馬脚を露わす

 「徴兵制あってしかるべき」 東国原知事が持論展開

 ああいう、知名度だけで選ばれたような人たちはどこかで必ず馬脚を露わしますね。短慮で自制も自省もない。そもそもモラルハザードをいうなら若者よりいい年をしたオトナが先でしょう。若者たちはむしろ、オトナ社会に受け入れてもらうのに四苦八苦している。それに彼だって今までいろいろ物議をかもしてきた人物のはず(淫行事件やら傷害事件やら)。知事選勝利は免罪符ですか。
 まずは東国原さんから率先して軍隊の規律正しい? 生活を体験してもらい、〈道徳や倫理観などの欠損〉が正せるかどうか、試してみてはどうだろう。

心のおもむくままに

tachikawa

 もう冬のような天気なのに、のんきにこんな写真をアップするとは……。でも、その日はいい天気だったんですよ。晩秋そのものでね。
 また別の日。庄内平野のど真ん中。交通量の少ないスーパー農道をひた走っていると、左から数羽の白鳥が離陸の体勢。あまりにも道路の近くから飛び立っているので、このままぼくが車を走らせていては危険のような気がして、ブレーキを踏む。すると一羽はそのままかまわずまっすぐに飛び立っていったものの、他の白鳥たちは左に旋回するではないですか。わずか数秒、ぼくは白鳥たちとの並走を楽しみました。その後彼らはさらに身を捩り、ぼくから離れていきましたが、こんな経験は都会に住んでいてはできませんよね。白鳥たちは単純にカッコいい。まるで飛行機のようにスマートに、飛び立っていきますよ。
 さて、今日から『心のおもむくままに』(スザンナ・タマーロ)を読み始めました。ぼくはいつも「あとがき」を真っ先に読んでしまうのだけど、そのあとがきの冒頭での引用──「逝ったものがわたしたちの胸にのしかかるのは、おたがいに言わなかったことがあるためなのだ」。これだけで、この小説がぼくの人生の書になるだろうことが知れるような。
 そういえばぼくは、よく母の夢を、去年亡くなった母の夢を見ます。長男の宿命としておばあちゃん子で、二階の両親の部屋にあがるのにためらいを感じていたぼくには、言いたかったこと、言わなかったこと、言えなかったことがたくさんある。だから、逝った母がぼくの胸にのしかかるのかも。

 みぞるるや兄のねむれる忠霊塔(高橋零)

なぜか

 しばらくはガマンだったはずなのに、なぜか新マックOS X「Leopard」が目の前のマシンにインストールされており、今年は見送るつもりだったのに、なぜかボジョレーヌーボーが昨夜喉を通り、相変わらず意志薄弱・自堕落なタカハシです。
 それにしても昨日はちょっと焦りました。ホームページ作成ソフトの「
RapidWeaver」がちょっとヘン。サーバーにアップロードできないんです。調べたらLeopard対応版がでていたのでアップデートして解決しました。widgetのほうでは、愛用していたeRadioが反応しません。「湘南ビーチFM」や「France music」がお気に入りだったのですが。他にもいろいろあるかもしれず、心配しています。
 Leopardは機能豊富、デスクトップの宇宙空間もカッコいいけれど、ちょっとダークだなぁ。Tigerのブルー基調が少しなつかしい……。

新祖国論

swan

 激しかった雷雨も過ぎ去り、爽やかに晴れ上がった朝。いつものように散歩をしていると、ハクチョウたちが頭の上を飛び去っていきます。日の光を浴びて純白に輝きながら飛ぶハクチョウたち。連れていってほしいなぁ、このぼくを──。
 さて、忘れた頃になってAmazonから届いた辻井喬さんの『新祖国論』を少しずつ読みながら眠りに就く毎日です。書き下ろしではなく新聞に連載されたもののようで、ごく読みやすいエッセイの趣。紙幅もあって論証は十分とは言えないけれど、しかしその内容は示唆に富んでいますね。北欧によく見られるという、幼稚園と老人施設を併設するという事例も興味深いものでした。
 結局、生活様式が変わってしまって、かつてはいろんな人たちが混在して成り立っていた社会が、今は効率良くかつ小奇麗に区分けされ、○○施設と名のつくものは郊外、甚だしくは山中にあって他の社会とのコミュニケーションを断たれていたりするのです。いまの社会はちょうどパソコンの中のように画然とフォルダに分けられている。管理しやすいように。かつての村落、地域社会にあった公共空間はもはや失われています。
 人間たちをその本来のありように戻すのは難しいことかもしれない。けれども、より自然に近いコミュニケーション社会を英知によって保つことは不可能ではないのでしょう。
 辻井さんが指摘されるように、〈子どもたちの問題と老人問題は背中合わせの問題〉なのです。

やっぱり退屈

 やっぱり退屈なので、『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』を読書半ばで放擲……って、図書館に返しただけですが。こんなとき「本を借りる」というのは便利ですね。返せるもの。買ってしまうとそうはいかないから、「もったいなかった」と悔やむことになる。
 ところで、ここ数週NHKのテレビドラマ「風の果て」を見続けています。意外に面白い、期待以上に──いや、そもそも期待なんてちっともしていなかったのだが──藤沢周平の世界を伝えてくれているように思います。心に残る、心に伝わるドラマになっていますね。ほとんど心がザワつくことのない「風林火山」とは大違いで、(原作がすばらしいのはもちろんだけど)脚本がいいんだろうなぁ。テーマ曲も「風の果て」そのものだし。もう一度原作を読みたくなりました。

 鎮もれり古代の森に秋深し (高橋 零)

再刊「四季」第11号を入手

 再刊「四季」の第11号を入手しました。最終号(第17号)は既に手元にあります。いずれの号にも茨木のり子さんの作品が一編収められているのです。11号には「廃屋」、丸山薫追悼号となっている終号には「まんさくの花」が。特に後者は丸山薫に捧げられたとても印象的な詩になっていて、オルガンが鳴った「鶴部の分教場」を、今もなお残されているのならぜひ一度、雪が降る前に訪れたいと願ったことでした。
 まだしっかりと読んではいないけれど、第11号には丸山薫を囲んでの同人による座談も掲載されています。これはこれでとても興味深いもの。詩史に疎くまた詩壇のことは皆目分かりませんが、本音トークはボーッと読んでいても面白い。
 さて最近の夜の読書は、『ジャパンクールと江戸文化』でも触れられていた『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』(梅棹忠夫)。この高名な学者の著作は恥ずかしながらまだ読んだことがなかったのだけれど、うーん、評価が難しいなぁ。大胆というか大雑把というか。ま、ナナメ読みにしとこう。

秋の一夜を吹浦で

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 土日の連休を遊佐町吹浦の隠れ家で過ごしました。里にも秋は降り、家の周りの木々はすっかり色づいています。ふだん人が住まない家はやはり寒々している。それに、独りだし。

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 持参したのは『ジャパンクールと江戸文化』(奥野卓司)という本で、今回はこの本を読みきるのと、頼まれ仕事にめどを付けるのがノルマ(?)。そして楽しみは、iTunesに仕込んだ音楽をたっぷり周りに遠慮なく聴きながら眠ること。いずれも見事達成、加えてポッドキャストのニフティ寄席も二つほど聞き終えて満足しました。DVDで「武士の一分」も見直し、美しいカットを堪能。
 さて、『ジャパンクールと江戸文化』はアカデミックな論文ではなくなかなか読みやすいのがマルで、ややごった煮風で重複が多いのがバツでしたね。「江戸文化の再発見」や「伝統の発明」自体は別に新しい試みでもなく指摘でもありません。ただ著者はそれらをポップカルチャーに結びつけて積極的に評価しているのです。世界の潮流をも睨んで。
 とはいえ、結論がどこにあるのかはイマイチ不明。「ジャパンクール」ブームの解説書としてならわかるけど、まさか終章の、 

 日本はIT革命ではアメリカに大きく水をあけられ……だが、デジタル・コンテンツにおいては、まだアメリカと対等に競い合っていく可能性が十分に残っている。……そして、ジャパンクールとして欧米で高い評価を受けているアニメやマンガ、ゲーム、Jポップとともに、江戸文化の流れを受け継ぐ歌舞伎、文楽、落語、浮世絵こそ、世界のどこにもない、日本の文化コンテンツであり、それらをデジタル化して発信すれば、世界中の人々をもっと楽しませることができ、私たちの文化をもっと知ってもらえるようになるに違いない。


が著者の結論ではあるまい? 開かれた江戸時代を語り、海外との交流、京劇やシェークスピア劇と歌舞伎・浄瑠璃との類似性にまでワールドワイドに風呂敷を広げておきながら、最後にアメリカとの競争や「世界のどこにもない」「日本の文化」を持ち出されると、ちょっと鼻白むんだなぁ。

若干の更新

 過去のWeb日記ですが、2004年までのUpが終わりました(遡ってUpしています)。「ふたり展」も少し展示替えしています。ご覧ください。