人が死んでしまうといふ事


或いは「逢魔が時」

尼崎-塚口間のJR脱線事故は、死者数がどんどん増えていっているようだ。(26日の午前1時現在、57人になっている。)

電車通勤をしている者にとっては、まさにヒトゴトではない。
とりあえず、先頭車両に乗るのは止めよう(たとえハッテン車両であっても)と思った。
(後でよくよく考えたら、大阪に行って堂山で飲んで阪急の終電が無くなった時この路線によく乗っていたんだった。)

関西に暮らす彼氏は一応無事だったようだ。(阪急利用なので。)
彼氏の会社には、一本遅い電車に乗ったため事故を免れた人もいたらしい。
生死の境なんて紙一重で、人の運命てのはなんとも不確かなものである。


現場は想像を絶する修羅場と化しているハズだ。

どんなに賢く立派な人だろうと、どんなにバカで愚かな人だろうと、大破した車両でグチャグチャにされてしまえば、物理的には等しく「ただの生ゴミ」になってしまう。

「人が死んでしまう」という事はこういう事である。
人の死とはかくも恐ろしく、非情で気持ち悪く、情けなく哀しいものなのだ。 人を死なせてはいけないのは、死んでしまったらなんとしても元に戻せないからなのである。
「死体を見てみたかった」とぬかす17歳には、是非この現場を見せてやればいい。おそらくとても堪えられないだろう。

それにしても、公共交通(電車も飛行機もバスも)に携わっている人たちには、一度に大勢の人間の命に関わる仕事だという自覚を持っていてもらいたいもんだ。皆にそういう心構えがあれば、駅であのように傲慢な物言いをする駅員なんて居ないハズだ。
今回の件で、「電車は安全な乗り物である」という信頼も一緒にペチャンコに潰されてしまった。
(9.11の後、自分の勤め先のある高層ビルに行くのが少しイヤだったように、今日の帰りは電車に乗るのが気分良くなかった。)

テメエたちの業績や目先の些細な事にとらわれて、重大事故の引き金を引かないでもらいたい。
(今回の場合、伊丹駅でホームからはみ出して停車したため電車が遅れ、その遅れを取り戻そうとスピード超過をしていたらしい。さらに置き石疑惑などもあり、さまざまな「ミス」や「自分勝手」や「偶然」が重なって脱線したんだそうだ。これまでの公共交通の事故も、多くはこういう類の「人災」なのだと思うとウカバレナイ。)


どこで・いつ・どんな目に遭うか分からない世の中。せめて、その原因が人の手によって成される事がありませんように。。。



*asahi.com特集ページ
http://www2.asahi.com./special/050425/?t

*MSN-Mainichi特集ページ
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/photo/0425/

*NHK特設ページ
http://www3.nhk.or.jp/news/tokusetsu4/

Posted: 火 - 4 月 26, 2005 at 12:47 午前              


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