油断ならない自宅

 「週間20世紀 033」を物置の廃品回収行きの中に発見。アブナイ。森有正が載っているのに。
 もっともこの雑誌。資料的な価値などはほとんどなくて、テーマは「ぜいたくの100年」。大見出し小見出しも「西洋への憧れ」「西洋かぶれの明治2代目」といったていの、大衆雑誌レベルの記述。でも一応ぼくは、森有正関係のものはもれなく集めてますから。捨てないで!
 あわせて見つけたのが音遊人(みゅーじん)最新号。リラックスタイムに少しずつ読もうと思ってリビングに置いてあったのだが。油断ならない自宅です。

うっすらと雪が

 うっすらと雪が積もり、新潟は白い朝になっています。
 前回の日記は12日付でした。ずいぶん間があいてしまったのは、その間に手にしていた本がさほどでなく(R.B.パーカーすら)、また「茨木のり子 六月の会」会報第九号の編集作業をしていたためでもあります。それから会報がらみで準備していた短い文章もあるので、こちらは後日──来月のアタマあたりに──アップします。
 昨日、オリンパスから届いたメルマガに旧製品となったデジカメの在庫処分セールの記事が載っていて、いずれも1万円前後の値段になっていたので相当食指が動きました。わが家のデジカメは二台が使用不能、残る一台は人前に出すのも恥ずかしい旧品で、電池の持ちも著しく悪いのです。でも、今回はパス。
 この春、二人の子供の進学を控え学費以外にも用意しなければならないものがたくさんあります。それらの支出の残がもしあるなら、次なる優先課題はデジタルデータのバックアップ体制整備か。HDD容量の少ないぼくのノートパソコンで音楽データを持ち歩くのは限界です。
 環境が厳しいときに必要なのは、優先課題を見極める、ということかもしれません。これは公私に言えることですね。

瘋癲とは

 志村史夫さんの『寅さんに学ぶ日本人の「生き方」』は、率直に言って期待はずれな本のようですが、なかで「『広辞苑』に影響を与えた寅さん」は面白かった。
 志村さんの調査によると、「ふうてん(瘋癲)」という言葉は、『広辞苑』第一版(1955年)・同第二版(1969年)では「後天的精神病の中で、言行錯乱・意識溷濁(混濁)・感情激発の著しいものの俗称。きちがい。癲狂」と説明されているそうです。これではフーテンの寅さんはきちがい寅さんになっちゃう。それが第四版(1991年)では「精神的状態が正常でないこと。また、そういう人。癲狂」と多少まともな寅さんになり、もっとまともになるのは1998年発行の「第五版」から。今までの語義説明に加えて「定まった仕事も持たず、ぶらぶらしている人」という説明が、項を分けて記載される。これって寅さんそのものですね。
 そして注目すべきは最新版、2008年発行の「第六版」で、なんと旧版の説明にさらに加筆され「(フーテンとも書く)定まった仕事も持たず、ぶらぶらしている人」となっているのだとか(実はぼくはまだ「第六版」を買っていない)。面白いなぁ。まさしく「『広辞苑』に影響を与えた寅さん」ですね。

松浦弥太郎さんの編集後記

 「暮しの手帖」編集長の松浦弥太郎さんはいつも素敵な文をお書きになります。第37号の編集後記(「編集者の手帖」)もグッと素敵で、私的な思い出がテーマのせいか「ここで書くべきことではないかもしれ」ないとしながら、しかしとても感動的なエピソードを綴っておいでなのです。
 それは彼が子供のころのお話で、ある晩父とけんかをして家を裸足で飛び出したことがあったそうです。「だいぶ走ったころ、後ろを振り向くと、おそらく当時40歳の父ですが、裸足で走って追いかけてくるのです」。
 これはまずいとさらに走り出す弥太郎少年。一時間くらい走って、疲れてしまって隣町の公園のブランコに腰を下ろし真っ暗な夜を過ごしていると、「遠くから人の走る音がひたひたとしました」。足音の主はお父さんでした。「ランニングにトランクス一枚の下着姿」、肩で息をしてすぐにでも倒れそうなお父さんでした。
 決して諦めないのが、決して子を見放さないのが親というものでしょう。弥太郎少年はもちろん、一晩中でも走り回って自分を探してくれるに違いないお父さんと一緒に家路についたわけですが、「親が子を思う、うそのない愛情を、父のその姿から強く感じ取った」そうですよ。
 親業って本当に大変。だけどこれくらいまっすぐな仕事って他にないんじゃないかな。ウラオモテのない、計算のない、うそのない愛情です。

米原万里の毒

 「ユリイカ」2009年1月号は、良いですね。米原万里特集号です。
 希代の毒舌家として知られた米原万里。友人知人の誰もがその毒を浴びたというけれど、それでも開催された米原万里展のために、山形のような田舎くんだりまで多士済々50人もの面々が列車に乗り合わせる。米原万里とはそういう人だ。
 掲載されたテキストのどれもが面白く、興味深いものだけれど、ロシア文学者沼野充儀さんとの対談(2005年9月10日)で放った皮肉はいかにも彼女らしく、お見事でしたね。
 沼野さんが紹介する現代ロシアの詩人ロシフ・ブロツキーの講演の下り(「もしわれわれが支配者を選ぶ時に、候補者の政治マニフェストではなく、読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなる云々」)を受けて、 

 そういえばサダム・フセインが洞窟で捕まったときに読んでいた本が『罪と罰』でしたね。それで小泉首相の愛読書は『あゝ同期の桜』だっていうじゃないですか?(笑)

 
 痛烈だねぇ。で、麻生現首相の愛読書は漫画ですって? ──嗤ってられない。

三が日も終わり

 お正月三が日も今日で終わり。本当に早いもので、それでも今年は明日の日曜日も続けて休みことができる幸せ。お昼は近くにある麦きりの名店「寝覚屋半兵工」にて人混みをかき分けての昼食。久しぶりでしたが、あいかわらず「ンめのぉ(おいしいねえ)」。
 
 最低限の目標にしていた『青春の終わった日』(清水眞砂子)を昨夜読み終え、安堵しています。違う資質とは思いながらぼく自身の心の軌跡と重なる部分も多く、安易にその感想を書きとめられずにいるぼく。
 これは関係のない人にはまったく関係のないお話です。でも「青春の終わった日」という書名にすこしでも心が揺れた人なら、必ず手にすべき本です。そこに自分を発見し、自身を慈しむことができるようになるかもしれません。

謹賀新年

新年 あけまして
  おめでとうございます