2005/02/23  

Column A-05

新聞


最近新聞に凝っている。朝起きたら新聞を買いに行く。前は二紙買っていたが、今はとりあえず一番読みやすいものを一紙だけ買っている。分厚い新聞のすべてを読めるはずはない。日によって違うのだが、面白そうな記事を二つ三つ読むのが精いっぱいだ。でもテレビより情報量があるから、世の中の動きがよくわかる。新聞を読み始めるようになってずいぶんとイタリアのことがわかるようになってきた。
 ところで今からずいぶん前、予備校に通っていた頃、私に英語の面白さを教えてくれたO先生がいた。若いときの教師との出会いは結構後々まで影響するもので、あの時この先生に出会っていなかったら人生はずいぶんと違ったものになっていたと思う。このO先生はイギリスで勉強した方で、英語学ではなくして英文学をオックスフォードで学んだのだそうだ。ホントかどうか知らない。だいたいそんな大先生が東京近郊のウラブレタ予備校で教えていること自体が変なのだが、当時は彼の言葉を信じていた。彼によるとイギリスでは階級によって読む新聞が違うのだそうだ。そしてThe Timesの英語は難しくて、日本人には読めないのだそうだ。The Timesの一面がスラスラ読めるようになったらその人の英語は本物だと言った。このことは田舎出身のプライドだけは一人前の学生であった私にとっては大いなるショックだった。まず階級によって読む新聞が違う。これは日本ではあり得ない。しかも上のクラスの新聞は英語も違う。これまた日本ではあまりピンと来ない。あれから二十五年。O先生が話してくれたこのエピソードが本当であったことを最近実感している。
 読めないのである。同じ新聞でも記事によってはまったく何を言っているのかわからないのである。単語を調べてみても、文章全体の構造を見てみても読むのに障害になるものは何一つない。でも読んでも意味がわからないのだ。そんな記事に時々出会う。たいていそれはエッセイとか評論のたぐいであるけど。イタリア語そのものがかなり高度だ。きちんと教育を受けた人にしか解らないロジックの展開なのだ。
 イタリアには新聞がたくさんある。まず地下鉄の駅とか、道端で朝配っている無料のタブロイド紙がある。次にエディコラと呼ばれる売店で売っている一般紙がある。一般紙の中には主義主張別にそれぞれ各紙が存在する。左寄り、中道左派、右寄りなどなど。その他にカトリック教会により近い新聞もあるし、バチカン市国で発行している日刊紙もある。さらにいわゆるスポーツ新聞も存在する。人々は教育の程度、階層に応じて新聞を買い求めるのである。まさにかつてO先生が話したことは本当であった。しかもイタリアではいわゆる代表的な新聞は存在しない。なぜならそれぞれの新聞には政党が背景にあるからだ。中立な立場での発言というのが少ない。私が毎日買う新聞は比較的中立な立場にたつ新聞だが、ある時イタリア人に言われた「パードレ、そんな新聞読んでたらイタリアのホントのことは判らないよ。もう少し意見のある新聞を読まなきゃ。」なるほど私も薄々感じていたのだが、この新聞、記事の書き方が表面的なのだ。他の新聞と読み比べるとよくわかる。
 イタリアに来て3年が過ぎようとしている。まあまあ普通の記事なら読めるようになってきた。ただ書き手の主張が反映されている著名つきに記事はまだ読めない。もう少しイタリア語の修業が必要かもしれない。


Hiroshi Konishi (コニタン)



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