伊丹十三のエッセーが面白い
2006/02/26 18:04 格納先: Personal
伊丹十三のエッセーが面白い! という話は以前から耳にしていたが、まさかこれほどとは、ネ。『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)。どこで見たものか、誰から勧められたものかは忘れてしまったけど(まあ、いずれかのサイトには違いないのだが)、複数の書店の書棚には見つからず結局ネット書店から入手(ほら、ネット書店はやっぱり便利。八文字屋の社長から子供呼ばわりされようと、ぼくはネットで買うね)、つれづれに読み終えましたよ。今さら、でしたね。
彼の文章は、たとえばこんなふう。
「ドライヴ」や「スウェイド」という表記に注意。そう、彼はこだわりの人なのだ。あるいは原則の人、なのだ。じっさい「原則の人」と題する一節があるが、「世の中には、生活のあらゆる細目に亘って独自の見識を確立し厳密なプリンシパルを設け、それに従って行動しなければ気がすまない」人がいるって、彼のことではないのかね。
いわく、「新聞は死亡広告から読むのが正しい読み方だ」「仏文学者、辰野隆先生の名前はユタカが正しい」「アルファベットのNやMは左右の縦棒を先に書くのが正しい筆順だよ」。
蘊蓄満載。貴族趣味。それでもちっともイヤ味を感じさせないのは、解説にもある通り、「芸」ですな。つくづくと、惜しい方をなくしたものです。彼が逝って、もう8年以上が過ぎましたか……。
彼の文章は、たとえばこんなふう。
パリへ来るたびに、わたくしは、ドライヴ用の手袋を買うことになっている。シャンゼリゼの、リドのアーケードの裏門に近い男物の店に、絶妙の手袋があるのだなあ。これは、少なくとも六双は買いたい。 その向かいが、「エディ」。スウェイドのコートや、アルパカのコートなんかを勧めたいね。まず、わたくしの買い物はそんなところだ。(212頁)
「ドライヴ」や「スウェイド」という表記に注意。そう、彼はこだわりの人なのだ。あるいは原則の人、なのだ。じっさい「原則の人」と題する一節があるが、「世の中には、生活のあらゆる細目に亘って独自の見識を確立し厳密なプリンシパルを設け、それに従って行動しなければ気がすまない」人がいるって、彼のことではないのかね。
いわく、「新聞は死亡広告から読むのが正しい読み方だ」「仏文学者、辰野隆先生の名前はユタカが正しい」「アルファベットのNやMは左右の縦棒を先に書くのが正しい筆順だよ」。
蘊蓄満載。貴族趣味。それでもちっともイヤ味を感じさせないのは、解説にもある通り、「芸」ですな。つくづくと、惜しい方をなくしたものです。彼が逝って、もう8年以上が過ぎましたか……。
訃報を聞く
2006/02/22 20:34 格納先: Personal
そう遠くない日に訃報を聞く事になるだろうと、覚悟はしていたのです。朝、新聞を開くと、かすかに不吉な予感を抱きながら社会面に目をやる朝が続いてもいたのです。
しかし不覚でした。それは突然やってきました。まだエアポケットから完全には抜け出せずにいたぼくの前に、茨木のり子さん逝去の記事が。
角田光代さんは、「歳月を経る」とは出会うこと、と教えてくれました。然り──されどまた、歳月を経るとは、失うことでもあったのです。
当然のことなのでした。人生の半ばを過ぎた今、失うことの多い、失う人の多い朝は、止むことがないのです。
昨夜から『茨木のり子集 言の葉』(筑摩書房)を読み返しています。失ってしまった茨木さんと出会うために。そうして、失った歳月を少しでも、出会う歳月とするために。
しかし不覚でした。それは突然やってきました。まだエアポケットから完全には抜け出せずにいたぼくの前に、茨木のり子さん逝去の記事が。
角田光代さんは、「歳月を経る」とは出会うこと、と教えてくれました。然り──されどまた、歳月を経るとは、失うことでもあったのです。
当然のことなのでした。人生の半ばを過ぎた今、失うことの多い、失う人の多い朝は、止むことがないのです。
昨夜から『茨木のり子集 言の葉』(筑摩書房)を読み返しています。失ってしまった茨木さんと出会うために。そうして、失った歳月を少しでも、出会う歳月とするために。
サンタンカ
2006/02/13 08:10 格納先: Personal
サンタンカ(山丹花)とは、アカネ科の植物で熱帯アジア原産。橙赤色で十字型の小さな花をボール状にたくさんつけ、多くの園芸品種がある。
亡くなる2〜3日前、サンタンカを調べて欲しいと頼まれたぼくはその夜にネットで検索し、いくつかのホームページをプリントアウトしました。翌日病院に持っていくと、母は食い入るようにしてそれを読むのです。草花、とくに山野草にはとても詳しい母でしたが、サンタンカは知らなかったようで、「もっと知りたいことがある」と呟いたものでした。
残された日々があといくらも無いことは誰よりも分かっていた母であり、だからこそ、葬儀には大好きな「小さな木の実」(大庭照子)を流すことや、弔辞を誰に頼むかといったことまで自分で決め、ノートに書き残していた母でしたが、最後まで生き方を変えない母でもありました。
命尽きるまで生きること──これが、母が私たちに身をもって教えてくれた、人としての姿勢であったように思います。私もまた、かくありたいと願うのです。
亡くなる2〜3日前、サンタンカを調べて欲しいと頼まれたぼくはその夜にネットで検索し、いくつかのホームページをプリントアウトしました。翌日病院に持っていくと、母は食い入るようにしてそれを読むのです。草花、とくに山野草にはとても詳しい母でしたが、サンタンカは知らなかったようで、「もっと知りたいことがある」と呟いたものでした。
残された日々があといくらも無いことは誰よりも分かっていた母であり、だからこそ、葬儀には大好きな「小さな木の実」(大庭照子)を流すことや、弔辞を誰に頼むかといったことまで自分で決め、ノートに書き残していた母でしたが、最後まで生き方を変えない母でもありました。
命尽きるまで生きること──これが、母が私たちに身をもって教えてくれた、人としての姿勢であったように思います。私もまた、かくありたいと願うのです。