ケータイの"掟"


ケータイの使い勝手には「ごはんを食べるのに田起こしから始めなくてはならない」ようなもどかしさがある。

 ケータイを替えた。前のを買ったのが2002年の夏だからまるまる三年使っていたことになる。とくに調子が悪いわけではないのだが、いままでの機種はすでに生産終了しており、故障したときに同じようなものがすぐに手に入る保証がないので、機種交換キャンペーンで安く手に入るうちに手に入れておいたほうが無難と判断したためだ。
 「同じようなものがすぐに手に入る保証がない」なんて書くと、いかに特殊な機種かと思われるかも知れないが、生活防水のケータイ は日本ではこの機種しかなく、われわれの仲間内では"業界標準"になっている。
 さてさて、久しぶりに手にした最新機種はというと、さすがに日進月歩のこの世界だけに、以前のものに比べて隔世の感がある。「余計なお世話だ」と思わせる不必要な機能も多そうだが、使い勝手がずいぶん良くなっているのは確かだ。こう書くと「ついにデジタル派に寝返ったのか」と揶揄されるかも知れないが、そうではない。やはり本質的な部分でケータイにはどうしても馴染めない。例えて言うと、腹が減ってすぐにご飯が食べたいのに、田起こしから始めて、田植え→稲刈り→精米‥‥と順を追ってようやくご飯にありつけるようなもどかしさを感じてしまうのだ。
 ここ何年かで、苦手なパソコンもなんとか飼いならし、やりたいことはほとんど即座にできるようになった。パソコン(Mac)の場合は、画面上のアイコンをクリックすれば、欲しい情報ややりたい作業にすぐに到達できるので、直感的というか、思考のさまたげは少ない。ところがケータイの場合には、ごはんを食べるのに「田起こしから始め」なくてはならないので、操作を重ねるうちに何がしたかったの忘れてしまうのだ。
 デジタル用語的にいうと、Macはオブジェクト指向、ケータイはコンテクスト指向、Windowsはその中間といったところか。たとえば、CDで聞きたい曲の頭出しをするのは簡単だが、テープの場合は早送りや巻き戻しが必要なぶん、手間がかかるのと似ている。「行きたいところにすぐに行けない」のだ。
 ものごとを理路整然と順を追ってこなしていくのが苦手な人間には、ケータイはいつまでたっても使いにくいモノであり続けそうだ。

Posted: 水 - 10月 26, 2005 at 09:53 午前          


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