六月に詩う

 昨日の「六月に詩う ─茨木のり子・詩の朗読─」は大成功でした。ご参加いただいた皆様、朗読していただいた皆様、ありがとうございました。全体の様子は六月の会ホームページブログをお読みいただくとして──。
 さてぼくは、当日、好きな詩がたくさんたくさんの中から「行方不明の時間」を選び、朗読しました。この詩は『茨木のり子集 言の葉』のための書き下ろしで、文庫判『倚りかからず』にも追加収録されています。会の終了後、何人かの方に「良かった」と仰っていただいたのがうれしく、夜の部も愉しく美味しく過ごすことができました。感謝です。
 朗読していただいた中に、地元大山の眼科医でぼくや家族もお世話になったことのある森國トクヱ先生がおられました。89歳にして未だ現役の先生はとてもお元気なご様子で、ぼくも大好きな詩「橇」(『歳月』)を淡々と朗読されました。そのごく普通の読みが、しかしこの作品には誠に見事にあっていて、こみ上げてくるものを押さえきれない参加者もいたようです。お話も素敵でした。
 六月の会はたくさんのすばらしい方たちに支えられ、休むことなく歩みを続けています。

野田弘志展をみる

 酒田市の本間美術館で、野田弘志展を観てきました。精緻で精密で、空間も十分に感じられる作品は見応え十分でした。
 一方で写実絵画は難しいな、と思ったのも事実です。よく見ると、やはり腑に落ちないところが見つかるのです。たとえば「室内」では着衣の少女の隠された肉体が感じられず、とくに右肩は脱臼しているかのよう。小品「和香子」も右肩が扁平で弱く、静物画のモチーフとなった蜂の巣は丸みが不十分に感じられます。
 しかし一番の問題点は、たとえばフェルメールではかぐわしいほどに感じられる空気が、野田さんの作品には皆無だということでしょう。野田さんの写実は真空の写実です。加えて言うなら、「時」や「自然の光」もないのです。あるいは無意味な比較だと思われるかもしれないけれど、ぼくにとっては大切な、絵画にとっての価値感です。
 メカニックな時代の写実とはこのようなもの、無機的な世界表現、なのでしょうか。

出会っていれば

 NHKドラマ「トップセールス」の最終回を見逃したのが悔しくて、ネットで関連情報を様々検索しました。すると、ドラマのモデルになったと言われる林文子さんのインタビュー記事が眼にとまり、お話の一つ一つに納得。まだビー・エム・ダブリュー東京代表取締役社長だったころのインタビューのようですが。
 たとえばクレームに関するお話。クレーム商売と言われる自動車販売業。「なにしろ怒る人がいる」、「物を叩いたり、車庫のシャッターを蹴っ飛ばしたり」する人がいるそうです。でも林さんは、「そんな、人間の一番醜い姿を見ていると、なんとも切なくなってくるんですよ。するとなんともいとしい気持ちになる」とおっしゃるのです。『ここまでわたしに向かって自分をさらけ出しちゃう。なんて方なんだ。良くしてあげなきゃならない』と思ってしまう」。
 これを読んで、ぼくはかっこちゃんのことを思い出しました。養護学校教諭の山本加津子先生。以前にも書きましたが、かっこちゃんが上京の折、電車内で学生を殴りつけるヤクザさんを見つけ、思わず(殴られている学生さんをではなく)ヤクザさんを、「大丈夫、大丈夫。怖くないからね」と抱きしめてしまったという話を、です。なぜ? 「つらそうに見えたから」。そのヤクザさんは声を上げて泣き出したといいます。
 先日秋葉原では、決して許すことのできない凄惨な事件が発生しました。しかし容疑者を捕まえてみればそれは狂人でも吸血鬼でもなく、ひ弱な一人の男にすぎなかったのでした。彼が人生のどこかで林さんやかっこちゃんに出会っていれば、あのように多くの人生が狂わされることはなかったかもしれない。そんなことを考えてみます。

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上は山形市門伝にあるキリシタン地蔵。

昨日は合唱、今日は狂言

 本日、鶴岡市民劇場6月例会は茂山千五郎一門による狂言。なんとまあ、面白いこと。
 はじめに、素人が多いだろうという配慮から? わかりやすくかつ面白い解説があり、続く演目は「蝸牛」「附子」「濯ぎ川」。所作にも台詞にも(こんな言い方をするのかどうかわからないけど)新しさを感じましたけどね。飽きませんねぇ。美しささえ感じます。クセになりそう。
 そして昨日。山形で山形木曜会合唱団の定期演奏会を聴いてきました。まず会場の山形テルサホールが気に入りました。そしてもちろん、木曜会の合唱もなかなかのもので、ぼくは都合もあって2ステージしか聴けなかったけれど、「混声合唱組曲『生命・はるかなる旅』から」は多少パート的に弱い(薄い)部分も感じられたものの聴きごたえは十分でした。なにより、団員の皆さんの真摯な姿勢に打たれましたね。

びっくり

 iPhoneが199ドル! には驚きました。ビンホーなぼくはすっかり諦めていたのでしたが。これならぼくにも手が届くかも……。って、甘いかなァ。月々の支払い、料金プランがどうなるのか。通話だけじゃもったいない、どうしたってネットを使うし、データ通信にそれなりのお金はかかるでしょう。やっぱり無理かも知らん。
 しかしiPhoneを手にしたら、生活スタイルはずいぶん変わるような気がします。何しろこれはどこでもドア、ドラえもんのポケットのようなものですから。

日曜日

 車を運転しながらラジオを聞いていて、久しぶりにボニージャックスの皆さんの声を耳にしました。大町正人さんがリタイヤされていたようで、これは残念。柔らかであたたかな、ほんとうに聴きやすい歌声でしたから。持ち歌の中でも、彼がメインで歌った曲は一番多かったのでは。
 調べてみると、大町さんは体調は今ひとつながら、ご自分のペースでお仕事はされているようすです。二期会所属の奥様とのジョイントコンサートや、主催する合唱団の指揮。いつかどこかでお会いする機会があるような気がします。
 さて、今日は寒河江図書館まで足を運んで日塔貞子展を見、彼女の評伝を著した安達徹先生の講演に列しました。講演は盛況、あたたかな雰囲気でしたね。貞子の人となりを知る方のお話も伺うこともできたし、いい時間を過ごすことができたようです。
 それにしても、日塔貞子の直筆日記はすばらしいものでした。小さなやさしい文字でびっしり書かれています。数は少ないながら、良い展示だったと思います。

細谷亮太先生

 「暮しの手帖」を読んでいるので、小児科医の細谷亮太先生のことは知っていました。琴線に触れる文章を書かれる方です。お人柄が伺えるような。でも『NHK知るを楽しむ人生の歩き方 2008年6・7月』に収録されたインタビュー記事にはあらためて感動しましたね。
 すばらしいのは、先生が一人一人の患者(小児科医ですから皆小さな子供たちであり、またその親御さんたちなのですが)にきちんと寄り添い、その人生に向き合っていることです。
 すべての事例(症例)、すべてのお話が得難いものだけれど、父親としてのぼくは、最期がすぐ間近に迫った女の子が、海外に単身赴任中の父に別れを告げる電話をかけるくだりに思わず頬を濡らしました。父親の絶叫がぼくの耳にも届いたような気がしたのです。今でも胸が熱くなる場面です。
 
 さて、六月になりました。「茨木のり子 六月の会」では、28日(土)に鳥居町花梨亭(鶴岡市)で「六月に詩(うた)う ─茨木のり子・詩の朗読会─」を催します。蒔村由美子さんをゲスト朗読者に迎え、そしてぼくたちド素人も上手下手など気にせずに、それぞれお気に入りの詩を朗読しようじゃないか、という趣向の集まりです。会場は昔の武家屋敷をリニューアルした風雅な日本家屋になっています。