5 月 2009

リニューアル

ホームページをリニューアル。
ブログの更新は
こちらで行っています。

懐かしい『鳥かごの詩』

 北重人さんの『鳥かごの詩』(小学館)を懐かしく読みました。懐かしいというのは、ぼくも学生時代の一時期、主人公康夫のように新聞販売店に住み込みで働いていたことがあるからです。都合二年にも満たない期間だったけれど、あの日々の印象は強烈で、良い意味でも悪い意味でも今日のぼくがあるのは新聞屋体験のおかげです。
 個性的な面々が顔を揃えた店にやくざのタケシが康夫を探して現れた時、仲間たちはそれぞれに康夫をかばい、タケシに相対する。社会の吹きだまりにおし込められているような彼らが、てんでバラバラの人間の集まりのような彼らが結束する美しい場面です。あるいは哀れかもしれないけれど──だって、相手のタケシと彼らの距離だってさほどないし、結果は惨憺たるものだから。でも同じような境涯の人々と寝起きし、一緒に働いてきたぼくには、その心意気がよくわかるのです。好き嫌いとかではなく仲間、また仲間を守ることが自分を守ることなんだ。
 印象的といえば、やはり元やくざの(タケシの父親でもある)配達先のおじいちゃんの家に招かれて食事をする場面も心にのこります。いっとき彼の心に棲みつきそうして離れざるを得なかったサキちゃん、それからトシもテーブルの前に座り、老人は母親と妻を殺された東京大空襲の体験談を語るのです。
 新聞屋とその周辺には本当にいろいろな人がいる。褒められた人ではなく、褒められた人生ではないのかもしれない。けれどそれもまた人生。自らが体験した空襲や当時のベトナム戦争を引き合いに出して、老やくざは語るのです。

 やくざには、ときに命のやりとりがある。しかしな、関わりのない者には、絶対に手は出さねえや。それが、どうだ。かまわずに殺す。人ひとりの命には、父や母、連れ合いや恋人、子に兄弟、もろもろの心が纏い付いているんだ。それをあっという間に奪いやがる。あれは、人のすることじゃねえ。


  小説の後半、サキちゃんをめぐる争いは少しエンターテイメント小説的にすぎ、まあ文字通り小説だから仕方ないのだけれど、そこまでのことは滅多にないよ、と言いたくなります。でも気になるなあ、五十歩百歩の世界ではあったもの。康夫に天国と地獄を見せつけたサキちゃんは、幸せになれたのだろうか。トシ、キミは愚かだが立派だ。表の世界で生きてくれ。新聞販売店の仲間はその後どうなったのだろう。羽ばたいていった人も、澱のように沈んで行った人も。
 昭和四十九年春。A新聞T専売所でぼくが出会った人たちは、あれからどうしているだろう。ぼくをかわいがりいつもおすし屋さんに連れて行ってくれたAさん、お元気ですか? オヤジさん、そしてみんなのお母さん代わりでもあった奥さん、お世話になりました。何のお礼も出来ずにいるけれど、ぼくは感謝の気持ちを忘れたことはありません。

『吹雪く野づらに』を借りる

 帰宅途中市立図書館に立ち寄り、佐藤治助先生の著書『吹雪く野づらに─エスペランティスト斎藤秀一の生涯─』(鶴岡書店)を借りました。ほかに『方寸 第六号』(酒田古文書同好会)も。
 斎藤秀一(さいとうひでかつ)は知らない名前でした。教えてくれたのは、山根基世講演会実行委員仲間の小田さんです。治安維持法違反で検挙、投獄され、1940年に病死した、鶴岡市櫛引生まれの人。知っていなければいけない人でした。
 著者の治助先生は2年前に亡くなられましたが、文字通りの「先生」。ぼくが鶴岡第一中学校に在学中、直接教えていただいたことはなかったものの、先生として勤務しておられました。先生が並の先生ではないことを知ったのは何年か後のことで、三省堂から出版された『ワッパ一揆』が(ぼくの記憶に誤りがなければ)朝日の書評で取り上げられ、評判になってからのこと。にもかかわらずぼくは『ワッパ一揆』はおろか他の著書もついぞ手にすることはなく、今日まで来てしまいました。
 ぼくのような小さな人間にもやるべきこと、やりたいことはたくさんあります。もうすでに手一杯なのだけれど、だからといって郷土の人間の業績に無知であって良いということにはならないでしょう。怠惰な自分にむち打って、わずかでもその志を受け継ぎたいものだ。

順調です

 山根基世さんによる講演会「山根基世氏 茨木のり子さんを語る」の入場整理券は順調に出ています。当初の目標はクリア、今はさらに会場を満席にすべく六月の会メンバー一同努力を重ねているところ。これからは細かな打ち合わせや調整も色々出てくるでしょう。頑張らなくっちゃ。そうそう、講演会の前にまず会報を発行しないといけない。仕事が次々に押し寄せて来ます。
 山根基世講演会は6月13日午後2時から鶴翔会館(鶴岡南高等学校構内)にて開演です。お近くの方は、いや遠くの方もぜひおいで下さい。今ブレークしている庄内観光とあわせ、楽しく充実した土日になること請け合いです。

戦時下の芸術

 芸術が何かの手段であってはならない。ぼくは決して唯美主義、芸術至上主義ではないし、それどころか現実を捨象した芸術は無意味とさえ思っているけれど、それでも何らかの目的に奉仕する芸術を、素直に受け入れるわけにはいきません。戦意高揚の為の芸術はもとより、レジスタンスもしくは平和運動の為のそれでさえ。また右であれ左であれ、体制であれ反体制であれ。
 抵抗の画家・靉光(あいみつ)の「抵抗」の意味。フランス・レジスタンス文学の傑作『海の沈黙』(ヴェルコール)の「レジスタンス」の意味。様々なことを考えながら、また様々な思いを受け止めながら、ぼくたちは戦時下の文学を読み、美術作品の前に立つことになるのでしょう。
 7月4日から11日にかけて共同の家こぴあ(鶴岡市)で開催される「無言館収蔵戦没画学生遺作『祈りの絵』展庄内」(http://www.youtube.com/watch?v=IiNGGXoIXdE)。遺作は決して政治的ではないし声高に叫ぶなにものもないけれど、その展覧に奔走するスタッフ、そしてその作品の前に立つぼくたちは無垢ではいられない。
 今から8年ほど前、徳山市美術館での「祈りの絵展」開催に際し学芸員の赤松祐樹さんは、〈戦争をいかに捉え、記憶しく、その記憶を後世に残し、いかにあらわしていくかということは大きな問題としてあるが、そこには事実とその後の評価とのあいだの質の違いが大きく立ちはだかる。しかし過去の傷それ自体は決して癒されることがない〉。
 〈それを癒されたものとして忘却したり、閉じられた空間のなかへ既に終わったものとして封じ込めることはある種の暴力だが、しかし展覧会とはそれらを固定し、さらに素材にして歴史を提示すること〉に他ならないとして、その葛藤を率直に告白しておいでです。そして〈展示に携わる学芸員としての、さらには公共の文化施設としての「責任」とはどのようなものなのか、誰が引き受けるのか。そのようなことを自間しながら、展覧会開催に向けて準備を進めています〉とも。
 いささかのことではあるけれども「祈りの絵展」に関わることになった人間のひとりとして、ぼくは赤松さんのこの誠実な姿勢を範としたい。自問や自省を忘れた奔走は、むしろ故人への、そして芸術への冒涜になりかねないのですから。

森と人間

 5月4日付の天声人語に『森と人間』(朝日選書)が紹介されていてびっくり。共著者の神田リエさんは一昨年の「茨木のり子追悼公演」、そしてこの6月に予定されている「山根基世講演会」の実行委員仲間です。噂は耳にしていたのですが、吹聴するような方ではなし、書名も知らずにいました。で、慌ててネット書店に発注したのだけれど、入荷は遅れそう。天声人語に載れば在庫はすぐ捌けてしまいますよね。待つしかありません。

東北一周

oirase

 奥入瀬のホテル(奥入瀬渓流ホテル)で行われる結婚式が目的の二泊三日の旅。結局、福島を除く東北5県をめぐるドライブとなりました。
 奥入瀬は時間の関係でホテル周辺を散策しただけ。それでも緑の木々は十分に美しい。そして八甲田は雄大。帰りは岩手県を走ると、岩手山の奇怪な勇姿がすぐ側に迫ってきます。偉大な山だ。……さほどの渋滞もなく、楽しい家族旅行になりましたね。
 ところで宿泊先で聞いた忌野清志郎さんの訃報は、ぼくにとっても衝撃でした。特別のファンというわけではなく、リアルタイムで聞いていたとも言えないぼくだけど、反権力的な姿勢には共感を覚えたし、何よりも彼の音楽には溢れるようなリリシズムがあります。「スローバラード」なんて、最高じゃないですか。