劇場....の時代?

 劇場政治に加えて、劇場ボランティアですか……。たまたま「24時間テレビ愛は地球を救う」を覗き見てしまったのですが、素直に踊れなくてね、ぼくは。何でもかんでもショーにしてしまうのが、今の日本のようです。
 誠実な言葉、謙虚な姿勢が、政治家は言うに及ばず、文化人と称される人たちから消えさって久しい。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの社会では、個々人や小さなグループの地道な活動とその成果よりも、イベントとしての正否、動員力・集金力の多少こそが問われるのかもしれません。

 ……と、気を取り直して。先日通りかかった象潟の空と海があんまり青かったので、パチリ。

kisakata

キップをなくして

 「子供たちの冒険、心躍る鉄道ファンタジー」という、帯に書かれた惹句が適切であったかどうか。心躍るよりも、心はむしろ深く静かに沈潜するように思われます。そもそも活躍するのは子供たちだけれど、読者は大人こそがふさわしい小説ではありませんか?
 最近の池澤さんの小説には、なにか人智を超えた存在への志向、あるいは思慕が感じられるような気がするのだけれど。『キップをなくして』(角川書店)でいえば、駅長さんやグランマがそれに相当するでしょうか。神ではないけれども神に近い存在。
 天国からミンちゃんを迎えに来たグランマの語る死後の世界、「人が向こう側に行くとどうなるか」「人が死ぬとどうなるか」の説明は、つい最近読んだ、柳澤桂子さんの心訳般若心経『生きて死ぬ智慧』を想起させるもので、科学の時代の子にも説得力は十分。納得して、心の平安を得たい、ぼくたちの期待に応えてくれるところが嬉しいですね。

 さて、富山は「おわら風の盆」を前に、観光客を迎える体制が整っているようでした。駅前のギャラリーでは写真展も開かれていて、ぼくも覗いたのですが、その折に買い求めた来年のカレンダーをご紹介します。

kazenobon

富山で音楽三昧?

 富山で音楽三昧? の一日になりました。
 まず、もっぱら涼を求めて立ち寄った富山医科薬科大学付属病院で、思いがけず「杉谷の森合奏団」による病院コンサートを聴くことに。構成メンバーは病院および大学関係者(現役の学生を含む)で、聴衆は入院患者や見舞い客、そしてたまたま立ち寄ったぼくたちのような者。バスの時間も気になったけれど、とにかく珍しく、また楽しかったので、結局最後まで聴く仕儀となって、富山駅までタクシーを使うハメになっちゃった。
 みんな楽しそうで、良い演奏会でしたね。クラシックの曲となると、さすがに厚みが不足していましたが、ポピュラー曲は絶好調。編曲も自前というのにプロ並の巧みさでしたよ。

sugitani

 夜は松川べりで「リバーフェスタとやま2005」を観覧。茶屋でコーヒーを飲みながら、対岸の「リバー劇場」で繰り広げられる邦楽やハワイアンのライブを楽しみました。今年始めて味わう、夏らしい夜になりましたね。

hawaii

 富山って、派手なところはないけれど、なかなか味わい深い街です。

be on Saturday

 今日の「be on Saturday」(朝日新聞朝刊別冊)「愛の旅人」は鶴岡編。プロというのはたいしたものです。城下町といいながら、また海坂藩のモデルになったと言われながら、その面影をあまり残していない鶴岡なのに、冒頭の写真は見事に海坂ですね。
 近年、鶴岡市内では地図を片手の中高年のカップル、あるいは女性たちのグループなどをよく見かけます。藤沢周平の世界に魅せられ、その面影を求めての旅なのでしょう。ほほ笑ましく、ありがたく、また誇らしくも感じながら、一方、旅人に失望感を与えなければいいがと案じたりもします。現実の鶴岡には、歴史的なスポットはあるし、気風もあるけれども、歴史的な街並みはないからです。

ぼくも驚いた

 いわゆる勝ち組と負け組とではお盆休みの日数が違うというのですが、わずか3日間のぼくなどはどう言えばいいんでしょうねぇ。番外地ですか?
 気を取り直して……。特別なこともなく過ぎ去った旧盆。帰省している長男と一緒にあるショッピングセンターに行った折、献血車を目ざとく見つけた彼が献血すると言い出したので、400ml献血に付き合いました。大学生になり、一人暮らしを始め、少し社会に対する意識も変わってきたというか、何かで役に立とうという気持ちも出てきたようで、親としてはちょっとびっくり、ちょっと嬉しい。
 さて。

政治家になりたい。なってもいい。そう思っている人がこんなにいるとは。そう驚いた人が多いのではないか。(「朝日新聞」社説、8月19日付)


 ぼくも驚いた。出すほうも出すほうなら、出るほうも出るほう。ナントカにつける薬はありませぬ──と、冷ややかに見ているだけでは済まないのだが。郵政民営化のみならず、ゆくゆくは憲法改正にまで手が伸びていく、その役者選びだからね。

カジュアルなファシズム

 この連載の中で、ぼくはなるべく日本とフランスの比較をするまいと思っている。…… しかし、ここではどうしても去年の4月、日本人のNGO活動家3名が武装勢力に拘束されたいわゆる人質事件と、今回のフロランスとフセインの場合を比べないわけにはいかない。


と、フランスに滞在する作家・池澤夏樹さんは、メールマガジン「異国の客」最新号で書いています。日本人の活動家たちは結局解放されたけれども、彼らがイラクの敵ではなく友人であることを必死に訴えたのはNGOのネットワークでした。政府によるメディアコントロールが利いたのか、日本社会はむしろ彼らの自己責任を問い、猛烈なバッシングを浴びせたのです(露骨な誘導でコントロールの利かない者を抹殺するのが小泉流でしょうか)。
 一方、フランスの人質たち(フロランスはフランス人の記者、フセインはイラク人の助手兼運転手)はメディアや大衆の支持を得、政府も動き、無事に解放されています。帰国に際しては大統領が飛行場に出迎えまでして! この差は一体、何なのか。人質となった三人が、市民ボランティアという、ぼくたちの隣人であることが災いしたのか。

 市民ボランティアの場合は、原理的には門戸は誰にも開かれている。 自分たちにも、その意思があれば、できないはずのことではない。 しかし普通の人はそれをしないし、しないことが実は負い目になる。 活動家と大衆はいわば市民という同じ地平に立つ者であって、だから彼らに共感するか反発するか、分かれ目は微妙なのだ。

 いずれにしても、

とても不気味で、おぞましいもの、カジュアルなファシズムのようなもの。日本という閉鎖空間は深いところで病んでいるように思われる。

何だかひどいことに

 何だか政治の世界はひどいことになっているようですね。
 大切かもしれないけど、かといって最優先の政治課題とも言えないような法案への賛否のみを踏み絵にして敵味方を選別する。味方でなければ敵。勝つか負けるか。小泉・日本はブッシュ・アメリカと同じ性癖を持っていますね。
 そうしてドンパチが始まり、国民はK-1でも観戦するかのように喚声を上げるのでしょうか。まったく次元の違う話のようでも、抵抗する術を持たない路上生活者をいじめる若者の姿は、現代日本をある意味象徴しているのです。勝つものが正しい、強いものが正しい社会の陰画なのです。
 ただし、これは日本ではなくアメリカでのことだけれど、心に一点の明かりが灯る話題がひとつ。イラクで息子さんを亡くしたシンディ・シーハンさんが、大統領への面会を求めて座り込みを続けているといいます。「なぜ戦争を始めたのかを問いたい」。
 小さな勇気と理性を絶やしてはいけないのでしょう。倦まず弛まず、力あるものに事の是非・事の真偽を質し続けることが必要です。

始まっ寅

 遅ればせながら、先日の散歩の折に撮影した裏山(大山公園)の写真を掲載。城趾の雰囲気があって、大好きなスポットです。

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 さて。
 BS2での寅さんシリーズの一挙放映、ついに始まりましたね。あらためて見てみると、やっぱり最初の頃の寅さんには勢いがある。泣いたり笑ったり、感情豊ですね。やんちゃで、思いも一途なら振られ方もキツくって、時代の若さと寅さんの若さが平行している感じ。
 また、妹の「さくら」と寅の距離が近いように思いました。恋人のような雰囲気で。二人の若さということもあるけれど、後の作品ほどマドンナの役割は大きくなくて、むしろ「さくら」こそが寅さんのマドンナ、そして映画館に詰めかける人々にとってのマドンナだったのかもしれません。

Def Teck

 Def Techがスゴイ。
 iTMSでシングルの売上トップを走るDef Tech。何これ? と思って試聴すると、イントロからしてもう音楽性たっぷり。驚きました。
 歌なんだかお喋りなんだか分からないのはラップって言うんですか? iTMSではレゲエにジャンル分けされてるけど、何がレゲエなんだか、ぼくはイマの音楽に疎くてよく分からないんだけど、よく聴かされるこの種の小うるさい音楽にはろくなものがないように感じられて食わず嫌いになってますけどね。
 どのようなジャンルであろうとも、基本はまず「音楽になっている」ことです。次いでメッセージ性かな。若ければ若いほど、既成の社会、今の時代に対する問題意識は強いはず。なのに、今どきの若いモンの曲は薄っぺらすぎる! と憤っていたのが、彼らは違う。「かなり聞きほれました。すべての曲にメッセージが入っていることを受け取った気がします」と、あるBlogにも書き込まれていて、──御意。逆に教えられましたよ。ぼくがダウンロードした"Canción de la expansión"は「収益の全てをDef Techはユニセフを通じて子供たちに寄付」するというドネーション・ソング。

Def Tech からのメッセージ:毎年、1,100万人のこども達が5歳の誕生日を迎える前に命を落としている事実。この1曲が、3種類のワクチンとして1人のこどもを救います。「観念」ではなく「実践」で、みんなの思いが広がっていくことを願って。あなたの力を貸してください。



 観念という勇気ではなく、実践という経験……か。ただ者じゃないね、彼らは。そしてそんな彼らを支える今どきの若いモンは。

懐メロ

 ついにオープンしたiTMSに関する話題を拾い読みすると、とりあえず懐メロを買った、という人が多いみたいですね。「Today'sトップソング」では「愛のメモリー」が5位に入ってたりします。
 ぼくが買ったのも、まあ懐メロの部類です。一昨日は「Goodbye Yesterday」と「はじまりはいつも雨」をポチッと。大のオトナが(オジサンが)、街のCDショップでは恥ずかしくて買えない曲を、一曲単位で気軽に買えるのがうれしい。
 あるミュージシャンがダウンロード販売について、音楽から遠ざかってしまった大人たちにまた戻ってきてもらえたら嬉しい、というようなことを語っていましたが、要するにそういうことなのだと思います。
 自宅のパソコンからクリックひとつで、ホンのちょっとしたきっかけ、わずかな興味から音楽という「時」を手にする。そこから覚醒して、セピア色した記憶のアーカイブから立ち上がってくるものはなにか。
 一時の感傷にすぎないかもしれないけれど、もちろんそれが未知の何かをともなうこともあるわけで、立ち止まり過去を立ち返るだけではなく、世界が拡がることだってありますよね。
 さて、ぼくたちは今、いながらにして時代と世界を検索し、ブラウズできるインターネットを享受しているわけだけれど、一方ではセクト間の争いが絶えない。「知る」ことが「識る」ことになっていないのです。あるいは「知る」ことが富と権力に直結して偏在化している。そう考えると、無邪気に愉しんでばかりはいられません。

オープン初日のお買い物

 マドレデウスのアルバム「O Paraiso」、荒井由実「あの日に帰りたい」、大塚博堂「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」、中森明菜&来生たかお「セカンド・ラブ」。昨日のiTMSオープン初日のお買い物です。
 じつは、マドレデウスはお昼休みに職場で使っているパソコンでうっかりダウンロードしてしまったんですね。マイパソコンのライブラリに入れるにはどうしたらいいだろう……と一瞬悩んだけど、なに、iTunesでCDを作成して自宅に持ち帰り、自分のiBookのiTunesライブラリに簡単に追加できたのです。アルバムに関する情報も全て自動で取得できるし、これはもう本当に便利です。
 iTunesで楽曲を再生中に歌詞を表示するアプリケーションもあって、何も不便なことはありません。ただあまりに簡単・便利なのでついつい買い物をしすぎそうになることと、100万曲の品揃えといってもまだまだ見つからない曲があることでしょう。今後の充実に期待しましょう。
 iPodが欲しいなぁ。我が子がうらやましい……。

Xデー?

 今日は8月4日。噂のXデーじゃないですか。お昼休みにしっかりチェックしなければ。iTMSがどのくらいの品揃えでスタートするのか、楽しみですね。暑い(熱い)一日になりそうです。

「お客様」というキーワード

 映画「幸せの黄色いハンカチ」の中で、北海道の炭鉱町にある生協でレジ係として働くヒロイン・光枝(倍賞千恵子)の接客はどちらかといえば無愛想で、事務的なものでした。まあ、もともと生協という組織は消費者が自分たちのために作った組織であって、ショップのスタッフとその利用者(組合員)は仲間のようなものだから、昔はあれで良かったのでしょう。
 しかし今では到底通用しません。日本全国どこへ行っても(一般のショッピングセンターでも生協でも農協でも)、また誰が行っても(子供であれお年寄りであれ)、消費者はお客様でありすなわち神様です。「現代日本は先進『お客様』社会となっている」(森真一『日本はなぜ諍いの多い国になったか』、中公新書ラクレ)。
 生まれ落ちてから死ぬまで「お客様」として扱われ、それに慣れきってしまっているぼくたちにとって大切なのは、神様としてのプライド、自尊心です。
 しかし自明なように、ぼくたちはそもそもが神様なんかじゃない。神様としての自分は、じつは社員や店員の態度によってのみ支えられているにすぎないのです。だからこそ、「店員の接客態度にかえって敏感になってしまい、ちょっとしたことが自分を馬鹿にする態度に思えてしまう」。
 些細な行き違いでフツーのお客様が急に人が変わったように怒り出す、すなわちキレてしまうのは、自分の神聖を傷つけるものに対する激しい攻撃にほかならないのです。