2005/11/28  

20041127_Angelus

アンジェルス(20051127) 待降節第一主日


ベネディクト16世
アンジェルス(お告げの祈り)
サンピエトロ広場
2005年11月27日 日曜日
待降節第一主日

親愛なる兄弟、姉妹の皆さん
今日の日曜日で待降節が始まります。信仰の面でとても勧められる時です。というのも希望と霊的な待望が練りこめられた期間だからです。(すなわち)キリスト者の共同体が贖い主が誕生したことを思い起こす準備をするたびに、共同体は喜びに沸き立つのです。しかもこの喜びは社会全体へと伝わっていくものです。待降節の間、キリスト者は霊の二重の動きを生きるのです。第一に、歴史の中でおこなわれている巡礼のゴールへと、主イエスの栄光に満ちた再臨のことですが、自分の眼差しを向けるのです。第二にベトレヘムでの生誕を心を込めて思い起こしながら、キリスト者は馬小屋の前にひざまずくのです。キリスト者の希望は未来へと向かいながらも、いつも過去の出来事によく結びついているのです。時が満ちたとき神の御子は処女マリアから生まれました。「女から生まれ、律法のもとに生まれた」と使徒パウロが記しているとおりです(ガラ4,4)。

福音は今日、私たちに次のように勧めています。キリストの再臨を待ち望む際に目覚めていなさいと。「目を覚ましていなさい。」とイエスは言われます。「なぜなら家の主人がいつ帰ってくるかは知らないからである」(マコ13,35.37)。主人が旅立ち、下僕らに代わりをさせるこの短いたとえ話は、主が突然帰ってこられたときに、主を受け入れる用意のできていることの大切さを明らかに説いています。キリスト者の共同体は心から「主が現れる」のを待ち続けるのです。コリントの信徒たちに書きつづった使徒パウロは神への信頼のうちに主が来られることを確信するように、そして主が来られる日には「非のうちどころない」ものとなるように生きるようにと勧めているのです(参照1コリ1,7-9)。待降節の始まりにはとてもふさわしく、典礼は私たちに詩編なかの願いのことばを唱えるようにと勧めるのです。「主よ、あなたの慈しみを示してください、あなたの救いを送ってください。」

次のように言うことができるかもしれません。待降節とはキリスト者が自分の心の中に、神の助けを借りながら、世界を新たにする希望をもう一度かき立てる時なのです。このことについて私は、今一度、第二ヴァチカン公会議の現代社会における教会についての憲章「ガウデム・エト・スペス」を思い起こしたいのです。この憲章はキリスト者の希望についての深くあつかったものなのです。特に「新しい天と地」というタイトルがついている39条に言及したいのです。「神によって新しい住居と新しい地が用意され、そこには正義が支配している。(2コリ5,2;2ペト3,13参照)....しかし、新しい地に対する期待は、現在のこの地を開拓する努力を弱めるものであってはならず、かえってそれを励ますものでなければならない。」ここに私たちの働きのよい実りを見いだすことができるでしょう。そしえその時、キリストはご自分の永遠、普遍の王国を御父にお渡しになるのでしょう。至聖なるマリア、待降節の処女は主を待ち望む見張り人と働き手にとっての恵みのこの時を私たちが生きられるようにと取りなしてくださるのです。

主の御使いの告げありければ....


翻訳:小西広志



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