2005/06/10  

Column A-09

事実を伝える芸術作品


原爆文学というジャンルが存在する。原爆をあつかった文学作品群を指す。これは読み手に原爆の悲惨さを訴える文学形式だ。原民喜の「夏の花」などがその代表作だろう。もちろん秀作駄作様々である。思想的に偏向しているものもある。しかしこれらの作品群を通じて知りうる原爆の事実は、もしかしたら何百フィートに及ぶ映像より、何人もの人が語る体験談より強烈に心に残るのではないかと思っている。同様な文学ジャンルとしてサナトリウム物とでもいうのか、結核文学あるいはハンセン病文学というものも存在する。ハンセン病文学は例えば北条民夫の「いのちの初夜」などが代表的だが、それ以外にもたくさんのハンセン病患者が療養施設での体験を様々な文学形式で綴っている。これを読むと当時のハンセン病施策の一端を知りうる貴重な資料だ。老人文学というジャンルも存在する。最後の私小説作家と呼ばれた耕治人が有名だ。
このような作品群から読み手は事実を知ることができるのだ。そしてそれは心に残る。あえて批判を覚悟で書くが、語り部の証言がどれほど心に残っていくのだろうか。
ひめゆり部隊を扱った映画は二つ作られたと記憶している。どちらも木下恵介監督だっただろうか。第一作は昭和三十年代前半の作品だったように記憶する。私の母が娘時代この映画を見てひめゆり部隊の悲劇を知ったという。ただ彼女の心に残っているのは悲惨な戦闘シーン、自決シーンではなかったそうだ。つかの間の休息の時に乙女たちがキャベツをボールに見立ててバレーボールをするシーンが一番心に残っていると何度も私に話してくれたことがある。もちろんキャベツが沖縄にあったかどうかは知らない。ただこのシーンから母は戦争の悲しさとすべてを捨てて死んでゆかねばならなかった乙女たちの気持ちをくみ取ったのだろう。(実際にこのシーンが存在したかどうかも不明である。母の思い違いかもしれない。)後年あこがれの沖縄を訪れた母はひめゆりの丘での語り部の証言に何の感動も覚えなかったと語ってくれた。
語り部の表現形態を否定するつもりはないが、もし戦争という愚かしい出来事を後世に伝えるのであれば直接的な表現より、別の表現形態の方が読み手の心に何かを残すのではなかろうか。文学でもいい、映像でもいい、美術でもいい、創造という人間に与えられた特権を活用してゆくべきなのではなかろうか。
もう少しつけ足すと、芸術性を加味した表現でなければ、読み手の心には事実は伝わらないと私は信じている。丸山某が描いた原爆の図から事実を引きだすことは私にはできない。でもピカソが描いたゲルニカからは事実を引きだそうとする私自身の中での思いが沸き上がってくる。

後で気がついたが、ひめゆり部隊を描いた映画はいくつかある様子。木下恵介の作品ではない。2005年6月11日記


Hiroshi Konishi (コニタン)



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