突然の訃報

 あまりにも突然の訃報でした。ユー企画代表の蒔村由美子さんが急逝されました。
 蒔村さんは一昨年の「茨木のり子追悼公演」でプロデュースと総合司会をされ、また昨年の「六月に詩う」では、茨木さんの詩の朗読とお話をして下さいました。ガラス戸越しに映える緑の木々を背景にして、隅々まで神経が張りつめよく通る蒔村さんのお声とその姿が印象的で、ぼくの脳裏を去りません。夜の懇親会の席上でもとても朗らかで、翌朝早くホテルを出て秋田経由で岩手に廻る強行日程というのに、最後まで楽しくおつきあい下さった蒔村さん。
 遅まきながら彼女のブログを訪れると、最後の更新は2月。「大変な大変な2月3月を何としても乗り切りましょう!」とあります。大変な、とは、もちろん闘病生活を暗示していたものでしょう。早く気づくべきでした。

単純に

 アルヴォ ペルトの「Spiegel im Spiegel for Violin and Piano(鏡の中の鏡)」には、ただただ驚き陶然とする他ありません。単純に音階を上下するだけのバイオリンはしかし決して単純ではなく、単純なリズムをきざむピアノはしかし決して単調ではない。このような音楽もあるのだ。いや、余計なものをはぎ取っていけば、音楽はこのようになるのだ。
 といって、似たような音楽が他にないわけではないのです。ぼくが年末になると聴きたくなるグレゴリオ聖歌がそうだし、バッハにだってあるでしょう。日本でも、例えば宗派にもよるけれど読経に同じような感動を味わうことがある。雅楽だってそう。純粋なるものは普遍なるものだね。

予定の入っていない日曜日

 昨日は久々に予定の入っていなかった一日。ベッドサイドには読みかけの本が積み重なっている。『森有正全集 8』『リリー、モーツァルトを弾いてください』『最後のロマンティーク 三島由紀夫』『戦没画家 靉光の生涯』「江古田文学 No.66」などなど。こんな日はこれらの宿題に取り組まなければならないのだが、でもその前に、国立国会図書館から取り寄せた資料の整理をしよーっと。
 萩原俊治さんの「森有正の『経験』」、細谷昌志さんの「森有正論」。そして二宮正之さんの「グローバライゼイションに対する森有正の思想」。それぞれのフォーカスに感心しながら、待てよ、森の芸術論を真正面から取り上げたものは?……と気づく。宗教・哲学・思想・文学・言語等々、様々な切り口から、またそれぞれの研究者から彼は語られるけれども、音楽や美術の分野でその専門家から論及されたことは、なかったような気がします。
 家にいるばかりではもったいないので、午前中お隣酒田市の酒田市総合文化センターをたずね、「山根基世講演会」ポスターの掲示をお願いしました。そして夕方は、思いついて動物病院へ。狂犬病の予防接種の為だけど、早朝の散歩で気づいた愛犬の「できもの」をついでに見てもらったら、「ダニ」とのこと。すぐに取ってもらいましたが、油断できませんね。自然が豊かなところを日頃散歩していると、いらないものまで貰ってしまうようです。ところで。
 アルヴォ ペルト(Arvo Part)って、凄い。エストニア生まれの作曲家というのですが、「Cantus in memoriam Benjamin Britten for String Orchestra and Bell」には驚きました。「100 Best 20th Century Classics」には他にも、ペルトの「Spiegel im Spiegel for Violin and Piano」「Beatus Petronius」が収録されていて、先のhilip Glassとあわせ、プロデューサーの嗜好が伺えるような気がします。いや20世紀音楽の特徴なのかな。ミニマル・ミュージック、すなわち音の動きを最小限に抑えパターン化された音型を反復させる音楽、とか。反復してたなびく感じが、ケルトっぽくない? ペルトやグラスの発見は自分自身の発見でもあったようです。21世紀になってようやく20世紀を発見するのだから、シロウトは怖い。

100 Best 20th Century Classics

 「100 Best 20th Century Classics」なんていうタイトルのアルバムを目にすると、例によって例のごとく、よく耳にする有名曲の聴き所を寄せ集めたものかと思ってしまいますね。しかしこれが、なかなかバカにできない選曲だったのです。あ、なるほど、今わかった。ベスト盤といっても20世紀のそれだもの、バッハやモーツアルトが出てくるわけじゃない。耳新しいアルバムになるわけだ。
 Façadesなんて初めて聞いたような。Philip Glassというアメリカの作曲家の作品「Glassworks」の中の一曲らしい。ぼくにとってはうれしい発見。iTSの手軽さは容易にぼくの狭い世界を拡げてくれます。
 一昨日からある有名タレントの「公然わいせつ容疑」騒動であちらこちら盛り上がっているけれど、騒ぎ過ぎでしょう、どう考えたって。マスコミはいつでも餌食を求めている。政治家もそう。劇場と化した社会では、誰がいつ役者となりまた観客となるのかわからない。そしてプロデューサーが誰なのかも。

楽しすぎる

 こ、これは……楽しすぎるでしょう、iPhone。

 『LE GUIDE VERT; JAPON』に誤植を発見。418頁、「Taira-no-Masakado」が「Tairo-no-Masakado」になっている。

気比神社

kibi

 昨日、仕事のついでというわけで、三瀬にある気比神社の境内を散策しました。
 気比神社は716年の創建とか。しかしこの神社が地元の人はもとよりぼくたちにとっても価値があるのは、国の特別天然記念物にも指定された社叢(神社の森)を有しているからでしょう。ほとんど手つかずの原生林と言われ、ブナ、ケヤキ、イタヤカエデの天然林がよく保存されていると言います。
 上の写真にみえる石段をたどると、うっそうとしたブナ林に囲まれクロサンショウウオが生息する気比台の池に辿り着きます。ぼくは一度だけ、一人で行ったことがありましたね。ここにもまた、海坂の原風景があります。

桜咲く週末

 絶好の花見日和になりましたね。お天気は晴れ上がり、桜は満開を維持。スバラシイ。
 鶴岡公園では早朝、桜の下で映画「花のあと」のロケが行われている様子。帰宅時に側を通ると露店がいっぱい建ち並び、鶴岡のどこにこんなに人がいたのか? と思うほどの人混み。良い週末になりました。 
 さて、昨夜はツンドク状態のベッドサイドに新たにミシュランのグリーンガイド(『LE GUIDE VERT; JAPON』)が加わりました。面倒なのでわからない単語は気にせずに読んでみると、なにせ地元の情報なのでありがたいことにおおよそのことは感じ取れます。日々進行中の老眼とバカの壁に悩まされているけれど、せめて鶴岡の項だけは
把握しておきたいものだ。もっとも、それが何かの役に立つというわけでもないのだけれど。

ミシュランガイド

 ミーハー高橋はミシュランの旅行ガイドを買いました。『LE GUIDE VERT; JAPON』。紀伊国屋書店BookWebで、(今購入なら)3,612円也。
 鶴岡に関する情報は416頁から421頁にかけて記載。見出しは「Tsuruoka et ses environs/鶴岡」で、「鶴岡とその周辺」ということでしょう。417頁は写真になっています。
 残念なことに鶴岡の写真はありません。松島や白神山地の写真になっています。そもそも日本の観光ガイドとは違って、ミシュランのそれはテキスト中心なのですね。ミシュランで有名になった東京の高尾山だって記載はわずか本文16行、写真無しです。
 ぼくの語学力では辞書をひき引き、結構な時間と根気を費やして取り組むしかありませんが、「修験道と山伏」というコラムがあったりして、記述はなかなか充実している印象。楽しみですね。お、ぼくも昔泊まったことのある羽黒山斎館や、近頃有名なイタリアンレストラン「アル・ケッチャーノ」も紹介されているぞ。

今日も山形

tsubaki

 触れしごと枝離れけり落椿  高橋零

 今日を入れて、四月に入ってから計五回の山形行き。日曜もフル稼働しているので、どうも疲れが抜けません。とはいえ、子供の学校関係の用事もほぼ終わりました。あと残っていることと言えば、甥の結婚披露宴のためのスライド作り、そして山根さん講演会のための資料作りでしょうか。ツンドク状態の本もなんとかしないとね。
 午後は長井に廻って二週めの初孫の顔を見、ついでに市立図書館にも立ち寄りました。講演会のリーフを置かせていただくことになりましたので、お近くの方はどうぞ。

山根基世さんの講演会

 山根基世さんをお招きしての講演会「山根基世氏 茨木のり子さんを語る」が鶴岡市で開催されます。

 主催:茨木のり子 六月の会
 日時:6月13日(土) 午後2時
 会場:鶴翔会館(鶴岡南高等学校内)
 入場整理券(資料代):500円

 故人を描いて美しい文章と言えば、ぼくは森有正最後の日々を二宮正之さんが敬愛を込めて綴った「詩人が言葉をうしなうとき」を真っ先に思い浮かべるのですが、山根さんが文庫版『倚りかからず』の解説として書かれた一文もまたこの上なく美しいものでした。山根さんは茨木さんを親しく、そして的確に語れる方です。
 講演会では茨木さんに関するお話のほか、その詩作品をいくつか選び、朗読してくださるはずです。詳しくは「
茨木のり子 六月の会」ホームページをご覧下さい。リーフレットをダウンロードすることが出来ます。

入学式

 知性に呼びかける話は静かな声で語られ、感情に訴える話は大きな声で語られる。以前からそんな気がしていましたが、昨日行われた、東北芸術工科大学の入学式もそのようでした。
 大学院長・赤坂憲雄先生のお話はさすがです。抽象的で壮大なお題目ではなく、自らの体験から静かにお話をされました。今ここでその内容を紹介することはできませんが、先生の研究の原点、人間という不可思議な存在への視点のありかを、与えられた教科書でしか学んだことのない新入生たちに教え示してくれたものと思います。つまりは、大学という学問の場の面白さ、存在意義をです。
 大きな声は……まあ、やめておきましょう。そういう人はいるのです。どこにでも。
 入学式に続いて、大学としては珍しくも教員と父兄による短い懇談会があり、これも好印象。ここまで学生に関わっては大変だろうとこちらが心配になるほど「教員」意識の高い先生たち。我が子のみならず、新入生たちの成長におおいに期待したいものだ。

ケーゲルが怖い

 アマゾンからのお知らせメールに触発され、iTSでケーゲルを検索しました。メールにあったショスタコービッチ交響曲集は高くてとても買えない。ヘルベルト・ケーゲル指揮のレコードは昔、徳間ジャパンから(旧東ドイツ)シャルプラッテン・レーベルがリリース(このあたりの事情・経緯がここにアップされています)されていた頃に何枚か求め、愛聴していたことがありましたね。
 iTSには名演として知られるビゼーの「アルルの女」もラインアップされていたけれど、最近ココロが疲れているぼくはワグナーの「Parsifal」をダウンロード。ワグナーって気持ちが広がるでしょう? 「Parsifal」はいささかおどろおどろしいけれど。
 さらに色々チェックしていくと、ケーゲル+ドレスデン・フィルハーモニーによる「アルビノーニのアダージョ」が名演らしく、「Great Romantic Classics」と題したいわゆる「コンピレーション・アルバム」に収められていたのでこちらもゲット。
 いやー、その「アルビノーニのアダージョ」がとんでもない演奏で驚いたのなんの。これは葬送行進曲ですよ。確かにあの曲は切々・惻々。でもねえ、ケーゲルの指揮はそれを遥かに通り越して陰々滅々、まるで死の行進のよう。まちがってますよ、ケーゲルさん。でも凄い。
 冥界の響き、そして終末に轟くのは嗚咽か阿鼻叫喚の煉獄への誘いか。とんでもない演奏で、しばらくは聴き続けることになりそうだ。
 忠実な体制派だったとされる彼はドイツ再統一の直後、1990年に自殺したそうです。彼をそこまで追いつめたのは政治だったのか、あるいは芸術だったのか。諸説あるようだけれど、謎ですね。