「変態村」(2004/ベルギー=仏=ルクセンブルク)


インパクトある名(迷)邦題に騙されてはいけない。怖オモシロイ、欧州ド田舎キチガイムービー。

2006年、あの「ブロークバック・マウンテン」が公開されていた頃、予告編で流れていて非常に気になった映画。ようやくDVDで見た。

まず、このインパクトある邦題(「キラー・コンドーム」や「アメリ」を買い付けたバイヤーが名付けたらしい。それにしても秀逸な煽りである。)に騙されてはいけない。
原題は「Calvaire」。殉死や苦難といった意味で、ゴルゴダの丘で磔にされたキリストを喚起させるものだそうだ。その通り、DVDのパッケージやチラシなどではハリツケにされた人物のシルエットが使われている。


[以下、ネタバレ含む]









売れないドサ回り歌手マルクは、田舎の老人ホームでの慰問を終え、南仏でのクリスマスライブのため一人でライトバンを運転していた。降りしきる雨の中、人里離れた田舎道で車がエンコし、突然現れた不気味な男ボリスの案内で、廃業したペンションにたどり着く。夜も更けてきたので仕方なく泊まるマルク。

宿の主人バルテルは元コメディアンで、同じ「アーティスト」であるとマルクを歓迎。翌朝、「車も直してやるからもう一日ゆっくりしていけ」「散歩でもしてこい。ただし、『村』には近づくな」とバルテル。
散歩中にボロ小屋で村人が豚を犯しているのを見て不安になったマルクは一刻も早くここを去りたいと願う。最後の晩餐にバルテルは、逃げた女房グロリアの話をし、マルクに一曲歌をリクエストした。渋々歌うマルク。

次の朝、ようやく帰れると思ったマルクが見たものは、バルテルが車を荒らし、事もあろうか灯油を撒いて火を付けてしまう光景だった。そしてバルテルはマルクに向かって言った。
「お前は何故戻ってきた?グロリア!この売女め!!」
車のバッテリーで頭を殴られ気絶するマルク。。。

マルクを逃げたグロリアと思いこみ、ワンピース着せ、頭を丸刈りにし、縛り、犯すバルテル。
さらに村人達の登場によってますます壮絶な苦難がマルクに襲いかかる・・・。



「変態村」というよりは「キチガイ村」だったワケだが、放送禁止用語は映画のタイトルには付けられなかったのだろう。

マルクはトコトンついてない男だ。しかも、何故か自分以外のみんなに「異常なまでに好かれて」いる。そして、あんなにヒドイ目に遭っていくのに何故か同情できない。

冒頭の老人ホームのシーンでとても好きだったのが、楽屋でメイクを落としているマルクを尋ねてきたババアが「唄いながら私を見つめてた」とかなんとか言いながらマルクの手を自分のマンコに持ってくると思いっきり引かれるという場面。ババアは泣きながら「私って最低。こんな娼婦みたいな真似して。全部台無し」と出て行く。

実はここで後のマルク(グロリアと思いこまれている人物)の原罪が暗示されているのだった。
不貞・淫売の罪と罰。それでも愛されているからこその拘束や強姦・暴力。そして究極の束縛と愛の表現である磔。





突然訪れる突き放されたラスト、終わりを予感できないエンディング。これらはモノにもよるし、好き嫌いはあると思うけど、この映画でのラストはおれは嫌いじゃない。死ぬ間際までキチガイじみた妄想から解放されないでいる村のジイサンを看取って、子どものようにただ頷くだけの主人公は、なんだか悟りの境地みたくなったんじゃないかしら。その後、もし助かっていたとしても精神的にいろんなモノを背負い込むだろうし、もし死んでしまってもそれはそれで田亀源五郎のSM世界みたいでアリだと思う。


監督はベルギーの俊英ファブリス・ドゥ・ヴェルツ。70年代のアメリカやイタリアのホラー、特に「悪魔のいけにえ」や「サイコ」を愛するオタク気味青年が満を持してメガホンを取った長編である。「悪魔の」そのままなカメラグルグルの食事シーンや、謎多きモーテルに泊まった来訪者の悲劇というところが「サイコ」へのオマージュっぽい。
全体的に、怖い雰囲気よりも不思議で不気味でなんだか可笑しい、ヘンテコな空気があって、ヒッチコックが好きだという監督の持ち味なのかなと思う。


陰惨かつ美しい風景と、狂った目をした村人達。場末のバーで不気味な現代音楽ピアノに合わせて踊る「変態ダンス」。そしてなにより、クライマックスの俯瞰ショットによる集団レイプシーンでは、ビギービギーと泣きまくる豚の声が耳について離れない!
面白うてやがて悲しい、あるいは怖オモシロイ、ベルクの「ヴォツェック」さながらの、ヨーロッパのド田舎キチガイムービーだ。


DVDのオマケについてた短編「ワンダフル・ラブ」も面白かった。

Posted: 日 - 5 月 11, 2008 at 07:48 午後              


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