俺たち最高
2006/04/27 05:50 格納先: Personal
沢田研二の新曲「俺たち最高」。ガラにもなくダウンロードです。じつはぼく、あんがい彼が好きだったりして。
iTMSが始まって期待してた一人が沢田研二でして。CDを買うほどじゃないけど、聴きたい。「君をのせて」とか、「時の過ぎゆくままに」とか、「コバルトの季節の中で」とか。
正直な話、「俺たち最高」は「TOKIO」の二番煎じっぽいけどね。でもいいなぁ。なんか、元気があるし。
おっと、それから、今日気付いたけど杏里の曲もごそっとアップされてますね。好きな曲が多いです。昔よくカラオケで歌ってました。
iTMSが始まって期待してた一人が沢田研二でして。CDを買うほどじゃないけど、聴きたい。「君をのせて」とか、「時の過ぎゆくままに」とか、「コバルトの季節の中で」とか。
正直な話、「俺たち最高」は「TOKIO」の二番煎じっぽいけどね。でもいいなぁ。なんか、元気があるし。
おっと、それから、今日気付いたけど杏里の曲もごそっとアップされてますね。好きな曲が多いです。昔よくカラオケで歌ってました。
ダ・カーポ
2006/04/26 06:46 格納先: Personal
昨夜のダ・カーポ コンサートで、「野に咲く花のように」を歌ってきました。
彼らのCDやレコードはけっこう持っていて、ぼくのiPodにも入っています。心地よく聴けるのが良いんですね。帰り際にはニューアルバムを買って握手までしてもらうというミーハーぶり。けっこう恥ずかしい。
ヒット曲の「結婚するって本当ですか」や「宗谷岬」を生で聞けたのはうれしかったし、「さらば青春」のような懐かしいフォークソングを何曲か歌ってくれたのも良かった。
ところで、榊原さんがトークの中で、鶴岡は「ゴミひとつ落ちてないきれいな街」と評してくれていて、それがとても印象に残りました。普段ぼくたちは、自分の住む町の良さなんてなかなか気付きません。しかし言われてみると、なるほどぼくたちの街は、ゴミが落ちていない。わが家の裏山の公園でさえも、あまり人気もないところなのにゴミひとつ、空き缶ひとつ、見かけることがありません。
これって胸を張れることなのでは? ぼくの前の営業エリアだった仙台市なんて、公園は雑草が繁茂しコンビニの空弁当が散乱、住宅街の道路だってあちこち犬の糞だらけだったりしてましたよ。
まあ、そんなちょっとした「気付き」もあって、とても楽しくこころ温まる時間を過ごしました。
彼らのCDやレコードはけっこう持っていて、ぼくのiPodにも入っています。心地よく聴けるのが良いんですね。帰り際にはニューアルバムを買って握手までしてもらうというミーハーぶり。けっこう恥ずかしい。
ヒット曲の「結婚するって本当ですか」や「宗谷岬」を生で聞けたのはうれしかったし、「さらば青春」のような懐かしいフォークソングを何曲か歌ってくれたのも良かった。
ところで、榊原さんがトークの中で、鶴岡は「ゴミひとつ落ちてないきれいな街」と評してくれていて、それがとても印象に残りました。普段ぼくたちは、自分の住む町の良さなんてなかなか気付きません。しかし言われてみると、なるほどぼくたちの街は、ゴミが落ちていない。わが家の裏山の公園でさえも、あまり人気もないところなのにゴミひとつ、空き缶ひとつ、見かけることがありません。
これって胸を張れることなのでは? ぼくの前の営業エリアだった仙台市なんて、公園は雑草が繁茂しコンビニの空弁当が散乱、住宅街の道路だってあちこち犬の糞だらけだったりしてましたよ。
まあ、そんなちょっとした「気付き」もあって、とても楽しくこころ温まる時間を過ごしました。
桜花爛漫
2006/04/23 09:16 格納先: Personal
今日にも満開……でしょうか。桜花爛漫。わが家の裏庭・大山公園に春がきました。華やいでいますよ。
お天気にも恵まれたので、朝は愛犬を連れて山に登りました。まだ花見遊山の人影もなく、のんびりとした散歩。ぼくはところどころで写真を撮り、ハナは所用をたします。UPしたのはその写真の一枚。
ところで、偶然に知ったチェン・ミンの奏する「ジュピター」、en-Rayの「あの素晴らしい愛をもう一度」は良かった。サントリー烏龍茶ソングコレクションに収められていて、コマーシャルに使われたものなんでしょうか?
あまりテレビを見ないので知らないんだけど、en-Rayって実力派ですね。声は濁りなく、伸びやかです。めっぽう気持ちいいです。
ようやく
2006/04/21 05:46 格納先: Personal
ようやく芥川也寸志さんのCDを手に入れました。NAXOSの「日本作曲家選輯」。
以前(iTMSで)求めた諸井三郎さんも良かったけど、芥川さんの曲も聞き応え十分。「オーケストラのためのラプソディ」「エローラ交響曲」「交響三章」ですが、ライナーノーツを読んでも選りすぐりの3曲であることがわかります。
芥川さんといえば、やはり生前黒柳徹子さんと一緒にテレビの音楽番組に出演なさっていた頃の印象が強いですね。ダンディという表現がピッタリで、ソフトな印象なんだけど、でも実際の彼はその音楽同様けっこう個性的な、押しの強い、時にワイルドでさえある、ピリカラ人間だったようです。う〜ん、いかにも芸術家。
ついでに? 武満徹さんのCDも買い求めました。NAXOSは一枚1000円だから買いやすいんです。
正直な話、ぼくはまだ武満さんを理解できていません。彼の音楽はなかなか流れないから。でも、何年か前に仕事で出会った人が、彼の曲はとても易しく、分かりやすいといっていたのです。ぼくの印象と180度違っていたので、ぼくはそれからずっと気になっていたんだけど。
それが今回、NAXOS版を聴いて、「そして、それが風であることを知った」や「雨の樹」を聴いて、少なくともその響きの美しさだけは感じ取ることが出来たように思います。理屈抜きに「美しい音」です。スタート台には立てたかな?
以前(iTMSで)求めた諸井三郎さんも良かったけど、芥川さんの曲も聞き応え十分。「オーケストラのためのラプソディ」「エローラ交響曲」「交響三章」ですが、ライナーノーツを読んでも選りすぐりの3曲であることがわかります。
芥川さんといえば、やはり生前黒柳徹子さんと一緒にテレビの音楽番組に出演なさっていた頃の印象が強いですね。ダンディという表現がピッタリで、ソフトな印象なんだけど、でも実際の彼はその音楽同様けっこう個性的な、押しの強い、時にワイルドでさえある、ピリカラ人間だったようです。う〜ん、いかにも芸術家。
ついでに? 武満徹さんのCDも買い求めました。NAXOSは一枚1000円だから買いやすいんです。
正直な話、ぼくはまだ武満さんを理解できていません。彼の音楽はなかなか流れないから。でも、何年か前に仕事で出会った人が、彼の曲はとても易しく、分かりやすいといっていたのです。ぼくの印象と180度違っていたので、ぼくはそれからずっと気になっていたんだけど。
それが今回、NAXOS版を聴いて、「そして、それが風であることを知った」や「雨の樹」を聴いて、少なくともその響きの美しさだけは感じ取ることが出来たように思います。理屈抜きに「美しい音」です。スタート台には立てたかな?
王昭君
2006/04/16 20:02 格納先: Personal
ボッティチェルリを思い出しました。「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」で有名なイタリア・初期ルネサンスの画家、ボッティチェルリです。
今日、市内にある致道博物館に行って庄内地方の文化財の展示を見てきたのです。目当ては善宝寺所蔵の重要文化財「王昭君」(菱田春草作)。王昭君や、付き従う、あるいは見送る侍女たちの薄絹の表現がね、ボッティチェルリを思わせませんか? そしてまた彼女たちの横顔がいかにもルネサンスの絵画に似て、特に手前の列右から二番目の女性の横顔は印象的。
それにしても、これだけの作品が展示されているのに、会場は閑散としています。ぼくたちは敷地内にある小さな食事処で昼食をとったのですが、そこで同席した、東京から観光にやって来たという初老のグループも、館内での展示には無関心のようすです。
食事が終わる頃には、ガラス窓から駐車場を見やると山形ナンバーなども見受けられて、いくらか混み合ってきたかな? すこしホッとしたけれど、でもやっぱり、残念。
今日、市内にある致道博物館に行って庄内地方の文化財の展示を見てきたのです。目当ては善宝寺所蔵の重要文化財「王昭君」(菱田春草作)。王昭君や、付き従う、あるいは見送る侍女たちの薄絹の表現がね、ボッティチェルリを思わせませんか? そしてまた彼女たちの横顔がいかにもルネサンスの絵画に似て、特に手前の列右から二番目の女性の横顔は印象的。
それにしても、これだけの作品が展示されているのに、会場は閑散としています。ぼくたちは敷地内にある小さな食事処で昼食をとったのですが、そこで同席した、東京から観光にやって来たという初老のグループも、館内での展示には無関心のようすです。
食事が終わる頃には、ガラス窓から駐車場を見やると山形ナンバーなども見受けられて、いくらか混み合ってきたかな? すこしホッとしたけれど、でもやっぱり、残念。
りゅうりえんれんの物語
2006/04/13 21:11 格納先: Personal
茨木のり子という詩人は、長編詩「りゅうりえんれんの物語」一篇だけでも、長く歴史に残る人ではないでしょうか。
北朝鮮による日本人拉致事件は連日大きく取り上げられ、また終戦を知らず南洋の島々に30年近く潜んでいた旧日本兵(横井庄一さん、小野田寛夫さん)の話題も時には口の端に上るのに、「りゅうりえんれん」の悲劇が語られることは、ほとんどないようにも思えます。
りゅうりえんれん。戦時下に旧日本軍によって中国山東省から強制連行され、北海道の炭坑労働に従事。のちに脱走して山中に13年間潜み生き延びた、中国の人。
詩集『鎮魂歌』の、実に半分近くを占めるこの長編詩にかける茨木さんの強い思いを、ぼくたちはしっかりと受けとめなければならないのだけれど、思うだけのぼくなどとは違って実際に行動する人たち──「りゅうりえんれん」を詩劇などに仕立てて公演するグループが、あるようです。茨木さんの高い志はこうして受け継がれ、生き続けるのですね。心強いことです。
北朝鮮による日本人拉致事件は連日大きく取り上げられ、また終戦を知らず南洋の島々に30年近く潜んでいた旧日本兵(横井庄一さん、小野田寛夫さん)の話題も時には口の端に上るのに、「りゅうりえんれん」の悲劇が語られることは、ほとんどないようにも思えます。
りゅうりえんれん。戦時下に旧日本軍によって中国山東省から強制連行され、北海道の炭坑労働に従事。のちに脱走して山中に13年間潜み生き延びた、中国の人。
詩集『鎮魂歌』の、実に半分近くを占めるこの長編詩にかける茨木さんの強い思いを、ぼくたちはしっかりと受けとめなければならないのだけれど、思うだけのぼくなどとは違って実際に行動する人たち──「りゅうりえんれん」を詩劇などに仕立てて公演するグループが、あるようです。茨木さんの高い志はこうして受け継がれ、生き続けるのですね。心強いことです。
朔太郎の与謝蕪村
2006/04/11 06:13 格納先: Personal
たまたま聴いていたラジオで、ある先生が萩原朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』を紹介されていました。〈この本から古文に入った〉とも話されていて、がぜん興味を持って、岩波文庫にはいっている同書をget。
君あしたに去りぬ
ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ
岡の辺なんぞかく悲しき
朔太郎が冒頭に指摘する通り、「この詩の作者の名をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だと言っても、人は決して怪しまないだろう」。
懐かしき? 岩波古語辞典なぞを開けばさらに興趣尽きず、たとえば「あした」とは、「夜を中心とした時間の区分のユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最後の部分の名」、昼の区分の最初「アサ」と同じ時間を指すが、「ただ『夜が明けて』という気持ちが常についている点でアサと相違する」。
……となると、「君あしたに去りぬ」もいちだんと情感が深くなりますよねぇ。ただ日付が変わるんじゃなく、「夜が明けて朝になると」、あなたは去ってしまうわけだから。濃密であり、浪漫的ですね。
今さらお粗末ですが、良い本に出会ったと喜んでいます。
君あしたに去りぬ
ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ
岡の辺なんぞかく悲しき
朔太郎が冒頭に指摘する通り、「この詩の作者の名をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だと言っても、人は決して怪しまないだろう」。
懐かしき? 岩波古語辞典なぞを開けばさらに興趣尽きず、たとえば「あした」とは、「夜を中心とした時間の区分のユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最後の部分の名」、昼の区分の最初「アサ」と同じ時間を指すが、「ただ『夜が明けて』という気持ちが常についている点でアサと相違する」。
……となると、「君あしたに去りぬ」もいちだんと情感が深くなりますよねぇ。ただ日付が変わるんじゃなく、「夜が明けて朝になると」、あなたは去ってしまうわけだから。濃密であり、浪漫的ですね。
今さらお粗末ですが、良い本に出会ったと喜んでいます。
埴輪
2006/04/10 21:22 格納先: Personal
ラジオドラマ「埴輪」は、1958年、茨木さん32歳の年にTBSラジオ芸術祭参加ドラマとして放送された作品。名優の誉れ高い滝沢修さんや山本安英さんらが参加されたこの詩劇もまた、茨木さんの面目躍如といった感があります。
たとえば、埴輪造りをさせられている奴隷の一人が語り部の翁に言うセリフ。
して怖いのはそのあと。唆された? おばばが、「下積みの者たちのざれ歌」「いま生まれたばかりの話」を口にしたとたん、それを耳にした倭の役人・野見宿禰に消されてしまう。
加えて紹介するなら、やはりラストでしょうか。
「埴輪」が書かれてから半世紀が過ぎたのに、まだ「自由」には、ぼくたちの血が流れていない。まだ「自由」には、ぼくたちの肉が、くっついていない。ぼくたちが許し、許されているのは、いわば他律的な自由にすぎない。
たとえば、埴輪造りをさせられている奴隷の一人が語り部の翁に言うセリフ。
語り部の長の口ウツしに、ありきたりのでっちあげの物語をしゃべるんじゃなくさ、おばばの眼が本当に見たもの、おばばの耳が本当に聴いたものを語れよ。
して怖いのはそのあと。唆された? おばばが、「下積みの者たちのざれ歌」「いま生まれたばかりの話」を口にしたとたん、それを耳にした倭の役人・野見宿禰に消されてしまう。
はみ出すことは許さぬ。もはや倭は……
加えて紹介するなら、やはりラストでしょうか。
自由、自由という日本語、なんてゴロが悪いんだ、なんて坐りごこちが悪いんだ。/「自由」には僕たちの血がまだ流れていない。/「自由」には僕たちの肉がまだくっついていない。
「埴輪」が書かれてから半世紀が過ぎたのに、まだ「自由」には、ぼくたちの血が流れていない。まだ「自由」には、ぼくたちの肉が、くっついていない。ぼくたちが許し、許されているのは、いわば他律的な自由にすぎない。
60刷
2006/04/04 20:20 格納先: Personal
4月から高校生になる娘のために、今年も『詩のこころを読む』を購入しました。何冊目になるかな。
奥付を見ると60刷。Amazonのデータでは岩波ジュニア新書中第1位の売上を誇っています。すごいなぁ。それに、うれしいなぁ。『詩のこころを読む』が読みつがれるかぎり、日本にはまだ未来が残されているような気がする。って、大袈裟?
でもホント、力づけられるし、うれしいんです。ネット上に茨木さんに関する話題が溢れていることも。くろねこ@国語塾のblogも良かったね。
奥付を見ると60刷。Amazonのデータでは岩波ジュニア新書中第1位の売上を誇っています。すごいなぁ。それに、うれしいなぁ。『詩のこころを読む』が読みつがれるかぎり、日本にはまだ未来が残されているような気がする。って、大袈裟?
でもホント、力づけられるし、うれしいんです。ネット上に茨木さんに関する話題が溢れていることも。くろねこ@国語塾のblogも良かったね。
茨木さんの散文
2006/04/02 12:04 格納先: Personal
ぼくの一番好きな、詩人・茨木のり子さんのお仕事(作品)が、じつは『詩のこころを読む』(岩波書店)だったりします。ご自身の詩は一編も収められていないけれど、さまざまな詩人の作品を紡ぎ、紛う方ない茨木さんの詩の世界を織り上げる、その手際の鮮やかさ。
この本は全体が人生を謳い上げる詩になっています。だから、ぼくは今までにも何冊か、卒業あるいは進学・就職のお祝いとして、子供たち、甥っ子たちにプレゼントしてきました。視界がはるばると拓けていく本ですから。
面妖な大人社会の入口に立つ青少年にとって、またそのころの「感受性」を失うまいと願う大人たちにとって、『詩のこころを読む』は生涯の羅針盤、あるいは清水を組み上げる井戸となるに違いありません。
茨木さんの散文は素晴らしい。毎日『茨木のり子集/言の葉』(筑摩書房)を読み返していて、つくづくそう思います。
深澤忠孝さんも「現代詩手帖」(思潮社)の「茨木のり子追悼特集」で触れておられますが、「はたちが敗戦」の中の、「二十五年間を共にして、彼が癌で先年逝ったとき、戦後を共有した一番親しい同志を失った感が痛切にきて虎のように泣いた」という一節。「虎のように」とは、なんと激しい、傷みに満ちた表現であることか。後を追いたいと綴り、生きていたくないと話していた彼女の生身の悲しみが、簡潔であるがゆえの痛切さで迫ってきます。詩人ならではのエッセイ。
ところで、深澤さんは〈茨木さんも鶴岡にある夫のお墓に入られるはず〉と書いておられました。たとえお骨になったとしても、彼女が近くにいてくれるのは、ぼくにはとてもうれしいこと。倚りかかるつもりはないけれど、見守ってくれるということは。
それにしても茨木さん。「寂寥だけが道づれ」の日々がようやく終わりましたね。あなたのたたかい、あなたの浴びた返り血が無駄にならないよう、ぼくは生きるつもりですよ。
この本は全体が人生を謳い上げる詩になっています。だから、ぼくは今までにも何冊か、卒業あるいは進学・就職のお祝いとして、子供たち、甥っ子たちにプレゼントしてきました。視界がはるばると拓けていく本ですから。
面妖な大人社会の入口に立つ青少年にとって、またそのころの「感受性」を失うまいと願う大人たちにとって、『詩のこころを読む』は生涯の羅針盤、あるいは清水を組み上げる井戸となるに違いありません。
茨木さんの散文は素晴らしい。毎日『茨木のり子集/言の葉』(筑摩書房)を読み返していて、つくづくそう思います。
深澤忠孝さんも「現代詩手帖」(思潮社)の「茨木のり子追悼特集」で触れておられますが、「はたちが敗戦」の中の、「二十五年間を共にして、彼が癌で先年逝ったとき、戦後を共有した一番親しい同志を失った感が痛切にきて虎のように泣いた」という一節。「虎のように」とは、なんと激しい、傷みに満ちた表現であることか。後を追いたいと綴り、生きていたくないと話していた彼女の生身の悲しみが、簡潔であるがゆえの痛切さで迫ってきます。詩人ならではのエッセイ。
ところで、深澤さんは〈茨木さんも鶴岡にある夫のお墓に入られるはず〉と書いておられました。たとえお骨になったとしても、彼女が近くにいてくれるのは、ぼくにはとてもうれしいこと。倚りかかるつもりはないけれど、見守ってくれるということは。
それにしても茨木さん。「寂寥だけが道づれ」の日々がようやく終わりましたね。あなたのたたかい、あなたの浴びた返り血が無駄にならないよう、ぼくは生きるつもりですよ。