10 月 2005

歳を重ねる

 なんのために私たちは歳を重ねるんだろう。


 物語の終盤、小夜子は繰り返し繰り返し自分に問う。「なんのために歳を重ねたのか」。
 そうしてどんどん最後の頁が近づいてきて、ぼくはこの問いを、小夜子とともに自らの宿題とすることを覚悟した時、ふいに、そしてさりげなく答えは示される。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。(角田光代『対岸の彼女』、文藝春秋、282頁)

ずっと遠くに

 帰りたくはないけど、なんか疲れた──夏休みのバイト先から結局自宅には戻らず、安ホテルを転々とする葵とナナコ。「あたしも疲れた」。

「ずっと移動してるのに、どこにもいけないような気がするね」(角田光代『対岸の彼女』168頁)


 ずっと遠くに行きたい、とナナコ。「ここから、手をつないでいっせいのせで飛んでみようか」。

対岸の彼女

 「あなたがたは、自分で思う百倍も、千倍も、ものすごくよくできた、すばらしい女の子です。どれだけ助かったか。そして私がどれだけ救われたか」という、アルバイト先のペンションのオバサンがお給料袋に忍ばせた手紙の文面に、胸が詰まりました。そして、帰りの電車がホームに滑り込んだ時ナナコが両手を強く握りしめて繰り返す、

「アオちん、あたし帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない」 ナナコのまるい目玉から、ぎょっとするほど大きな水滴がぽとりと落ちる。「帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくないんだよ」



に、思わず目頭を熱くしました。
 「同志」に勧められて読み始めた角田光代さんの『対岸の彼女』(文藝春秋)。でもたぶん、これは女の子だけのお話ではない。ぼくたち「同志」の人生のヒダを丹念に辿り、ありのままに描き出した作品なのです。だからとてもリアルで、ぼくはとても怖くて、行きつ戻りつ、拾い読みしつつ、気息を十分に整えて、その世界に滑り込むしかないのです。
 まだ半分、そしてもう半分。角田さんはぼくを、いったいどこまで連れて行ってくれるのか。怖いけれども辿ってみよう、辿り直してみよう、この道を。

白鳥飛来

 大山に住む人々は、白鳥飛来のニュースを聞くより先に、空を飛ぶ渡り鳥の鳴き声でそれを知ります。
 先日の朝、下池に立ち寄ってみました。白鳥たちの「出勤」は早いので、8時過ぎという時間では一羽も見当たりません。鴨だけがのんびりと泳いでいましたね。気持ちの良い秋晴れの日が続いています。

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赤とんぼ

パッチワーク「赤とんぼ」。お口直しに。

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油断ならん男

 いや、初めて知りました。先の総選挙を前に、小泉陣営がかくも科学的な? 分析を民間会社に依頼して、その傾向と対策を立てていたことを。
 週刊アスキー(10/18)連載の記事によると、小泉陣営は自らの支持層をIQの低い層、「具体的なことはわからないが小泉総理のキャラクターを支持する層」と見定めて、「徹底したラーニングプロモーション」が必要とばかりに(郵政民営化を肯定する)1500万部の折り込みチラシを作らせたというのですね。もちろん税金を使って。
 遅まきながらネットを探索すると、その
企画書が流れています。民主主義が爛熟し、腐乱すると、衆愚政治に行き着くって事でしょうか? 小泉クンのドン・キホーテぶりが大衆受けするだけかと思いきや、実に戦略があったのですね。油断ならん男たちですよ、彼とそのブレーンは。

失ったもの

 思わずテレビドラマ「ハルとナツ」に見入ってしまいました。脚本も良いけど、役者さんたちもまた見事です。いい仕事をしましたね。
 ストーリーが自分の作品に似ていると訴えている映像作家がいるようですが、兄弟が生き別れになる話自体は珍しくないでしょう。ぼくはむしろ、見終えた後の印象として、同じ作者(橋田壽賀子)による「おしん」との類似性を感じました。つまり、ヒロインたちが失ったもの、そして得たものは同じだったのではないか、という感想です。
 いやむしろ、ハルが移民先のブラジルに骨をうずめる決心をし、ナツまでが、「日本に未練はない」として姉の待つブラジルに渡った結末を考えると、彼らが──それはぼくたち現代に住む日本人そのものでもあるのだが──失ったものは、「おしん」よりも遥かに大きかったのではないかと感じます。ナツが言うように、日本にはもう家族なんてないのです。
 しかしこういうドラマはやはりNHKでないと作れない。となると、縁を切りたくとも切れませんねぇ。残念!

朝の光がまぶしい時は

 ロープ一本あれば電車ごっこで楽しく遊ぶことができた時代に懐かしさを覚えます(「日本のうた こころの歌」第46集)


 ホントだな〜。昔はロープ一本、チョーク一本、空き缶一個、釘一本あれば、みんなで楽しく時間も忘れて夕暮れまで遊ぶことができました。(かつての)子供は想像力と創造力に溢れた、遊びの天才でした。隔週誌「にほんの歌 こころの歌」は、そんな「豊かな」時代を、懐かしい曲と美しい写真で思い出させてくれます。
 さて今回の発見は「朝の光がまぶしい時は」(作詞・橘憂、作曲・西澤健治)。最近では音楽の教科書にも採用されているとのことですが、ぼくは初めて聴いたような気がします。爽やかで良い曲ですね。
 今月は娘の学校で合唱コンクールがありますが、この曲を歌うクラスはないものでしょうか。一度合唱で聴いてみたい気がします。

情けないなぁ

 NHKは相変わらずですね。民放が大企業に弱くNHKが政治家に弱いのは常識で、確かその昔、人気番組の「ひょっこりひょうたん島」が(郵便局をオチョクったストーリーのせいで?)郵政省の圧力がかかって打ち切りに至ったと聞いた事もありましたが。
 今度の問題(朝日新聞によるNHK「番組改変」報道)も、そもそもは内部告発が発端だったはず。どうして彼らはその告発をもっと真剣に受けとめ、調査し、その結果を公表できないのでしょうね。番組の内容が組織幹部の指示で換骨奪胎されたのは事実だし、放送の後にしろ前にしろ、番組の内容に不快感を持つ、特定政党かつ特定思想の政治家に会って話をしているのも事実。なのに彼らは、振りかかる火の粉を払うのに精いっぱいなのか、公共の時間帯を使っての一方的な反論・強弁を繰り返しています。
 朝日新聞社長の仰有る通り、「NHKもまた番組改変問題について自ら検証」すべしと、ぼくも思いますね。もっともNHKはハナっから「誤報」扱いして被害者になりきり、札付きの政治家を証人だか楯だかにしてるんだから、よほど体制でも変わらないかぎり、検証なんて怖くてできないでしょう。情けないなぁ……ところで、労組はナニしてる?