「希望の新芽」はわたしたちの手のなかに
タンザニアのゴンベ国立公園で45年間に渡ってチンパンジーの研究を続けてきたジェーン・グドール博士が来日した。国連の平和大使もつとめる博士の講演を、11月20日、東京の「六本木アークヒルズ」へ聴きに行った。『「希望の新芽」はわたしたちの手のなかに』と題して行われた講演の要旨を以下にまとめた。
「国連平和大使」ジェーン・グドール博士来日記念講演会
——「希望の新芽」はわたしたちの手のなかに——
26歳のとき初めてタンザニアのゴンベ国立公園へ行って以来、45年に渡ってチンパンジーたちと過ごしてきた。はじめてゴンベを訪れたとき、一人きりでの研究活動にたいしてタンザニア政府の許可がなかなか下りなかった。そのときボランティとして身の回りの世話を四ヶ月間にわたってしてくれたのが、母だった。
はじめの頃は、研究資金が底をつくのを恐れ、最初の6ヶ月でなにか成果を残さなければと焦っていた。チンパンジーはヒトの姿を見るとすぐに逃げてしまい、なかなか観察が出来なかったので、焦りは募った。転機は、「灰色髭のデービッド」と呼ばれるようになる一匹の雄のチンパンジーが、むこうから近づいてきたときに訪れた。それ以来、群れの他のチンパンジーたちもヒトであるわたしを恐れなくなっていった。
最初の大きな発見は「シロアリ釣り」だった。木の枝を巣穴に突っ込んでアリを「釣る」チンパンジーの行動は、道具を使うのはヒトだけであり、道具の使用こそがヒトを人たらしめているという従来の常識をくつがえす画期的な発見だった。この発見によって次の6ヶ月の研究資金を得ることが出来た。
チンパンジーの子どもは遊ぶことに真剣だ。遊び仲間がいなければ、ときにヒヒなどの他の猿をむりやり遊び仲間にすることもある。子どもは遊びのなかで、おとなの振る舞いを「観察し」「マネし」「練習する」ことで、文化を身につけ伝承していく。
フィーフィーという年長の雌のチンパンジーがいる。もはや1960年代のゴンベを知るのは彼女と私だけになってしまった。彼女と向かい合って見つめ合っていると、その目には明らかに感情が宿っているのがわかる。そのとき「この人は何を考えているのだろう」と思う。チンパンジーには感情があり、考えることができるという点で、ヒトとの間にはっきりとした境界を引くことはできない。
1960年代には、タンガニーカ湖周辺には広大な森が広がっていたが、現在では湖岸からわずか16マイル、面積にして30平方キロメートルしか森が残されていない。国立公園のすぐ隣りには耕作地が広がり、場所によってはかつての原生林がサバク化しているところもある。内戦によってブルンジ・ルワンダ・コンゴなどの周辺国から難民が流入し、耕作や薪とりのために森が刈られているのが原因だ。コンゴ難民流入以前は、国立公園内でのチンパンジーの密猟は皆無だったが、猿の肉を食べる習慣のある人たちが入ってきたことで、チンパンジーの存在自体も脅かされるようになった。
明るい展望もある。木々の苗を非常に安く買えるようにして植林を進めたり、困窮している人たちに小額の資金を貸しつける「Micro
Credit
Bank」のおかげで、人びとがストーブを買えるようになったので、森林の伐採が止んだ。それらの運動の原動力は、地元の人たちが環境保全に積極的に関与するようになったことだ。
(根株更新などの)「驚くべき自然の回復力」により、植生も回復してきている。今後「緑の回廊」ができることにより、生息域の分断による近親交配で絶滅の危機に立たされているチンパンジーたちも、離れた地域の群れと遺伝子の交換ができるようになるのではないかと期待している。
とはいえ現在の状況が危機的であることに変わりはない。1960年代コンゴ平原に200万人いたチンパンジーが、現在では20万人程度に激減してしまった。アンテロープをつかまえる罠にはまって手足を失ったり死んでしまう例も多いのだが、最大の原因は、企業が森林伐採のために森の奥深くまで道路を張り巡らせた結果、以前は森の奥まで入り込めなかった密猟者が、手当り次第に野生動物を撃ち殺して薫製にして食べる非合法な行為(Bush
Meet)を横行させてしまったことだ。こうした破壊行為によって、チンパンジーだけでなく、伝統的な狩猟で生活してきたピグミーの人たちの文化も破壊されている。また、ヒトに一番ちかい生き物ボノボ(ピグミーチンパンジー)もすさまじい勢いで姿を消している。
森林伐採によるサバク化で耕地が消失し、貧困・飢餓・病気が蔓延するアフリカ大陸では、同時に、生物多様性の喪失、毒物の垂れ流しや大気汚染も深刻になってきている。地球規模で見てみれば、ブッシュ米大統領でさえ認めざるを得なくなってきた地球温暖化や、イラク戦争などで使用され現在も放射能で環境を汚染し続ける劣化ウラン弾の問題もある。
こういう現状を見て、もうダメだ、遅すぎる、なにをやってもムダだ、という若い人たちがいる。ほんとうに、もう遅すぎるのだろうか?わたしがもっともよく訊かれる質問のひとつは「ジェーン先生、希望はあるのでしょうか」というものだが、わたしはこう答えている。「大いなる希望を持っている」と。
最大の問題は、(人びとの)頭脳と心とが切り離されていることだ。理解力、つまり、私たちが日々地球にたいして行っている行動の結果が、地球にたいしてなにをもたらすかを想像する力の欠如である。また、「驚くべき自然の回復力」は大きな希望だし、子どもたちの熱意や、ネルソン・マンデラのような不屈の精神を持った人びとにも大いに勇気づけられる。
一人ひとりが毎日、(自分の行為の結果が)地球にたいしてどんな変化をもたらそうとしているのか、人間社会・動物社会・地球環境にたいしてなにができるかを考え、(自分がなすべき行為を)「選ぶ」ことが大切なのだ。
消費者としての選択も重要だ。環境にたいして無責任なやりかた、倫理的に不正なやりかたで作られている製品をボイコットするすることで、そのような製品を世に出している企業がつぶれたり、製造過程がよりよいものに改められたりすることがあるからだ。
地域によって、また国によって「なにができるのか」は違ってくる。(わたしが関わっている)「Roots
and
Shoots(根っ子と新芽)」というプログラムは、タンザニアから始まり現在では世界90ヶ国に広がっているが、ここでは、自分が地球環境にたいしてできる身近な「なにか」がテーマになっている。
Posted: 月 - 11月 21, 2005 at 05:41 午後