ミシェル・ペトルチアーニ《solo LIVE》/《TRIO IN TOKYO》


魂の宿ったピアノ。どこまでも美しい「音」そして、心を捉えてはなさない「うた」!!こんなにもLIVEで聴いておきたかった人はいない。

20世紀最高のピアニストの一人(だと思う)ミシェル・ペトルチアーニ。
音楽は決して派手ではないし、テクニックを見せびらかすタイプでもない。でも、しっかりしたタッチの芯の通った、しかし澄んだキレイな「音」。そして、魂のこもった「うた」。凝ったコードワークや凄いアドリブとかいう感じでもない、真っ正面から心を捉えてはなさない「うた」がある、魂の宿ったピアノだ。


ソロ・ライブ 。オリジナル曲の「LOOKING UP」の出だしのスケール(音階)からして、あまりに美しく、心のこもった「うた」だ。一つ一つの音が煌めくように湧き立ち、至上の悦びに満ちている。なんと素晴らしいのだろうか!続く「BESAME MUCHO」の泣き、「HOME」の沁みるメロディ、「CARAVAN」の激情、最初から最後まで、言葉では言い尽くせないほど「良い」。何度聴いてもトキメいてしまう。




一方、トリオ の方は、1997年ブルーノート東京でのライブ。ベースは矢野の「さとがえるコンサート」でもすっかりお馴染みとなったアンソニー・ジャクソン。ドラムはあのスティーヴ・ガッドだ。こちらも素晴らしい演奏である。特に2曲目の「September Second」はCDで聴いていても鳥肌が立つし、名曲「HOME」は涙が出るほど美しい。アンコールのマイルスの「So What」もクールで熱い、凄い。
(なんと、この同じ月に、おれはブルーノートに行っていたのだ。チック・コリアとゲイリー・バートンのデュオが目当てだったんだけど、なんで、このトリオのライブに行かなかったんだろう。一生の後悔である。)




そもそも、このピアニストの凄さを知ったのは、いつかのモントルー(ジャズ・フェスティバル)でのライブの様子をテレビで見た時だ。名前は知っていたんだけど、そのピアノの音のあまりにも澄んだ美しさに、まさに「惚れて」しまったのだ。(確か、そん時の曲も「HOME」だったと思う。)

この人、ご覧の通り、まともな体ではない。





生まれつきの病気で骨の成長が異常のため身長は1mほど。ピアノの椅子に座るのも命がけだ。当然ペダルには届かないので、子供用みたいなペダル踏み器を使う。いつ死んでもおかしくない体で、まさに命を削ってピアノに向かっていたのだ。
しかし、彼の場合、この見た目とかハンディキャップとか言った話はむしろ邪魔だ。なぜなら、彼は、真に素晴らしい音楽を生み出す人間であったから。障害者ということで人気のある音楽家というのがいる。目が見えないピアニストとか、足の不自由なヴァイオリニストとか。もちろん彼らはそれなりに素晴らしいのだが、ミシェル・ペトルチアーニの場合、彼の背負う障害というものは(もしかしたら、その音楽へなんらかの影響を与えていたのかも知れないが)彼の音楽の素晴らしさにはホトンド関係無いように思える。(例えば、スティーヴィー・ワンダーの素晴らしさは彼のブラインドという障害から来ているなどと誰が思うだろうか?そんなこと思う奴は目つぶししてやる。)

ミシェル・ペトルチアーニは、1999年の正月に突然死んでしまった。「いつ死んでもおかしくない」と言われていたにせよ、このニュースはショックだった。だって、まだ生で聴いたことなかったんだもん。一度でもLIVEで聴いてみたかった。同じ時代に生きていながらそれが実現できなかったのは悔しくてならない。

→Michel Petrucciani "Looking Up!"
http://peto120.hp.infoseek.co.jp/

→小さな巨人 ペトルチアーニ
http://www.kapelle.jp/classic/weekend/petrucciani.html

Posted: 水 - 6 月 30, 2004 at 02:23 午前              


©