12月は忙しい

 12月はイベントがいっぱい、忙しくなりそうですね。いずれも見るだけ、聞くだけなんだけれど、重なる行事もあるのです。
 14日は、グランド エル・サンで「地球温暖化防止シンポジウムin鶴岡」が。ゲストは月尾嘉男さん(東京大学名誉教授)、福島敦子さん(TVキャスター)。お二人ともTVやラジオでおなじみの方ですね。第一部では話題となったドキュメンタリー映画「不都合な真実」も上映されるとか。入場無料(要整理券)。
 同日、鶴岡カトリック教会天主堂では、元NHK交響楽団ビオラ奏者渡部啓三さんと鶴岡室内合奏団によるクリスマスコンサートが開催されます。入場料は一般1,000円。
 クリスマスコンサートは鶴岡アートフォーラムでも開催されるのですが(13日)、こちらはもう満員御礼のよう。ぼくも間に合いませんでした。
 ぼくは我が子の作品も観に行かなければなりません。10日からアートフォーラムで「田川地区高校美術展」、17日からは「創立10周年記念 鶴岡中央高校総合学科 平成20年度課題研究発表会展示部門」が。
 合間を縫って、これは仙台での話だけれど「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」も観なければ。いやぁ、忙しい12月です。

「六月の会」会報第八号ができました

 「茨木のり子 六月の会」の会報第八号の編集・印刷が終わりました。例によって最期の最期までドタバタしましたが、まずまずの出来か。

 最近蔵書の整理をしています。たまりすぎたので処分しているわけですが、そこで気づいたこと。古書店の評価は辛いものですね。
 流行のチェーン古書店の評価は本の中身ではないようで、業界内での流通価格とも関係なし。リユースと思えばよろしい。本当の価値ある古書を持ち込んではいけない。
 では街にまだ残っている在来の古書店はどうか。評価の辛さ、という点ではさほど変わらないかな。先日壁一面にあった本のかなりを持って行ってもらったものの、評価はささやかでした。仕入れてもそうそう捌けないのでしょう。
 というわけで、最近は残っている本を少しずつ蔵出しして、Amazonマーケットプレイスで売っています。直接販売のようなもので無駄が無く、ほどほどの価格で売れて安く買える。メリットが大きいのだけれど、でもこういう個人取引が増えると、街の古書店はますます困るだろうなぁ。
 とまれ、ぼくの人生も折り返し点を過ぎたわけだし、これからは身辺整理を心がけよう。誰かも言っていたが、最期は身ひとつ、がカッコいい。CD類はパソコンに音楽ファイルとしてまとめ、本は森有正や茨木のり子・藤沢周平など限られた著者のものを除いては持たないようにしよう。道のりは遠いけれどね。

「おくりびと」を観る

 握った手からこぼれ落ちる小石にうたれました。映画「おくりびと」です。いかにも映画的な、狙った効果とは思いながらも、グッときましたね。
 俳優がおしなべて良く(約一名ウキかげんな人はいましたが)、舞台となった我が郷土の風景は美しい。親しい街角、エキストラに見知った顔。
 こういう映画を観れば人はどこかしら変わらずにはいないと思うのだけれど、変わらないのだなぁ、これが。……って、誰のことだ?
 鶴岡土曜会混声合唱団が全国大会で銀賞を獲得しました。中学校の部で金賞・高松市長賞の鶴岡第一中学校(母校です)並とはいかなかったけれど、上々ではありませんか。定期演奏会を聴いた限りでは特に男声が素晴らしく、だから「戦いの日日」は充実していましたね。デリカシーに富んだ(ゆえに女声にとって難しい)「かどで」との組み合わせは素晴らしく、深い感銘を与えたに違いありません。

新聞の価値

 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授(前マイクロソフト日本法人会長)古川享さんの注目発言を発見。〈特許化も記号化もされていないものを鶴岡近辺で見つけた。何とか世の中にデビューさせて、後押しをしたい〉ですと。慶應義塾大学・先端生命科学研究所のことですな。どういう内容なのか。チンプンカンプンだろうけれど、聞いてみたいような。
 さて昨日は新聞の値打ちを再確認しました。朝日新聞朝刊(地方だから朝刊しか無いわけだが)に「戦争と向き合う女優たち」として渡辺美佐子さんと大竹しのぶさんの記事が。大竹さん曰く、「井上さんや亡くなった筑紫哲也さんが言葉で伝えてきたことを、私は演技で伝えていきたい」と。
 文化面には「役者・佐藤英夫 さらば、困惑の似合う男」。そうそう、昔テレビでよく拝見した笑顔です。速報性がウリのネット社会では、2年も前に世を去っていた地味な俳優なんて関係ないですよね。「書かずにはいられ」なかった記者もエラいが、キチンと紙面を割く新聞は、やっぱりエラい。
 「声」欄に寄せられた投書に「夫解雇で暗転 なぜ報われぬ」。そうか、好調なのに売られるブランドがあり、結果解雇される人材があるのか。「48歳の夫に地方での再就職の壁は厚く、月収10万円台の仕事すら面接に至らず、履歴書だけが次々と返却されてくる」。人ごとではないな。「明日の不安を感じないで眠りにつける日がきてほしい」。

鶴岡土曜会混声合唱団

 昨夜、鶴岡土曜会混声合唱団第57回定期演奏会に駆けつけました。秋田県横手市での仕事からようやく帰り着き、見事セーフ。会場の鶴岡市文化会館は満員(1200席ほどでしょうか?)、あまり良い席は確保できなかったものの、間に合ったのだから良しとしましょう。
 土曜会は今年も全日本合唱コンクール全国大会の出場を決めています。その課題曲と自由曲(「嫁ぐ娘に」より「戦いの日々」「かどで」。作詞・高田敏子、作曲・三善晃)の披露が第一部。懐かしの合唱曲を集めた第二部を挟み、第三部はプロのゲストを交えて「W.A.MOZARTの教会音楽」特集でした。四曲の披露。プログラムが、まるでプロの団体みたいじゃありません?
 見事なハーモニーを堪能させていただきました。ピアニストとして招かれた渕上千里さんの演奏は美しい音色ながら少し角があるようで土曜会との相性は今ひとつだったかもしれず、ソプラノの高橋薫子さんは声に伸びと艶が多少不足していたようで万全のコンディションではなかったかもしれませんが、まあしかしこれは素人のトンデモ感想。ぼくを含め観客は皆大満足だったと思いますよ。
 なにより印象的だったのは、満員の聴衆を前にステージで熱唱した鶴岡土曜会混声合唱団の皆さんの素敵な笑顔でした。目標を持って毎日を生き、その成果をみんなと共有する。目的をひとつひとつ果たして行く。素晴らしきかな、人生! ですね。全国大会のステージでも、持てる力を十二分に発揮されますように。

借りた本二冊

 市立図書館に予約していた本の順番がようやく回ってきたので、閉館間際に立ち寄り、借りてきました。
 一冊は山崎ナオコーラさんの『長い終わりが始まる』。ぼくには似つかわしくない作者であり作品と思わないでも無いけれど、じつは彼女は朝日新聞のたしか日曜版(あれ? 土曜版?)にコラムを持っていた時があって、ぼくはけっこう共感を持って読んでいたのです。だから、本を購入することまではしなくとも、図書館から借りるなら良いかなと思って。
 もう一冊は、藤沢周平の『帰省』。彼の本なら是非にも揃えたいが、まあ蔵書は、そのうち出るはずの文庫本としましょう。
 さっそく読み始めた『帰省』はいかにも親しさに満ちたもので、炉辺談話風。読みやすく、楽しく、そして作者の人柄やものの見方、生きる姿勢が良く伺えます。神々は細部に宿る。掌編にこそ、そしてささやかなエピソードにこそ。気楽に、しかし心して読みたい一冊です。

フェルメール展を観る

 先週末は上京。フェルメール展をはじめ、ハンマースホイ、ピカソの大掛かりな展示を鑑賞しました。
 フェルメール展の混みようは尋常ではありませんね。ぼくたちは朝一で駆けつけ、小雨を避けながら開門を外で待っての入場でしたが、行列は待っている間にも伸び、開館するや否やすぐに館内は一杯に。ぼくたちが観終えて出る頃合いには、入場制限がかかったのでしょうか、かなりの列が動かずにとどまっていましたよ。
 フェルメールの魅力は、やはり本物を目にしないと分かりません。これが例えばピカソなら、複製を見ても(絵はがきでも)その良さを理解することが出来ます。しかしフェルメールは本物でないとダメです。写真では到底伝えられないものを描いている画家です。フェルメール作品の絵肌に込められているものは決して再現できません。彼を観たあとでは、ハンマースホイはもちろん、ピカソの青の時代を象徴する傑作ですら平板にみえてしまいます。絵画芸術の不思議です。
 さて久しぶりの東京で感じたのは、やはりここは生きている街だ、ということ。どの時間帯でも人間が活動しています。いろいろな地方の言葉が聞こえ、様々な言語が飛び交っています。多様な生活を蔵し、あらゆる表現に出会うことのできる街。ぼくのような人間はそれを日常にはできないけれど、たまには刺激を受けたいですね。

成るがまま

 「成り上がり」という嘲笑をこめた表現があります。苦労して、苦学して地位を得、財を築いた人なら尊敬されていいはずなのだけれど、必ずしもそうはならない。理由のひとつには、成功できなかった人たちのやっかみもあるでしょう。しかしそればかりではない、「成り上がり」びとにありがちな偏った傾向(性向)が顰蹙を買う面もあるようです。自己顕示欲が強い、強がり、攻撃的、といったような面が。劣等感の裏返しであり、翻っては余裕の無さ、でしょうか。
 何年か前にあるホテルに入ったら、フロントに麗々しく(賑々しく)社長の写真が飾ってありました。嫌なところに来たな、と思いつつ、でも仕方ないので部屋に入るとそこにはグループ本部発行の機関誌が。雑誌好きのぼくはつい手に取ってパラパラめくってみたのだが、今度は会長(ホテルチェーン社長の夫)のお出ましです。しかも戦闘機の側で制服を着、ヘルメットを抱えて(あるいは冠っていたか?)ポーズをとっています。戦争ごっこが好きな坊やか、キミは。ひけらかして恥じるところが無い。
 自省を知らないのも、成り上がりの特徴か。振り返りたくない過去であり、自分を疑うことは敗北を意味するのかもしれません。戦って勝つしかない半生であったのだとすれば、ひととしての奥行きの無さに同情も湧きます。
 とまれ、ぼくは「成るがまま」がいいな。努力を惜しむつもりは無いけれど、むしろ怠け者は嫌いだけれど、強くなったり偉くなったりはしなくていいな。中身が満ちてゆっくりと成長する、それで良い。それ以上は嘘、それ以外は虚妄、有り体に言えばハリボテ。御里が知れる、という俚諺もあるよ。

晩秋にふさわしい

 ある雑誌でラフマニノフの交響曲第2番が「晩秋にふさわしい」と形容されていて、ラフマニノフといえばコンチェルトくらいしか思い浮かばなかったぼくは慌てて(?)iTSを探り、スヴェトラーノフ指揮のものを買い求めました。一番安かったこともあるけれど、評価も高い演奏のようです。試聴した中では、テンポが一番ぼくに合っているような気がしました。
 それにしてもラフマニノフは本当に秋にふさわしい。叙情的にすぎるほど叙情的。あまりにも甘美。しかしそれが去りゆく輝きの季節、「晩秋にふさわしい」のですね。
 さて昨日のお昼は郊外にある農家レストラン「菜ぁ」にて。鶴岡近辺にはこのテのレストランが3軒ほどあって、それぞれに個性的です。共通しているのは、やはり農家・田舎レストランらしく旬の食材、地場野菜にこだわっていることでしょう。子供や脂ぎった大人には不向き。料金も手頃(ランチで700円程度)で落ち着けました。

呆れてしまう

 「珍しく」と言うべきか、時代小説の藤沢周平に政治がらみのキナ臭い問題に触れた随筆がある。先の戦争をめぐる教科書問題で騒然となったとき、〈(蹂躙された)相手の立場に立ってみることを自虐的などというのは軽率な言い方である〉と、その歴史観の一端を述べている。


 11月2日付朝日新聞「天声人語」の書き出しです。歴史観というよりもっと幅広い、人間観、ものの見方、考え方、生きる姿勢かもしれません。藤沢さんはいつも上からではなく下から、底辺からの視線を忘れない人でした。勝ち組、強者、支配する側の論理で生きる人ではありません。
 航空自衛隊トップ田母神某の暴論はいかにも闘犬の猛々しさ。そういう組織でまたそういう教育を受けても来たのでしょう。問題はむしろ、リードをしっかりと持ち、コントロールすべき立場の人々にあるのかもしれません。最終的には国民一人一人の問題として。
 それにしても、田母神論文を最優秀とした審査の審査委員長が渡部昇一氏だったとは、(今更だが)呆れてしまう。彼もまた鶴岡市出身。市立図書館では藤沢さんと隣り合わせにコーナーが設けられています。恥ずかしい。悲しい。そして藤沢さんに申し訳ない。