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2005/12/05
20051205_Angelus
アンジェルス(20051204) 待降節第二主日
ベネディクト16世
アンジェルス(お告げの祈り)
サンピエトロ広場
2005年12月4日 日曜日
待降節第二主日
親愛なる兄弟、姉妹の皆さん
待降節の期間、教会共同体は、受肉の偉大な神秘を祝う準備をしながら、神との人格的な交わりを再発見し、かつ深めるようにと招かれているのです。ラテン語でアドヴェントゥスはキリストの到来を意味していますが、これは神からの人間に向かっての働きかけに第一に注目します。この(神からの)働きかけに心を開き、待ちわびつつ、探しつつ、同意しつつ答えていくようにと誰もが呼ばれているのです。さらに神が愛に満ちた自由であって、ご自分をお示しになり、ただ愛にかられる故にご自分をおささげになったように、人間もまた、自分の同意を与える上で自由なのであります。(すなわち)神は愛の応答を待っておられるのです。この数日の典礼において、このような応答のモデルとして処女マリアが紹介されています。(特に)次の木曜日12月8日には無原罪の御宿りを黙想しましょう。
マリアは聴く人、主の望みを果たすためにいつも用意していた人でした。さらに神を探求して生きていく信徒にとっては模範でもありました。このテーマについて、すなわち真理と自由の関係について、第二ヴァチカン公会議は注意深く言及しています。特に、公会議の教父たちは、四十年前、信教の自由に関する宣言を承認しました。(そこでは)すなわち人間と共同体が真理を探求し、自由に信仰を宣言することの権利を認めたのです。この宣言は『ディニタティス フマネ(人間の尊厳)』で始まっています。信教は自由は人間の尊厳に由来するものだからです。この尊厳はこの地上の人間にとって自覚をもって、自由に創造主との関係を結ぶことを可能にする唯一のものに他ならないのです。公会議はつぎのように語っています。「すべての人間は、人格、すなわち、理性と自由意志を備え、...自分の尊厳のゆえに、真理、特に、宗教的真理を探求する本性にかられ、また道徳的に義務を負わされている。」(『信教の自由に関する宣言』DH 2)このように第二ヴァチカン公会議はカトリック教会の伝統的な教えを再強調しています。この教えを通して、霊的被造物である人間が真理を知ることができるようになるのです。ですから、人間は真理を探し求める義務と権利を持つわけです(DH 3参照)。この原理に基づき、公会議は信教の自由を(次のように)一般的に主張しています。公共の秩序の正当な要求を尊重しながら個々人であれ、共同体であれ信教の自由は保証されねばならないと。この公会議の教えは、四十年を経てもいまだに権威を持っているのです。実際、信教の自由は完全に保証されるまでは至っていません。あるケースでは別の信仰とイデオロギーの理由から信教の自由は否定され、あるケースでは文書のうえでは認められていながらも、政治権力によって、さらにもっと巧妙な方法では非知性主義や相対主義の文化的優位によって阻止されているのです。
人間の存在そのものに記されている信仰への召命が完全に実現しますようにと祈ってゆきましょう。マリア様、あなたの胎に宿られたベトレヘムの幼子のお顔の中に、神の本当の御顔を示すためこの世に来られた救い主を見いだすことができるようにお助けください。
主の御使いの告げありければ....
翻訳:小西広志
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