 2007

一昨日

kouyou

そういえば一昨日は紅燃ゆる月山道を走り、山形まで行ったのでした。上はその時に撮影した写真です。時間があれば岩根沢の丸山薫資料館に立ちよって調べたいこともあったのだけれど、それは次の機会に。

市立図書館を利用する

 今日は新Mac OS「Leopard」の発売日ですと。今までのぼくなら予約受付開始と同時に注文を入れ、ワクワクしながら発売日当日を待つのだけれど、今回は指をくわえて「待ち」です。今月はなにせ出費が多かった。今年中には何とかしたいけれどね(涙)。
 昨日お昼休みを利用して市立図書館に立ちより、『ジャパンクールと江戸文化』(奥野卓司)を借りてきました。就寝時の読書用にと思ったが、返却日まで読み終えるかどうか。
 それはともかく、昔と違って今の図書館は市民にとってよほど好ましいスペースになっていますね。さほど大きい建物ではないし喫茶スペースもないのだけれど、木立に囲まれた館内は静かで明るい。多くの市民がゆったりと思い思いの姿勢で新聞や本を読んでいます。
 蔵書検索などもパソコンを使って簡単にできるし、自宅からネットで予約状況を調べることも可能なら、メールでの情報提供もしてくれます。スタッフの笑顔の対応、日曜開館なども合わせ、利用者本位の姿勢が窺えますね。ぼくは従来「本は買う」派だったのだけれど、これからは適宜利用していきたいと思った次第。

 独りゆく おまえもそうか コハクチョウ
 
 毎朝の散歩時に見上げるコハクチョウ。隊列にはまらず、独り飛びゆくアウトローも中にはいるようです。

読み終える

 私の墓は
 なに気ない一つの石であるように
 昼の陽ざしのぬくもりが
 夕べもほのかに残っているような
 なつかしい小さな石くれであるように
    (日塔貞子「私の墓は」第一連)
 
 28歳で夭折した詩人・日塔貞子の評伝『雪に燃える花─詩人日塔貞子の生涯─』(安達徹著、桜桃花会発行)を、昨日ようやく読み終えました。
 ぼくは夜、眠りに就く前の少しの時間を読書に当てていて、ここしばらくはこの評伝を読み続けていました。始めは他の本と交互に読んだりしていたのですが、日塔聡が現れたあたりからがぜん面白くなりましたね。最近ではベッドに入るのが楽しみで、読む時間が長くなり寝不足の日もあったくらいです。
 生後十ヶ月で生母と別れ生家はほどなく没落、そして女学校を卒業した頃から結核性関節炎を発病して床につく日々だったという日塔貞子。彼女の残した詩はその中に社会性を求めることはできないものの、気高く美しく結晶しています。その聖性はリルケの詩にも匹敵するものではないかな……というのが、ぼくの第一印象。
 初版が1972年という『雪に燃える花』は、日塔貞子を広く知ってもらいたいと願う桜桃花会の4人の仲間(奥平玲子さん・植松美智子さん・佐藤ひろ子さん・小松あや子さん)が昨年復刊したもので、彼女たちは詩集『私の墓は』の復刊も果たしています。その熱意、そのバイタリティーに拍手を送りたい。ありがとうございました。そこかしこで高い評価を得て、詩集も評伝も幻ではなくなりましたね。

サイト更新

 コーコーと/ハクチョウ飛び交う/散歩道

 高く澄んだ青空に、ハクチョウの輝く白さはじつに美しい。毎朝の散歩の愉しみです。
 さて、ひとまず電子ブック『ひとりの夜の愉しみは』の改訂と新しい電子ブックの制作は棚に上げ、ネット上に新たなサイトを立ち上げてそこで過去の拙文を公開することとしました。左のボタンからお入りください。

昨日の日曜日

 昨日の日曜日。娘も出品している「山形県高等学校美術展」を観るために米沢に行ってきました。
 ぼくも高校の時まで油絵を描いていましたが、あの頃の自分とは比べ物にならないくらい今の高校生は上手い。100号クラスの作品を、さほど破綻もなく描き上げる力量には驚かされます。
 モチーフとしては自分自身が多いようです。青春という時期、少なくともその真っ只中にいる時はとても苦しく、泥々さえしているものです。そんな狂おしい自分を見つめる作品が多くなるのは自然なことだけれど、いま少し周りを見て欲しいと思わないでもない。最近の若い人たちの書く(私的)小説の絵画版ではなく、世界を見据えたテーマ性のある作品が少しは観たい、と。
 さて我が娘の作品は、むしろその大きなテーマが先にたったもので、観るほどに良くなってきましたね。ただ、テーマに沿って集められた個々のモチーフの連携がいまいち取れていないようで、それが理解の難しさになっています。手に余ったのかもしれないけれど、志は良かったのではないかな。親バカですか。
 帰りは「白鷹ヤナ公園あゆ茶屋」に立ちよって写真を一枚。尾頭付きが苦手なので肝心の鮎は口にしません。それでも少し「日曜」させてもらいました。

shirataka

 そして夜。メジャーリーグ公演「百物語」(出演・白石加代子)を観賞。最初「クセのある読みだなぁ」と感じ若干違和感も覚えたのですが、結局は負けてしまいました。凄いです、白石ワールド。独りであれだけのことをされてしまうと、大勢の人間が右往左往する普通の演劇なんて、立つ瀬がないじゃない。

危険を顧みず

 危険を顧みずボランティア活動に従事した高遠さんを含む3人の若者が武装勢力に拉致され、その無謀な(?)行動が非難されたのは3年前でしたか。3人が救い出され無事帰国した時のバッシングのすさまじさは今だ記憶に鮮明です。一国のトップ、与野党を問わぬ政治家、マスコミ、市井の人びとにいたるまで。
 「たかが趣味で人騒がせな」と非難した高名な評論家までいたというのですから、今ふり返ってみればとりもなおさず、日本という国の抱える病巣の深さをあらわにした事件といっていいのかもしれません。世界の反応とは正反対だった日本人の反応、政府の対応。それこそ「世界基準」にはほど遠いものだったことに、ぼくたちは気づいていただろうか。
 さてまた昨今、ミャンマーの反政府デモを取材したジャーナリストの死が連日報じられています。その死を悼む手厚い報道の数々。無謀と非難し、自己責任を問う声はありません。軍事独裁国家の危険性は明らかだったはずなのだが。趣味ではなく仕事だったから? 救うべき人を救おうとした人が非難され、伝えるべきことを伝えようとした人が讃えられるのはなぜ?
 ぼくたちの中では無意識に自分を守ろうとする力が働く。ボランティアという仕事はぼくたちに近い。安閑として何もせず怠惰をむさぼるぼくたちは心がいたい。だからぼくたちは、彼ら真の英雄たちの失敗を好事としその非を問うことで、何もしない自分を正当化するのだ。ぼくたちはただの卑怯者にすぎない。

ハクチョウ飛来

 昨日の朝、わが家の前の狭い通りの空を、白い鳥が横切ったように思ったのです。一瞬「ハクチョウかな?」と思ったのです。でもまだ10月に入ったばかりだし、シロサギだったか……。
 さて、今日の朝刊・地方版を開くと、「ハクチョウ早めの飛来」とありました。「鶴岡市大山の下池で6日、ハクチョウの飛来が確認された」。去年より4日早い飛来とか。まだ紅葉もしていないけれど、季節は確実に冬に向かっています。

季節はずれの海

itoko

 9月の下旬、湯野浜温泉龍の湯でいとこ会をおこないました。関西に住むいとこたちと久々の再会です。人生いろいろ、苦労もいろいろ。こうして会うことができるだけでも幸せなのかもしれないと、足湯に浸かりながら思った次第。
 翌日は足を延ばして一部メンバーと遊佐町吹浦へ。季節はずれの海は人の手が入らず、漂流物がそこかしこに散在しています。それでも海は良い。秋の海はあくまでも澄み渡り、心が風に乗って海原を駆け抜けていきます。流木に腰を下ろし、しばらくぼんやりと時を過ごした、贅沢な一日です。
 ところで、「暮しの手帖」の最新号(第30号)に「茨木のり子さんの家をたずねて」という記事が載っています。時代おくれを自任する茨木さんのお宅は、しかしとても気品に満ちて落ち着いたものです。人が、その思想が暮らしの形になるのですね。うれしい記事でした。