12 月 2005

1973年5月26日のCD

 1973年5月26日の東京文化会館に、ぼくもいました。初来日した旧ソ連の指揮者、エフゲニー・ムラヴィンスキーのショスタコーヴィッチを聴くために。当夜の演奏が、なんとCDになっていたのですね。それだけでなく8枚組のボックスセットまで発売され、それはリハーサルの模様までもが含まれた、初来日時の演奏の完全復刻版なのだとか。
 お金に余裕があれば買いたいものですが、それは到底無理なので、ぼくはショスタコーヴィッチの5番のみを購入。そうそう、この音、この演奏ですよ。出だしから背筋がぞくぞくするような。一糸乱れぬのはレニングラード・フィルのみではない。聴衆もまた。
 ああ、あの日のぼくが、ここにいる! 演奏終了直後から放たれたブラボーと嵐のような拍手。あの、何千分の一かが、若き日のぼくです。それを思い、それを感じると、50男の胸に熱いものがこみ上げてきます。年の暮れに、いい音を聴かせていただきました。

Presentsを受け取る

 25日に近くで起きた列車事故(特急いなほ14号の脱線)には驚きました。天災人災ともに少ない土地がらと思い込んでいただけに、なおさら。「いなほ」は時にぼくや家族も乗ることがある列車です。事故とか死を、身近に感じてしまいました。人間はしょせん皆死刑囚とは承知していても、その突然の、そして非情・無残な執行には、暗澹とせざるを得ません。人の世とは、このようなものなのでしょうか。
 さて。
 最近の愉しみは、夜、ベッドの中で本を読みながら少しの時間を過ごすこと。枕元にあるのは角田光代さんの『Presents』。深夜にふさわしい作品です。
 『エコノミカル・パレス』からいきなり『Presents』では拍子抜けしたかもしれない。最初から『Presents』では底を感じることができず、物足りないと思ったかもしれない。またはじめに手にした作品が『エコノミカル・パレス』だったら、おそらく読み切ることすらできなかったろう。ぼくは人生の後半を、角田さんとは無縁に過ごすことになったかもしれない。
 はじめて触れた角田さんの著書が『対岸の彼女』でよかった。この幸運のおかげで、ぼくは、『Presents』を受け取ることができる。

「常識」10刷

 『いまどきの「常識」』(香山リカ)、好評既刊たちまち10刷──と、今朝の新聞広告にありました。岩波新書の9月新刊です。ふむ。10刷がどれほどのものかは分からないけど、まっとうな「常識」が流行らなくなってしまい、勇ましく過激な「常識」がそれに替わって抵抗もなく受け入れられる時代の中での10刷。小さく手をたたいても良いよね?

乗り越えられない、乗り越えてはいけない過去というのもあるのだ。


という、文字通りの「常識」に、ぼくたちはいつ気付くことができるんだろう。

Appleのサポート

 いやー、一昨日の夜、「iPod shuffle」が頓死してしまってネ。就寝時、ベッドの中でいつものように聴いていたら、急に音が途切れて、以降はまったく無反応。最初はガス欠かと思ったんだけど。
 翌朝(つまり昨日)、充電しようとiBookに接続するも認識せず。重症と悟りました。で、すぐにAppleのホームページから修理を依頼。
 代替品の到着が今日。早い! そういう時代なんだ。Appleのサポートが第1位の評価を得たというニュースは聞いた事があるけど、確かにこれは、商品そのもの以上に「品質」だね。
 感心すると同時に、ぼくも小なりとはいえ商売の会社に勤めているから、教えられました。ぼく自身が感心することを、感動することを、他人にもしてあげないと。

NAXOS

 先日、ついでがあって新しくできた郊外型書店に立ち寄ったんです。角田さんの新著『Presents』を買い、店内をふらつくとNAXOSというレーベルのCDが一画を占めています。見ると名前も知らない、あるいは名前しか知らない作曲家の作品がたくさん。また在庫はなかったものの、リストには日本人の作曲家たちの名前もあって、それで思い当たりました。以前、何かの理由で芥川也寸志さんのCDを検索して、「日本作曲家選輯」というCDのシリーズに入っているのを見つけたことがあったのを。そのシリーズを出しているのがNAXOSだったんですね。
 結局その日はカタログをもらってきただけで何も買わなかったのですが、昨日、自宅でiTMSにアクセスして諸井三郎さんの作品集をダウンロードしました。「日本のブルックナー」と形容する人もいるようで、そそられたんですよ。なるほど交響曲第3番などはブルックナーを思わせる雰囲気があり、またショスタコーヴィッチ風なところ、シベリウスの響きもあるような。
 美術作品なら日本の近・現代のものでも美術館で気軽に鑑賞できるのに、音楽作品となるとめったに接する機会がありません。その意味ではNAXOSの仕事は貴重ですね。値段も廉価で、気軽に……とはいわないまでも、なんとかコレクションすることができそうです。

スローバラードがたまらない

 忌野清志郎さんの「スローバラード」を聴かなきゃと、思ってたんです。『これからはあるくのだ』(角田光代)を読んでからずっと。で、iTMSで忌野清志郎を検索したのだが、そんな曲はリストアップされていない。??? で、曲名で検索すると、あるじゃないですか、RCサクセションで。──あ、そっか。彼はあのグループのメンバーだったんだ。バカなワタシ。
 試聴一番、あ!あの曲か! 記憶の底から起き上がってきました。確かに良い曲。そして購入の上あらためて聞き直すと、「泣きそうに」まではならないにしても、清志郎さんの声はもちろん編曲も痛切きわまりなくて、誰にとっても人生のある時期の記念碑のような歌だな、あるいは墓標かもしれない……と思うのでした。
 昨日などは朝から晩まで、車での移動の途中、ベッドにはいってからも繰り返し聴いてましたよ。今日も1日聴き続けるな、きっと。

スピーカー

 ピッタリフィット。首から下げて使える! に魅せられて「iPod Shuffle 専用ポータブルスピーカー」(グリーンハウス)を予約購入したんですが、ちょっとぶ厚かったね。それに、単4電池が2本も入ってるんで重さも感じるし。失敗したかも……。
 ただ、音は思ったより良いのです。ステレオじゃないけど。けっこう音量を上げても音割れしません。今のところ車の中と、夜就寝前にベッドで聴いています。iPod関連のアクセサリーはとても多いので、うっかり買い足したりすると本体価格以上になってしまいます。気をつけなければ。

カルミナ・ブラーナ

 びっくり仰天の「第10回鶴岡江戸川友好交流演奏会」(12月4日、於鶴岡市文化会館)。プロは指揮者(船橋洋介さん)とソリスト三人だけなのに、ショスタコーヴィッチ「祝典序曲 Op.96」とオルフの大作「カルミナ・ブラーナ」を迫力満点、あんなに見事に演奏しきるなんて。脱帽です。
 「祝典序曲」はひたすら疾走。うまいワ、東京音大のオーケストラ。ショスタコにすれば体制迎合、妥協の産物かもしれないけど、ぼくなどには正直、それらの方がはるかに聴きやすく面白い。最後は前方のステージと背後からの挟み撃ちで金管が鳴り響き、もみくちゃにされてネ。興奮の一曲。
 「カルミナ・ブラーナ」のスケールもまた凄い。比類なきエンターテイメント曲。打楽器はガンガン鳴るし、音を出しきるということが、どれほど心身を打ち震わすかを、思い知らされました。また異教的・東洋的な響きも聴こえてワールドワイド、何でもアリというか、飽きるヒマのない超大作でしたよ。あまりの感動に自宅に戻ってからiTMSにアクセスしたりして。
 とにもかくにも久々、ナマの音楽鑑賞。関係者の皆様に感謝。とりわけ船橋さんに感謝。全身全霊をこめた躍動する指揮ぶりがまことに感動的でした。オフィシャルサイトを覗くと、休む暇など無い忙しさのようですね。また来年を楽しみにしています

文化っていったい……

文化っていったいなんなんでしょう?



と、荻窪圭さんがご自身のサイトで嘆いていらっしゃいました。

ああ、東京に比べて大阪は古い建物や街並みが残ってて、それが関西の新旧ないまぜになったよさだと思っていたのになあ。これで東京に乱立してる「最新型オフィスビル」みたいなのができたら目も当てられませんわ。ロンドンのリバティ、ニューヨークのメイシーズ。どっちも創業時そのままのビルでちゃんと百貨店が営まれていて、その風情がとてもよかったのだが、日本ではますますのぞむべくもなし。



 古いものをあっさりと捨て去る現実があるなら(事実そうなのだが)、それこそがおそらく、日本の文化なのでしょう。その証拠は今だけでなく、過去にもいっぱい見いだせるじゃありませんか。二十年ごとに遷宮する伊勢神宮然り、文明開化の断髪然り、排仏毀釈然り、敗戦直後の美術品海外流出然り。歴史に詳しければ、過去に遡ってそれこそ盛りだくさんの例証を開陳できるはず。新しモン好きが日本人、日本の文化なんでしょう。
 しかし一方、根無し草では寂しいから、対外的にみっともないから、自分たちの寄って立つ堅固な精神的支柱、倫理規範を探し求める心もある。新渡戸稲造はそれを武士道に求めたようですが、人口比で言えば6〜7パーセントほどにしかならないという武士階級の規範? を日本人全体の規範にしてしまったのはいかにもヘン。いまだに尾を引く、成り上がり文明国家の焦りが見て取れる気がします。