12 月 2008

古典素読会

 自転車こぐ足ふんばりぬ雪起こし  高橋零

 そうそう、子供のころ古典素読会に通ったよなぁ。藩校「致道館」や御隠殿(旧藩主の隠居所。致道博物館の敷地内にある)で開かれていた、漢文をただひたすら読むだけの集まりにね……と、広報「つるおか」1月1日号を読みながら思い出していました。
 座談会記事(「文化の継承/その十三 致道館の教育(前編)」)によると、古典素読会が始まったのは昭和43年頃のようです。ということは、あるいはぼくは素読会のごく最初期の塾生(?)であったのかもしれません。
 それにしても酒井英一さん(財団法人致道博物館学芸部長)のお話、たいへん興味深いものでしたね。酒井さんは映画「たそがれ清兵衛」のワンシーン──清兵衛の長女が囲炉裏端で論語を素読するところ──に触れて、「それをよく聞いたら、『おっ、これは、致道館流の読み方で素読してるな』と」気づかれたらしい。
 

 「子曰(いわ)く、学びて時にこれを習う」と、我々は中学や高校の時習いますが、実は、致道館では「子のたまわく」と、孔子がおっしゃるには、という尊敬の意味を持って読んでいます。


 
 「庄内論語の読み方」なのですね。ぼくもそう習ったし、清兵衛さんチでもそのように読んでいたのです。4回以上も観ながらちっとも気づかなかったぼく。酒井さんは流石でした。

地吹雪

 昨夜愛犬を連れて散歩をしていると、辺りが妙に明るいので驚きました。もう夜なのに、見上げれば空も青空ならぬ濃紺空が広がっています。不思議な夜だなぁと首をひねりましたが、次の瞬間、雪明かりと気づきました。一面の雪に覆われるなんてここしばらくなかったことで、すっかり雪の白さ、明るさを忘れていたのです。
 といって積雪量は(少なくとも庄内地方は)さほどのことはありません。けれども暴風雪は猛烈。ほら、映画「おくりびと」の冒頭、地吹雪の中を車が進んでいくシーンがあるでしょう? あれですよ。
 ぼくはちょうど昨日急な用事ができてしまい、地吹雪の中、羽越線列車脱線事故(2005年12月25日)現場のすぐ脇の道路を通って、酒田市平田まで車を走らせました。あの日の天気を思い出させる昨日今日です。

 今年はとても忙しく、しかしわが家に限っては吉報の多かった一年でした。子供たちの進学は無事決まり彼らには未来が開けているし、また来春ぼくら夫婦はおじいちゃん・おばあちゃんになりそうです。もちろんそれで喜んでいるわけにはいかない。多くの同胞の苦悩が来年ぼく自身の苦悩とならない保証はありません。心身をタフに、とにかく這ってでも生き抜く、強く使い回しのきく自分であり続けないとね。
 さて今日も仕事。ビンボー暇なし。入れ忘れていた炊飯器のスイッチをオンにして、今朝は何を食べようか。

うれしいお葉書

 実家の父を呼び、人並みにクリスマスケーキを分け合って食べた昨日。今年はミルフイユ(ミルフィーユ)というんですか? イチゴがたっぷりのパイ菓子をいただきました。
 悲しいかな、食し方をわきまえぬぼくらは進むにつれお皿の上のミルフイユはカスタードがはみ出し無惨な姿に。調べると「ミルフイユを横に倒し、フォークで上から押さえてナイフを使うと良い」らしい。なるほど。
 ところで、最近二枚続けてうれしいお葉書を頂戴しました。一枚は学生時代の恩師S先生から。個人的に「茨木のり子 六月の会」会報をお送りしているので、その礼状のような形で。大学では近代日本美術史を専攻しましたが、そちらの研究室よりも仏文のS先生の研究室に出入りすることの多いぼくでした。いくつになっても、何年経っても先生は先生。とりあえずへこたれもせず生きているぼくをみていただけるのがうれしい。
 そしてもう一枚、思いがけない方からのお葉書も頂戴しました。そのご著書を読んだことがあり、何冊かは蔵書しているI先生。ぼくのサイトの森有正に関する頁をご覧いただいたらしいのです。ど素人でも地道に続けていれば、どこかに繋がり、広がっていくのですね。いくら勉強をしてもぼくには森有正論は書けません。でも、森有正論に取り組む研究者の方のお手伝い程度なら(たとえば資料をまとめたり年譜を整理したりなど)、あるいはできるかもしれません。──まだまだへこたれずに頑張らなくては。

日本で最も美しい村

 「最も美しい村」運動は、知りませんでした。フランス発のようですが、日本にも「日本で最も美しい村」連合があり、その様子を紹介する本が佐伯剛正さんの『日本で最も美しい村』(岩波書店)。ようやく順番が回り、先日図書館から借りてきたところ。
 いずれも美しい、そして里の伝統が根付いている、生き生きとした村里です。都会へと逃げる人よりも、都会から導かれるようにして人が集まる里のような気がします。
 山形県では大蔵村が加盟していて(近く飯豊町も加わるらしい)、美しい棚田や肘折温泉、東北最古の蔵元・本陣跡のある小屋酒造などが紹介されていました。ぼくも仕事の関係で本陣跡のあたりには時々行くのですが、確かに門からして風格あるたたずまい。前々から豊かさを感じさせる街道筋とみてきました。往時の繁栄を思わせる町並みは県内にはけっこうあって、ぼくがよく通る所では狩川とか左沢などもそうですね。いずれも最上川沿いで、やはり紅花が決め手だったのでしょうか。
 寅さん映画のロケ地に加え、子育てが一段落したら「日本で最も美しい村」々を、のんびりと予定も立てずに尋ね歩きたいものだ、と思い思い著者のプロフィールに眼を通すと、なんと母校(和光大学)の先輩ではありませぬか。小さな無流大学の卒業生の名を見ることは少ないので、フム、これはうれしい。応援しますよ、佐伯さん。

年賀状の季節

 喪中続きだったわが家も、来春は晴れてお正月を祝えそうです。とりあえず必要なのは年賀状の発送。今年は奮発して? 年賀状作成ソフトを購入しました。
 ほとんど年に一回しか出番がないソフトにお金を使うのはもったいないのです。だから今まではフリーのソフトで間に合わせていて、特にOSX標準のアドレスブックのデータを簡単に(個人またはグループを選んでドラッグ&ドロップするだけ!)利用できる「葉書AB」というソフトは重宝でした。
 それなのに今回あえてお布施を払ったのは、開発に苦労したらしい(実際昨年はとうとうパージョンアップできなかった)「宛名職人」開発元およびスタッフの労をねぎらうため。もちろんダウンロード版が安価だったこともあるし、機能的にはアドレスブックとのシンクロに惹かれました。
 とはいえ実際に使用してみると不満がいっぱい。もっとシンプルにできないものか? 手順も煩雑だし、これはもう、ユーザインターフェースの専門家をスタッフに加えるべきではないかな。

青春は終わる

 「青春は終わる。いつまでも続くわけじゃないわ」。つい三週間ほど前、私は研究室で四、五人の学生たちと話していました。がっかりした表情を見せる無邪気な学生たちの中でひとり、「ほんとうに?」と小さく聞き返す学生がいました。「ええ、きっと。もう少しよ。あと二、三年か数年か」。にぎやかな学生たちのかげで、彼女がひとりこっそり涙をぬぐったのに私は気がつきました。
 「終わる日が来るんですよね」。その日の夕方、再び研究室にやってきた学生は言いました。私は大きくうなずきました。「ああ、うれしい。なら、わたし、生きられます、ぜったい」。学生はきっぱりと言って、帰っていきました。うれしくなったのは私のほうでした。(清水眞砂子『青春の終わった日』、「あとがき」)

 胸詰まる小さな挿話。……このような人とこそぼくは出会いたい。

最近の音楽ダウンロード

 最近のダウンロード。
 Enyaの「And Winter Came」。心地よいです、やはり。聖にして静なる月=12月にふさわしいニューアルバム。
 ベルント・グレムザーの「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集」。ロマンですなぁ。このアルバム、1〜4番の協奏曲の他に「パガニーニの主題による狂詩曲」も収められいて大満足ですよ。
 沢田研二の「我が窮状」は、ジュリーと呼ばれた男渾身のメッセージソング。朝日で紹介されていて、NHKでも歌ったらしい。「窮状」を「憲法第九条」に引っ掛けているのだけれど、やったね。
 
 この窮状救えるのは静かに通る言葉
 わが窮状守りきりたい
 許しあい信じよう

 そう、必要なのは「静かに通る言葉」。声高な言葉は世に溢れている。最期に人のこころに届くのは、「静かに通る言葉」。

今日は大黒様のお歳夜(としや)

 今日は「大黒様のお歳夜(としや)」。わが家の食卓にもハタハタと焼き豆腐の田楽、そして納豆汁が並びました。黒豆のご飯やなますはなかったけれど、多少カタチを変えたとしても、長く残していきたい故郷の行事ですね。とりあえず、高橋家風納豆汁の写真を掲載しましょう。

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オジさんは如何にアン・シャーリーを愛してきたか

 オジさんのアン・シャーリー歴は長いのです。小学生のときに憧れを抱いて以来、四〇年にはなりますか。なに、アマい? うーん、そうかもしれません。『Anne of Green Gables』が世に現れて一〇〇年。村岡花子さんによる訳書の出版から数えても五〇年以上経っているわけですから、年季の入った腹心の友はたくさんたくさんいるはず。彼女に恋をしてしまった男たちだって。しかし、それはそれとして。
 自身をギルバートに擬していた小学校時代、アン・シャーリーが誰であったかは(この世にあっては)諸事情もあって思い出せないけれど、ギルバード・ブライスになりきってアンに憧れることができるのは男の子の特権でしょう。どこが好きと言って、アンの向日的な明るさがたまりません。ぼくはといえば三人兄弟の長男。いわゆるおばあちゃんっ子で、親への甘え方、その質量が、そもそも少し不足していたかもしれず、ネクラなのはそのためかも。
 

 あたしがクィーンを出てくるときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。(三八〇頁)


 
 あまりにも有名な終章「道の曲がり角」の一節。ここには、いつも希望を見失わないアンの魅力が凝縮しているかのようです。それは彼女の生きのびていくための知恵でもあるのでしょう。今がどうあれ、その先にあるのはきっといちばんよいものに違いないという、自己暗示にも似た確信。
 幼い時分、家の祖父母、隣近所のおじいちゃん・おばあちゃんとの付き合いの中で、人生の長い道のりと誰も避けることができないらしい悲しみや苦しみをうっすら感じ取っていたぼくには、明日を今日よりも良いと信じることのできるアンの明るさは憧れでしたね。彼女の想像力は魔法の杖です。これ以上に心強い人生の友はないはずです。
 受験生時代はなかなか読書の時間が持てません。心の余裕が、と言い換えても良いかもしれない。でも『赤毛のアン』は、その喪われた心の余裕を取り戻してくれる本でもあるのです。だからぼくは、手探りでいた中学生、高校生の時もアンの世界を求めました。
 

 でもねえ、マリラ。こんなおもしろい世界でそう、いつまでも悲しんじゃいられないわ、ね、そうでしょう?(一八二頁)


 
 アンは苦しみも悲しみも楽しんでしまう術を知っています。これはおしんのような「辛抱」ではないのです。落ち込んでいるぼくを「辛抱して頑張れ」と励ますのではなく、「こうすれば今を楽しめるよ」と教えてくれるのです。アンにかかれば野宿に選んだ桜の木の上も大理石の広間に変貌します。挫折も困難も何のその。どうかすると単なる妄想、現実逃避と決めつけられかねないけれど、やはりこれは、どこにでも希望を見つけてしまうアンの魔法。魔法使い・アンを時に必要とするほど、ぼくの歩みもまた曲がりくねったものだったのですね。──さて。
 五三歳になる今年、NHK教育テレビの語学番組で『赤毛のアン』が教材になることを知りました。その番組はわずか三か月で終わってしまったけれど、視聴をきっかけにネット上のライブラリから『Anne of Green Gables』を一章ずつダウンロードしてバッグに忍ばせています。わずかな時間を見つけて、出先で少しずつ「たどる」のです。原文はけっこう難しいので──なにせ中学生レベルの語学力だから──読み慣れた村岡花子訳『赤毛のアン』との併読になります。原書は想像力で読むのサ。
 成長すれば誰だって、大人社会は子供社会の何倍も非情で、残酷で、苛烈であることがわかります。そのなかで成功する大人の判断基準というものは、「自分の役にたつか、たたないか」だけのようです。学校教育の目指すところとは大いに違うでしょう?
 この誰にでもわかる落差を、容易に飛び超えることのできる人のほうが、むしろぼくには信じられない。けれど容易くはないとしても、多くの大人は少しずつなじんでいくのです。そしてその代償を払うかのように傷つき、時に返り血を浴びて薄汚れていくものなのです。
 

わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ(四三頁)


 
 彼なくしてはアンの世界は成り立たないと確信させる寡黙なマシュウの、マリラを仰天させた一言。この言葉は汚れちまったぼくたちの心をも穿ちます。自分の役に立つかどうかじゃない、自分が誰かの役に立てるかどうか、それこそがまっとうな人間の判断基準であり行動規範だったんだ、と。
 けだし『赤毛のアン』は癒しの書であるのみならず、人生の書でもあったのです。オジさんの愛はまだまだ終わりません。

偉大なる正統派知識人

 かつて冨山房百科文庫の一冊として再刊された『1946・文学的考察』をむさぼるように読んだ時期がありました。そして三人の共著者のうちとりわけて印象深いテキストを書かれたのが加藤周一さんで、何気なく読みすすめていて、いいな、と思って筆者を確かめると、それは決まって加藤さんなのでした。焦土と化した東京を〈よほどきれいになった〉とあえて断言する加藤さんの姿は、ぼくの中では白いブラウスを腕まくりしつつ敗戦の街をのし歩く茨木のり子さんと重なります。
 『1946・文学的考察』で強い印象を受けたぼくはその後加藤さんに傾倒することになります。加藤さんの日本文化論が学生時代に提出した美術関係のレポートの土台になっていました。美術書はかなり読みましたが、当時の美術史家の著作の多くは事実関係の記述に終始していて、思想が、文化論がなかったのです。和漢洋の文化に対する深い知識と教養無くして、近代日本を語ることはできないでしょう。たとえそれが美術というわずか一分野のことであっても。
 偉大なる正統派知識人、ぼくたちの判断の基準となり指針となるべき知の巨人の逝去。もう加藤さんのような方は現れないのかもしれません。しかし一方「痴の虚人」たちはあまた湧き出て一点豪華主義的に騒ぎ立てます。道は険しいのです。せめてぼくは知の小人たるを心がけ、過たず地道に歩いてゆかなければ。先人から受け継いだバトンを今落とすわけにはいかないのです。

清水弟さん!?

 月に一度のお楽しみ、山形県は庄内地方にのみ配布される(と思われる)「朝日hot」を読んでいたら、「朝日新聞記者にインタビュー」欄に鶴岡支局として清水弟さんの名が。き、聞いたことのある名前……お、お、お、あの清水さん!? 「定年後の日々を鶴岡で過ごそうと単身赴任」「パリ特派員として5年の経験あり」。って、『フランスの憂鬱』(岩波新書)を書いた清水さんじゃない。驚きました。オーモノ過ぎる。地方の支局記者は新人の研修場所とばかり思っていたのに。
 いつかどこかでお目にかかりたいもの、お話を伺いたいものです。黒川能パリ公演の一件でフランスとも繋がりがきたことだし、一記者という立場を超えて、鶴岡にとって貴重な存在となりそうですね。うれしい発見。

嗚呼、ドストエフスキー

 森有正の『ドストエーフスキー覚書』を読んでいたらどうしてもドストエフスキーそのものを読みたくなり、「本は買わない。図書館で借りる」と決めていたはずなのに買ってしまいました、亀山郁夫新訳の『カラマーゾフの兄弟』を。
 ドストエフスキーを読むなんて大学生以来のこと。今のぼくに読めるのか。気力が持つのか。体力は、根気は、知力は、お目めの具合、懐の具合は。……ガンバリマス。
 著者(もちろんドストエフスキーのことだが)曰く、「今のご時世、人々に明快さを求めるほうが、かえっておかしいというべきなのだろう」。闇なのだ、人のこころは、行動は。なぜ? どうして? そんな分析、そんな解析の試みがいかほどの意味を持つのか。なぜ人は明快な理由づけを求めたがるのか
 「それがどんな悪党でも、わたしたちが一概にこうと決めつけるよりはるかに素朴で純真である」。そうして素朴で純真なものほど始末に負えないものはないのだ。悪党はあくまでも悪賢く、狡獪かつ残忍でなければならないのだから。高貴なる混沌。この、ひとのもつ魂の謎を、今の時代だからこそもう一度覗いてみたいと思ったわけだ。疲弊したぼくではあるけれど、亀山さんの訳なら否応無く引っ張っていってくれそうな気がして。